プロローグ 無我夢中
プロローグ 無我夢中
「ここは?」と、茶色い髪に、青い円らな瞳で、幼い顔立ちの猫耳族の娘は、はっと目覚めた。そして、起き上がるなり、周囲を見回した。その直後、息苦しくなるくらいの狭い空間と殺風景な灰色の壁が、視界に入った。しかし、ここが、何処なのか、皆目、見当が付かなかった。近所の森で、マタビの実を拾っている最中、何者かに、背後から大きな布袋を被せられた後の記憶が無いからだ。それから、両手で顔を覆って、途方に暮れた。この先、どうすれば良いのか、考えられないからだ。
突然、「そろそろ、売りに出す時間だから、猫耳族の娘を袋に詰める準備をしろ!」と、野太い声がした。
間髪容れずに、「へ、今から、そうしようと思っていたところだよ」と、不機嫌そうな男の声がした。
少しして、足音が、背後から近付いて来た。
猫耳族の娘は、振り返り、その方へ身構えた。この機を逃せば、自由は無いと、直感したからだ。
間も無く、足音が止まった。そして、何かの動く短い音がした。その直後、正面の壁が、迫るように、押し開かれた。
次の瞬間、丸顔の男が、大きな布袋の口を広げながら、進入して来た。そして、「子猫ちゃ~ん。そろそろ、お出掛けの時間だよぉ~」と、猫撫で声を発しながら、被せようと身構えていた。
「えい!」と、猫耳族の娘は、意を決して、体当たりを敢行した。
その途端、「何っ!」と、丸顔の男が、意表を突かれたと言うように、一瞬たじろいだ。一瞬後、「ぎゃあ!」と、避ける間も無く、体当たりをまともに受けた。その直後、もんどりうって倒れた。
猫耳族の娘は、勢いそのままに、丸顔の男の腹を踏み越えて、室外に出た。そして、すぐに、右斜め前の下へ続くピンク色の梯子を目敏く見付けるなり、まっしぐらに、そこへ駆けた。
「おい、何をバタバタしてやがるんだ?」と、梯子の数歩手前で、階下から粗野な男の声がした。
猫耳族の娘は、怯まずに、梯子を下り始めた。今は、立ち止まっている時ではないからだ。
その直後、「ああ! 逃がすか!」と、足下から粗野な男の声がして来た。
「きゃあ!」と、猫耳族の娘は、咄嗟に、手放しで、飛び下りた。スカートの中を、見ず知らずの男に、下から覗かれるのは、恥ずかしいからだ。
「う、うわぁー!」と、粗野な男の悲鳴がして来た。
間も無く、猫耳族の娘は、足下に弾力を感じた。しかし、それを確認する事も無く反転するなり、視界に入った扉を勢いそのままに開けて、外に出た。そして、すぐに立ち止まって、周囲を見回した。そこは、鬱蒼とした森の中だった。
「ゲオ様、猫耳族の娘が、逃げやしたぜ!」と、野太い声が、背後からして来た。そして、「ゲオ様、急ぎやしょう! 今なら、まだ、追い付ける筈ですよ!」と、言葉を続けた。
猫耳族の娘は、追い立てられるように、慌てて、眼前の繁みへと分け入った。そして、草を掻き分けて進んだ。少しして、急に明るくなったかと思うと、幾本もの木々が、根元からへし折られている開けた場所に出た。
不意に、「猫耳族の娘よ、そなたの左手の方へお逃げなさい」と、女性の声がした。
猫耳族の娘は、咄嗟に、周囲を見回した。だが、声の主らしき者の姿を確認する事が出来なかった。そして、どうして良いものかと立ち尽くしてしまった。空耳かも知れない言葉を、鵜呑みにする訳にもいかないからだ。
「ゲオ様、どうやら、街道に出られたみたいですぜ! 急ぎやしょう!」と、野太い声が、迫っていた。
猫耳族の娘は、空耳にすがるような気持ちで、左手の方向へと、一目散に、駆け出すのだった。