別離
ガチャリとドアノブが回される音がしたかと思ったら、勢いよくドアが開けられる。
「せんせー、聞いてくださいよー」と、不機嫌そうな顔をした少女がけたたましく舞い込んでくる。
何かあったのかと問いかけるまでもなく、少女が椅子に座り不満を並べはじめた。
「さっきクラスの男子に告られたんですよ!」
面白くなさそうに爪をいじりながら、上気した頬で彼女が言う。
「あぁ……よかったじゃないか」
「よくないです!!」
何気なく放った言葉に、少女が憤慨したような口ぶりで返す。
睨まれてしまい、居心地が悪くなったのでコーヒーを淹れる準備をする。
……そのうち機嫌も治るだろう。
「そうは言ってもモテるだろう、君は」
「そんなことないです」
溢れ出る感情を制御しきれていないのか、唇を噛みしめながら少女が答える。
ここまで彼女が負の感情をあらわにするのも珍しい。
……いや、そうではない。見ようとしてなかったし、知ろうとしてこなかったのだ。
「そういうの、めんどくさくて……イヤなんです」
そうか。まぁ、そうなのだろう。
よくよく考えてみると彼女の人との距離の取り方は、少し独特なところがある。
学校生活においては友だちも多いようだが、休日に誰かとどこかへ出かけた、なんて話は聞いたことがない。
「自分勝手な人は嫌いです」
どこか淡々とした口調で少女がつぶやく。
「その子が自分勝手かどうかなんて、わからないじゃないか」
「私に告白して来る地点で、自分勝手です」
人は誰しもが自分勝手で、押し付け合う。
それは私や彼女も例外ではない。
どう伝えていいものか思案して。
……そうして私は気付いてしまう。
彼女が私を慕い、けれど二人きりの時以外はそっけない態度を見せる理由に。
それはもしかしたら綺麗な言葉に置きかえることができるのかもしれない。けれど、そんなにスッキリするような簡潔な言葉ではないのだ。
「高野」
と、彼女の名前を呼ぶ。
少女は驚いたような表情を見せるが、それもそうだろう。
私は今まで、ほとんど彼女の名前を呼んだことがない。
「……もうここには来るな」
できるだけゆっくりと、その言葉を告げる。
「……え?」
うめくような、どもるような……なんとも言えない声を発して、少女の表情が固まる。
視線すら動かないその様子は、時間が止まったのではないかと錯覚するほどだ。
どう対応したものか悩んでいると、少女の表情に徐々に絶望の気色が灯った。
小さく開けられた口から「どうして……」と掠れた声が漏れる。
「私のこと嫌いになったんですか?」
制服の上に纏った黒いセーターの袖が、彼女自身の小さな手によってキュッと握られる。
胸の上に踊る赤いスカーフが少しだけ眩しく見える。
「付き合ってるわけじゃないんだ。その質問はおかしい」
できるだけ冷淡に彼女の言葉をかわす。
「私は……君とは付き合えない」
「じゃあ、私が他の人と付き合ってもいいんですか?」
彼女の問いに沈黙でもって答える。
それは恐らく彼女にとって、最後の手段であったのだろう。
その質問に沈黙でもって答えると、少女は目に涙を溜めて、それ以上為すすべもなく力なく佇んだ。
沈黙を嫌うように、私は机の上にあるタバコの箱に手を伸ばす。
コーヒーメーカーの立てる音が、今日は一段とうるさく聞こえる。
小さく息を吐いて、箱の中からタバコを一本取り出し指に挟む。
「先生……」
少女の震える手が恐る恐る伸ばされ、白衣の裾を握りしめる。
「高野……」これ以上傷つけてしまわないように、その弱々しい手を優しく振り払う。
それでやっと踏ん切りがついたのだろう。
「わかりました。もう来ません」
そう言うと少女は踵を返して、振り返ることなく美術準備室を出て行った。
その後ろ姿を眺めながら、指に挟んだタバコをそっと灰皿に擦りつける。
――これで良かったのだ。
そう思うことにして、マグカップにコーヒーを注ぎ込む。
大きくため息を付いて窓辺に寄りかかると、外では枯れ葉が舞っていた。
窓が風に打たれてガタガタと鳴いている。




