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第一話 【出会い】

 ここは都会ではない。朝の駅は通勤や通学の人々でラッシュになるが、衛星都市ベッドタウンのように大きな街でもない。夜の十時ともなれば、駅周辺にある店舗の明かりは消え、駅のホームだけが煌々と光っている。そんな小さな街の駅から五分ほど歩いた場所に僕の店はある。

 店の周りは暗く、人通りも疎ら。そんな中に緑色のネオンだけが光り輝き、この店が営業していることを告げている。


 ――ショットバー。

 日本では、カクテルやウィスキーなどを一杯ずつ提供するタイプの酒場の総称。二軒、三軒とハシゴ酒をした人々が最後の締めに利用することが多い為か、混み始めるのは夜の十時を過ぎた頃からだ。

 僕は夜八時に店を開け、店舗の壁に据え付けられたネオンのスイッチをオンにする。そして、CDが入ったステレオの電源を入れてPLAYボタンを押すと、ウィリアム・ジョン・エヴァンスのジャズピアノが店内に流れた。

 昨日は遅くまで客が残っていた為、片付けをしないで店を閉めた。カウンターには、数個のグラスがそのまま残っている。それをカウンター裏にあるシンクへと下げ、洗い始めた時だ。

『カランコン……』と、入り口のドアに付けてある小振りなカウベルが鳴り、誰かが入ってきたことを知らせてくれる。


「私一人なんですけど、飲ませてもらえますか?」

 そう言って入って来た女性は清楚な感じで、髪は肩に少しかかる程度。歳にしたら、三十二、三だろうか。グレー調のキッチリしたスーツに身を包んでいる。

 初めて見る顔だったが、一見さんお断りではないので僕は彼女を迎え入れる。

「いらっしゃいませ。カウンターの方へどうぞ」

 僕がそう言うと彼女は店の中に入り、辺りを見回しながらカウンターの席へと座った。

「落ち着いた良いお店ですね」

「ありがとうございます。お酒の味を楽しんで飲んで頂こうと、全体的に落ち着いた感じにしてあるんですよ」

 この近辺にはスナックやカラオケバーなどが多く、お酒を楽しむと言うよりは、歌って騒いで楽しむ店が多い。お酒を楽しんでもらう店を創りたかった僕は、飲み屋街から少し離れたこの場所に店舗を構え、全体を落ち着いた雰囲気にした。そのおかげか、年配者の方が多く利用してくれるようになり、最近では接待などにも使われている。


 僕は、カウンターに座って壁に掛けてある数枚の絵を見ている彼女に、おしぼりを手渡しながら訊く。

「お飲み物は何に致しましょう」

 僕の問いかけに、彼女は手を軽く拭きながら言う。

「カクテルを……。お任せでお願いします」

 一口にカクテルと言っても様々だ。ジュース感覚で飲めるものから、すぐ酔いがまわる強いカクテルまである。

「お酒は、お強い方ですか?」

「い、いえ。それ程は強くないです……」

「かしこまりました」と、僕はそう言ってコリンズグラスを棚から取り出す。

 カウンターに肘を付いて手を組んでいる彼女は、少し疲れた感じに見える。僕は、ちょっと甘めのカクテルを作り始めた。

 氷を入れたグラスに、DITAと書かれたライチのリキュールを入れ、生のオレンジを絞り入れる。それにトニックウォーターを注いでステアし、最後にレモンスライスを乗せて彼女に出した。

「おまたせ致しました」

 彼女はそれを一口飲んで言う。

「おいしい! これはなんて言うカクテルですか?」

「お酒が強くないとのことだったので、ディタオレンジをトニックで割らせて頂きました」

「とても飲みやすくて女性にはいいですね」

 そう言って彼女は微笑み、また一口飲んだ。


 彼女はカクテルを口に含みながら、何か思いに耽る感じで遠くを見ている。僕はあえて声をかけず洗ったグラスを丁寧に拭く。

 すると、グラスに入ったカクテルを飲み終わる頃に、彼女が閉ざしていた口を開く。

「ちょっと色々あって、今日は一人で静かに飲みたかったの」

「そうなんですか――」と、僕はグラスを拭きながら彼女の方を見て言った。

「ここに永田さんって来られるでしょ? その人からここを薦められたので来てみたの。落ち着いて静かに飲みたいならこのお店がベストだって――」

 彼女が言った永田さんとは、大手の会社に勤めるこの店の常連客だ。

「どうですか? ご希望の雰囲気の店ですか?」

「はい。とっても」

 そう言って彼女は、残っていたカクテルを飲み干した。


 空になったグラスを握ったままの彼女は、また遠い目をしている。そんな彼女に僕は尋ねる。

「何かお作りしますか?」

「あ、はい。もう一杯だけ、お任せでお願いします」

 そう言うと彼女はグラスをテーブルに置いた。

「かしこまりました」

 僕は、彼女が置いたグラスを手に取りシンクへと下げる。

 彼女の遠くを見るあの目――

 何かを思い出しながら、気持ちが落ちているように見える。それが何であるかは分からないが、僕は先程のカクテルよりも、少し強めでさっぱりとした口当たりのカクテルを作って彼女に出した。

「あ、これもおいしい! さっぱりしてて後口がいいわね」

「ありがとうございます。でも、少し強いお酒ですので飲み過ぎないでくださいね」

 僕がそう言うと、彼女は笑みをこぼす。

「そうね。でも、これでゆっくり寝られそう――」

「そうですか。それは良かったです」

 僕は、先程下げたグラスを洗って丁寧に拭く。彼女はカクテルを飲みながら相変わらず静かに思いに耽っていた。


 程なくして、彼女は二杯目のカクテルを飲み終わり代金を払った。そんな彼女が帰りがけに言う。

「明日もここに来ていいですか?」

 僕はちょっと不思議な感覚に囚われた。面白いと言うか、何故そんなことを聞くのだろうと――

「はい。もちろんですとも。お待ち申し上げております」

 そう言って僕は、タクシーに乗り込んだ彼女に一礼をして見送った。

 彼女は少し話をしただけで、殆ど黙っていたことを気にしているのかもしれない。そんな思いが、角を曲がってタクシーが見えなくなった時、脳裏に浮んできた。

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