五章 尖った手口
“人外”というものが実在することが知れたのは、その認知度に反して割とごくごく最近のことだ。
もちろんそれは人類として、この国としての歴史であり、存在自体は…例えば世界中に散らばる伝説だとか童話だとか、そういったもので遥か昔から存在していたことが簡単に裏付けられる。――“彼ら”が実際に人類の前に姿を表す前は、たかが民間伝承と鼻で笑われていたのだけれど。
とにかく、存在自体確認されてからそう長い年月は経っていない人外というのは、未だ謎が多い。そして未知の悪感情は根深く、語り継がれた悪意は今でもとどまることを知らない。
……それは無論人類からの観点で、興味も嫌悪も好奇心も、人外は人類に対しまるで持ち得ないものだが、だからこそ幻影町がつくられ例え当初の目的とは違えど、こうして今も存在しているわけだ。そして人類の人外に対するそれらは。
……――“正義の弾劾”から1世紀以上が経ち、人々の感情を更に増幅させしかし抑え込ませるきっかけとなった政府瓦解から13年が経った現在も、消えることなく今尚人々の心に連綿と受け継がれている。
*
「ひいぃぃまあぁぁあ」
ごろん、とソファに横になり、天井を見上げて唇を尖らせる。あああああどうしてこういう時に限って俺の忌々しくも愉快な友人たちは訪ねてきてくれないのか。つまらん、実につまらん。暇だ。しばらくむう、と頭の後ろに腕を回したまま黙りこくっていたが、また苛々が増してきてごろんごろんと転がる、転がる。ころが………る?
「ってうぉおおあぁぁ!?ちょ、黄昏ぇ!」
何すんのさ!と俺は慌ててソファから起き上がった。反対側の一人掛けソファに座る黄昏が不機嫌そうに眉を寄せる。
…視界の隅でソファに突き刺さった鉛筆が揺れた。
「……うぜぇ」
それだけ言ってフンと鼻を鳴らすと、さっきまで読んでいた新聞に目を戻す黄昏。わあクール。ちっくしょ、敗因は昨日使ったHBの鉛筆をダイニングテーブルの上に置きっぱにしてたことかな☆?俺鉛筆は2BよりHB派なんだよね。やっぱりあの芯の堅さが良かったのか、革のソファに鉛筆がささっているよ?ささった衝撃で最初揺れて以降、ぴくりともしないよ?直立不動だよ?
………………。
「…じゃなくてぇ!!危ないよ!?ちょお危ない!!ちょ、俺の高貴な御頭が串刺しになるところだったからね!?」
ん?と思って俺が逆方向に寝返りうたなかったら、マジで俺の頭の中心貫いてソファに縫い止められてたからね!?革のソファにざっくりささって鉛筆がぴくりともしないってどういうこと?朝から容赦なさすぎだよ!いや黄昏が寝起き機嫌悪いってのは知ってるけどさ!うんウザいだけじゃなくて俺がふざけて叩き起こしてしかも黄昏のカウンターかわしたから不機嫌なんだよね!!知ってる!
はあぁ、と溜め息を吐いて、ソファにちゃんと座り直す。そのままなんとなくテーブルの上に置いていたハサミと紙を取って、軽ぅく動かす。まったく黄昏には困ったもんだよね。…まぁ、近くにハサミもあったのにそっちをとらなかったあたりに可愛さを感じちゃう俺も大概兄バカというか、弟子バカっつうかって感じなんだけど。
そのままチョキチョキと紙を切っていると、ようやく新聞を読み終えたのか、それとも暇暇言ってる俺に同情してくれたんか知らないけど、黄昏が新聞を脇において呆れたような顔でこっちを見た。
いやもうホント甘いよなぁ、黄昏は。そこが長所でもあるし、俺とか身内に発揮する分には構わないけど…すぐに他人のこと気遣っちゃうんだからさ。
「……お前、ヒマヒマ言ってっけど、修哉の母親の件、ちゃんと調査進めてんのか?」
疑いの目。そりゃそうか。俺にいぃ、まーかーせーとーけーえ!…っつって、俺ってば殆ど自分一人で調査進めてっからね。
「おぅ?あーうんうん、ちゃんと進めてるよぉ。」
「……ホントか?」
「ホントだってぇ。ほら、一週間くらい前にみーちゃんのとこ行ってきたじゃん。一応依頼はおっけーしてもらえたし、明後日か明明後日あたり報告聞くつもりだしぃ。あとはー、うん。ルイルイんとこもねぇ」
そう言いながら腕組みをして頷くと、黄昏は怪訝な顔をした。
「あの人は分かるが…、なんで涙々(ルル)さんも?」
相変わらず清々しいくらいみーちゃんのこと苦手だよね、黄昏は。ルイルイとの扱いの差が激しすぎないかい?言い様はともかく、……顔、顔。
「んー…、ルイルイはねぇ、調査の結果、しゅーやくんのお母さんの失踪に、金持ちが絡んでるっぽいことが分かったからさ。金持ちの裏事情とか、細かいことはルイルイに聞いた方が手っ取り早いし、あと格段に安くつくし」
ま、詳しく分かったら追々話すよぅ、と言いつつハサミを置いて、切り上げた作品を持ち上げる。
ピロピロと紙を広げるのを見ながら頷く黄昏の顔をちらりと横目に確かめると――案の定、違和感ありげな表情をしていて。若干誤魔化されたことには気付いてるだろうけど、そこに突っ込むべきじゃないと悟ってる黄昏は賢い。後でどうせ教えるけどさ。ていうか、まだ確定じゃあないし、ね。
そんなことを考えながら切り絵を広げると、黄昏が微かに目を見開いて、また不機嫌そうに、つかただ単に呆れたように、小さく苦笑した。
「――…こんの、完璧人間が」
わずか五分弱で仕上げた切り絵は、大人と子供が手をつなぐ、凝った造りに仕上がっていた。はっはっはー、そんな褒められると照れ「褒めてねぇよ」……もう、素直じゃないんだから☆
パチンとウィンクをかますと、黄昏が嫌そうに目をそらして手で振り払った。えぇぇえー…と俺が体育座りでいじけていつつ様子を窺っていると、黄昏が目をそらした先にあった分厚い本にふと目を留めて、こっちにポイッと投げてきた。……て、おい!
「はいさすがに今回は難なくきゃっちんぐぅ。……て、うわあ懐かし!」
受け止めた本のホコリを払って見えた題名に、俺は軽く目を見張った。うわこれこんなとこにあったのか。――俺が上手くキャッチしたことにチッて顔する黄昏は、気がつかないフリ見ないフリ。お兄ちゃん悲しいよ?
「…?なんだ、それミカのだったのか?俺はまったく見覚えねぇんだけど…」
おぅ、なんだか不思議そうな顔してると思ったら、そうか。これは黄昏がくる前にどっかになくしちゃったんだったかね。あ、ちなみに、今更だけどしゅーやくんはまだ寝てるよ。朝の7時ですからねー。
「んー、ちゃんと勉強しないと仕事出来ねぇぞっつって、買ってもらった。…懐かしいなぁ」
ペラペラとページを捲りながら呟く。それなり、ていうか百科事典のように分厚いこの本は、人外の図鑑みたいなもん。弱点だとか、特徴だとか、生態だとか。
だけど人類が知りうるレベルでの話で、間違いも未解明な部分も多い。幻影町の解決屋を張る以上、他にもたくさんの知識を経験から知らないと一人前とは言えない。この本の内容はそういったものの基礎段階―…知ってなきゃいけないもんで、俺も暗記させられたもんだ。…ま、一ヶ月ほどで全部覚えきったんだけど、それを言うとまた鉛筆が飛んできそうだから口には出さない。
…………あ、そうだ。
「ねーねー黄昏ぇ」
「あ?」
「これの内容、」
テストしてみない?とにやつきながら本を振ると、黄昏の顔が引きつった。
…ま、基礎知識だし、だいたい覚えててくれなきゃ困るんだけどね。
*
「はーい黄昏くーん、」またまたソファにだるんと寄りかかった俺が本片手に声をかけると、黄昏は少し嫌そうにおう、と返事を返してきた。だけど拒否できないのが黄昏だ。まっじめー。
「透明人間への対処ほーはーぁ」
「…出来るだけ広範囲に、色の付くもんをぶちまける」
合ってる?という感じに黄昏が上目で見てくるけど、俺は鬼ち……スパルタですよ。ニッコリ笑って追撃。
「それらがない場合、もしくは必ず攻撃を当てたい場合はぁ?」
「チッ…、――音波、または衝撃波による広範囲攻撃」
「せーかーい。はい次ー」
「吸血鬼を見分けるポイントぉはぁ?」
「は、え、と…吸血鬼…?牙とか瞳孔、か?」
今度こそ自信なさげな黄昏に、はい残ねぇん、と最後通告。どうやらマジで分かんないらしくて悔しがる気配もない。とりあえず言ってみただけ、て感じ?まぁ、会ったこと無いもんね。たぶん。
「せーかいはぁ、髪ぃ」
髪…?と握った手を顎に当てながら呟いて、黄昏はあぁ、と手を叩いた。
「聞いたことはあるような気ィすんな。確か、白髪、だったか?」
「そぉそ、老いも若きも皆白髪、だよぉ」
だから見分けるのは簡単そうで居て、でも難しい。他はほぼ人と同じなので、髪を染められてしまえば一時しのぎではあるが分からなくなってしまう。だからこそ経験に裏付けられた第六感的なものが重要なわけだけど。
そう説明すると、黄昏は怪訝な顔をして首を傾げた。
「それ、聞いたときから思ってたんだけどよ…。なんで白くなんだ?」
む、いいとこついてくんね。一言で言うことも出来ちゃうけど、ちゃんと説明しちゃろう。
「あぁっとねぇ、まず、吸血鬼は種族間で子供が出来ない、ってのは知ってるよね?」
「ん?ああ」
「よろしい。それでね?」
かくかくしかじか。
まぁかなり怠い説明だし、割愛しちゃいます。簡潔に説明すっと、吸血鬼は種族間で子供が出来ない分、人間との“血の儀式”によって仲間…っていうか、自信の生涯の伴侶を吸血鬼にするわけ。で、その過程で人間の細胞をまったく別物として作り替えてく訳だけど、生物としての生態を変えるくらいだから、吸血鬼の細胞ってのは生命力?が強いんだね。そうすると打ち負かされて死滅した細胞が色を失っちゃう……っつーこと。目はね、元々の色の対義色になるらしいけど、それはあんまり参考にならんし。
……うん?全然簡潔じゃないって?まぁしょーがないよ。俺吸血鬼じゃないし。
「…ってとこ。分かった?」
「へぇ…。あぁ、大体把握した」
「じゃあ良かった。あ、そうそう、吸血鬼はね、種族間では子孫残せないけど、ただの人とは可能らしいよ」
シャーペンをくるくる回しながら俺がそう言うと、黄昏が眉をひくっと動かして、唸るように尋ねてきた。
「……その結果生まれてくんのは、」
「黄昏カオ怖ぁいよぉ。生まれてくんのはただのヒトだからぁ、安心してぇってかカオ戻してぇ。…――生まれた子供は、元服後に種族の中で“審判”にかけてぇ、そこで深層意識を確かめて先のことを決定するんだってぇ。子供が望めば吸血鬼にすることも、ヒトとして生きることもあるんだってさぁ。というか、どうやってそれ調べてんのか、謎過ぎるよねぇ」
いつの間にか身を乗り出していた黄昏はやっと納得したようにうんうんと頷いて、背もたれに体を戻した。気持ちは分かるけど、ね、うん。まぁ多少顔戻ったから許す。
「なるほどな。――…というか、お前それどうやって知っ」
「はい次ー。人狼の見分けポイントはぁ?」
「無視か。…――今度こそ、牙と瞳孔、だろ。犬歯は長くはねぇけど常人より尖ってんのと、瞳孔の奧には本人の目の色に関係なく琥珀色がある。正解だろ?」
ドヤるな。腕を組むな。そう言われると正解って言いたくなくなるな。
「チッ……せーかいだよぅ」
「オイ」
「じゃあ次ねぇ?それと関連しーてーのぉ、人狼と獣人の狼タイプの違い、はぁ?」
そう言って本から顔を上げると、黄昏は呆れたように軽く溜め息を吐いた。当たり前のことを知るのもまた大切なことだよ。
「お前ナメてんのか。本家にソレ聞くとか…ハァ。えぇと、……」
こんなことを聞いても動揺しなくなった。うんうん、まああれから随分経つけどさ、でも気にしなくなったのはやっぱり良かったよね。こんなこと聞く必要ないなんて分かってるけどさ、俺もあの人も心配しとるのですよ。
「……だろ?」
「ん、あぁせーかいせーかい。さっすがぁ」
ふふんと胸を張られる。ぶっちゃけ聞いてませんでした、えぇ。でも珍しく黄昏も聞いてなかったみたいだし、良いではないか、良いではないか。
「…って、何ニヤニヤしてんだ」
「え?いやぁ別にぃ?」割と早く復活?したね。てか、あららら、笑っちゃってた?完璧無意識だわ。いやー何ていうかさ、ドアんとこの気配に楽しくなってきちゃってさぁ……。
と、思いはすれど口にはしない。すると、ガタンと音がして、俺と黄昏は振り返る。そこには、いつの間にか起きていたらしい少年――しゅーやくんが立っていた。
「どーしたの、しゅーやくん。なんか顔色悪いよ?」
青い顔――しているような気がしなくもないしゅーやくんににこりと笑いかけるけど、視線は床に向いたまま。うん、いい加減もう慣れたよ。
「修哉?」
少し離れた位置にいるから、顔色までは分からないのだろうけど、返事のないしゅーやくんに心配そうに声をかける黄昏。
寝起きで水分が足りないせいか乾いた唇を開いてしゅーやくんは、
「――ちょっと具合、が、悪くて」
「あぁ、じゃあそっちのソファに…とりあえず寝とけ」
ドアの方まで歩いてきて、甲斐甲斐しくしゅーやくんを俺の座っているソファに導く黄昏に、俺はゆるりと立ち上がった。
あぁ、ごめんね。でも――…少しぐらいイジワルしても、許されるよ、ね?
――――キミに、真実を語るつもりがない限り。
みーちゃん=情報屋。まぁ、追々。
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ←