黒い軌跡
春、入学式、高校生活のスタート。
これらの青春っぽい言葉と全く無縁そうな少年が体育館のパイプ椅子に座っていた。
今は、高校の始業式が始まろうとしている時なのである。
彼の周りにいる多くの新入生は真新しい制服を着て、期待に満ち溢れた顔をしている。しかし彼はどこか気だるげで、新しいはずの制服も何故か草臥れて見える。例えるなら……不良、というより、人生に疲れた中年のおっちゃんのような感じだ。
少年の名前は大谷祐樹。若干周りの生徒から避けられている。
そして、そんな彼――祐樹の横に座っている少年がいた。
その少年の名前は立木篤志。祐樹とは正反対できっちりと制服を着こみ、ピシッと背を伸ばしている。爽やかな外見の少年だ。
祐樹と篤志――彼らは幼馴染みにして親友だ。
そして、先ほどから壇上では一人の女生徒――ロングの黒髪をゴムで一纏めにした長身の少女――が何やら準備をしていたのだが……、どうやら終わったらしい。
「只今より始業式を行います。生徒の皆さんは席について下さい」
その女生徒が言う。どうやら司会役だったらしい。
その言葉を切っ掛けに、体育館は静寂に包まれた。
「なあ、祐樹。興味のある部活はないか?」
始まりは友人である篤志の一言が切っ掛けだった。
「いや、無いな。まあ適当に選ぶつもりやし」
本当は部活なんてしたく無いけれど、校則で何処かの部に入部する事を強制されているのでしかたがない。凄く面倒だ。
なんでそんな学校に入ろうかと思ったかというと、篤志がこの学校に推薦入学することが決まっていたからなんだけどね。
「じゃあ、一緒に陸上部の見学に行かないか?」
「……いや、俺走るの苦手やし、厳しそうやん」
「まあまあ、陸上は走るだけじゃなくて、投げたり、跳んだりする種目もあるんだからさ。それに一回見に来てもらうだけでいいんだ。僕が中学三年間やり通して、これから先もやっていこうと思うものを祐樹にも知って貰いたいんだ」
むう、いつもに増して積極的だな。
そういえば今までそれとなく見学や大会に誘われた時も全部断ってきたし一回くらいならいいかな? と思う。
そもそも、こいつから今まで受けた恩とかその他諸々の事を考えると、そこまで言われたらごちゃごちゃ考える以前に断るなんて選択肢は自然と消えるんだけどね。
「まあ、一回だけならな」
「本当か!」
「ああ。んじゃ、案内よろしく」
「任せとけ」
今日配られたプリント数枚を何も入っていないカバンに入れて、席を立つ。何人かに声をかけられたけれどそいつらを適当にあしらいつつ、教室を出た。
「そういえば体操服なんか持ってきてないぜ?」
「それくらいわかってるさ。だから見学だけだよ」
「そっか」
まあ、篤志とはお互いの今日持ってきた荷物を当てられるほどの付き合いだ。愚問だったかな?
「ほら、早く行こうよ」
さっきより少しだけ早足で、グランドの方に向かって歩き出した。
退屈しなさそうな部活なら入っても良いかな? っと少しだけ思いつつ。
とまあ、そんな感じでグラウンドまで来た訳だけれど……。
「……ごめん、帰っていいか?」
「早! 諦めるの早すぎじゃないッ?」
「だってさ……」
見ると、グラウンドの周りを色々な部活の人が入り交じってジョギングをしていて、グラウンドの中では各部活が新入生を確保するためか気合いの入った練習をしている。
「汗と泥だらけの青春なんて送りたくない」
「まて、それは偏見だ! 少なくとも陸上部で泥だらけになることは比較的少ないから!」
「まあ、見学だけだし大人しく隅の方にいるさ」
「ああ、もう。……帰りたくなったら言ってくれ」
中学の時にお世話になった先輩に挨拶してくる。と言って去っていく篤志を見送ってから隅に移動した。サッカーや野球とかと違ってただ走っているだけなのに、どこが面白いのだろうか? 分からない。
ちょっとした疎外感を感じつつもぼーと練習風景を見ていると、
「いっきまぁーす!」
ふと大きな――どこかで聴いたことがある声が聞こえた。
なんとなくだった。
そう、なんとなく声が聞こえた方を向いて、僕は、思わず息を飲んだ。
目に入ったのは、『陸上』と印刷されたTシャツを着た、ロングの黒髪をゴムで一纏めにした長身の女生徒が回り始めたところだった。
回るといっても『グルグル』といった感じではなく、『ヒュンヒュン』と空気を裂くような素早い回転だ。
そして、女生徒は一回転と半分ほど回った所で何か――黒い円盤状の物――を投げた。
綺麗だ……、その女生徒の動きを見て、円盤状の物が描く放物線を見て、偉大な芸術作品を目にしたかのような感動が溢れてくる。
円盤状の物はある程度飛んだところで、安全対策のためだろうか? グラウンドの僕から少しだけ離れた所に張られていた網にぶつかった。そして、するすると滑り落ち、転がり……僕の足下までやってきた。
なんとなく拾ってみる。
固くて、少しだけ重い。表面には1・5kgと記されている。
「君、新入生だよね?」
先程回っていた女生徒――いや、先輩と言うべきかな?――に声をかけられた。
「ええ」
「ああ、やっぱり! 君の周りだけ新入生が座ってなかったから印象的だったんだ」
『先ほどから壇上では一人の女生徒――ロングの黒髪をゴムで一纏めにした長身の少女――が何やら準備をしていたのだが……、』
ああ、思い出した。
「司会をやっていた先輩ですか?」
「そう、その通りさ」
先輩ははにかむ。
「ねえ、少しは陸上――投擲に興味ある」
「まあ、陸上には。友達が中学の時からやってますので。……ただ、投擲の事はよく分からないです」
「そっか……。でも、投擲に少しでも興味持ってくれたら嬉しいな。走るのに比べたら圧倒的に興味持ってくれる人、少ないからさ」
「そうなんですか?」
「陸上部の六割以上が走る人、三割くらいが跳躍――要するに跳ぶ人、んでもって投擲は私一人だけ!」
「…………」
「という訳でさ、今私がやってるの円盤投げって言うんだけど、見学していって少しでも楽しそうと思ったら陸上部に入部してよ」
「……ええ」
「うん、ありがとう。あっと、円盤拾ってくれた事にもありがとう。じゃあ、練習に戻るから。投擲やりたくなったら二年の村氏までよろしく」
シュチャッと片手を挙げて、小走りで去っていく先輩。後ろ姿を見送っていると、入れ違いで篤志が戻ってきた。
「お待たせ。陸上部の先輩と楽しそうに話してたけど、入る気になったの?」
少し不思議そうな、嬉しそうな……面白い表情をする篤志。
「まだ分かんないな」
「そっか」
先輩はまた円盤を投げている。今度は網にぶつかった円盤は僕の方には転がってこない。円盤が僕のいる方とは違う方向に転がっていく度に残念な気持ちになる自分がいる。
「なあ、円盤投げってどんな競技なんだ?」
「……うーん。やった事ないからよく分かんないかな? でも、陸上競技のなかで最も美しい種目の一つだって言われてるらしいね」
『最も美しい種目の一つ』。それは何だか先輩に相応しい気がした。
それと同時に、もっと近い場所で先輩の円盤投げを見たいとも……。
「まあ、入ってみるのも有りかな?」
呟く。
「言うと思ったよ」
「…………」
「顔、いつも以上にイキイキしてるぜ」
敵わないな、篤志には。やっぱり大抵の事はお見通しですかよ。
「別に、ただ何となく退屈しなさそうだと思っただけさ」
でも、せめて言い訳ぐらいはさせてくれよな。
「ん、まあ、そういう事にしておくか」
この日、俺たち二人は揃って入部届けを出した。
『一年・大谷裕樹・陸上部(投擲)』
『一年・立木篤志・陸上部(短距離走)』
「大谷祐樹です。投擲――円盤投げに興味を持ってやって来ました。よろしくお願いします」
目の前には凄く嬉しそうな表情をしている村氏先輩がいる。
体操服を着て先輩に会いに行ったらまさに『狂喜乱舞』といった感じにピッタリ当てはまるような、何と表現していいのか困るリアクションを取られたのだが、やっと会話が出来る程度に落ち着いたらしい。
「うん、入部してくれてありがとう! じゃあ改めて自己紹介。私は二年の村氏夕です、よろしく!」
「よろしくお願いします」
「じゃあ早速、練習をしよう! 出来れば二週間後にあるちょっとした大会に出てもらいたいからさ」
「えっ……素人でも出れるんですか? 大会」
「あはは、ちょっとしたのだから予選とかも無いしね。感じを掴んで貰いたいだけだから」
じゃあまずは体操をするよー、という先輩の掛け声で練習は始まった。
念入りに体操をした後に柔軟体操をする。そして、筋トレ。
「実はこの学校に投擲を教えられる人はいないんだ。だから独学、我流でいくよ」
とは先輩の言葉。
腕立て伏せ。足を浮かせたり、と色々な体勢でやる腹筋。背筋。メディシンボールという少し重めのボールを使ったりもした。…………全部、先輩の半分以下くらいしか出来なかったけどね。
「ハァ……ハァッ……」
「大丈夫、大丈夫。まだ初日だし、じっくり筋肉をつけていこう」
僕は体育の時間を除けば全くと言っていいほどスポーツ関連の事をしないじゃないか。そう思いつつも少し憂鬱になる。
理由は分かっている。男女差別をするつもりは無いが、それでも筋トレを先輩の半分すらこなせなかったことにがっかりしているのだろう。
向こうはスポーツをし続けてきた人で、こっちは全然体を鍛えていないんだし、こんな結果当たり前だろ、なんて開き直ることは出来なかった。
「うん、でも以外だったかな」
「フゥ……、何がです?」
やっと息が整ってきた。
「大谷君ってさ、何て言うか……『面倒だー』って感じのオーラビンビンに出してるのに、練習でも全力を出すんだね」
「……」
「そういう人は強くなれるよ、きっと。私なんかよりずっとね」
クルリと一回転する先輩。その顔はやはり笑顔だった。
その笑顔と言葉のおかげで少しだけ救われた気がする。
「じゃあ、実際に円盤を投げてみようか」
先輩の言葉に頷く。
やり方のイメージとしては、『上手く言えないけれど、手を後ろから前に何度か振った後、ぐぅーっと体を捻って――後ろの方を向くくらい、そのまま力を解放するようにバッて投げる感じ』らしい。
後、投げる場所から扇状に広がる二本のラインの外側に円盤がはみ出てしまえばその記録は無効となる……、といった基本的なルールも教えてもらった。
何回か投げてみてこれは意外と難しいという事が分かった。どう投げても円盤が綺麗な放物線状に飛んでいかなかったのだ。単に実力不足なだけなんだけどね。
先輩は投げ方に違和感があるから少しずつ治していこうと言ってくれた。
初めて円盤を投げた感想を言えば、まあ悪く無い、といったところだろう。
後、残念だったのは、初めてだったので回りながら投げるやつをさせて貰えなかったことかな。
それからは二週間近くの間、今日した事と似たような事ばかりをしていたので割愛させて貰う。強いて言うなら、部活では技術を教わり、家では筋力を鍛えるという行為を繰り返し続けた、程度だろう。そして、僕のデビュー戦とも言えなくも無い、最初の大会日となった。
「いよいよか……」
エントリーを済ませ後は競技の始まりを待つだけ、という所で応援に篤志と先輩が駆けつけてくれた。
「全然緊張してるように見えないな、さすが祐樹」
っと篤志。
「というより、こんな場面でも面倒だー的オーラを垂れ流しているんだね」
とは先輩。
「良いじゃ無いですか、別に。どんなオーラを流そうと」
「多少の緊張感を持った方がいいんじゃないかな? そのオーラのせいで友人関係とか色んな所でかなり損してるとおもうんだけどね……」
というより今友人関係とかは関係ないでしょう。まあ、先輩なりの例だったのだろうけど。
「良いんですよ、自分が本当にやりたいって思った事だけに全力を出せれば、それだけで」
競技をはじめます! 審判の声が聞こえる。
「じゃあ、行ってきますよ」
「おう、頑張れ!」
「ファイト!」
二人だけの声援を受け、審判の元に向かって走り出した。
最初、全員が三回投げ、その中の記録上位者八名が選ばれる。その八名が更に三回ずつ投げて最終的に記録が最も良かった人が優勝。
一投目。
上手く投げれない。円盤は綺麗な放物線を描かず、急激に高度を落としていった。
大抵の人たちは中学生の頃からやっているのだろう。他の人と比べて圧倒的な差が見える。
二投目。
焦ってしまい、手が滑る。歪なフォームで投げられた円盤はラインの外側に出てしまった。はっきり言って不様だ。
何が『全力を出せれば、それだけで』だよ。カッコ悪いな。
自己嫌悪に支配されそうになる。
三投目がもうすぐ始まってしまう……。
「肩が強ばってるよ、リラックスリラックス!」
ふと、先輩の声が聞こえた。
スッ……と頭が急激に冴えていくのが分かる。どうやら自分で気が付かないうちに緊張していたのだろうか? まあ、今はどうでもいいか。
「お願いします!」
三投目。最後の競技だ。しかし、焦りを含めた余分な感情は消えていた。
集中。
「いきます!」
そして、投げた。
その円盤が描いた軌跡はお世辞にも綺麗な放物線とは言えなかった。でも、今までと比べてマシだったんじゃ無いかな?
黒い円盤の軌跡がしっかりと目に焼き付いていた。