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フレイの前世【拍手再録】

 その日は、普通の日だった。

 大学が連休だったので、僕は久しぶりに実家に戻っていた。

「そう。分かったわ。じゃあね」

「誰から?」

 テレビの途中でかかってきた電話を切った母親に、何気なく相手を尋ねる。口調からしてセールスマンではなさそうだなと思ったので、たぶん僕も知っている相手ではないかと推測した。

「優衣よ。本当に人騒がせなんだから」

「人騒がせ?」

 姉さんはあまり騒ぎなど起こさない大人しい人なので、母に人騒がせなんて言われるのは珍しい。どちらかというと、姉さんは家でも影が薄かった。まあ、姉の影が薄い理由は姉の頭が平凡で僕が賢かったからだけど。

 父も母も有名大学出身で、姉が平均レベルの知能しかないことに落胆していた。しかし続いて生まれた僕がかなり高い知能指数だった為、とても期待をしたのだ。そして結果的に僕はその期待に応え、両親は姉さんより僕ばかりを可愛がるようになった。

 僕は姉さんのことが別に嫌いではないし、幼い頃は一緒に遊んだりした。

 しかし、思春期を迎えると、周りの目もあり、急に姉さんと一緒に行動するのが恥ずかしくなった。そして、そんな空気を姉さんも読み取り、あえて僕を構おうとかはしなかった。だから姉さんは家の中でとても影が薄い。

 もしかすると、姉さんはこの家の中で孤独だったのかもしれないと思う。

 でも家族だし。たぶんもっと僕が大人になって、そう社会人にでもなれば、この思春期独特の気恥ずかしさもなくなり、また姉さんと普通に話せると思う。姉さんも僕のことが嫌いではないことは分かっていたので、それに甘えて現在に至る。

 そんな姉さんは、今は私立大学を卒業し社会人として働き始め、1人暮らしをしていた。

「なんか、車とぶつかって事故をしたみたいでね」

「事故?! 大変じゃないか! 怪我はないの?!」

「怪我はないそうよ。病院で検査をしたけど、なんともなかったらしいわ。今はアパートに帰ってるんですって」

「ああ。そうなんだ」

 事故という言葉にドキリとしたが、無事という言葉にほっとする。確かに人騒がせだ。

「でも、事故って後から後遺症が出たりもするんじゃないの? 本当に大丈夫なわけ?」

「お医者様はできたら誰かに来てもらった方が良いようなことを言ったらしいけど……。でも今日は実家に陽が止まっていくんだったら、陽がゆっくりできるようにしてですって。本当にあの子も陽の事が大好きね」

 母さんはそう言ってにこにこと笑った。

 でも本当にそうだろうか。姉さんに嫌われてはいない自信はあるが、姉さんにとってこの家はそれほど居心地がいい場所ではないだろう。だから姉さんはあえてここへ帰ってこないのではないかという気がした。

 父さんと母さんは僕の事が好きだという。だから2人は姉さんもそうだと信じてやまない。

「だったらいいけど」

 姉さんはとても遠慮しがちだ。自分が私立大学にしか行けなかったこともすごく恥ずかしがって、申し訳ないと感じているのも知っている。

 そこまで遠慮しなくてもいいのに。

 ここは姉さんの家でもあるのだから。

「ねえ、僕が姉さんの所に見に行こうか?」

「これから行ったら遅くなるから危険よ。貴方まで事故にあったらどうするの。そんなに心配なら、明日お母さんが会いに行ってくるから」

 僕はもう大学生なんだけど。

 いつまでも子離れできない母に苦笑する。でも確かに今から姉さんのところへ行けば夜だ。そこからとんぼ返りをすると確かに遅くなる。

 最近、勉強とサークル、それに家庭教師のバイトで疲れているので正直ゆっくりしたいというのもあった。

「うん。じゃあよろしく」


 この時、別の選択をしていたらと今でも悔やまれてならない。勿論、別の選択をしても、結果は同じだったのかもしれないけれど。

 姉さんはこの日の夜急変し、たった一人でアパートで死んだ。






◇◆◇◆◇◆◇





 ぐすん、ぐすん。

 鼻をすする音が聞こえる中、僕は呆然と姉の写真を見ていた。黒縁の額に入った姉さんの写真は、入社の為にとったらしく綺麗に髪が固められている。普段長めの前髪を何もいじらずに垂らしている姉さんにしてはとても珍しい姿な気がした。でももしかしたら、社会人になった姉さんはこういう髪型を普段からしていたのだろうか。

 しばらく会っていなかったので分からない。


 交通事故にあった姉は、どうやら頭を打ち付けていたらしい。そして検査した時はまだ脳出血が少なく見つからなかったようだが、時間が経ち血液は姉さんの脳を圧迫した。そしてそのまま姉さんは昏睡状態におちいり、アパートで静かに亡くなったのだろうというのが医者の見解だ。

 どうしてその怪我を早く見つけてくれなかったのだろう。せめて検査入院させてくれたら。そう医者を責めたかった。でも医者が言った『できたら誰かに来てもらった方が良い』を実行しなかった自分にも責任があって……、僕はそれを指摘されるのが怖くてできない。

 それに一度アパートに帰る選択をしたのは姉さんだそうだ。

 入院となるとどうしても付き添いが必要になる。もしかしたら誰かの手を煩わせるのを遠慮したのかもしれない。


 隣で母親が泣く。

 ああ。ちゃんと母さんも姉さんの事が好きだったんじゃないか。その愛情の割り当てがどんな比率になっていたかは知らないけれど。父さんは表情を崩さない。でもたぶん、この悲しみを耐えているのだろう。

 ねえ、姉さん。やっぱりあそこは姉さんの家なんだよ。帰ってきなよ。

 そう言いたいけれど、でももう伝わらない。棺の中で眠る姉さんは、また目を開くのではないかと思うぐらい綺麗な顔をしている。でもその肌の色はもう、昔の姉さんとは違って――。


 ああ、どうして僕は姉さんを避けてしまったのだろう。

 どうして明日があると思ったのだろう。もっと大人になれば、いつか仲直りできるだなんて。そのいつかはもう、永遠に来ない。

 馬鹿だ。僕は大馬鹿だ。

 何が賢いだ。もしも賢いなら、ちゃんと姉さんを救えよ。あの日、ちゃんと姉さんが無事か見に行けよ。そうすればそこで仲直りもできただろが。

 姉さんが苦しい時に、救急車を呼べただろ。それができなくても、姉さんを孤独にしなかっただろ。

 後悔しか出てこない。というか、もう後悔しかできないのだ。姉さんは、過去の人となってしまったのだから。


 お通夜が終わり、姉さんの友人という人たちが、姉さんにお別れを言いに来た。

 家では影が薄い姉さんだったけれど、友人は多いようで、とても多くの人がやってきていた。その中の一人の子が、棺の前で泣き崩れる。

「ごめんっ。ユイ……ごめんなさいっ!!」

 ごめん?

 彼女も僕と同じで、後悔しているのだろうか。そんな彼女の肩を青年が抱く。

「お前の所為じゃないって」

「でも、私がユイを呼んだから! そうじゃなかったら、事故なんて合わなかったのに」

 ああ。そうか。

 事故にあったという事は、姉さんはどこかに行こうとしていたのだろう。その行先に、彼女が関わっていたという事か。

 一体、彼女は誰で、姉さんとはどういう関係なのだろう。それすら、僕は知らない。ああ、僕は姉さんの事を何も知らないじゃないか。


 それは結構衝撃的だった。僕は何でも知っていると思っていたけれど、一番身近だった姉さんの事を全く知らないじゃないか。

 もう会えない人。

 二度と仲直りできない人。

 でも知りたかった。それが姉さんへの懺悔につながるきがしたから。

「あの、初めまして。姉さんの知り合いですか?」

 僕は泣き崩れる女性とそれを支える男に声をかけた。





◇◆◇◆◇◆◇





 姉さんの棺の前で泣き崩れた女性は、姉さんの友人の女性だった。そしてその女性を支えた男性は、その女性の彼氏らしい。

 あの日、姉さんは、この友人からメールをもらって、友人の家に向かったそうだ。メールの内容は『彼氏と喧嘩した。死にたい』というもの。

 心配した姉さんは友人に会いに向かい、そして事故にあったそうだ。死にたいというヒトが生きて、助けたいと思った人が死ぬなんて、何とも間抜けな状況だ。

 でも何となく、姉さんらしい気もした。


「姉さんごめんね」

 俺はさらに姉さんの最後を知る為、姉さんの部屋に入った。すでに警察が姉さんの部屋は調べつくし、事件性はないと判断している。

 だから姉さんの死因は、やはり事故なのだろう。


 鍵を借り入った部屋は、何というか、何というか……。

「姉さんって、もしかして……」

 オタクだったのだろうか?

 一面にポスターやフィギュアが並んでいるという事はなかったが、カレンダーは男のイラストが入ったもので、本棚には漫画本が多数並んでいた。

 そっか。姉さんは、こういうものが好きだったんだ。

 一緒に住んでいたころからそうだったのだろうか?姉さんの部屋に入ることなどまずなかったから、分からない。

「漫画の話だったら、僕だってできたよ」

 まあ、有名どころしか知らないけれど。でも貸してくれたら読んだんだけどなぁ。

 そう思いながら物色して……僕は固まった。


「えっと……うん」

 有名どころの本もあるのだが、手に取った本は僕が知らないものだった。そして……たぶん知らない方が良かったものだろう。

 表紙は3人の男が並んでいた。真ん中の男を取り合うような格好で。

 パラパラと中をめくって、どうしたものかと悩む。表紙と同じで、中では男の人が愛を叫んでいた。男に対して。

「アレ、なのかな?」

 ネットで有名なので、そう言う嗜好の女性をどう呼ぶのか僕も知っていた。そう、確か――。

「姉さんって……腐女子?」

 男と男の恋愛話を好んで読む女性の総称。

 男同士の寒い恋愛話の本は1冊ではなく、この本棚の中に何冊もまぎれていた。中には小説もあり……相当買い集めたのだろう。一体、この本を買う時、姉さんはどんな表情をしていたのか。

 うーん。

 結構アレな本だとは思うのだけど、普通の顔で買うのだろうか? それとも顔を隠すのだろうか? というか、そもそもこういう本ってどこで探してくるんだろう。


 知れば知るほど、もっと姉さんの事が気になった。

 もっと話せばよかった。そうすれば、こんな風に憶測だけをしなくても済んだだろうに。

 そしてそんな本棚を調べていくうちに、僕は姉さんの日記を見つけた。そう言えば、小学校のころ姉さんは日記をつけていた。それを今でも続けていたのだろう。

 流石に日記は弟でも読むのはアウトだろうか。

 少しためらう。でも、もう姉さんと話す事はできなくて……姉さんを知る事が出来るのは、姉さんの持ち物からだけなのだ。

「姉さん、ごめんね」

 なんだか謝ってばかりだなぁと思いつつ、僕はその日記を開ける。全てが一方通行な謝罪だというのがどうにも滑稽だ。

 でももしかしたら、日記には僕や家族を断罪する言葉が並んでいるかもしれない。僕は姉さんに断罪されるだけの事をした。それを僕が一番知っている。

 今は姉さんの責める声でもいいから、聞きたかった。一方通行なこんな状態、嫌だった。



 そして――日記を読み進めた僕は、泣いた。姉さんが死んで初めて泣いた。

 その日記にはすべての答えが、姉さんの言葉であふれていて――姉さんが優しい人だと僕に伝えてくれた。

「もう一度――」

 もう一度やり直せたら。

 そんな後悔が僕に与えられた罰なのかもしれないと思いながら、僕は姉さんの記憶に寄り添うように日記を抱きしめた。 

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