3 「踊るアホウに、見るアホウ。同じアホなら、変わりゃーしません」
ある日の夕方、私はまたレジに立っていた。
小林君は休み。その休みの連絡を受けた百合ちゃんが、代わります、と言ってくれたのに甘えることにした。だが、百合ちゃんをシフトに加えた上で、私もメンバーに加わった。これで、今日店には4人の店員がいることになる。
本来なら三人の時間帯であるはずなのに……と、怪訝そうな顔をする夕方メンバーに、ちょっとやることがあるから、と断りを入れて、先に仕事の指示を出した。
百合ちゃんに、2台あるレジのうちの1つを。大庭君にバックルームの仕事をやってもらって、あともう一人がディスプレイなどをやってもらう。
私は、さっき言ったようにレジ。
いつもと同じように接客しながら、来るのを待つ。
一時間、二時間と過ぎて、お客が込みだしたところに……来た。
矢口だ。矢口はいつもと同じように、私に意味のない会話を親しげにふってくる。
「あれ、今日も小林は休みっすか?」
「そうよ」
「だらしないっすよね」
「そうね」
普段と同じやり取り。向こうもそう思っているだろう。
だけど、今日は違うのよ。
「んじゃ、おつかれさまっす」
「はい、おつかれさま」
矢口が店を出る。数人の客も出て行く。その時、密かにバックルームで隠しカメラの映像をチェックしていた琢也が表に出て来て、合図を送って来た。それから少し遅れて、大庭君もバックルームから出て来て、お願いしてあったとおり、私の代わりにレジに入る。
私はその場でユニフォームを脱ぎ、店から出て、矢口の腕を掴んだ。
「な、なんっすか?」
「話があるの」
「すんません、これから用事が」
「こっちも用事があるのよ!」
怒りのこもった声に矢口だけでなく、通行人たちも驚く。
その中から、琢也が三人の男女の肩を叩いた。
「君たちもだ。間違っても逃げようなんて思うなよ?」
スーツを着た琢也のドスの聞いた声に、三人はガチガチに固まる。
そして、私たちは矢口+三人を連れて、バックルームに入る。その異様な光景に何事かと思う客もいただろうけど、今はそれどころじゃない。
バックルームに入ると、三人はビクビクと震えながら、唯一矢口だけは不遜な態度で私たちの前に立った。
「……取ったもの、出しなさい」
「な……なんのことですか? 私たちなんにも」
女の子が答える。私は思いっきり壁を叩いて、言葉の続きを黙らせた。
「大人を舐めてんじゃないわよ?」
あんたみたいにふらふらしてる小娘に舐められるほど軽い人生は送ってない。
「10数える間に自分で出しなさい。出さなかったら、問答無用で警察を呼ぶからね」
そして数を数え始める。5秒までは必死に抗う三人。だが、数が0に近寄ると慌てたそぶりを見せる。が、それを遮ったのは矢口。
「証拠はあるんっすか?」
「今から身体検査してあげましょうか?」
「セクハラで訴えますよ? 若い子に触りたかった大人って言われたら、店の信用ガタ落ちっすよね?」
いい度胸だ、このくそガキ。
3。
「ね、ねぇ矢口!」
2。
「気にするな。やってないことで訴えられることなんかねーよ」
1。
「だ、だけどよ!?」
……0。
「琢也、電話して」
「リョウカイ」
琢也が受話器を手に取り、番号を押す。ぴったり3ケタ。
「あー、すみませんが」
「待って!」
女の子が動いた。
「ごめんなさい、だって、あの、その!」
「出しなさい」
琢也が通話口を押さえている間に、女の子はポケットやバックから、ばらばらと文房具などを取り出した。それに従うように、二人の少年たちも、ヘアスプレーやお菓子などを出し始める。
「……何か言うことは?」
三人の少年少女は、素直に詫びの言葉を入れた。
多少、不承不承なところはあるが、とりあえずはマシだ。もちろんこのあと家には連絡するし、それなりの罰は受けてもらうが、せめて警察沙汰にするのは回避してあげる。
「矢口は、何かいうことは?」
「……別にオレは何も取ってないっすよ? 無理矢理つれてこられただけっすもん」
「警察に話していいのね?」
「したければすれば? 逆にそっちがフリになるだけじゃねーの?」
そういう態度で来るならば、こっちにも考えがある。
「琢也、今何時?」
「えーと……八時ちょうどをお伝えします」
電話の向こうから聞こえてくる時報通りに、時間を教えてくれる琢也。その瞬間、矢口の顔が、は? と歪んだ。
「素直に謝った三人は、警察だけは勘弁してあげる」
「警察……言ってない?」
「電話してないわよ。今のは時報。110じゃないわ」
それを聞いた瞬間、女の子は泣き崩れた。ぺたんと床に座り込み、静かに泣き始める。
「あんたらがしてたこと分かった?」
静かに怒りを込めながら問う。
「あんたたちがしてた『こんな軽いこと』が、あんたたちの全てを否定すんのよ。将来も、今も、友達も、信用も、たった一回ばれただけで、全部粉々になんの」
女の子が、びくっと震えた。
「可愛い彼女が欲しいでしょ? できればいい大学、いい会社に入って、可愛いお嫁さんと、子供が欲しいでしょ?」
一人の少年が震えた。
「夢とかもあんでしょ? クリエイター? ミュージシャン? 企業の社長? その夢に、終始付きまとうのよ『こんなこと』がね」
もう一人の少年も震えた。
「警察に電話されたと思ってそんなに怯えるくらいなら、こんなバカなことすんじゃないわよ!!」
机を叩く。
自分のためというよりも、このバカどものために。
自分のやってることも分からなかった、でもまだ救いようはあるバカたちのために。
「ルールがどうとか、法律とか、モラルなんてどうでもいいのよ! 自分のやったことは、全部自分に返ってくんの! それが、自分の大事なもん全部ぶっ壊すのよ!?」
女の子が、ごめんなさいを繰り返す。それにつられたのか、二人の少年もぐずぐずと泣き始めた。
「バカじゃないの。若いですまないことだってあんのよ? こんなくだらないことで、ダメにしてどーすんのよ!」
琢也がすっと差し出した缶コーヒーを一口飲んで気を落ち着ける。
大丈夫、分かってるわよ。そんな顔しなくても、ちゃんとやるべきことは分かってるわよ。
琢也に目だけでそれを伝えて、私は視線を動かす。まだ、不遜な顔で立ってる矢口に向かって。
「あんたが計画犯でしょ?」
「知らねー」
「じゃぁ、こっちの3人に聞くわ。教えて、誰が計画したの?」
もちろん、答えはすぐにない。
「答えて貰えないと帰せないわよ?」
まだ黙ったまま。
「答えられないなら、プロを呼ぶしかないんだけど、いいの?」
3人がこれに屈した。3人は、それぞれに顔を見合わせると、小さく口を開いた。
「……やぐ……が」
「もうちょっと大きな声で」
「やぐ、ちが、やれって」
「おい、てめぇ!」
女の子に掴みかかろうとした矢口を、琢也が止める。
「女の子に優しくできない男は屑だぞ」
「うるせー! 放せ、じじぃ!」
矢口が琢也を殴る。みごとに入ったパンチ。だけど、矢口は分かって無い。その男は、わざと殴られたんだということに。
調子に乗ってもう一発殴ろうとした矢口の腕を琢也が捻る。警察や軍人のような鮮やかさで腕を捻られた矢口は、それ以上動けなくなって、小さなうめき声を上げた。
「3人、オレが殴られたの見てたな?」
「は、はい」
「正当防衛だよな?」
「そ、そうです」
それを聞いて、しまった、と明らかに顔に出す矢口。満足げに笑う琢也。こんな性格の悪い同居人がいることを知らなかったのが、こいつの最大の誤算だ。
「教えてもらえる? なんていわれて、万引きしようと思ったの?」
ここまでになったら、3人の口を止める要素は何もない。
3人は、つっかえつっかえながらも、それを教えてくれた。
まず、矢口はこの店の監視カメラの位置を覚えるためにバイトとして入った。ダミーや、お客さんには見えない所に置いてるカメラもあるからだ。そして正確なカメラの位置と、カメラの死角を覚えた。更に、一番店が込む時間なども把握し、バイトを辞めた。そしてそれを仲間に教えて、万引きをさせる。自分は直接万引きしない代わりに、一番注意力のありそうな人間に話しかけたりして、注意をそらさせる。私はその作戦に、まんまとはめられていたのだ。
「そんなの全部、そいつらの作り話だ!」
腕をひねり、矢口の発言を阻止する琢也。
「……もう一つ聞きたいんだけど、小林君に怪我させてたのは、矢口とつるんでたやつ?」
「……そうです」
女の子が答えた。
「やっぱりね」
深い溜息をついた私に、女の子は泣きながら説明してくれた。
矢口は、小林君がバイトしていることを知ると、無理矢理……脅したりして、友達としてバイトの面接を受けさせるように迫った。そして辞めた後も、ちょこちょことカツアゲ気味に小遣いを巻き上げたりしていたそうだ。
小林君の傷は、私が矢口の仲間を万引きとして滝野川さんに突出した翌日以降、私への怒りを発散させる代わりに、殴られたりして出来たものらしい。小林君は、それを言ったら私が責任を感じると思って言えなかったのだろう。いや、そもそもこいつらを紹介してしまい、万引きの手引きをさせたということに、苦しさを感じていただろう。更に、怪我までさせられたのに、お金を取られるからバイトして稼がないとならなかった。だから、長袖を着てまでバイトに来ようとしていた。来れない日は、よっぽど怪我がひどかったんだろう。
「そ、れ、知ってた、から、怖くて、辞め、れ、なく、て」
途切れ途切れに語った女の子は、また泣き出してしまった。
男の子が一人、それを慰めるようにしゃがみこんだが、彼もまた泣いているせいで、喋れなかった。
「救いようのないオオバカね」
「……なら警察にでも言えばいいだろう?」
矢口がガンをつけてくる。
「いえよ。ほら、さっさと言えよ。代わりに、噂をばら撒いてやるからな。お前ら全員殴りにいってやるからな!」
心得てる。バカだけど、頭の回転は速い。
相手の嫌なこと、怖がることをちゃんと分かっている。
むかつくけど、それは認めてあげるわ。
だけどね……甘いのよ。
あんたは出来がいい。だけど、最悪な人間。だから、私も最悪な部分で対抗してあげる。
「琢也、今の会話編集したら、ネットにばらまいて」
矢口の顔が青ざめる。さすが若いだけあって、ネットの世界の恐ろしさは十分理解している。
「今の会話は、全部録音したわ」
全ての敵意を込めて睨みつけてやる。
「警察? そんな甘いもんで済むと思ってるの?」
矢口が震え始めた。
「この子たちはまだ情状酌量の余地があるとしても、あんたは別よ。あんたの未来、全部ぶち壊してやる」
ゆっくりと、矢口から自信が無くなっていく。
「名前と、顔と、住所と、電話と、学校も、出席番号も、あんたを特定できるすべての情報を音声と一緒にさらけ出してあげる」
編集された音声は、単なるネタとして捉える人間の方が多いだろう。だけど、確実にいる。面白半分の悪意や、絶対なる正義感を持って、このバカの心身に攻撃をしかけようとする人間が。
「最初に、あんたの学校にこれを送ってあげる。せっかくいい学校に入れたのに、これで人生半分おしまいね。で、あんたが転校したら、その学校に送ってやる。大学に入ったら、大学に送ってやる。就職したら、会社に送ってやる。ついでだから、家族の職場にも送ってやる」
それがどんなことか……協調や外聞を気にする日本でそんなことされることが、どれだけ苦痛か分からないタイプのバカじゃないわよね、あんたは。
気にするでしょ?
だから自分じゃやらなかった。ばれた時を想定して、後ろ指を向けられて生きたくないから。
理解できるんでしょ?
他人の心理状況を。だから、あんたは私が苛立ってるのを見て、ヘラヘラと楽しんでいた。
だけどね、青いのよ。
大人のことなめてんじゃないわよ?
全ての大人が、社会が、あんたの頭の範囲内でどうこうなると思ったら大間違いなのよ。
あんたよりも頭のいい、あんたよりも行動力のある、あんたよりもズルくて、あんたよりも最悪な人間はいくらでもいるのよ。
「これからたっぷりと、死ぬまで社会の厚みを感じながら生きなさい」
「じょ、冗談だろ?」
「あんたは冗談で万引きしたの?」
言葉を亡くす矢口。
心なしか、その顔が青ざめてる。
いい気味だ。
どうせなら、もっととことんいじめてやりたい。
だけど、泣いたままの3人もいる。この子達に、これ以上この黒い話を聞かせるのは、少々忍びない。
……ここらが潮時ね。
「誓いなさい」
矢口が顔を上げる。
「もう二度と、万引きも暴行も、あらゆる不正をしないこと。うちの店に関する悪口を書いたり、言いふらしたりしないこと」
「ち、誓ったら許してくれるのか?」
「許しはしないわ。でも、ばら撒くのだけは止めてあげる」
「ち、誓う!」
「いい? ほんの少しでもあんたが暴行したとか、万引きしたとか、うちの悪口を言ったって聞いたら、すぐにばらまくわよ」
頷く矢口。
「他の仲間がやっても、よ」
「そ、そんなんオレに関係ないだろ!?」
「は? あんたリーダーでしょ? それくらい何とかしなさいよ。それとも、今すぐばら撒かれたいの?」
再び押し黙る矢口。
完全に自信は失っている。偉そうな態度もない。切り返すだけの頭の回転もない。
もう、これでいいだろう。
「約束、できるわね?」
「……わかった」
「言葉遣いを知らないの?」
「……わかりました」
うな垂れた矢口の姿を見て、琢也もその手を離した。
その後のことは良く覚えていない。
というか、覚えていたくもなかった。
警察に連絡しない代わりに家に電話したら、逆に文句を言ってくる親もいたりで、ほんとさんざんだった。それでもなんとかその日のうちに騒ぎを収め、私は小林君に電話をした。小林君に全ての事情を話すと、電話の向こうで泣きながら、ごめんなさいとありがとうを言われた。それが心苦しくて、私は早めに電話を切った。
そうこうしてるうちに、時間は日付を回っていた。
長い一日だった。
「おかえり香織ちゃん、あのね、えっと」
「ごめん、アリス。また明日ね」
アリスに申し訳ないと思いながらも、私はほとんど着替えることもなく、眠りについた。
事件は解決したのに、気持ちはいっこうに晴れなかった。




