1 ヴァスティア・D・ゼダグリー
鏡に映る、煌びやかな衣装をまとった少女をじっと見つめる。
黒と赤と、白いレースで彩られたドレスは、彼女の魅力を引き立て、可憐に、されど大人っぽく見せていた。
10歳の少女になにが大人っぽくだ、とか自分でツッコミを入れてみるが、まったく笑えない。
「―――う、そだろ……」
侯爵令嬢らしからぬ、くだけた口調で現実を疑ってみる。
だが鏡は、少女が動く度に真実を写し、紛れもなく『自分』が、ゼダグリー家侯爵令嬢ヴァスティア・D・ゼダグリーだということを伝えていた。
目を固く閉じ、記憶にある姿を思い浮かべる。
下町の、江戸っ子気質の祖父と両親を持ち、人情を大事にという家訓の下、生粋の江戸っ子として生きていた女子大生。
それが『私』だ。
就職難に遭い、なかなか決まらなかったものの悲観に暮れることはなかった性格。
曲がったことが嫌いで、弱気を助け強きを挫く祖父の教えと、母の豪胆な性格を併せ持った、ちょっと大雑把な性格。
父から譲られたのは、本来であれば不要だった男気くらいだ。
―――それこそが、『私』だ。
綺麗なドレスを身に纏い、手入れの行き届いた髪をカールし、愛らしい顔の少女など……夢まぼろしだ!
「っ!」
ばっと顔を上げ、もう一度鏡を見る。
そこにはスーツ姿の、短く切ったボサボサの髪を持った、どこにでもいるような普通の顔した女子大生―――など、どこにもいなかった。
「……うそだろ」
悲観に暮れるように、もう一度呟く。
記憶を整理して、よく考えるんだ。なんでこんなことになったのか。
はじまりは、そう。
ほんの数時間前に起きた、10歳を祝う誕生日会のことだ―――。
***
「おめでとうございます、ヴァスティア様」
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます。みなさまにお祝いされ、ヴァスティアはとてもうれしく思います」
降りつづける祝福の嵐に、天使のような微笑みを携えてお辞儀をする少女は、本日10歳を迎えた侯爵令嬢ヴァスティア・D・ゼダグリー。
人から賞賛されるほどの愛らしい容姿に、
行き届いた教養、
持って生まれた優しき心に、周囲は『天使だ』、『才女だ』、『天の恵みだ』と口々にもてはやした。
そんなヴァスティアを心から愛する両親、そして姉や家臣に囲まれ、ヴァスティアはすくすくと成長していった。
そして訪れた、10歳の誕生日会。
招かれたのは貴族達だけではなく、早々に決まったばかりの婚約者であり、次期王位継承者とも言われている第二王子セイジュや、宰相夫人、王国軍騎士団筆頭という、名の知れた人物が揃っていた。
その中でもずば抜けた位の持ち主―――現女王である、エリザベート1世も参列しており、ヴァスティアの誕生日会は豪勢に執り行われていた。
和やかな空気で、会は進んでいたかに思えた。
だがその空気が一転したのは、ある『占い師』が登場してからだ。
「ヴァスティア様、貴方の栄えある未来を占ってもよろしいかな?」
しわがれたローブ姿のお婆さんは、誰が呼んだかも分からない、いつこの場に来たのかも分からない謎の存在だった。
家臣がヴァスティアを引き離そうとしたが、幼いながらに持つ好奇心、そして人を疑うことを全く知らない少女は、こともあろうにお婆さんに占いを許可してしまったのだ。
水晶を取り出し、よく分からない呪文を唱える占い師。
―――そしてそれは、一瞬のことだった。
唐突に頭に流れてきたのはここではないどこかの記憶。
瞬間、ヴァスティアの意識は解けるように闇に沈み、次に目を覚ましたときは『ヴァスティア』ではなく、『私』だった。
就活の帰り道。
両親の好きな『きんつば』をお土産に、横断歩道を渡ったところでトラックに轢かれてしまった、『私』になっていたのだ。
だが、それ以降の記憶は『私』にはない。
入れ替わる、たった数時間。それだけのヴァスティアの記憶しか、持ち合わせていなかったのだ。
*
「ばすてあ……って、なに、外国人? どこの国よ?」
自問自答するも、答えなど返ってこない。
(ってかまじここ何時代よ! 未来? 過去? 私はなに? 一体どうしちゃったわけ?)
混乱する私の耳に、ドアのノック音が届く。
びくーっと身体を跳ねた私は、まるで不審者の如くその場を徘徊しはじめた。
「ヴァスティア様、ノエルです。お加減は如何ですか?」
「あ、え……の、える?」
―――誰だ。
のえる……のえる……駄目だ、ケーキの名前しか思い出せん。
素直に聞いてみようか。
「ど、どちらのノエルさん……?」
「……」
返答はない。間違えたか。
沈黙が怖い。
今度はもう少し丁寧に『どちら様のノエルさんでしょうか』、と聞いてみようか。
「……どちら様の、」
「お嬢様ッ!?」
いきなりの大声に、心臓が飛び跳ねる。
ばーんっと開け放たれた扉から、長身の男が大股で入ってきた。
ちょ、レディの部屋になに勝手に入ってきてんの!?
いや見た目10歳だけどさあ!
「お嬢様、お気を確かに……っ! ご自分の名前は言えますか!?」
目線を合わせるためしゃがんだ男は、細い目を更に細めて、切羽詰まったように問いかけてくる。
「ばすてあ、D、ぜだぐりーだっけ?」
「ヴァスティア・D・ゼダグリー様です! ああ、なんということだ……っ! 発音すらも忘れてしまわれるとは……!」
いや、ヴァとかティとか、聞いたばっかじゃ言いにくいんだって。
ノエル、という男は「旦那様、奥様ーっ!」と大声で叫びながら、部屋から走り去ってしまった。
唖然と見送った私は、とりあえず振り返って鏡をもう一度みる。
そこには途方に暮れた顔をした、10歳の可愛い女の子が、変わらず映っているだけだった。
思いついたネタの見切り発車です。
楽しんで頂ければ幸いです。