隣国の王子
数ヶ月前、まだ寒い日々が続いていた。国境付近の森がやけに騒がしい。動物たちもどこか落ち着きがなかった。
森の中に一本だけある小さな小川に喉を潤そうと近づいた。
「えっ?」
小川に今まで見たことのない色の水が流れている。
どこから流れて来るのか辿ってみると人が倒れていた。近寄って見るとかろうじて息をしている感じで今にも呼吸が止まりそうだった。
「これは、ヤバい…かな」
倒れている人の手を取り、脈拍を確認した。
やはり心臓も止まりかけている。
倒れている人の顔は蒼白。原因は肩に深々と刺さった矢に毒が仕込まれていたようだ。
「私なら助けられる」
そう思う間も惜しんでスカートの裾を破く。それを紐がわりに矢の刺さった肩より上側で縛り上げ、鏃を力任せに引き抜いた。思った以上に出血はなく、ほっとしたのもつかの間に傷口を小川の水で洗った。
「後は廻った毒を中和しないと…」
まだ起きないでね。
心でそう祈りながら微かに開いた唇に自分の唇を重ねた。
良かったぁ、超がつくくらいの美少年で…
能力を吹き込んで毒を中和する。
さて、困った。
自分の力では運べても室のある木まで。
察するに良家の子が狙われた。逃げている最中に矢を受けてしまった。
即効性はないが致死量の毒は動けば回るのも速くなる。意識を取り戻してくれるのを待つしかないかな。
ため息を呟いて近くの大きな木を目指す事にした。
背中に背負うようにして体を持ち上げ、引き摺りながら室の中に少年の体を入れた。
「後は、追手見つからないようにしなきゃね」
私は小さい頃に母から教わった唄を謳った。
相手をこの場所に来られないようにする『惑わしの唄』を謳う。
効力は1日。元々この森は『迷いの森』1日あれば追手も諦めるだろう。
「それにしてもどうしてこんなところに?」
普通ならこの森に近づくことさえ憚られることなのだ。ましてやどこかの貴族のようだし、ここが危険だと解らないことはないはずだ。
ますますもって解らない。
「起きたら聞きますか」
そう結論付けて、少年のために小川に戻り布の切れ端を水に浸した。
魔法は万能ではないのだ。毒を中和するために使ったから、立て続けに魔法を使うとかけられた者は体力を根こそぎ使いきり、最悪死を迎えてしまうこともある。 だから、あまり多用することはできないのだ。
早く起きてくれないかな。
私の都合だが、あまり長く村を離れるのは不味い。村長にまた泣きつかれるし。
しばらく自由にできなくなっちゃう。
室に戻って少年の額に布の切れ端を置く。脈拍を確認すると大分正常に戻ってきていた。
「とりあえず良かったわ。後は、熱があまり高くならないことを祈るしかないね」
一人呟いて室の入り口を見やると、動物たちが心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫よ」
笑いかけてそう言うと、動物たちが室から離れていった。しばらくすると木の実が数個、室の入り口に置いてあった。
食べろということなのだろうか?
確かにこのままでは私も飢えてしまう。
「ありがとう」
礼を言って口にした。甘くて美味しい。
翌朝、いつの間にか眠っていたようで、目が覚めると少年がこちらを向いていた。
「あ、おはよう」
とりあえず挨拶をしてみた。何を言っていいか解らなかったのっ。
「あ、ああ。おはよう」
少年はつられて挨拶を返してきた。
「とりあえず命があって良かったね。思った以上に早いお目覚めだけど、動けそう?」
起き上がって少年に聞いてみた。
「……矢が刺さった肩の痛みはまだあるけどゆっくりなら動けそうかな」
少年も起き上がって体を少し動かしながら答えた。
「まあ、それは仕方ないかな。後は時間が癒してくれるわよ」
少年は解っているのか一つ頷いただけだった。
「君が手当てを?」
「まあ、見つけちゃったからね。かなり致死性の高い毒があの矢には塗られていたみたいよ」
その言葉に少年は苦笑した。すべて知っていたような眼差し。
「そう言えば、追手は撒けたようよ。しばらくはこの森からも出られない迷宮に誘い込んだからね」
私の言葉に少年は目を見張った。
「ここはオクトリス国の国境付近にある迷いの森よ。貴方は矢を射られて毒で死にかけたの」
今度は納得いったのか頷いた。
「ありがとう。助けてくれたんだ。でも放っておいても死ななかったけどね」
苦笑しながら礼の後に可笑しな事を宣った。
はあっ?致死量だったって!
「動けるなら、ここを出るわよ。村に帰って手当てするから」
私の言葉に少年は首を横に振った。
「これ以上迷惑はかけられないよ」
ゆっくりと立ち上がり歩き出したが数歩でよろめいた。
私は慌てて少年を支えた。
「どうせ行く当てないんでしょ?毒の中和は上手くいったけど、熱はまだあるからね。もう少し安静にしてなきゃダメよ」
私が強く言うと、仕方ないとため息混じりに頷いた。
「そう言えば、お互いに名前も名乗ってなかったわね。私はティアよ」
「俺の名はクリス。助けてくれてありがとう」
支えながら歩いているから顔が近い。妖精達が喜びそうな綺麗な顔をしてる。線は細いけど体は鍛えているようで骨も太い。
あ、睫毛長い。
森を抜けると小さな村に着いた。
「こんなところに村が?」
クリスも驚いているようだ。
「まあ、良いから。私の家はあそこよ」
村の端に少し大きな家がある。
村に入ると皆が待っていた。
「心配したんだぞ」
近所のおじさん、おばさん達が駆け寄ってきた。
「どうしたんだ?」
「行きだおれてたから拾って来たのよ」
全部はしょって説明した。
「まあ、後で聞くよ。」
おじさんはそう言ってクリスを背負ってベッドまで運んでくれた。
「それで、君は何者だ?」
村の数人に囲まれる形で問い質されていた。
「隠しても仕方ないしね。隣国ファルクエリクトス国の第三王子、クリス・アルトス・ファルクエリクトス。ちょっとした事情で命を狙われててね。死にかけていたところを彼女に助けてもらったんだよ」
そう言いながら懐から短剣を取り出しておじさん達に見せた。
「……これは、間違いない……隣国王家の紋章」
おじさんの一人が小さく呟いた。
「ああ、畏まらないで。たまたま王家に生まれただけのしがない三男坊なんだから。それに跪かれるのは好きじゃない」
クリスは俯いて言った。
私もわかるな。
「じゃあ、にいちゃん、ゆっくり養生するんだな」
おじさん達はそれ以上何も言わず、出ていった。それもかなりあっさりと。
それにはクリスも驚いていた。
ありがとうございます\(^o^)/