きつねの嫁取り
昔、ある山にイヅナという名のきつねが一匹で暮らしておりました。
初雪が降った日、イヅナの暮らす山に客がやってきました。三人の武士に守られた美しい人間の姫君です。
イヅナは一目見てこの姫君を好きになってしまいました。
そこで木の葉を頭に乗せて人間の若者に化けると、偶然行き会った振りをして話しかけました。
「このような山の中で女の供連れは難儀でございましょう。もう日も暮れます。よろしければ私の家へお越し下さい。あばら屋ではございますが、夜露はしのげましょう」
イヅナから姫を守るように立ちふさがった武士が、無言で刀の柄に手を掛けました。
それもそのはず、追っ手からようよう逃れた山の中で、突然現れた若者を警戒しないはずがありません。
ところが、
「ちょうど良い、もう一歩も歩けぬ。案内せよ」
と姫君が答えたので、一行はイヅナの家へ向かうことになったのでした。
近くで見るとますます美しい姫です。
肌は雪のように白く、黒く艶やかな髪は豊かに背中を覆っています。
イヅナはこの姫君のために何でもしてやろうと思いました。
姫が寒いと言えば水鳥の綿毛を集めて布団を作ってやり、おいしいものが食べたいと言えば野山をかけずり回って木の実や魚を採ってきました。
「イヅナとゆうたな。そなた、何の下心あってこのようにわしに尽くす?」
イヅナの家で暮らすようになって10日ほどした頃、姫が突然聞きました。
「実は姫、身分違いとは知りつつも、一目惚れいたしましたので」
「さようか。わしと結婚したいと申すか」
「望めますならば」
イヅナは迷わずに答えました。
「……そなた、わしの姿をまともに見ておらぬであろう」
確かに、イヅナが初めて姫君を見たときは笠の下、一緒に暮らすようになってからは常に扇子で顔を隠しているので、イヅナはまだ姫君の顔を見てはいませんでした。
「確かにおっしゃるとおりでございますが、運命の相手と思っております」
「この顔に醜い傷があればなんとする」
「わたくしは気にいたしませんが、姫がお気になさるのであれば、傷を治す薬を求めて参ります」
「実は人ではなく、鬼や天狗のたぐいであったとすればどうじゃ」
「些末事にございます」
「ふむ。ならば見よ」
ぱちんと音を立てて、姫が扇子を閉じました。
イヅナはこの時初めて、姫の顔をまともに見ました。
白く小さな顔には美しく赤い目が光っています。
「この髪も染めたものである。本当は雪のように白い。どうじゃ、鬼のようであろうが。恐ろしくないか」
「いいえ。わたくしにはもったいないほどのお美しさでございます」
「ならば、なんとする。諦めるか」
「いいえ。少しでも望みがあるのでしたら、どんな努力も厭いません」
姫はしばらくイヅナを見つめ、やがて口を開きました。
「都に住む嵯峨野安綱という人が、何でも願いを叶えるめずらかな狐の尾を持つと言う。それを取ってくれば求婚を考えてもよい」
その言葉にイヅナは喜び勇んで、その日のうちに山を下りました。
都に着くと情報を集め、小さなネズミに化けて嵯峨野の屋敷に忍び込みました。
狐の尾はすぐに見つかりました。
奥座敷で縄の結界に閉じ込められてなお、朝日を浴びて輝く白雪のように淡く輝いて見えます。一目でこれが姫が求めている狐の尾だとわかりました。
イヅナはネズミの歯で縄をかみ切ると、狐の姿に戻り、白い尾を咥えて走り出しました。
しかし、あともう少しで屋敷から出るというところで、尾に衝撃を感じました。
振り向くと自分の尾に刀が刺さり地面へと縫い付けています。
しかもその刀にはまじないがかけてあるのか、引き抜こうとしてもびくともしません。
向こうから、人間達が集まってくるのが見えました。
イヅナは自分の尾を噛み千切りました。
そして後は、風のように必死に走りました。
自分の住み家の山に逃げ帰ったイヅナは、人間に化けようとして上手くいかないことを知りました。
尾が半分しか残っていないからでしょう。何度化けても、耳が出ていたり、尾が引っ込められなかったり、ひげがぴんと出張っていたりします。
仕方なく、イヅナは狐の姿のまま、白い尾を咥えて姫君の元へ戻りました。
もう姫君と結婚はできないだろうと思われましたが、約束の尾だけはどうしても差し上げたかったのです。
草木も寝静まった頃、イヅナはそっと家に入りました。
眠っている姫君の枕元に尾を置いて、そのまま去るつもりでした。
けれど姫君の安らかな顔を見ていると我慢ができなくなって、最初で最後のつもりでくちづけをしてしまいました。
人に化け、そっと軽く触れただけですが、それで姫は目を覚ましました。
「……そなた」
イヅナは飛び退って、平伏しました。
仕舞えなかった耳がへたりと伏せています。
「姫、姫、申し訳ありません。ですが、これを今生の別れと思えば……」
「……尾を失ったのか。わしのために……」
「……え?」
イヅナが聞き返したとき、姫君は白い尾を白い手で掴みました。
「これはわしの一番大きな尾。これを取られたばかりに力のほとんどを失った。憎き安綱の屋敷はわしらのような大きな力を持つ者は入れぬ。それ以上にわしらを追う者どもがおったので、このような姿に身をやつし、このような山奥まで逃げねばならなかった」
姫の体と尾が光を放ち、イヅナがまぶしさに目を閉じ、再び開けたときには、目の前には白く輝く美しい狐がいました。
「わしの名はフブキという。そなたの献身には心動かされた。尾を失ったとて悲観せずともよい。……わしがそなたのもう1本の尾になってやろう」
もう1本の尾になる、とは狐の求婚でよく使われる言葉です。
尾は狐が最も大切にするものですから、一生を添い遂げるという意味があるのです。
「は? あの、……姫?」
イヅナは混乱しました。
人間の姫だと思っていたら、自分と同じ狐だった。
それは望むところだとしても、美しいけれど自分よりも大きな狐はどう見てもイヅナと同じ……。
「姫ではないが、安心せよ。父はこのような出来損ないの姿のわしを後継には考えておらぬ。男を嫁に迎えたとて何の事もない」
「いえ、あの……は?」
混乱したままのイヅナの手をフブキが掴みました。
「さあ、誓いのくちづけを」
◇◇◇◇◇
「出来損ないの嫁はやっぱり出来損ないか」
そう言ったのは現狐王です。
「父上、お言葉ですが、イヅナは立派な狐です。わしのために尾を失いこのような姿なのです。それを思えばさらに愛しさが募るもの」
今更、男は遠慮します、とも言えず、イヅナは大人しくフブキの隣に座っていました。
フブキが普通の狐であれば、逃げ出して住処も替えるところですが、狐王の息子から逃げ出せばどのような仕打ちが待っているか分かりません。
向こうから飽きてくれることを祈るばかりです。
「ふん、酔狂な」
「酔狂で結構。イヅナのかわいさを皆に知ってもらおうとは思いません。イヅナのかわいい姿はわし一人だけのものです。なあ、イヅナ?」
人に化けているものの、仕舞いきれなかった敏感なひげを撫でられ、イヅナはぶるっと身を震わせました。
自分を見つめる赤い目が細くにんまりと笑い、赤い舌が薄い唇をぺろりと舐めるのを見ながら、今夜も寝かせてもらえそうにないとイヅナは心中で溜め息を吐くのでした。
(おわり)