一六、祭壇の娘
一六、祭壇の娘
しばらくして、トム達は、なだらかな階段を上り切った。間も無く、一本道の通路へ出た。その途端、足を止めた。
「トム、元の道には、何とか戻れたようだが、どっちに進めば良いのか、判らんなぁ」と、正面に立つフォッグが、前を向いたままで、苦々しく言って来た。
「そうだな。俺にも、さっぱりだよ」と、トムも、冴えない表情で、同調した。地下室に落ちてから、方向感覚が奪われているので、途方に暮れるしかないからだ。
不意に、ミュールが、右腕を引っ張り、「トム、あっちの方が、妙に、明るいんだけど」と、告げて来た。
トムは、ミュールを見やり、「ん? どっちだい?」と、尋ねた。宝玉と蛍石の明かりだけでは、通路の両端を照らし切れないので、同じようにしか見えないからだ。
「あっちよ」と、ミュールが、右手で、右方向を指した。
その直後、フォッグが、振り返り、「おいおい、本当かよ?」と、当てにならないと言うように、些か、気の抜けた声を発した。
「私も、ミュールさんが指している方に、何か有ると思います。微かですが、何かの音が、聞こえて来ますから」と、左側から、レイミーが、補足するように、言った。
「よし、君達の言う方向へ進むとしよう。ここで、いつまでも、突っ立って居る訳にもいかないからな」と、トムは、決断した。二人が、同じ方向を指す以上、何か有る筈だからだ。そして、再び、フォッグを見やり、「フォッグ、良いか?」と、問うた。フォッグの意思も、確認しておきたいからだ。
「俺は、特に、反論は無いぜ。確かに、この先には、何かが有りそうだな。それと、一言付け加えさせて貰うなら、甘い臭いがするぜ」と、フォッグが、見解を述べた。
少しして、トム達は、右方向へ、歩を進めた。やがて、右への曲がり角に差し掛かった。そして、角を曲がり、十数歩で、開けた奥行きの有る場所に出た。その瞬間、足を止めた。すると、正面に、三階建ての建物くらいの高さで、美しい顔立ちの薄い衣を纏ったメギネ族の女性を象った黒い石像が、聳えていた。そして、冷ややかな表情をしながら、両手で、大鎌を左斜めに構えていた。
「どうやら、拝殿みたいだな。クフーダ神の巨像が、有るからな」と、フォッグが、重々しく、口を開いた。
「そのようだな」と、トムも、見据えながら、頷いた。世間一般で知られるクフーダ神の偶像だからだ。
フォッグが、振り返り、「トム、まだ、信者が、残っているようだぜ」と、右手を後ろ手にしながら、像の足下を指した。
トムも、その方へ、視線を移した。次の瞬間、光源である無数の赤い蝋燭を乗せた黒い燭台が、寝台くらいの長さの有る巨像と同じ材質の祭壇を挟むように立っているのを視認するなり、「そのようだな」と、頷いた。間も無く、その手前に、背を向けたままで、祭壇へ向かいながら、怪しげな動作をする頭巾を被った黒ずくめのローブの者と、その左脇から、頭だけが見えている横たわった人物を視認した。その途端、「あれは、多分…」と、言葉を詰まらせた。状態から考えられるとすれば、生け贄の儀式しか無いからだ。
「確かに、お前さんが、思っている事に、違い無い! もう、手遅れかも知れないが、急ごう!」
「勿論だ!」と、トムは、即座に、同意した。一刻を争う事態かも、知れないからだ。
その間に、ミュールとレイミーが、空気を察して、自主的に離れた。
間も無く、トムとフォッグは、各々の武器を抜いた。その直後、駆け出した。そして、見る見る内に、距離を詰めた。
少しして、前を駆けていたフォッグが、攻撃範囲内に、黒ずくめの者を捉えるなり、「ええい!」と、問答無用で、気合い一閃に、上段から斬りかかった。
次の瞬間、黒ずくめの者が、まるで、見えているかのように、見向きもしないで、左へ一歩だけ移動した。一瞬後、斬撃が、空を切った。
間も無く、「な!」と、フォッグが、勢い余って、前のめりに、体勢を崩した。
少し後れて、トムも加勢し、右から左へ薙いだ。その瞬間、視界から消えた。そして、空振りに終わった。その直後、左側を頭にして、台に寝かされている腰まで有る長い銀髪で、先端の尖った茶褐色の狐耳の妖艶な体型に、紫のチョッキと太股まで切れ込みの入っているスカートを纏ったメギネ族の娘が、視界に入った。
その刹那、「くくく…。我が、クフーダ神の儀式を邪魔しに来る者共が居るとは、思わなかったぞ」と、くぐもった声が、頭上から聞こえて来た。
その瞬間、「上だと!」と、トムは、即座に、顔を上げるなり、頭上を仰いだ。間も無く、黒ずくめの者が、攻撃の届かない高さで、静止しながら、見下ろしていた。そして、「あんたは、クフーダの信者か、何かか?」と、険しい顔で、問い掛けた。正体だけは、知っておきたいからだ。
「いかにも。ここの隠し神殿を護っている神官だ」と、黒ずくめの者が、すんなりと認めた。その直後、「お前達こそ、何だ! いきなり、後ろから斬りかかって来るとは! 誰かの回し者か!」と、怒気を含んだ口調で、問い返した。
「いいや、違う。偶然、ここに出て来ただけで、誰かに雇われた訳じゃない」と、トムは、頭を振って、否定した。
「ほう。それにしても、乱暴な話だな。差し詰め、私が、クフーダ神の神官だから、斬りかかったという事かな?」と、黒ずくめの者が、詰った。
「それも有るかもな。でも、あんたがしている事は、生け贄の儀式だろう? で、その台へ寝かされている子が、生け贄ってところなんだろうな」と、トムは、何食わぬ顔で、見解を述べた。そのようにしか見えないからだ。
「お察しの通り。で、その安っぽい正義感で、勢いに任せて、私に斬りかかって来たのだろうな」と、黒ずくめの者が、皮肉った。
「安っぽいとは、何だ! 俺は、目の前で行われている悪行を、見過ごせないだけだ!」と、トムは、語気を荒らげた。物言いに、腹が立ったからだ。
「今日のところは、引き下がるとしよう。但し、近い内に、儀式を妨げられた代償は、支払って貰う事になるだろうがな」と、黒ずくめの者が、意味深長な言葉を発した。その直後、瞬時に、姿を消した。
「ちっ、言いたい事を言い残して、逃げたか…」と、トムは、雷電を収めながら、メギネ族の娘へ、視線を移した。生死が気になったからだ。
突然、メギネ族の娘が、上半身を起こした。そして、両手の手のひらを外向きにして組むなり、「ん~っ」と、頭上へ上げながら、伸びを始めた。
トムは、呆気に取られた。まるで、今しがた目覚めた様子だからだ。
そこへ、「お目覚めですか?」と、フォッグが、機嫌を伺うような感じで、にこやかに、声を掛けた。
その直後、「ん?」と、メギネ族の娘が、反応するなり、そのままの姿勢で、顔だけを向けた。そして、目をしばたたかせるなり、「あなた方こそ、何者かしら? あたしの寝室に、押し掛けて来て?」と、きょとんとした表情で、問い返した。
「寝室ですって? ここは、祭壇の台の上ですよ」と、フォッグが、さらりと指摘した。
その瞬間、メギネ族の娘が、両目を見開くなり、「ええ? うそぉ!」と、驚きの声を発した。そして、慌てて、周囲を見回した。少しして、向き直り、「あなたの言う通り、あたしの知らない場所ね」と、苦笑しながら、理解を示した。その途端、腕組みをするなり、「どうして、こんな場所に…」と、眉間に皺を寄せながら、考え込んだ。
「事情は知らないけど、あなたは、生け贄にされていたんだよ」と、フォッグが、にこやかに、真相を告げた。
「そうみたいね。こんな所に、自分から好き好んで寝たいとは、思わないからね」と、メギネ族の娘も、すんなりと聞き入れた。
「儀式が、完了する前に阻止出来て、良かったよ」と、フォッグが、安堵した。
「でも、あなた方は、あたしを助けに来た訳じゃないのでしょう?」と、メギネ族の娘が、指摘した。
「ええ。偶々です。別の用件で、ここへ来ただけですから」と、フォッグが、すんなりと答えた。その直後、「どうですか? ここへ、あなただけを残して行くのは心配ですから、一緒に行きませんか?」と、フォッグが、紳士的な態度で、誘った。そして、顔を向けて来るなり、「な、トム。この人も、連れて行って良いだろ?」と、乗り気で、打診した。
「良いも、悪いも、その人が決めるのだから、俺からは、何も言う事は無いよ。フォッグが、話を進めると良いよ」と、トムは、一任した。フォッグに委ねた方が、上手くまとまりそうな気がするからだ。
「分かった」と、フォッグが、嬉々として、承知した。そして、メギネ族の娘へ向き直り、「どうでしょうか?」と、御用聞きのように、伺った。
メギネ族の娘が、右手の人指し指を顎に当てるなり、「そうねぇ。あたしも、独りで動くよりも、あなた方と一緒に居た方が、心強いわね。折角の申し出だから、受けさせて貰うわね」と、柔和な笑みを浮かべながら、快諾した。
その刹那、「お、俺、いや、自分は、フォッグ・シェルフと申します!」と、フォッグが、勢い良く名乗った。
「あたしは、ニルフ・アーマフ。宜しくね、フォッグさん」と、ニルフも、返礼した。
「は、はい!」と、フォッグが、力強く即答した。
突然、「フォッグ、あのニルフって人に、一目惚れしたみたいね」と、ミュールの声が、左の耳元から聞こえて来た。
次の瞬間、「わ!」と、トムは、驚きの声を発するなり、左側を見やった。その直後、ミュールが、左肩へ寄りかかっているのを視認した。そして、「いつの間に…」と、言葉を詰まらせた。全然、気が付かなかったからだ。
「何よ! そんなに驚かなくてもいいじゃない!」と、ミュールが、語気を荒らげた。
トムは、苦笑いを浮かべるなり、「ごめん…」と、詫びた。まさか、怒られるとは思わなかったからだ。
「うふふ。何だか、騒々しいわねぇ」と、ニルフが、溜め息混じりに、口にした。
「ええ、そうですね、ニルフさん」と、フォッグも、すぐに同調した。
「何よ! 騒々しいって!」と、ミュールが、噛み付くように、突っ掛かった。
「何を怒っているの? あたしは、本当の事を言ったまでよ。あなたに怒られる筋合いは、無いわ」と、ニルフも、冷ややかに、言い返した。
「ミュール、落ち着けよ。悪気が有って、言っている訳じゃ無いんだからさ」と、トムは、宥めた。ニルフの言っている事も、間違いではないからだ。
「そうですわ。会って早々から、初対面の方と喧嘩なんて、みっともないですわ」と、レイミーも、背後から口添えして来た。
「ははは、ちげぇねぇ」と、フォッグが、笑い声を発しながら、相槌を打った。
「う…」と、ミュールが、押し黙った。
「おいおい。ミュールをそんなに苛めるなよ。ミュールにとって、気に入らないものが有ったんだろうから」と、トムは、弁護に回った。ミュールだけが、悪者に見えて、気の毒だからだ。
その瞬間、「とぉ~むぅ~」と、ミュールが、涙目で、鼻を鳴らした。そして、じゃれ付くなり、「やっぱり、トムは、あたしの味方ねぇ」と、更に、左肩へ頬をすり寄せながら、喉を鳴らした。
その途端、「お、おい! ミュール!」と、トムは、苦笑した。皆の見ている前で、こんなに甘えられると、恥ずかしいからだ。
「ミュールさんったら、また…」と、レイミーのぼやきが、聞こえて来た。
そこへ、「ふ~ん。そういう事ね」と、ニルフが、察知した。そして、「フォッグさぁん、肩を貸して下さいます?」と、要請した。少しして、「あっ…」と、声を発した。
トムは、咄嗟に、ニルフを見やった。すると、フォッグへ、わざとらしく体を預けるように、寄り掛かっているのを視認した。
その直後、「おっと!」と、フォッグが、素早く支えるように、受け止めた。その途端、締まりの無い顔となった。
「あたし、起きたては、調子が悪くって、目眩で、独りじゃ歩けませんの」と、ニルフが、フォッグの首へ腕を回しながら、理由を述べた。
そこへ、「トムさん、早く出ましょう。もう、用事は済んだのですから」と、レイミーが、見て居られないと言わんばかりに、つっけんどんに、提言した。
トムは、振り返り、「そ、そうだな」と、同意した。レイミーにしてみれば、ただでさえ、ミュールの密着が気に入らないのに、その上、フォッグとニルフにまで見せ付けられたのでは、堪ったものではないと、心中を察したからだ。そして、ミュールへ向き直り、「ミュール、こんなにくっつかれちゃあ、歩きにくいから、少し離れて貰えないかな?」と、やんわりと言った。じゃれ付かれて居ては、まともに歩けないからだ。
「ミュールさん、今のままでは、トムさんのお荷物ですね」と、レイミーが、冷ややかに、嫌味を言った。
その刹那、「分かったわよ! ちゃんと歩けば良いんでしょう!」と、ミュールが、発奮するなり、離れようとした。しかし、左腕に確りと組み付いた。
間も無く、レイミーも、負けじと右腕へ組み付いて来た。
その瞬間、「え?」と、トムは、面食らった。レイミーも、組み付いて来るとは、想定外だったからだ。
「これで、お相子ですね」と、レイミーが、対抗心を剥き出しにした。
「う…!」と、ミュールが、歯噛みした。
トムは、一触即発の険悪な空気を察した。このままの状態で、歩くしかないと判断したからだ。そして、フォッグ達を見やり、「フォッグ、ニルフ、行こうか?」と、声を掛けた。
「へへ、そうだな」と、フォッグが、にやけ顔で、ニルフを見詰めながら、返事をした。
少し後れて、「うふふ。そうね」と、ニルフも、うっとりとした表情で、フォッグと向き合いながら、相槌を打った。
トムは、その様に、溜め息を吐いた。フォッグとニルフだけの世界を見せ付けられている気がするからだ。そして、視線を逸らすなり、「ミュール、レイミー、戻るよ」と、声を掛けた。その直後、出口へ向きを変えようと、反転を始めた。
少し後れて、ミュールとレイミーも、動きを合わせた。
間も無く、トム達は、祭壇に背を向けると、歩を進め始めた。
少しして、フォッグとニルフの足音も、聞こえて来た。
五人は、クフーダの拝殿を後にするのだった。




