プロローグ
プロローグ
その日、私はとってもむしゃくしゃしていた。
どれくらいかっていうと、特盛ネギだく汁だくに、卵を付けても足りないほどだ。
その苛立ちは顔にも雰囲気にも出ていただろう。自慢じゃないが、昔から気持ちを隠すのは不得意だ。って、本当に自慢じゃなくて悪かったな、こんちくしょー。
最近の若者はてんでダメ。話にならない。
いや、私だって十分……いや、多少は若い方だけど、とにかく『バカバッカ』だ。略して『バカ』だ。って短くしたら単なるバカを1つ言ったに過ぎないじゃない。
で、このダブルバカは誰なのかというと、先週新しくバイトに雇った男子高校生だ。コンビニのバイトなんてラクショーなんて思っていてくれたのか、面接の時からやったらヘラヘラしてて気に食わなかった、という最悪の第一印象。
じゃぁ雇うなよ、って思うかもしれない。でも雇わざるをえない理由もあったのよ。
夕方勤務のメンバーで、やっぱり高校生の小林君という子がいる。これがもう、とにかく優秀な上に顔がよくて、売り上げと私の精神緩和に大きく貢献していくれているのだ。
で、その小林君の友達であるというから、これは断るわけにもいかない。
人は見た目で判断しちゃいけない、ってことくらいは十分理解していたしね。
が、やっぱりヘラヘラはヘラヘラだった。
コンビニの店長として、私は厳しい方だと思う。とくにヘラヘラ高校生のことは嫌いだったから、強く当たったこともあっただろう。が、にしたって、入って一週間で、しかもシフトが残ってる上に、電話一本で辞めますガチャリンコ、ってバカかお前!?
いや、バカなんだ。
なにせ、紹介してくれた小林君の心苦しさというものをまるで分かっちゃいない。
プラス、勝手に辞めた分は誰かが補わないといけないのも理解しちゃいまい。
でも、そんな急にできた穴を全部埋めてくれる暇人なんてのはそうおらず、結局どうなるって、私が出るはめになるのよ。朝から夕方までだって、けっこう疲れるってのに、加えて夕方の勤務が入るせいで、店を出るのは夜十時過ぎ。何が悲しくて、半日もコンビニに缶詰されなきゃいけないのよ!!
しかもね、この程度で私の小林君への好感度が下がることはないけど、店員仲間にはやっぱり微妙に思うやつもいるわけよ。おかげで、今日の小林君、仕事やりづらそうに見えて仕方なかったわ。
あのヘラヘラ、いつか合法的に暴行を加えてやる。
「あー、ほんっと腹立つわ!」
思わず口に出してしまった。
目の前を歩いていたカップルが思わず私を振り返って、謝りながら早足で消えていった。
うん、ごめん、見ず知らずのカップル。けしてあんたたちのことじゃなかったんだけど、でも暑苦しい男と、見苦しい女がいちゃいちゃしていたら、けっこう見る方は耐えかねるから、そういうことはホテルか自室だけでやってちょうだい。
こんなことをいうと、まるで私が男日照りで妬んでいるみたいだけど、けしてそうじゃない。
むしろ日照りどころか土砂降りで、思わず田畑が全滅しそうな勢いだ。
何言ってんだって?
それは家に帰れば分かる。
分譲マンションの一部屋が私の家。ローンで買ったから、毎月ちまちま月収が削られてるけど、別にそれはどうってことない。家賃もローンもそう変わらないご時世だ。どうせ住むところはないと困るんだから、財産が残る方がマシってもの。
だから、それについては文句無い。
が、一つ言わせて欲しい。
「あー……おかえり。早かったな」
「おかえり、香織ちゃん〜」
扉を開けると、玄関の先にリビングがある。
で、そのリビングで、絡み合うまではいかないが、スカートとブラウスの下に手を入れて相手の身体をまさぐる男と、まさぐられることを嫌がってない女が一人。
人がつまらん仕事を懸命にこなして帰ってきて、玄関開けたら三秒で濡れ場。
ぷっつんいってもいいところよね?
だけど、落ち着いて考えましょう。都会で一人暮らしで自殺していく女性が増えている昨今、二人の同居人が私を出迎えてくれたのよ?
これのなんと嬉しいことでしょう!
「なんて言うとでも思ったかぁ!!」
嬉しさよりも殺意が湧き上がる。殺意はヘラヘラ高校生への怒りと合間って、超人的な行動力を生み出した。分かりやすく言うと、怒りに任せて、男にチョークスリーパーをかけた。
「なんか言うことは!?」
「ふく、らみ、が、きもち、い、い」
「オチロォオオオオ!!」
審判がいたら間違いなく私の勝ちだったろう。
だがここにいたのは審判でなく小さな女だ。
「香織ちゃん、すとっぷ」
袖をくいくい引っ張るその姿と、脳みそまでとろけてそうな口調に、思わず殺意が削げた。
ピンクと白で彩られた、全体的に緩い雰囲気を漂わせた服装が、またよく似合う。化粧もしてないのに肌白いし、高校生っていっても通りそう。っていうか、実際補導されたことがあるそうよ。
これでいちおう成人してるっていうんだから信じられないわ。実は年齢詐称してるんじゃないかしら? 本名が『鶴見 アリス(ツルミ アリス)』っていうのも怪しいわよね。
「たーさん、死んじゃうよ?」
「アリス、覚えておきなさい。地球上で一番生命力のある生き物はゴキブリなのよ」
「ん、覚えた」
「そう、覚えたのー、偉いわねー」
でも私が言わんとしていることは粉みじんも理解してないわね、その純粋すぎて思わずつねりたくなるような笑顔は。
「で、たーさんこと、谷津田 琢也君?」
「なんでしょうか、マジ刈る香織さん?」
「今のステキにむかつく名前はスルーするとして、いつまで床に寝っ転がってるのかしら?」
「二人の下着を目の裏に焼き付け終わるまで?」
問答無用で蹴り倒す。
下の住人に迷惑かもと思ったが、たいした抑止力にはならなかった。
「人が一生懸命仕事してるのに、このエロバカ!」
「エロマンガ家にエロバカなんていっても、ほめ言葉にしかならん!」
「誇るなぁぁ!!」
あー、息が上がってる。
こんなことで息切れするなんて、体育の授業のありがたみが今になって分かるわ。若者、悪いことは言わないから、体育の授業だけはちゃんと出ておきなさい。いつまでも、あると思うな、知力と体力。って何一句詠んでんのよ。
「もういい、汗臭いしお風呂入る」
「あ、一緒に入るー」
「オレもー」
「あんたは夕飯の準備」
「分かった。じゃぁせめて、このビデオを風呂場にセットさせてくれ」
「セットした瞬間、あんたを墓場にセットするわよ?」
私の目から、この発言が本気であることを悟ったのだろう。
琢也は心の底から悔しがりながら、なくなくエプロンをつけて夕飯の準備に取り掛かった。っていうか、男のくせに妙にかわいいクマのアップリケがついたエプロンを着るな。むしろ自作するな。
「香織ちゃん、湧いたよー」
瞬間湯沸しって便利だ。琢也とごちゃごちゃ言ってる間に準備をしてくれたアリスのおかげで、服を脱いだらすぐにお風呂に入れる体勢になっていた。
二人で洗濯籠にシャツやら下着やらを放り込み、シャワーを浴びて湯船につかる。
「バブ入れていい?」
「何色?」
「んー……緑」
「よし、許す」
アリスは緑茶成分入りの入浴剤を湯船に入れて、ぶくぶく出てくる泡を楽しそうに見つめだした。
行動も発言もよくよく子供だが、体だけは十分に女だ。っていうか、ウエストは私より細いくせに、胸は同じくらいあるのが腹立たしい。
……あれ? っていうか、むしろ最近大きくなってきてるんじゃない?
「ね、アリス。あんた、最近ブラきつくない?」
「え? うん、ちょっとだけ」
そして顔を赤くする。お風呂のせいじゃないのは確かだ。
「もしかして、私が仕事の間、琢哉とお医者さんごっことか、メガネっ娘ごっことかやってる?」
「……内緒だから言わない」
「大丈夫。私も秘密にするから」
「……ほんと?」
「うん、ほんとほんと」
それなら……と、アリスは私の耳元でごしょごしょ真実を語ってくれた。
もちろんお風呂上がったと同時に、琢哉に延髄蹴りをかましたのは言うまでもない。
アリスは、生活能力が欠如した、少し頭の弱い、無職なこの家のマスコット。
琢哉は、売れてるのか微妙なエロマンガ家で、この家のメイドさん(自称)。
私は、父親がオーナーを勤るコンビニで店長をしている、この家の稼ぎ頭。
気付いたら私の家にアリスが住み着いていた。その後暫くして、琢哉も住み着いた。
恋人でもなければ、家族でもない赤の他人三人。それが、なぜかこの家で暮らしている。
こんな私たちのお話……『ジャンク・ジャンクション・ジャンキー』と銘打たれた話を始めよう。