一五、穴の底
一五、穴の底
トムは、突っ伏すように、落とし穴の底へ着地した。その直後、右隣から金属音が聞こえた。少し後れて、先の金属とは違う音もして来た。間も無く、自分の背中の上に、何かが、落下して来た。次の瞬間、胸を圧迫されるなり、一瞬、息が出来なかった。そして、「うぐ…」と、苦悶の声を発した。あまりの衝撃だからだ。
「トム、大丈夫?」と、ミュールが、上から、心配げに、問い掛けて来た。
「あ、ああ…。だ…大丈夫…だ…。と…取り…敢えず…下りて…くれ…」と、トムは、途切れ途切れに、言葉を発しながら、下りてように、指示をした。このままでは、息苦しくて堪らないからだ。
「ご、ごめん…」と、ミュールが、一言詫びるなり、速やかに下りた。
少しして、トムは、よろよろと立ち上がり、「皆…、無事か…?」と、三人の無事を確認しようとした。その瞬間、「うっ…!」と、胸の急激な痛みに、右手で、患部を押さえながら、その場へ蹲った。あまりの激痛に、立って居られないからだ。
「トム! おい!」と、フォッグが、真っ先に、声を掛けて来た。
レイミーも、右隣まで来るなり、「トムさん、すぐに、横になって下さい!」と、指示した。
トムは、すぐさま、仰向けに、横たわった。
「トムさん、すぐに、楽にしてあげますわ」と、レイミーが、優しく告げた。
間も無く、トムは、うなされるように、混濁していく意識の中で、緑色の光だけは、視認出来た。レイミーが、回復魔法を施術している光だと察したからだ。やがて、意識を失った。次に、気が付いた時、胸の激痛と息苦しさが無くなっていた。そして、ほんのりとした青白い明かりの中で、三人の不安げな顔が、視界に入った。
その瞬間、「トムが、目を覚ました!」と、右側に居るミュールが、安堵の笑みを浮かべながら、喜びの声を発した。
少し後れて、「トム、気分は、どうだ?」と、フォッグが、頭頂側から問い掛けて来た。
「胸の痛みが無くなって、爽快だよ」と、トムは、にこやかに答えた。その直後、徐に、上半身を起こした。そして、左側のレイミーを見やり、「レイミー、ありがとう」と、礼を述べた。自分が、こうして、生きて居られるのは、レイミーのお陰だからだ。
レイミーが、はにかみながら、頭を振り、「そんな。感謝されるような事は…」と、謙遜した。
「レイミー、何を遠慮しているのよ。あなたが居なかったら、トムは、助かっていなかったかも知れないのよ。誇りに思っても良いのよ」と、ミュールが、功績を称えた。
「は、はい…」と、レイミーが、作り笑顔で、弱々しく返事をした。
次の瞬間、トムは、疲労感漂う表情に、息を呑んだ。その直後、「俺の為に…」と、言葉を詰まらせた。限界近くまで、精神力を使った事に、気が付いたからだ。そして、「すまない…」と、沈痛な面持ちで、詫びた。事故とはいえ、大変な思いをさせてしまったからだ。
「トムさん、気にしないで下さい」と、レイミーが、頭を振った。そして、「少し休めば…、大丈夫ですので…」と、恐縮した。
「そうか。しばらく、君は休んでてくれ。無理は禁物だからね」と、トムは、休憩を指示した。回復魔法の使用過多で、疲労している以上、無理はさせられないからだ。そして、フォッグに向き直り、「さあて、フォッグ。一丁、仕掛けを探してみようか?」と、声を掛けた。そして、返事を待つ事無く、すっくと立ち上がった。何もしないで、この場に留まる訳にもいかないからだ。
「トム、やる気満々だな。ま、じっくりと、出口に通じる仕掛けでも、探すとしよう」と、フォッグも、同意した。そして、「手分けをして、探そうぜ。幸い、蛍石の灯りが、ぎりぎりで、全体まで届いているから、目は利くだろ?」と、尋ねた。
その直後、トムは、確認がてら、周囲を右回りに、一通り視認した。すると、おぼろげながらも、磨かれた深緑色の石で囲まれた四方の壁と立ち位置が、やや右寄りなのを把握した。それと、三人の背後の壁に、異国の鎧兜のままで、白骨化した遺骸の存在も、視界に入った。少しして、「ああ。これなら、何とか見えるよ」と、フォッグに向かって、頷いた。
「へへ、そうか」と、フォッグが、満足げな笑みを浮かべた。そして、「トム、俺は、右の壁と前の壁を調べてみるから、左の壁と後ろの壁を頼むぜ」と、指示した。
「分かったよ」と、トムは、返事をした。その直後、右を向くなり、指示された壁へ、歩を進めた。そして、手前で立ち止まるなり、凝視した。次の瞬間、「む…」と、押し黙った。自分の所持している刀の刃の入り込む隙間の無いくらいに、ぴったりと合わさっている精密な造りに、感心したからだ。そこから、右へ流れて、割り振られた箇所を丹念に調べた。だが、特に変わった所は、見当たらなかった。最後に、鎧兜の遺骸の前へ差し掛かった。
不意に、「トム、何か見つかったか?」と、フォッグが、妙に、気の無い声で、問い掛けて来た。
トムは、徐に振り返り、「こっちも、この骸骨の後ろを調べたら、終わりだ」と、返答した。そして、骸骨に向き直った。次の瞬間、左側に転がっている古びた刀を注視した。何よりも、興味をそそられたからだ。その途端、何気に、右手を伸ばした。刀身を見てみたいという衝動に、駆られたからだ。
「おい、トム! 何をしようってんだ?」と、フォッグが、訝しげに、問い掛けて来た。
トムは、古びた刀に、触れる寸前で止まった。そして、振り返るなり、「ちょっと、気になる物が有ってね」と、何食わぬ顔で、答えた。墓場泥棒のように、骸から金品を奪う趣味は無いが、どうにも、その刀だけは、手に取って見たいという衝動が、抑えられないからだ。
フォッグも、怪訝な顔で、右隣へ歩み寄って来るなり、「おいおい。お前さんの気を惹く物って、何だ?」と、問うた。
トムは、古びた刀を見やり、「これだけどな」と、右手の人指し指で、指した。
その瞬間、フォッグが、表情を曇らせるなり、「おいおい。気持ちは解るが、故人の持ち物に手を出すと、ろくな事にはならないぜ。場合によっては、呪われるっていう話も、聞いた事が有るからな」と、苦々しく忠告した。
「トム、フォッグの言う通り、止めてよね。あたしには、価値は、解らないけど、トムのしようとしている事は、ちょっとね…」と、ミュールも、苦言を呈した。そして、「レイミーも、そう思うでしょ?」と、同意を求めた。
「私は…」と、レイミーが、言葉を詰まらせた。少し間を置いて、「トムさんが…、する事に…、間違いは無いと思いますので…。トムさんが…、したいように…すれば良いと…思いますわ…」と、支持を表明した。
その直後、「ええい! 俺も、お前さんの仲間になると決めたんだ! 気が済むようにやりな!」と、フォッグも、覚悟を決めたと言うように、促した。そして、「もしも、呪われていたら、寺院か魔術師組合へ連れて行ってやるからな!」と、言葉を付け足した。
その瞬間、「ええ? じゃあ、あたしだけが、反対しているようなものじゃない! あたしは、フォッグが言うように、トムが呪われるのが嫌だから、反対しているだけよ! でも、トムがどうしてもって言うのなら、仕方が無いわね」と、ミュールも、前言を撤回するように、渋々折れた。
「じゃあ、拝見させて貰うとしよう」と、トムは、嬉々としながら、再度、右手を伸ばした。間も無く、古びた刀を拾い上げた。そして、鞘を左手で持つなり、右手で柄を握った。その直後、引き抜いた。一瞬後、青く澄んだ刀身が、全貌を現した。
その刹那、「トム、こいつは、とんだお宝だぜ!」と、フォッグが、素っ頓狂な声を発した。
「ああ」と、トムは、刀身を見つめながら、満面の笑みで、小さく頷いた。外見とは対照的に、新品同然の状態だからだ。そして、「こんなに良い物を、このまま持って行くのはな…」と、躊躇った。良心が、咎めたからだ。
「トム、何を遠慮しているんだ? ここへ、置きっぱなしにするよりも、お前さんが、手にして、活用した方が、有意義だと思うぜ」
「そうかも知れないが…」と、トムは、口篭り、フォッグを見やった。故人とはいえ、他人の持ち物を持って行く事に、気が引けたからだ。そして、「これを拝めただけで、十分だよ」と、鞘に収めながら、溜め息を吐いた。やはり、持ち主に、気の毒なので、諦めようと思ったからだ。
突然、「ト、トム! が、骸骨の上に、な、何か居る!」と、ミュールが、甲高い声で、異変を知らせた。
その直後、トムも、何気に、遺骸へ視線を戻した。すると、その頭上に、ぼんやりとした靄のような物体が、浮かんでいた。
間も無く、「我が眠りを妨げるのは、誰だ?」と、やっと聞き取れるくらいの低い声が、靄のような物体から発せられた。その直後、人の姿へ形を変えていった。やがて、異国の鎧兜を身に纏った武骨な男の姿へ形を留めた。
「トム、俺は、初めて見るが…、こいつは、幽霊だぜ…」と、フォッグが、耳打ちして来た。
「ああ…」と、トムも、見つめたままで、頷いた。自分も、同様に、幽霊を見るのは、初めてだからだ。
「貴殿達、我が眠りを妨げに来たのか?」と、異国の鎧兜の男の霊が、再度、厳かな口調で、問い掛けた。
その直後、トムは、頭を振り、「い、いや! 眠りを妨げに来た訳じゃないんだ!」と、慌てて、否定した。そして、経緯を説明した。信じて貰えるかどうかは、分からないが、正直に話しておいた方が良いと思ったからだ。
しばらくして、「なるほど。貴殿の話を信じるとしよう」と、異国の鎧兜の男の霊が、理解を示した。そして、「実を言うと、我も、罠に引っ掛かって、このような場所へ落ちて、その際に、右足を痛めてしまい、動く事すら出来ずに、生涯を終えてしまった。貴殿達も、我と同様の罠に掛かったようだな。だが、貴殿達なら、ここから出られる筈だ。我と違って、一人ではないのだからな。皆と力を合わせれば、出られる筈だ」と、語った。
「なるほど。確かに、ここから出られる可能性は、大きいな」と、フォッグが、頷いた。
「そうだな」と、トムも、相槌を打った。今回の件で、身を持って、仲間の大切さを思い知らされたからだ。
「ところで、何故に、貴殿が、我が剣を持つ?」と、異国の鎧兜の男の霊が、訝しげに、尋ねて来た。
その瞬間、「あ…!」と、トムは、刀を持っている事を思い出すなり、「こ、これは…。た、単に、興味がそそられたもので、その…」と、説明をしようにも、思うように、言葉が出て来なかった。そして、「すいません! これは、お返しします!」と、返品を申し出た。下手な言い訳をして、祟られるくらいなら、素直に返した方が、穏便に解決出来る筈からだ。
「貴殿は、詫びて、我に剣を返すとは、変わり者だな。まあ、死んだ我には、その剣は、もう必要無い。それは、生きておる貴殿が、所持する方が、何かと役に立つであろう。そのまま携えるも良し、売って金に換えるも良し。貴殿の好きにするが良い」と、異国の鎧兜の男の霊が、告げた。
その瞬間、「ええ! 頂いても、良いんですか!」と、トムは、信じられない面持ちで、素っ頓狂な声を発した。このような価値の有る物を、あっさりと手に入れられるとは、思っていなかったからだ。そして、「こんな刀身を見た事が無いですが、相当、名の有る刀なんでしょう?」と、好奇の眼差しで、問い掛けた。刀の素性を知りたいからだ。
「ほう。その剣の良さを見極めるとは、かなりの目利きのようだな」と、異国の鎧兜の男の霊が、感心した。そして、「それは、雷電と呼ばれる雷光石を秘術で鍛え上げた業物。しかし、未だに、錆び付いておらんとは…。初めて、手にした時の事を思い出すな…」と、しみじみと述懐した。
「確かに、俺でも、惚れ惚れするくらいの代物だ」と、フォッグも、雷電の刀身を見つめながら、同調した。
「じゃあ、大事に使わせて頂きます。こんな美しい刀身を持つ刀を売る気になんてなりませんからね」と、トムは、帯刀を表明した。雷電の魅力に、惹かれてしまったからだ。
「そうか…。貴殿が申すのなら、それも良いだろう。刀剣は、我ら武士の魂。飾りでも、金儲けの道具でもない。己の道を切り開く道標その物だ。武士ではない貴殿が、雷電に魅了されるという事は、武士の資質を有していると考えるべきだろうな。貴殿ならば、雷電と上手くやって行けるかも知れんな…」と、異国の鎧兜の男の霊が、満足げに、語った。そして、「善き者に、雷電を託せて、良かった…」と、安堵した。
その直後、「おい! あんた、何だか、薄れて居ないか?」と、フォッグが、異変を指摘した。
「うむ。貴殿の申す通り、昇天の時が、訪れたのかも知れんな…」と、異国の鎧兜の男の霊が、薄れながらも、平然とした態度で、すんなり答えた。やがて、視認が困難になるくらいに透けるなり、「さらばだ…」と、最後の言葉を発した。その刹那、気配が無くなり、静まり返った。
トム達は、呆然と立ち尽くした。まるで、夢でも見ているような気がしたからである。
しばらくして、トムは、我に返り、右手を見やった。その瞬間、雷電を握っている事を認識した。これが、夢でない事を確信したからだ。そして、左手で、帯刀している自分の刀を抜くなり、雷電の転がっていた場所へ置いた。
「トム、取り敢えず、拝んでおくか?」と、フォッグが、提言して来た。
「そうだな。昇天したと言っても、このままというのもな」と、トムも、雷電を腰に差しながら、賛同した。感謝の意を表す意味でも、哀悼の意を表しておいた方が、自分の気持ちも、すっきりするからだ。
「私も、弔わせて頂きますわ」と、レイミーも、疲労感の残る弱々しい声で、申し出た。そして、「このような場所で、誰にも気付かれる事無く、亡くなられるなんて、寂しい事ですもの…」と、しんみりとした口調で、言葉を付け足した。
「はいはい。皆がするのなら、あたしもするわよ。あたしだけ、何もしないで、骸骨の人に呪われるのは、嫌ですからね!」と、ミュールが、些か、投げやりに言った。
「そうだな。ま、拝んでおいた方が、無難だろうな。相手さんを怒らせると、後々まで、憑きまとわれるからな。それと、ミュール。そんな心がけじゃあ、確実に、呪われるかもな」と、フォッグが、冷やかし混じりに、脅かした。
その直後、「ええ~!」と、ミュールが、不安げな表情で、驚きの声を発した。そして、半泣き顔になるなり、「ど、どうしよう~」と、へたり込んで、オロオロと狼狽えた。
「フォッグ、脅かし過ぎだぞ」と、トムは、たしなめた。からかうにしては、少々、質が悪いからだ。そして、ミュールを見やり、「ミュール、君が、呪われる事は無いさ。昇天したんだからね」と、穏やかな口調で、安心させるように、言い聞かせた。ミュールが、怒らせる事をしていないので、呪われる事など、有り得ないからだ。
「ははは。ミュール、怖がらせちまって、すまない。ほんの、冗談だ」と、フォッグが、苦笑しながら、詫びた。そして、「反応を見て見たかったから、ちょっと、意地悪を言って見たかっただけだ」と、理由を述べた。
その直後、ミュールが、立ち上がり、「もう! フォッグったら!」と、頬を膨らませながら、抗議をするように、両手を拳固にして、振り上げた。そして、怒りを露に、詰め寄った。
「おいおい。勘弁してくれよ~」と、フォッグが、眉根を寄せた。
そこへ、「皆さん、そろそろ、お祈りをしてあげませんか?」と、レイミーが、区切りを付けるように、口を挟んだ。
「そうだな。拝んだら、また、仕掛けを探すとしよう」と、トムも、同調した。そして、異国の鎧兜の遺骸へ向き直った。
少しして、ミュールとレイミーも、左側へ並んだ。
間も無く、トム達は、胸元へ右腕を当てながら、黙祷した。
しばらくして、「なあ、トム。俺達だけでなく、間抜けな信者も、ここに落ちて来たんじゃないか? 他に、骸が見当たらないんだがな。何か、おかしいと思わないか?」と、フォッグが、疑問を投げ掛けて来た。
「確かに、もしも、出口が無いなら、もっと転がっていても、おかしくないな」と、トムも、右手で、顎の先を摘まむように撫でながら、同意した。脱出出来るような仕掛けが、何処かに隠されていると考えられるからだ。そして、左を向くなり、「ミュールとレイミーにも手伝って欲しい」と、要請した。二人の視点から、意外な発見が有るかも知れないからだ。
「分かったわ」と、ミュールが、意気込んだ。
少し後れて、「はい」と、レイミーも、弱々しく返事をした。
その直後、「二人共、何か、おかしな所に気が付いたら、教えてくれよ」と、トムは、一言告げるなり、フォッグの調べた壁の方へ、歩を進めた。自分の見ていない所からでも、何かを見付けられるかも知れないと思ったからだ。そして、先程よりも、念入りに見回した。しばらくして、結果は、何も見つからない空振りだった。その瞬間、「ここも、駄目だったか…」と、天井を仰いで、立ち尽くした。お手上げ状態だからだ。
そこへ、「トム、何にも見つからないわ…」と、ミュールも、落胆した声で、告げて来た。そして、「あ、あたしが…、落とし穴の仕掛けを…踏まなければ…」と、次第に、涙声となった。
その刹那、トムは、慌てて振り返り、「ミュ、ミュール! そんなに、自分を責めるなよ!」と、声を掛けた。ミュールが、偶然にも落とし穴を作動させる仕掛けを運悪く踏んだだけの事だからだ。そして、ミュールへ歩み寄った。間も無く、正面で立ち止まり、「ミュール、君が責任を感じる事は無いんだぞ。こういう事態になった事が、少なくとも、俺は、君の所為だとは思っていないからな」と、慰めた。自身を責める気持ちも分かるが、何の解決にもならないからだ。
「ミュールさん、トムさんの仰られる通り、泣いて居ても、何の解決にもなりませんわよ。失敗は、誰にでも有るんですからね。他に出来る事を、考えましょう」と、レイミーも、左隣から、励ますように、口添えした。
「確かに、レイミーの言う通りだぜ。間抜けな信者が出られる何らかの仕掛けを、どうやって見付けるかが、先決だからな」と、フォッグも、右側より、支持した。そして、「ミュール、ここで、いつまでも泣いて居たら、骸骨になっちまうぜ」と、冷やかした。
トムは、聞き流した。フォッグなりの励まし方だと解釈したからだ。
その直後、ミュールが、顔を上げるなり、「もう!」と、怒りを露にしながら、フォッグを見やった。
「それだけの元気が有れば、大丈夫だな」と、フォッグが、歯を見せながら、笑みを浮かべた。
その刹那、「確かに」と、トムも、頷いた。怒る元気が有れば、もう、失敗の気持ちを引き摺る事は無いと判断したからだ。
次の瞬間、「もう! トムまでぇ!」と、ミュールが、膨れっ面で、そっぽを向いた。
「ミュールさんは、泣いたり、怒ったり、忙しいですね」と、レイミーが、目を細めながら、口にした。
「ははは…」と、トムは、苦笑した。言葉の通り、ミュールの感情の切り替えが、目まぐるしいくらいに、早過ぎるからだ。
「トム、骸骨の裏も、一応、調べたんだが、これといって、何にも見付からなかったよ」と、フォッグが、表情を曇らせながら、溜め息混じりに、告げた。
「そうか…」と、トムも、眉間に皺を寄せた。フォッグの方でも、空振りだったからだ。そして、腕組みをして、思案に暮れた。他に、何か良い考えが、閃くかも知れないと思ったからだ。
不意に、「トムさん、あそこに、水溜まりなんて有りましたか?」と、レイミーが、問い掛けて来た。
その瞬間、トムは、我に返り、「ん? 何処だ?」と、レイミーを見やった。海の傍だから、水溜まりが有っても不思議じゃないと思ったが、気になったので、一応、確認しておこうと思ったからだ。
「あそこです」と、レイミーが、右手で指した。
トムは、その方を見やった。間も無く、ほぼ中央の水溜まりを視認した。その直後、フォッグへ向くなり、「フォッグ、あの水溜まりの辺りに、仕掛けが有りそうだ!」と、明るい顔で、告げた。そこには、隙間が有ると考えられるからだ。
「しかし、不自然じゃないか? 部屋中の壁を見回した限りじゃあ、水が染み出ている所なんて、見当たらなかったぜ」と、フォッグが、怪訝な顔で、異を唱えた。
「言われてみれば、確かに、そうだな」と、トムも、賛同した。確かに、自分も、水の染み出している箇所は、見ていないからだ。そして、「フォッグは、あの水溜まりを、何だと考える?」と、問い返した。フォッグの見解を知りたいからだ。
「さあな。ま、罠の一つとして、警戒しておいた方が、無難だろうな」と、フォッグが、険しい表情で、答えた。そして、「空気の流れが無いのに、風が吹いているように、水面が揺れているのが、怪し過ぎるぜ」と、言葉を続けた。
トムも、再び、水溜まりへ視線をやり、「確かに、まるで、自分から動いているようだな」と、同調した。異質なものを感じたからだ。
「トムさん、ひょっとすると、あれは、水溜まりに擬態した怪物かも知れませんよ。不用意に近付けば、襲われるという話を、家に在る書庫の本で、読んだ事が有りますよ」と、レイミーが、心当たりが有ると言うように、助言した。
「あれが怪物なら、急に、水溜まりが出現しても、おかしくないな」と、トムは、頷いた。レイミーの言うように、合点が行くからだ。
「ま、迂闊に近寄らなくて、正解だったな。それにしても、嫌らしい奴だぜ」と、フォッグが、憎々しげに、毒づいた。そして、トムより、一歩前へ進み出た。その直後、両手を右肩へ回すなり、「いっちょう、この剣で、蹴散らすとしようか!」と、背負っている大剣の柄を握った。次の瞬間、引き抜くなり、瞬く間に、中段へ構えた。
「フォッグ、無茶だよ。剣で切れるような相手じゃなさそうだぜ」と、トムは、冴えない表情で、諦め気味に、忠告した。見るからに、手持ちの武器では、倒せそうもないからだ。
「トム、俺の剣だって、そこいら辺で売っているようななまくらの剣と一緒にしないでくれよ。まあ、お前さん達は、ゆっくりと見ていてくれ」と、フォッグが、自信を覗かせるように、勿体振った。
「分かった。ここは、フォッグに任せるとしよう」と、トムは、この場を託す事にした。考えが有ると察したからだ。
「おう! ここからは、俺の独壇場だ! さあて、さっさと片付けてやるぜ!」と、フォッグが、意気揚々と張り切るなり、大剣を上段へ構え直した。そして、「これでも食らえ!」と、叫びながら、一気に振り下ろした。その直後、大剣から一陣の突風が生じるなり、吹き抜けた。次の瞬間、怪物を吹き飛ばし、瞬く間に、霧と化して、消滅した。間も無く、吹き返しがあった。
その間、「す、凄い…」と、トムは、目の前の光景に、両目を見開いたままで、立ち尽くした。風の威力に、ただ、驚くしかないからだ。
「へへ、驚いて、声も出ないだろう」と、フォッグが、背中を向けたままで、得意気に、声を掛けて来た。
「あ、ああ…」と、トムは、面食らった顔で、何とか声を発した。まるで、表情が見えているような物言いだからだ。そして、頭を振って、我に返り、「あんな怪物を一撃で倒すなんて、その剣は、いったい、どうなっているんだ? 良かったら、教えてくれないか?」と、好奇の眼差しで、乞うた。どのようなからくりが成されているのか、知りたいからだ。
フォッグが、振り返り、「簡単に教えてやるよ」と、告げた。そして、「この剣には、風の力を封じ込めた魔石が、ここへ嵌め込まれているんだよ」と、説明をしながら、左手の人差し指で、柄と白銀の刀身の間に、人の眼程の菱形の緑輝石を指した。
「へえ~」と、トムは、感心しながら、しげしげと見入った。先刻のような風を起こす力が宿っている事が、未だに信じられないからだ。
「ま、観賞は、その辺にして。怪物の居た辺りに、何かの仕掛けが、有る筈だ」と、フォッグが、大剣を収めながら、指摘した。
その瞬間、トムは、はっとなった。確かに、見とれている場合ではないからだ。そして、「俺が、見て来よう」と、その役を買って出た。怪物の出現地点が、脱出への手掛かりに繋がるかも知れないからだ。その直後、雷電を抜くなり、身構えながら、慎重な足運びで、向かった。まだ、他にも、同様の怪物が、潜んでいるかも知れないからだ。
少し後れて、「トム、あたしも、付いて行くわ」と、ミュールが、申し出た。
「ああ。頼むよ」と、トムは、振り返らずに、返事をした。そこから、視線を逸らせないからだ。
「ミュール、これを持って行け」と、フォッグが、促した。
「うん」と、ミュールが、素直な返事をした。
その間に、トムは、怪物の居た場所へ辿り着いた。少しして、背後から、緑色の光が近付いて来た。ミュールが来ていると、判断出来たからだ。
間も無く、ミュールが、傍まで来た。
その直後、「ミュール、俺の足下を照らしてくれ」と、トムは、指示した。細かい所を見られる筈だからだ。
「うん。任せて」と、ミュールが、即答した。そして、正面に回り込んで来るなり、中腰となって、蛍石を乗せた右手で、床を照らし始めた。間も無く、「これで、どう?」と、尋ねた。
その途端、トムは、指が差し込める隙間の有る一回り小さな黒煉瓦を見付けるなり、「これなら、道具が無くても、動かせそうだな」と、期待感に、口許を綻ばせた。取り除けば、何かが出て来そうだからだ。そして、跪くなり、左手を伸ばした。少しして、掴み上げた。次の瞬間、案の定、指を余裕で通して握れる赤錆た楕円形の金属製の輪を視認した。
「トム、どうするの?」と、ミュールが、不安な表情で、問い掛けて来た。
トムは、ミュールを見やり、「大丈夫だよ。これ以上、悪い事は起こらない筈だからさ」と、安心させるように、穏やかな口調で、答えた。最初から出さない気なら、床一面が、串刺しになるような仕掛けを施している筈だからだ。そして、左手の親指以外を通して引っかけるなり、「えい!」と、力一杯に、引っ張った。その直後、輪っかが抜けるなり、何処からともなく、地響きに似た石のような重たい物同士の擦れ合う重低音が、聞こえて来た。
ミュールが、怯えるなり、「な、何?」と、不安な声を発した。
「上か!」と、トムは、咄嗟に、天井を仰ぎ見た。しかし、天井が下りて来ている訳ではなかった。その次に、左右へ視線を向けた。だが、挟み込もうと、迫って来ている訳でもなかった。そして、フォッグとレイミーの居る方を見やった。
その途端、「トム、後ろ後ろ」と、フォッグが、頻りに、右手の人差し指で、背後を指した。
「ん?」と、トムは、怪訝な顔で、振り返った。何事かと思ったからだ。間も無く、ミュールの背後の壁が、左右に裂けながら、ゆっくりと開いているのを視認するなり、「そこかぁ~」と、理解を示した。ようやく、意味が分かったからだ。
「ト、トム、どうしたの~?」と、ミュールが、怯えながら、震える声で、問い掛けて来た。
トムは、我に返り、「あ、ああ。どうやら、ここから出られそうだよ。君の後ろの壁が、開いて居るからね」と、微笑みながら、状況を伝えた。何処に通じているのか分からないが、上には出られるだろうからだ。
その瞬間、ミュールが、一安心と言うように、柔和な笑みを浮かべるなり、「トムが、そう言うのなら、安心ね」と、聞き入れた。
その直後、トムは、表情を曇らせるなり、「おいおい、俺は、ただ、出られそうだと言うだけで、安全な場所とは限らないんだぜ」と、否定した。誤解されても、困るからだ。
「ううん」と、ミュールが、頭を振り、「トムの言う事に、間違いは無いわ。それに、あなたと一緒なら、何処でも良いわ」と、立ち上がった。そして、喉を鳴らしながら、左腕へ組付いて来た。
「そう来たか…」と、トムは、じゃれ付く様に、苦笑した。結局、自分に甘えたいのが、見え見えだからだ。
そこへ、「ミュールさん、トムさんに、ベタベタしないで、早く離れて下さい!」と、レイミーが、つっけんどんに、注意した。
その刹那、「何よ! 折角、良いところなのにぃ~」と、ミュールが、不機嫌な顔で、口を尖らせた。
「ミュール、俺も、お前さんの色恋沙汰に、付き合う気は無いから、レイミーに、賛成だぜ」と、フォッグも、気の無い口調で、支持した。
その瞬間、「フォッグまでぇ~」と、ミュールが、頬を膨らませた。
トムは、ミュールの目を見つめるなり、「そう言う事だ。ミュール、気持ちは、分かるけど、二人に見せ付けるのも悪いからな」と、言い聞かせるように、宥めた。ミュールの好意を無下にするのも、気が引けるからだ。そして、「取り敢えず、離れてくれ」と、促した。
ミュールが、曇り顔になり、「うん」と、素直に頷いた。間も無く、離れた。
トムは、二人を見やり、「二人共、待たせたな」と、雷電を収めながら、苦々しい表情で、詫びた。
その直後、「いいえ。トムさんが、悪いんじゃありませんわ。ミュールさんが、人目をはばからないで、まとわり付いた事が原因なのですもの」と、レイミーが、何食わぬ顔で、さらりと非難した。
「レイミー、それは、嫌味かしら~?」と、ミュールが、すぐさま食い付いた。そして、いきり立った。
「私は、有りのままを申し上げただけですわ」と、レイミーが、怯まずに、しれっと答えた。
「おいおい、ここでの喧嘩は、止めてくれ。やっと出られるっていうのによ」と、フォッグが、冴えない表情で、口を挟んだ。
「そうだぞ。フォッグの言う通り、喧嘩をしている場合じゃないぞ。それに、仕掛けの音が、ゲオ達に、気付かれているかも知れないからな。ま、分からないけどな。だから、留まって居ても、何の進展も無いからね」と、トムは、諭すように、仲裁した。二人の喧嘩を観ているよりも、脱出する時間の方が、惜しいからだ。
ミュールが、左肩へ寄り掛かるなり、「レイミー、あたしに、嫌味を言う暇が有ったら、口よりも、足を動かした方が、良いんじゃない?」と、レイミーの神経を逆撫でするように、挑発した。
その直後、レイミーも、無言で、右隣へしずしずと歩み寄り、「ミュールさんこそ、トムさんに、まとわり付かないで、自分の足で歩いて下さい」と、ひきつった笑みを浮かべながら、負けじと言い返した。そして、右手を掴んで来た。
「はぁ~。またかよ…」と、フォッグが、うんざりだと言うように、溜め息を吐いた。
トムは、意を決した。これでは、埒が明かないからだ。そして、「二人共、いい加減にしなよ。俺は、フォッグと先に行くよ。君達の喧嘩に付き合う程、暇じゃないんだからね」と、冷ややかに、突き放す言い方をした。その直後、振りほどいた。嫌われるのは、覚悟の上でも、態度をはっきりさせておくべきだからだ。間も無く、「行こう、フォッグ」と、開けた壁の方へ歩き始めた。
少し後れて、フォッグが、右隣へ来るなり、「トム、言うねぇ。ま、男なら、時には、突き放す事も言わなくちゃな」と、満足げな表情で、称賛した。
「トム…」
「トムさん…」
トムは、敢えて、聞こえない振りをしながら、無視をした。そして、背を向けたままで、歩を進めた。振り返れば、同じ事の繰り返しになるかも知れないからだ。
少しして、二人の足音が、聞こえた。
やがて、トムは、壁の奥の階段の手前に、差し掛かった。
その途端、ミュールが、右腕に組付いて来るなり、「トム、置いて行かないで! あたし、あなたに見捨てられると…」と、切羽詰まった声で、訴えた。
少し後れて、レイミーも、左手を強く握って来るなり、「トムさん、待って下さい! 私も、つい、感情的になってしまって…」と、レイミーも、引き止めるように、告げた。
その瞬間、トムは、足を止めた。そして、「君達を、置いて行く気は無いよ。ただ、次からは、こんなつまらない喧嘩をしたら、そのまま置いて行くからね」と、穏やかな口調で、忠告した。これくらいは、言っておかないと、仲良くしないと思ったからだ。
「うん…」
「はい…」
二人が、神妙な態度で、聞き入れた。
トムは、二人を交互に見やり、「よし、じゃあ、上がるとしよう」と、にこやかに、声を掛けた。
その瞬間、「うん!」と、ミュールが、更に、右腕を抱き締めて来た。
少し後れて、「はい!」と、レイミーも、先刻より、左手を強く握って来た。
その間に、フォッグが、数歩進んで立ち止まった。そして、振り返るなり、「トム、俺は、先に行かせて貰うぜ。何だか、見て居られないからな」と、素っ気無い態度で、告げた。
「ああ」と、トムは、苦笑しながら、了承した。不機嫌になるのも、理解出来るからだ。
フォッグが、背を向けて、上がり始めた。
少し後れて、トムも、二人を牽引するように、右足を踏み出すのだった。