脂肪を胸に集める薬
「ふぁくぁすぇー!」
普段通りの博士という声に比べて妙に野太い声、そしてどしんどしん、と響く足音にフランは訝しげな顔をして階段を注視した。
「ぶひっ、ぶひっ、博士、お菓子の配達まだですかね? ぶひ、もうお腹が減って減って」
そこから現れたのは、ユーリとは似ても似つかぬ化け物であった。
胸の膨らみが特徴的だったのはほんの先日まで、今見えているのは胸以上に膨らんだ腹と、爆発しそうというより爆発後のような滅茶苦茶な顔面。
胸だけデカいナイスなプロポーションも、今やたるんだドラム缶が歩いている姿と遜色ない。
「……お前、誰だ?」
「ぶひ? やだなぁもう、ユーリですよ」
まず何故『ぶひ』というのか。無自覚なのか。無自覚だとしたら一体どういう因果なのか。
フランの疑問は止まない。
「それよりお菓子はどうなんですか? もうお菓子がないと頭が働きませんよ! ぶひぶひ!」
「……ほぉ?」
フランは疑問形の吐息を零すも、どうも他の行動がとれなかった。
まずこれが現実であるかどうかの確認がしたい、というのが第一の思考。
だがユーリと名乗るブタは卑しくお菓子を求めてハムのような腕を差し伸べてくる。
「お菓子、お菓子」
「お前、お前な……ちょっと待ってくれ。お前本当にユーリか?」
「ぶひ!? 失敬な! この姿を見てくださいよ! ぶひ、ったくもう」
姿を見れば別人である。かろうじて金髪のツインテールと白い肌はユーリのものに見えなくもない。
が、白衣には腕も通らず、何なら普段着ている白衣の下の、紺色のシャツもボタンが弾けていて衣服の用を成していない。
スカートに至っては股下マイナス五センチくらいでパンツが丸見えだ。それだけぱつぱつに張っている。
「あのな、こないだユーキとかいう女が来たが、その方がまだユーリだったぞ」
「ぶひひ!? 何を意味不明なことを言っているんですか!? 遺伝子を調べますか!?」
「いや俺はその遺伝子とかいうのを知らんのだが……たぶん、遺伝子とかいうのも変わってるだろ」
この世界の科学では未だに遺伝子は発見されていないが、ユーリのみが既に突き止めている。
「変わりませんよ遺伝子は! まったくぶひー……」
「お前、鏡見てみろ」
「鏡? そんなもの見たところで……」
言いながらユーリはどこからともなく全身が映る大鏡を取り出して、自分を見た瞬間に失神した。
これが『ユーリの悲劇』と称される事件であった。
目を覚ましたユーリは、傍に倒れる鏡を見て、自分の体が重くなった理由に気付いて、泣いた。
「なぜ、どうして一夜にしてこんな体に……ぶひーん!」
「気持ち悪いから出て行ってくれないか。そして本物のユーリをどこにやった?」
「失敬な! 私が本物のユーリですよ! 一日で劇的にドグサレ豚野郎になっただけですよ!」
自分のことながら、ユーリにとってデブとハゲとブスとバカに人権はないのだ。故に口調は最悪だし人付き合いもまともにできないし、社会からは社会不適合者の烙印を押されている。ユーリが社会を馬鹿にし、社会がユーリを馬鹿にしているのだかあ、まあ対等な関係と言えなくもないが。
「いいから帰ってくれ。ユーリの名を騙るデブ」
「デブってねあんた! どういうつもりで使ってんですか!?」
「今すぐテメェをデストロイしてブレイクしようかっつってんだよ」
「破壊&破壊ですか……私が知らぬ間に洒落乙な言い回しを覚えましたね」
「黙れ、不愉快だ、消えろ。二度と俺の前に姿を見せるな」
「……ちと、言葉が過激じゃないですかね?」
ちょっと泣きそうなユーリの前で、フランは溜息を吐いた。
「上の部屋はな、自分の体の変調にも気付かず、それを治すこともしない無能が使っていい部屋じゃねえんだ。上の部屋を使っていたのは、どんなことでも楽しく解決するアホみたいな天才の使う部屋だからな」
「……は、博士」
「次、お前が上に行って、そのまま戻ってきたら、殺す」
ユーリは涙ながらに上へと走って行った。
僅か七分後。
そこには、以前通りのユーリの姿が!
「はぁい、フラン博士、どうかしらこのバディ?」
「おお、なんだそれ?」
「脂肪を胸に集める薬」
「ふーん」
フランは素っ気なく答えたが、ユーリだけはニヤニヤとフランの体に擦り寄った。
「ねえ、博士♪」
「なんだお前、気色悪いな」
「あんな言葉遣いで私のことを励まそうったって、利かないんですから」
「は?」
「いえさっき」
「さっきそういやお前の部屋からバケモンみたいなブスが来たが、知り合いか?」
「素で気付いてなかったの!? あんたただの屑じゃないですか!?」
「いきなりなんだお前は!」
言葉遣いの荒い激励だと信じたかったユーリであるが、フランの他人への興味の無さは並はずれていて並ぶ者がない。
ちなみに、ユーリが急に太ったのは前回飲んでいた脂肪を胸に集める薬が切れただけである。
つまり本当のユーリは……。




