多分私は後悔する
ずっと嘘をついていた。
「私、目が悪くて。眼鏡ないと三メートルくらい離れちゃうともう誰かわからないんだよね」
どうしてこんな嘘をついたのかは私にもわからない。多分、なんてことないおふざけだ。だから本当は見えてるって知ってる人もいる。けれどあまりに私が眼鏡を外したがらないから、大抵みんな私の目はかなり悪いって思ってる。
こんなの見たくなかったな。いっそ本当に目が悪かったら、何も知らずに済んだのかな。
その日、バスケの授業でボールに集中して周りが見えいなかったために背後にいた子とぶつかってしまいその拍子に眼鏡を落とし、さらに運悪くそこにボールが降ってきたため眼鏡が壊れてしまった。度の入っていない伊達眼鏡といえど、一応紫外線から目を守るという目的を背負っていた眼鏡だ。紫外線アレルギーの私には生活する上でなくてはならない。
でも、作り直せばいいや。フレームのデザインにも飽きてきてたし、丁度いい。
「大丈夫?」
友人が心配そうに問いかける。私は笑って平気と答えた。
「顔は見えなくても、物の影とかなんとなくわかるし、歩けなくなるわけじゃないから。これが六時間目でよかったよ」
なんておどけて、また目が悪いふりをする。本当は数メートル先のクラスメートの顔までくっきり見えているのに。
「そう、ならよかった。でも気をつけてね。階段とか」
「うん、ありがとう」
嘘をつくことに罪悪感なんてなかった。別にばれたって事情を話せばいいと思っていたから。
でも、どうしてこういうときに限ってあんな現場を目撃しちゃうんだろう。
半年前、一年から二年に上がる際のクラス替え前日に、もし離れたら言う機会がなくなるからと言い訳まじりに顔を赤く染め告白してきた彼。クラスが別れてもそれなりに仲良くやってるつもりだった。私も、好きになりはじめていた。
中々、互いに部活が忙しくて放課後や休日に遊ぶことできなかったけど、けどまめに連絡とったりしてたんだけどな。
美術室で絵画部の課題に取り掛かっている時、息抜きに窓のそばへ行き、何となく下を見た。
そう言えば、クラスの男子が得意げに話してたっけ。
資料室の裏手にある空き地は、文化祭時にはごみ捨て場になり無駄に賑わうが、普段は人が寄り付かず、我が高校の告白スポットとなっている。
私は廊下で告白されたから全く気にしていなかったけど、まだ続きがあったよな。
資料室は年中カーテンが閉まりっぱなしだし、入るには許可が必要だから覗かれる心配もない、つまり……。
それを聞きいて私は、資料室の真上にある美術室から下を覗いたら見えちゃうじゃないかって心の中でツッコミを入れんだよな。ただ、美術室自体関係のない生徒は入れないから確かに穴場なんだろうな、と納得して、今の今まで忘れていたんだ。
そう、見えてしまった。数メートル下で、見覚えのある人物と見知らぬ女生徒がキスしているのを。
女生徒は位置的に後ろ姿しか伺えなかったが、もう一人の顔ははっきりと認識できる。その人物は、視線を感じたのか女生徒から顔を離し視線を上へと移していく。
私はまた、嘘をつく。
何も見ていない、見えていないふりをして、空を眺めた。飛行機が通りがかるのを目を凝らして一生懸命見つめ、肩を落としてやはりぼやけてしまうなという白々しい演技のあとに、すぐに窓際から去る。
下に人がいたことなんて全く気づいていない、そう見せつける。
絵画の前に座って筆をとろうとしても、結局集中できずにため息をついた。
「別れちゃえばいいんですよ、あんな人とは」
なんの遠慮もなく話しかけてきたのは、絵画部で私以外を除く唯一の部員であり、たった一人の後輩だ。
「簡単に言わないでよ」
「そんなこと言って、逃げてもなにも変わりませんよ。あの人たち、先輩が離れてからまたキスしてましたよ。きっと気づかれてないって思ってるんじゃないですか」
そんなことは分かっている。むしろそう思われるようにふるまったのだ。というかあなたもあれを見てたのか。定位置が窓際だからたまたま視界に映っただけかも知れないけれども。
この後輩は、私の目が悪くないことを知っている数少ないうちの一人だ。
私は絵を描く時だけはいつも眼鏡を外していた。理由は単純に、透明とは言え光や傷が視界に入って気になるからだ。だから部活中は基本的に眼鏡をしていない。そんなある日、私はこの後輩君につい、手が離せないから遠くにある道具をとるようお願いしてしまった。もちろん、眼鏡を外した状態で。
後輩はおとなしく道具を私に届け一言、先輩って実は見えてたんですね。
きっと先輩が夏で引退して、気が抜けていたのだろう。やってしまった、とは思ったが、説明したら納得してくれ、特に誰かに言いふらすこともなくそのことは収まった。ただそれ以来、時折目が悪い演技をする私を見てはからかってきた。
だから今回もそういう感じだろうと思っていた。しかし今日は、いつになくしつこく話しかけてくる。
「僕、先輩が目が悪いふりをするのはなんとも思いません。むしろ先輩の秘密を知れて嬉しいですけど、こういうことまで嘘ついてごまかそうとするのはどうかと思います」
「分かった、明日彼には別れる話をする」
「意外とあっさり引き下がるんですね」
今日は絵に身が入りそうもないな。
私は道具を片づけながら、まだ近くに座って私を見てくる後輩に答える。
「私が好きになって付き合ったわけじゃないから。彼が私以外に興味を持ったなら、それだけの話」
「いいんですか。好きになりそうだったんじゃないんですか」
「さぁ、それはもう分からないわ。じゃあ私眼鏡作り直さないといけないし今日は先にあがるから、片付けと施錠、お願いね」
敬礼のポーズでおどけて答える後輩に失笑しつつ、私は美術室をあとにした。
翌日、予備の眼鏡をかけて登校すると、朝一で彼の教室まで赴き廊下に呼び出す。そして友達から聞いたという体で昨日の話をし、もう付き合えないという趣を伝えた。彼はしばらく食い下がったが、私は譲らなかった。
別に、後輩に言われたからこうしたんじゃない。もともと浮気現場を目撃した時点で別れるつもりだった。ただ、演技をしたのは目がいいことを知られないため、そしていつもの癖が出てしまっただけ。
それだけだ。
「先輩、話があるんですけど」
珍しく廊下ですれ違った後輩に呼び止められ、そのまま美術室に連れて行かれる。
「彼氏と別れたんですよね」
「そんな嬉しそうに聞かないでよ、まぁそうだけど」
「じゃあやっと言えますね。先輩、僕と付き合いませんか?」
精一杯の呆れ顔で私は後輩を見た。
「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですか。これでも本気ですよ。入部した当初から思ってました」
「あぁうん、気持ちは分かったし嬉しいけど、とりあえず今そんな気分じゃないから……そうだね、文化祭の課題描き終わるまで待ってくれるかな」
間も無く本格的に始動しはじめる文化祭準備。美術室の外もゴミを捨てたり廃材を拾いに来る生徒で騒がしくなり、悪いことはできなくなるだろう。
絵画部は毎年、文化祭に向け夏休み明けから新たな作品にとりかかる。三年の先輩はいつも夏休み中に全員で一つの大きな作品を仕上げるというのが伝統で、既にそれは美術準備室に大切に保管されている。そして私たちは、それを追うように自身の絵画を作成する。課題というのはこれのことであり、あえて互いに口出ししないよう、文化祭当日まで他人の絵を見ないというのが暗黙の了解だ。
私はこれに全力を注ぎ込んでいる。だから今、余計なことでこれ以上精神を乱されたくなかった。
「分かりました。僕は先輩のこと好きですけど、先輩が作る絵も大好きなんです。だからそれまでは何も言いませんし、いつものように接して下さい。ただ、見てて下さいね。僕の気持ちも生半可じゃないってこと、ちゃんと伝えますから。完成、楽しみにしています」
そうして去っていく後輩の後ろ姿は、なぜか闘志に燃えているように見えた。
「よし、なんか知らないけどやる気満々の後輩に負けないよう、私も頑張らないとな」
そうして気持ちの切り替えができたのだろうか、私は別段絵画が手につかなくなることもなく、落ち着いて製作に取り組めた。眼鏡も新しいものを手にし気分は好調、文化祭まで順調に日を進めていく。
前日、後輩と協力して先輩の絵を先に割り当てられた場所に運び一息つくと、私は絵にかけられた白い布に触れながら呟いた。
「明日この絵を見るのが楽しみだな。先輩たちの絵はいつだって私の憧れだったから、凄くドキドキする」
夕日に照らされ淡い朱色に染まる布は、私の心を掻き立てる。早くこの下が見たい。
「僕も、先輩の絵が楽しみです。因みに先輩は、僕の絵は興味ないんですか?」
少しいじけたように唇を尖らせる後輩に、私は苦笑した。
「もちろん楽しみだよ。やる気に燃えてたもんね」
「はい、先輩に見て欲しくて、頑張りましたから」
いつにない真剣な眼差し。私はどう答えていいのか分からず、眼鏡を外しレンズを拭きながら視線を逸らした。
「もう完成したの? 絵画の方は」
「まだ、あとサインを入れて先輩に見てもらうだけです。先輩こそ大丈夫なんですか?」
いたずらな笑みを浮かべる後輩に、私はばつが悪く曖昧に微笑んだ。
「一応私もサインだけ。けどそれをどこに書くか決まらなくて」
「じゃあ、少しフライングですけど、先に二人でお披露目……しませんか」
それは思っても見ない提案で、少しずるい気もしたが、気付いた時には頷いて二人の絵がある美術室に来ていた。
布を被った二つのキャンパスを隣に並べ、息を整える。
「じゃあまず先輩から」
その言葉に押され、私は必死に緊張を抑えながら布をめくった。渾身の作品があらわになる。
「テーマは風で、窓の隙間から入るささやかだけど強い風のイメージを表現しました」
「凄い」
隣で絵画を見つめる後輩はそれだけつぶやくと、近くに寄って絵画を細部まで見はじめた。
「細かいところまで描かれている。さすが先輩の絵だ。いつ見てもすばらしい」
「ははは、褒めても何も出ないよ」
「いや、僕はこうして先輩の絵が見られるだけで嬉しいんです。憧れてたから」
その言葉に、妙な違和感を感じた。後輩とはまだ一年も一緒にいない、だから互いの絵を見るのはまだ数回、力を入れて描いたものだと今回が初めてのはずなのに、なぜこの後輩はずっと前から私の絵を知っていたような口ぶりなのだろう。
考えてみれば、そんな言葉を今までに何度か聞いたことがある気がする。気にも留めていなかったけど、一度引っかかると、やっぱり気になる。
「先輩、先輩! どうしたんですか、急に考えこんで」
「あぁ、ごめん。じゃあ次は後輩の番だね」
「待ってました! やっと僕の真剣な思いが伝えられます」
後輩は喜びと不安が入り混じったような複雑な表現を浮かべながら、布を丁寧に取りのぞく。
私も楽しみだ。この後輩は、いったいどんな世界をキャンパスに築くのだろう。前々からやけに熱を入れて伝えたい思いがあると言っていたけど、それは一体。
「……うそ」
私は目の前に広がる光景に息を飲んだ。その絵は、丁度今のように窓から夕日が差し込み時間帯が切り取られ、中では一途にキャンパスへ筆を乗せる女生徒がいる。
生きているかのようなリアリティがあるのに、写真のような正確さがあるのに、その絵は絵として認識され、存在感を誇る。なぜか見ていると心臓を掴まれたように苦しくなって、絵から溢れ出る思いの強さに耐えられなくなった。
「タイトルは、ずっと君を知っていた、でどうですか」
「……それって、どういう」
「そのままの意味ですよ。僕は先輩の絵をずっと知っていました。実は同じ小中学校なんですよ、僕たち。それで、小二の時の作品展で初めて先輩の絵を見ました。その頃から上手でしたよね。そこでまず絵のファンになる。その後、中学では美術部が作品を展示するたび先輩の絵を探しました。いつか絵だけでなく先輩のことも知りたくなって、けど女子ばかりの美術部に入る勇気はなく、個人で習いに行きました。高校に入って、やっと同じ土俵に立てました。まだ、僕の実力なんて知れてますけど、でも思いだけは、負けたくなかった」
そんな殺意に似た強烈な思いが、この絵をこれほどにも存在感あるものにしたのだろう。同じ夕日の中にいるにもかかわらず、この絵は決して紛れてしまったりはしなかった。
「分かってくれましたか、僕は真面目に先輩に告白したんですよ。絵の女生徒のモデルはもちろん先輩です。夕日に照らされて懸命に筆を操る先輩の姿は、いつみても素敵で、それをどうにか納めたかった。けどまぁ、実際は現物の方がやっぱり良いんですけどね」
「うわぁ、モデルとかやめてよ恥ずかしい。それ聞かない方がよかった」
私は顔を両手で塞いでしゃがみ込む。本当は、苦しくてこの絵を見ていられないからだけど、そんなことは後輩に申し訳なくて言えなかった。
「見りゃ分かるでしょう」
「そうだけど、作者から言われると余計に恥ずかしい」
それも事実ではある。これが明日明後日飾られるのかと思うと、やはり照れる。気付かない人もいるだろうけど、私が絵画部って知ってる人は怪しむだろうな。
それにみんなに見られてしまうのはなんだかもったいない。
「そうやって、また返事をごまかそうとしてるんじゃないんですか」
そうだ、すっかり忘れていた。こんな凄い絵を前にして、考える余裕もなかった。
私はしゃがんだまま首を捻る。
と、その時、不意に思いついたんだ。
「ちょっと待って、今、サイン書く場所決まったから」
唖然とする後輩を無視して、私は慌ただしくパレットと筆を用意する。そして絵の中でかなり手前に配置した風で捲れ上がる本の表紙に、まるでタイトルを記入するような感覚で私のサインを書いた。
「先輩って、こんなに壮大で深みのある絵を描くのに遊び心も忘れないから凄いですよね」
呆れたようにため息をつきながら、隣で見ていた後輩は呟く。
「良いの、私の絵なんだもん、私がしたいようにする。あなたはサインどうするの。決まってないなら未記入でも大丈夫だけど」
「今決めましたよ」
後輩は私が持っていたパレットと筆を奪うと、絵の女生徒の赤く照らされた頬に小さく白でサインを入れる。
「勇気あるね、そんなとこに」
「大丈夫ですよ、ちゃんと違和感ないように注意して書きましたから。それよりこうすると先輩の頬に僕がキスしてるみたいじゃないですか?」
満足気な表情で頷く後輩を横目に見る。なんか余裕綽々って感じでむかつくな。でも隙ありすぎ。
そして私のいたずら心が疼いた。
私は隣に立つ後輩の肩を掴むとその頬に顔を寄せた。
「そんなんで私をからかってるつもり?」
後輩はしばらくその状態で固まって身動きを一切とらなかった。なんだか嫌な予感がした私はそっとパレットと筆を回収する。
ちょっと挑発しすぎただろうか。
流台まで持って行き、二つを水につけたところで、背中に強い衝撃が走る。
「わっ、ちょ、危ないよ」
「知りません。先輩がいけないんです。まだ返事もしてないくせに……全て上書きしたくなりました」
私はとりあえずそばにあったふきんで濡れた手を拭って、いや後ろから抱きしめられてたら何もできないよ。
「えっと、何言ってるのか分からな」
「とぼけないでください!」
耳元で叫ばれ、思わず体が縮こまる。すると、焦ったように私の腰に回された腕の力が弱まった。
「ごめんなさい。けど、僕の純情奪った責任は、ちゃんと取ってくださいよ」
やらかしたな。これは目が悪い詐欺よりやらかしてしまったな。
多分私は、この日のことを一生後悔することになるだろう。
「ねぇ、今年の絵画部凄くなかった? 金取れるレベルだって」
「分かる。てかあの絵のタイトル、大胆だよねー。『君の全てを奪いたい』だっけ。うはー、言ってて恥ずかしい。感動したけど、なんかもう好きだって思いが溢れすぎてて辛かった」
「ねー、私もあんなに愛されてみたいなぁ」
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。長編の続きを書くと短編が書きたくなる現象で書きました。テーマは診断メーカーからです。
ちょっとネタバレ入るのであとがきから読む方は注意です。
相手が後輩になったのは、息抜きで読んだ漫画がショタなのに強くて俺様な話だったのでおそらくその影響です。かわいいけど強気な年下っていいですよね。でも結局、余裕ない感じになってしまいました。私の趣味はそういうのってことでしょうか。当初の予定ではもっと後輩君がぐいぐい来て、先輩はもっと戸惑うはずだったんですけどね。女の子が一方的に弱い話を書けないものでして。個人的に守られてばかりだとか、そういう話が苦手なんですよね。読むのは好きですけど。
そんなこんなで落ちるとこには落ちたかなと。だいぶテーマそっちのけで別のテーマをメインにしてしまいましたが。
私はラストシーンなんか書きながらにやにやしてしまいました。皆さんはどうでしたか? よければ教えてください。もしにやにやできなかったのなら、これからもっと頑張りたいと思います。
それではまた。
2016年 3月30日(水) 春風 優華




