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馬乗りの業(カルマ)


「せーんせっ、どうです?」

美術準備室に入ってくるなり、少女―高野綾―が尋ねてきた。

主語も目的語もなく「どう?」と聞かれても困る。

そう言おうと少女の方へ目を向けると、その質問の意味が理解できた。

「ん? ああ……髪を結んだのか」

そうですよと、楽しそうにくるくる回って見せる少女。

長い髪を首の高さで左右ふたつ均等に結ばれた髪に、白のセーラー服が眩しい。

「まぁ似合ってるんじゃないかな」

「なんですか、気のない返事ですね」

さして機嫌を害するわけでもなく、少女が首を傾げる。

赤いサクランボをかたどったゴムが、彼女の動きに合わせてちらりと揺れた。

どう反応していいのかわからないので、あまり素直な反応が返せない。

手放しで褒めるのもなんだか照れくさいし、かと言って似合ってないわけでもないので嘘もつけない。

「喜んでくれるとおもったんだけどなー、先生ロリコンだから」

別れた髪のひと房を撫でながら、少女がとんでもないことを口にした。

「待て、なんで私がロリコンなんだ?」

「だって、学校の先生になるような男の人はみんなロリコンだってエミちゃんが……」

はぁ、と大きなため息が口から漏れる。また恵美子さんか。

あの人はなんてことを吹聴してくれてるんだ……。

「ツインテールって若く見えるって言うじゃないですか」

どう、若い? と近寄って髪を擦りつけてくる。

手を伸ばせば触れられる距離、彼女の髪の甘い香りが鼻腔を刺激する。

「君くらいの年齢だと若いというよりは、幼いというほうが正しいな」

少しでも彼女から離れようと、背を仰け反らせながら、若さに対する苦言を呈する。

女性というものは、彼女くらいの年齢であっても若さを求めるものなのだろうか。いまいち理解できない。

「んー。じゃあやめます」

しょんぼりとした声とは裏腹に、案外あっさりとツインテールを解くと、彼女はそのまま悩むことなく髪をいじり始める。

頭の上の方で髪をまとめ上げると、そのまま綺麗なポニーテールを作ってしまった。

「これならどう?」

「おお、似合ってる」

よく見ている顔の新しい印象。

先ほどまでのツインテールも似合っていたが、今回は素直に声が漏れてしまった。

結っている姿も見てしまったからだろうか。

女性が髪を結いあげる姿は、滅多に見られるものではない。

見ることのできない後頭部に意識を集中させた時に生じる肘から手の甲のラインと、無防備になった脇へと通じる袖口がたまらなくフェチ心を刺激する。

いや、流石に生徒の脇を覗くような趣味はないので、チラッと見ただけです。チラッと。

「本当ですか?」

褒められたことを無邪気に喜ぶ少女に一抹の罪悪感を感じたせいだろうか。更なる感想を言おうと口を開く。

「あぁ、なんていうか……」

けれどその先の言葉が出てこない。それはその場にそぐわない不謹慎なものであったからだ。

「S心を刺激する?」

ポニーの尻尾をふりふりさせながら少女が上目遣いに問う。

「なんだそれ」

「掴みたいんじゃないですか?」

本音を見破られ、ドキリと自らの心臓の音が聞こえたような気がした。

心を見透かされているようで、恐怖にも似た緊張が部屋中に染みわたっているような錯覚に陥る。

「そんなわけないだろ」

必死に強がりをみせるが、目線は少女の髪から外すことができない。

ほーらほーら、と背を向けて髪をふらふら揺らす少女。

ねこじゃらしで遊ばれる猫の心境がわかったような気がする。

生まれたての欲望が、躊躇うことなく心の奥底で声を上げている。「つかめ、つかめ、尻尾を掴め」と。

それはポニーテールを掴みたくても掴めなかった亡者の声だろうか。

はたまた、馬乗りだった前世より伝わるカルマだろうか。

目の前に泉がありながら、渇きで倒れてしまうようなもどかしさに心が苛まれていると。

「いいんですよ。先生なら」

振り向きざまの少女の蒸気した頬と、うるんだ瞳。

それらを隠すように手のひらを両頬にあてて、恥ずかしがるような演技をしながら少女が囁きかける。

蠱惑的な唇を濡らすように、赤い舌がちらりと覗く。

……これは少女の顔をした悪魔の誘惑だ。

「やめておこう」

えー、と少女の口から残念そうな声が漏れる。

……触れてしまえばきっと後には戻れない。

「ところで、なんで突然髪型を?」

少女から目を逸らし、机の上のコーヒーに手を伸ばす。

温くなってしまったコーヒーは、それでも渇きを満たしてくれる。

「先生が言ったんですよ。『髪が長いと暑いだろう。他の髪型も似合うだろう』って」

「暑そうだねとは言ったが……」それに続く言葉を言った記憶はない。ねつ造だ。

「いいじゃないですか。こういうのも新鮮で」

くるりと回って少女が笑う。

「あぁ、そうだな」

やっと離れてくれたことに安堵と、少しだけ名残惜しさを覚える。

「触りたくなってきました?」

首を傾げて微笑む少女をよそに、窓を半分ほど開けてタバコに火を付ける。

外からむわっとした熱気が入りこんできて、冷気を浴び続けた身体には少し気持ちがいい。

暑いという少女の抗議を無視して、大きく吸い込んだ紫煙を外に向かって吐き出す。

外ではまだ鳴き始めたばかりの蝉の声が、小さく聞こえている。

あぁ、夏が来たんだな。

そんなことを思いながら再び大きく煙を吸い込んだ。



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