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不老不死の薬・前篇

「はーははーかーせーのーはー、かーははかせのかー、せーははーかせーのせー、はーははかせの……」

「うるっせえな! 何の用だよ!」

 相変わらずユーリはふざけた態度で小気味よいリズムを刻みながら、ステップ踏んで両手に薬をぶん回して階段を降りてきた。

「いやー、博士は天才って言葉を知ってますか? いや言葉は知ってますよね。実際に天才を見たことがありますか? たぶんないと思うんですよね、だって本当の天才っていうのは今この薬を作り出した今の私のことを言うんですから。ねー博士」

「分かったよ何の薬だ?」

「それは、あとの、お楽しみ」

 人差し指を振りながら、やっぱりリズムを刻んで、ユーリは黄金に輝く薬の入った試験管をフランに投げた。

 フランはそれを掴み、訝しげに見つめた。

「お前……これお前の小便とか入ってないだろうな?」

「色が似てるだけです! そんな美しいものを呑ませるとしたらお金取りますよ! もう!」

 問題はそんなことじゃないのだが、とフランは思いながら蓋を取り、匂いを嗅いだ。

「そんなに疑います? じゃ先に飲みますよぅ! ふんだ! ぷん!」

 ぷんすか怒りながら、ユーリはパパッと蓋を取り、薬を飲み干す。

 それでもフランは少し遠慮気味、けれどちゃんと薬を飲み干した。

 水のように味のない味にほっと一息吐きつつ、しかし体に変調がないのでユーリを睨む。

「で、これは何の薬だ?」

「知りたいですか?」

「飲んだんだから早く言え」

 怒りと焦燥のフラン、それに対して、ユーリの自信に満ちた表情は鼻につくほど憎たらしい。

「これを知ったらあなたも驚き、腰を抜かして失禁しながら私を神のごとく崇め奉るでしょうねぇ」

「いいから早く言え」 

「ズバリ不老不死の薬でーす!」

 バババーン! とユーリは雷がバックで落ちているほどの衝撃を思わせるように大きな声で言ったが、フランは全く驚いていない。

「……へー」

「感動してないですね……。不老不死の薬ですよ? 分かってます?」

「分かっているが」

「不老不死の薬ですよ!? この世界に長寿の生物はいても不老不死はいない! あらゆる生物の夢! 魔族に至っては常時伸び続ける魔力のことを考えれば弱小魔族であっても果て無き時間の末に永劫の時を魔王として生きることも……」

「俺、死者でアンデッドだから寿命ねーし」

 ユーリは言葉を失った。

「…………ま、凄いと思うぞ。うん、おめでとう」

「嬉しくねー……ま、私も長生きに興味はありませんし、正直どうでもいい薬ですね」

 作った時の感動はどこへやら、ユーリは余らせた一つの薬をどうしたものかと、手持無沙汰に振り回す。

「メラヘンに渡しゃいいだろ」

「そっすね」

 そんなわけで、この世紀の大発明は埋もれることになった。

 たった一人の悪人が、その事実を隠し続けることによって。



 ドグラマグラ暗黒教団。

 元の名はドラン・グラミエル・マグラ魔法帝国。

 大陸に名を轟かせた魔王を討伐した四人組の一人、ドラン・グラミエル・マグラその人が建国した帝国が礎となっている。

 しかしマグラは魔王を倒した時に、その狂気に憑りつかれ、暗黒道へ堕ちる。

 彼自身は老い続ける体に絶望し、自らを植物状態に落とし今も眠り続けているが、その優秀なたった二人の弟子が国を引き継いだ。

 一人は王位を引き継ぎ、シュレル六世として、神聖魔法王国グラミエルの国王となり。

 もう一人はドグラマグラ暗黒教団の団長、メラヘンである。

 前者は勇者と呼ばれるマグラの正当な後継国として、他国と足並みを揃え他種族と戦っている。

 だが後者は、魔を競う研究者と危険なサイエンティストの集団で国の統治は少し荒い。

 それでも、旧態の軍国的な要素から上下関係は厳しく成っており、また国の上層部は自分達の魔法研究に執心しているため、利益の横領が横行しているとはいえ、国外に飛び火することなく、平穏無事に続いてきた。

 しかし、団長のメラヘンはそれほど楽観的ではなかった。

 魔法に弱く、戦争に際して相性の良いリザードマンといえ、アレイドルという新王を据えてから勢力を広めるリザードマンの国は精強。

 隣のグラミエル王国は旧知の仲といえど、自身の勢力が協調しないために他国から訝しがられている。

 一番の課題は交易である。

 広がるリザードマンの領土によって輸送ルートが狭まり、また国際法を守らぬ山賊同然のリザードマンによって、ドグラマグラ暗黒教団と交易したいと思う者も減った。

 国内の労働力は殆どが魔法研究にのめり込むため、漁労や農耕に従事する者も殆どいない。

 問題解決のもっとも容易い手段は、リザードマンを退けることである。

 第二にできることは『連合』に入ることであるが、そうすれば国で行なった暗黒の研究の数多くを披露する必要が出てしまう。それだけはメラヘンが秘匿しておきたいものだった。

 戦略も浮かばないメラヘンにとって、戦争の勝利法は圧倒的な力しかない。

 国がままならない状況で、現実逃避気味にやってきた研究所で、メラヘンはそれに出会った。

「あ、これ不老不死の薬ですけど」

「……は、は、は?」

「三回も呟かなくても大丈夫ですよ。これ飲んだら死にません」

 と言いながらユーリは試験管を割り、鋭く尖ったガラスを自分の喉元に突き刺した。

「いてっ」

 軽く叫ぶも、溢れる血はすぐ止まり、傷は瞬く間に治った。

「ね、凄いでしょう? あげますよ。いりませんし」

 流れた血を拭きながら、空いた手でユーリはその薬をあっさりとメラヘンに渡した。

 メラヘンは目を忙しなく動かしながら、それを大事に受け取った。

「ああああ、あの……」

「お礼には及びませんよ。この超! 天才のユーリ博士の才能を認め、研究費とお菓子代をどんどん出すメラヘンさんにはこれを受け取る当然の権利があります! なんなら閨と共にしても構いませんよ?」

「そそそそ、それはけけ結構です!」

 メラヘンは恥ずかしがるように言って、そこを出た。

 高鳴る心臓を抑えながら、メラヘンはまじまじとその薬を見つめ――

 ――意を決したように目を瞑り、一気に煽った。

 体に変調はない。ますます鼓動が高鳴り、汗が止まらないだけだ。

 だが彼女は、その心臓をますます苦しめるように、護身用の魔力を込めて威力を変えられるナイフを取り出し、両手で握った。

 切っ先が震える。今まで敵は魔法で倒してきた、ナイフを持っているが敵に向けたことはなく、まして自分に使うことなどなかった。

 だがメラヘンは、ユーリを見習い、それを思い切り自分の腹に突き刺した。

 一瞬だけ、じわっと広がる熱さを感じた。

 だが、服は血で汚れているのに、痛みは気付けばなくなっていた。

 血に濡れた手、赤く汚れた服、まだ血液は生暖かい。

 だが服をめくってみると、真っ白な肌には傷跡すら残っていなかった。

 無論、ユーリを疑っているからこんなことをしたわけではない。

 だがその、あまりに現実離れした突飛な事象を信じることができなかったのだ。

 そんな疑念もついにはメラヘンから取り払われた。

 何かに怯えるような焦点の定まらない瞳は震えを止め、決意の光に満ちている。

 そしてまっすぐ、自分の王宮へと戻った。

 


 不老不死になれば、何ができるか。

 答えは人によっていくらでも変わる。不老不死になるなら死にたいと言う人もいるほどだ。

 メラヘンは違う。

 偉大なる魔導の研究に時間は一万年あっても足りない。

 現に師匠のマグラは更なる研究を続けたいがために自分を『保存』したのだ。

 メラヘンもその師匠を治し、共に研究をするために隠し、寿命を延ばす術を研究し続けていたが、もはやその必要もなくなった。

 国の首脳、名立たる六人の魔術師を呼び寄せたメラヘンは、普段からは想像もつかないほど凛とした態度を示し、言い放った。

「これから私はリザードマンの国へ攻め込みます。戦争です。そして……勝ちます」

 六人は言葉を失う。メラヘンがどもらずに喋ったのを初めて見たから。

「そして、私がアレイドル・リッサーを殺した暁には、あなた方には永久に命令を聞いていただきます」

 メラヘンが取り出した六枚の紙は契約書のような体を成していた。

 それは高位魔術による誓約書、全生命にとって必要不可欠な魔力を特に多く含む魔術師にとって、全ての魔力を賭けるその誓約は、命より大切な誇りと自身の存在すら賭ける一世一代の大博打。

 六人は再び息を呑む。優柔不断で常に自信がないメラヘンが、そんな賭けを馬鹿げていると一笑に付していたメラヘンがそれをするなど、天地がひっくり返ってもあり得ないはずのことだった。

「水のレイル、火のファレン、風のグリモ、地のヅグ、光のリィン、時空のロルドル、あなた達全員の命令執行権と、私の全て、見合うと思いますが」

「どしたのさメラヘンちゃーん? 頭打ったんじゃない?」

 水のレイルと呼ばれた女は軽々しく言葉を出すが、メラヘンはそれすら穿つ。

「するか、しないか、の二択です。私が圧倒的な力でリッサーを倒せば、どの道あなた方は私に忠誠を誓うでしょう? 前もって約束するだけのこと」

「……その策、しくじった場合にはどうする?」

 禿げ上がった頭を持つロルドルは、蓄えた白いひげを撫でながら尋ねる。

「あなた方に与えられた私の魔力を見せつければ、六人による寡頭制政治でも問題ないでしょう。六人で分割統治する以上に、六人で一つの国を統治するようにしなさい。まあ、ありえないでしょうが」

 言葉を受け、ロルドルは渡された誓約書に目を通し、指から血を流す。

 誓約書に記すはそのものの魔力に満ちた血液、流れた血が誓約書に垂れるとそれは名前へと形を変える。

「ロルドル卿、気は確かか?」

「グリモ、お前はどうする? この話、儂は悪くないと思うが」

 六人の元帥の中でも最も若いグリモは、永遠の命令権に畏怖し、結論を出し兼ねていた。

 二番目に若いレイルは、カールした水色の髪をふわふわ揺らしながらあっさりと血を記す。

「よっしゃ儲け儲け! 闇の魔力をゲットなんて普通ない機会~!」

 次に、大丈夫たる肥満体のヅグも続いた。

「我が存在はメラヘン様のために……」

 そんな妄信的なヅグには冷たい視線を送りつつも、紅い口髭の目立つ半裸というラフな格好をした大男、ファレンも溜息を吐いて血を流す。

「曲がり屋につくも一興だな。自信のほどを見せてもらおう」

「正気ですかファレン卿!? リスクとリターンがあまりにも……」

「では、グリモは賛成しないのですね?」

 メラヘンはピシャリと言い放つ。

 それにグリモは頷きかねた。

 グリモはこのメンバーに、元帥に名を連ねるには少し若すぎた。能天気なレイルは気にしていなくとも、自分の実力も魔力量も他に劣っていることをひしひしと感じ、自分の責務の重さと実力が見合っていないと普段から度々思っていた。

 この機会にもしメラヘンが死に、自分が誓約していなかったとしたら、自分は今まで以上の責務を、変わらない実力で挑まなければならない。

 だがもしメラヘンが死ねば――新たな名誉、新たな力、そして自信もつく。

 世界最高の大魔導の弟子、今も世界最高クラスの魔導として有名なメラヘンの魔力、それは六分の一といえど喉から手が出るほど欲しい。

「僕は闇の魔力だけ持ってなかったんだよね、六種の魔力をこの年でやっと全部集められる、と考えたら凄く得した気分だ」

 ――齢六十を過ぎたリィンの言葉は、グリモにとって悪魔の囁きだった。

 魔力は親から受け継ぐ二種類以外は、こういった特殊状況下でしか手に入らない。

 自分で研究するには、やはり確認されている全六種の魔力を自由に操れた方が良い。

 だがそれを手に入れるためには、六十歳のリィンですらようやく、なのだ。

 若いグリモが、この時点で闇の魔力を手に入れられる、それが決めてになった。

「では、五人だけでも良いでしょう。早速私は……」

「お待ちください! 俺も、俺も誓約します!」

 その選択こそが不幸の始まりだった。

 


 それから程なくして、リザードマンの国はカリスマ的国王のリッサー・アレイドルの死をもって雲散霧消した。

 ドグラマグラ暗黒教団は新たに『メラヘニズム昏光(こんこう)教団』と名を変え、リザードマン達が巣食っていた土地を奪い、リザードマンを奴隷にし、大幅な進化を果たした。


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