ヨルムの同僚【完結お礼小説】
「ヨルム、ヨルム。ノエルお嬢様がね、今日始めて刺繍をなされたの」
そう言って、私と同期で働き始めた、この屋敷のお嬢様であるノルン付きのメイドのグリンが話しかけてきた。
「そう」
「ひと針ひと針、すごく真剣な表情でなされるんだけど――」
グリンは他の屋敷でもメイドをやっていた経験を活かして、勤め始めて早々にお嬢様付きとなった出世頭だ。私は剣の腕を買われてここに居るので、旦那様が外出された時の護衛件、メイドとして働いている。
ただ一つ違うとしたら、私はその身を盾の代わりとして買われており、彼女はその能力を買われてここに居る。言葉のあやではなく、その言葉の通り。
「とにかくすごく可愛いでしょ。賢いでしょ。私のご主人様は」
「ええ。貴方が可愛がっている事は分かった」
「もう。ヨルムはつれないな。でもその独特な流されなさがいいとこだと思うし、本当に面白いわね」
グリンは私と違い良く笑う。そしてとても面倒見がいい事で有名だった。というか受け入れる守備範囲が広いのだと思う。私のように話すのが得意でないモノに対しても普通に話しかける。
「そう」
ツンツンと横腹辺りを腕で突っついてくるグリンをどうしたらいいのか分からないので、私は窓拭きをする手を止めずにとりあえずそのまま続ける。
「ヨルムってさ、美人なんだし、もっと笑えばいいのに」
「私は楽しくない時の笑い方が分からない」
「何? ヨルムは仕事が楽しくないの?」
「仕事は仕事」
仕事は楽しむものではなく、割り切るものだと私は思っている。
私が楽しいと思ったのは……ずっと昔。今は楽しいという感情があるのかどうかも分からない。ただ、いつかまたどこかで、私の宝物だった時間に会える気がして生きている。
「ヨルムは公私混同したりしないものねぇ。そういう所、ある意味凄いわよね。私はどうしても分けられないから」
「……私も分けてはいない」
「そうなの?でも、仕事は仕事って」
「私に私(し)は許されない。私がここに居るのは仕事をこなす為」
その為だけに私はここに居る。
私はここの主人の人形で、それだけを求められる。中身は必要ない。きっと働けなくなれば、捨てられるだろう。だから命令に従う。
「仕事熱心ねぇ」
グリンは私の言葉の意味を、仕事熱心ととらえたらしい。それでも特に問題はない。違う世界を生きるグリンが知る必要もない事だと思い、あえて私は訂正を入れなかった。
ここのメイドは、私のような人形と人間に分かれているのだから。人形の世界を人間が知る必要はない。人形が人間を夢見るのが愚かしいのと同じことで。
私は人形として仕事を全うするために窓拭きに集中した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
グリンの元気がなくなったのは、それから1年ほどしてからの事だ。
活発に話したりしていた彼女が物静かに悩んだりする日が見られるようになった。とはいえ、仕事に手抜きが見られるわけではなく、今までと変わらずお嬢様を慈しみながら、仕えている。
だからと言って、人形である私が彼女に対して何かする事はなく、時間は過ぎていく。私は命令のみに従う人形としてここに居るのだから当たり前だ。
そして季節は巡り――ある日グリンが私を空き部屋へ連れ出した。
この部屋は物置となっており、使用人ですら中々入らない場所。少し埃っぽいこの場所は、日のあたりも悪く、彼女の顔が余計に暗く見えた。
「ヨルム……あのね。実はこの間町で、以前一緒に働いていたマーナを見かけたの」
マーナ。
その単語に栗毛の少女を思い出す。そしてそんな栗毛を三つ編みにしていた少女は、私と同じ人形だったという情報も。
そんなマーナはある日屋敷から居なくなった。
「そう」
「マーナね……男の客引きをしていたわ。そういう場所に売られたそうよ」
マーナは見目の良い娘だった。ただ要領がいいかと言えばそうではなく……なので、そういった特技を生かせる場所に新に売られたのだろう。
「ヨルムは驚かないのね」
「仕事ができなければ、人形は売られるもの」
まだ売春の仕事でよかったと思う。場合によっては、もっと苦しい場所へ売られてしまう事もある。ただ売春も病気をもらう事があるので、とてもいい職場とは言えない。でもここで働ける能力がなければ仕方がない事。
「マーナに聞いたわ。人形って、そういう意味だったのね。人身売買で買われた人の事……。この国は奴隷を禁止しているのに、どうしてよっ!」
「人形は給料をあたえる必要がないから。最低限の衣食住のみでいい。また、必要なくなった時やお金に困った時はまた売却する事もできる。この場所に落ちるのは、ここから逃げてもどうしようもない人」
この国に生きる為の基盤がないなら、その場に甘んじるしかない。
もしかしたら私たちは、それ以外の生き方は知らないだけかもしれない。でも人身売買で商品にされた時に、商品は逃げ出す事の愚かさを徹底的に教え込まれ、従順になる。
「何で。ヨルムと私のどこが違うというの?! 同じじゃないっ!!」
「違う。貴方は魔族。私は人族と魔族のハーフ」
ハーフではあるが、人族の血の方が強く出たケースだ。魔力などは皆無に等しい。
「そんなの関係ないわよ。ねえ、マーナみたいに、私達……ヨルムもいつか別の場所に売られるの?」
「人間は売れない。売られるのは、人形だけ。いても居なくてもあたりさわりのない者。使えなければ使えるところに売る」
「いなくていい人なんているわけないじゃない!!」
きっとグリンは、この世界のすべてが必要なものだと、そんな夢みたいなことを信じているのだろう。でも現実は違う。
どれだけ否定しても、売られる人は売られるのだ。奴隷という言葉を使わないだけで。
でも売られる者はまだいい。世の中には、売り物にもならず飢えて死ぬ者だっている。でも弱い者は死ぬのは自然の摂理なのだろう。
「……魔王様はこの事を知って見えるの?」
「私は知らない。でもこれはこの国の貴族が行っていること。だから変わらない。それが答え」
魔王様なんて見たこともない。だから知っているのかどうかなんて私が知るはずもないこと。そして魔王様がどうだろうと、この世界は変わらないと思う。
「それを……いつかノルンお嬢様もやる事になるの?」
「いつかは」
今は関わり合いがなくても、この伯爵家にはノルン以外に子供はいない。だとすれば、いつかはノルンが伯爵を継ぐことになるだろう。その時に人身売買をしなくなっているかと言えば、それはないだろうと思う。
どうして今それが行われているのかと言えば、必要だからに他ならない。必要なければ、やるものはいないだろう。
「そんなの……そんなの嫌よ。こんなの許されるはずがないわっ!!」
私に訴えられても困るのだが……。
グリンが怒ったような目で私を見るが、私に決定権があるわけでもない。だから言える事は、一つだけだ。
「誰が許す、許されないを判断する?」
「えっ?」
「私ではない。女神様でもない」
女神様に祈った事も遠い昔あった気がする。でも現実は変わらない。
親を亡くした子供は施設に預けられ、その施設を選ぶことはできない。そして施設の一部は、こうやって国の都合で売買の市場となる。咎める人などいない。……中には、さらにそれ以外のルートで、攫われ売られるものすら居るぐらいだ。誰かの――強者の利益の為に。
「それは――」
「金持ち? 貴族? だとしたら、もう許されている」
「違うわ。魔王様よ。魔王様は、きっとこの事をお知りにならないんだわ!!気が付かれたらこのような事をするはずないもの。もしもこれが許されるならば、【奴隷】という名前だけ認めないなんて偽善よ。人族と違って、魔王様は差別なんてしないわ」
グリンはそう挑むように私へ言う。だから私へ言われても困るのだけど。
私は貴族でも、魔王でもない。
「この事を何とかして、魔王様に伝えないと……でも、私じゃ会えないか。だけどせめて、優しいノルン様が知る前に、旦那様が悔い改めれば。そうしたら旦那様が魔王様に伝えてくれないかしら。ヨルムはどう思う?」
「無理」
「早いわよ。ちゃんと考えて」
「罪は隠すもの」
もしも、後悔することがあったとして……それを魔王様に言って、自分を不利益な状況に置くだろうか。答えは否。
もしも罪が白日の下にさらされそうになったならば――。
「もしも私なら、すべての人形を売り払い、なかった事にする」
「そんな……」
この国はブァン国と違い奴隷を認めていない。だとしたら、自分から罰せられようなんてしないだろう。
「お嬢様は人身売買をしなくてもすむかもしれ――」
「私はっ!!」
グリンが一際大きな声を出した。しかし、自分でも不味いと思ったらしく、ふうと気を静める為に息を吐く。
「私は、ヨルムにも幸せになって欲しいの。友達だと思ったのに、私だけ何も知らなくて安全な場所で働いて――そんなの嫌なの」
友達と思ってくれていたのか。
人形なのに。それはとても不思議な感じだ。私の気持ちは仲間でも読めないと言われ、私ですら分からない時があるのに。
なのに全く違う立場の子が友達だという。
ならば私が言えるのは一つだけだ。
「何もしないで」
彼女が気に病む必要はない事だ。友達と言ってくれるならば……なおさら、関わって欲しくない。あえて日陰を見なくてもいい。
そう言って、私は部屋を出た。誰かが気にかけてくれた幸せを大切に胸にしまいながら。
そしてさらに月日が経ったある日、グリンからお願い事をされた。
もう後へ引けないところまでいつの間にか来ていた、私の人間の友達から、最初で最後のお願い事。
「ノルンお嬢様を魔王城の舞踏会で連れ去って、旦那様に愚かしさを分かってもらうわ。でも、それが失敗したら――」
きっと彼女は私が殺し慣れている事を知っていたから。
もしくは旦那様の付き添いで必ず私が同じ空間に居合わせると分かっていたから頼みやすかったのか。
「――私を殺して」
とても簡単で、とても残酷なお願い事をした。




