三人
「うわっ」
「幼馴染を見て第一声がそれかい? 相変わらず日和は酷いね。まずは挨拶だと習わなかったのかい?」
「そっちだって挨拶してないくせに」
次の日。朝起きて、誰もいない家から出てすぐのところで、朔月と出会った。
どうやら、朔月はわたしのことを待っていたらしい。頼んでいないのに。
「あぁ、確かにそうだね。おはよう、日和」
「おはよう」
でも、それはいつものこと。小学生の時から、ずっと朝はこの調子であり、毎日一緒に学校へ行っていたのだ。
そのたびに、嫌な顔をしたり、舌打ちをしたりして見たのだが、朔月は一度もやめることはしなかった。ほんと、意味が分からない。わたしのどこに、執着する理由があるのか。
「今日はずいぶん早いね。珍しいじゃないか」
「別に。普通」
「またまた、ボクと出会わないように、早めに家を出ようとしただけでしょ。でも、甘かったね。ボクは日和の行動を完全に読んでるから、その程度のことで、ボクから離れることは出来ないよ!」
「はいはい」
正解。でも、成功する確率はかなり低いと思っていたから、驚きなんて何処にもない。そもそも、わざと遅刻しようとした時に、一緒に遅刻するほど朔月だ。この程度で逃げ切れるのなら、とっくの前に逃げきれている。
それにしても……
「朔月、櫛を持ってる?」
「ないけど。急に、どうしたの?」
「はぁ、仕方がない。わたしのを使うから、少し止まって」
今日の朔月はちょっとだけ寝癖があって、無駄に良い顔を台無しにしていた。
別に、わたしがそれを直す義務なんてないんだけど、気が向いたからやってあげる。
わたしは一度リュックを下ろし、その中から何とか櫛を探し出して、朔月の髪にそっと手を伸ばした。
わたしは整理整頓が苦手だから、リュックの中はいつもめちゃくちゃだ。そこから、わざわざ櫛を探し出したんだ。この貸し、絶対に返してもらうから。
「はぁ、相変わら固い」
「アハハ、面白いよね」
「面白くない」
櫛を通すたびに、ふわっと外側へ跳ねる毛先が抵抗してくる。
もともと癖のある髪質だから、寝癖がつくと余計に暴れて、まるで自由奔放な毛束が好き勝手に主張しているみたいだ。
「あ、蝶だ」
「動かないでって言ったでしょ!」
「ごめんごめん」
分かっていたことだけど、朔月がその場でずっと留まることなんて、期待するだけ無駄なことだったんだ。
蝶が近くを漂うだけで、朔月の足は蝶を追いかけてしまう。そのせいで、朔月の髪が櫛から離れてしまい、寝癖を直すのにも苦労する。もう高校生のはずなのに、なんでこんなにも子供っぽいのか。
「はい、終わったよ」
「あ、しっかり直ってる。いつも、ありがとうね」
「一生感謝し続けて」
そうして、わたしたちは高校の方へ歩いていく。昨日と同じ道。でも、まだ慣れない。
朝の空気はひんやりしているのに、隣を歩く朔月はやけに元気で、そのテンションに引っ張られるように、わたしの足も自然と前へ進んでいく。
その間、わたしたちは他愛のない話を続けていく。中学の時、こんなことがあったね。とか、昨日のドラマを見た? とか。そもそも、わたしも朔月も、ドラマを見ないから、何も話すことが出来ないのにね。
「アハハ! ほんと、日和と話すのは楽しいよ」
「どこが楽しいの? 意味わかんない」
「分からなくていいよ。ボクだけが分かっていればいいんだから」
その言い方が、どうしようもなく腹立つ。
でも、腹立つ理由が自分でもよく分からないのが、もっと腹立つ。
そんな時――
「あ、師匠!」
「げっ」
宮城が、てくてくと小動物のように駆け寄って来た。元から小柄なほうではあるけれど、その走り方がより小動物を連想させて来る。
その証拠に……一瞬、耳としっぽのようなものが見えてしまい、子犬のように思えてしまった。
「おはようございます! 師匠。今日も元気ですね!」
「目、ついてる? 宮城と会ったせいで、一瞬で元気がなくなったんだけど」
「アハハ! やっぱり、この子おもしろいね」
朔月は宮城のことを見て笑っているけれど、わたしにとっては、笑いごとでは済まされないのだ。
それに、まだ弟子にすると言ったわけではない。なのに、何で勝手に弟子と名乗っているんだろう。意味わかんない。
けれど、そのような感情に宮城が気付くわけも無く、わたしのことをきらきらとした目で見つめて、心を乱してくる。本当に鬱陶しい。どこか遠くの方に消えて、もう二度とわたしの目の前に現れないでほしい。
そんなことは出来ないって分かっているけど、願うくらいはしていいはずだ。
「宮城、せめて敬語は使わないで。気持ち悪いから」
「はい、わかりました! ……あっ」
「はぁ」
はぁ、宮城は天然だったんだ。知らなかったし、知りたくなかったよ。このタイプは、本当にめんどくさくて、鬱陶しいのだから。
朔月よりは、マシだけど。
わたしは、宮城のことを無視して、歩き出す。そのせいで、宮城が一瞬だけ寂しそうな顔をしたけど、わたしには関係ないことだ。
良くも悪くも、宮城は他人であり、わたしの人生には関係ない。そう思い込もうとする。
「日和、置いていくの?」
隣で朔月が、わざとらしく首をかしげる。
「置いていくよ。勝手についてきてるだけでしょ」
「えー、酷いなぁ。あんなにも、可愛い子なのに」
「そんなに気になるのなら、わたしじゃなくて、宮城と一緒に行けばいいじゃん」
「ふーん、嫉妬してるんだ。可愛いね」
「は? ふざけてんの?」
思わず、低い声を出してしまう。自分でも驚くくらい、棘が混じっていた。
朔月は一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐに口元をゆるめる。
「あー、怖い怖い。それなら、ボクは大人しくしますよ」
「嘘つけ」
でも、わたしは謝ろうとは思えない。だって、悪いのはどう考えても朔月のほうだ。
わたしを煽っておいて、のほほんと笑っているその顔が、余計に腹立つ。
「宮城ちゃん、ボクと一緒に学校に行こう?」
「あ、ありがとうございます。朝比奈、さん」
「ほんと、日和って酷いよねー。これだけ、慕っているのに、全く振り向いてくれないし、ましてや無視して歩き出してしまうなんて。ちゃんと血が通っているのかなぁ」
(うるさい)
ここぞとばかりに、朔月がわたしのことを煽ってくる。
でも、これは反応したほうが、かえって悪い結果になってしまう。だから、無視するのが正解だ。
「宮城ちゃんも、そう思うよね」
「え、えっと……」
「宮城ちゃんも、もっと言っていいんだよ。酷いです! とか、なんで無視するんですか! とかね」
無視、無視。
「あはは……僕には……言えないかなって」
「それは駄目だよ。朔月は、身内には甘いから、思いっきりぶつかって、身内の領域に居座らないと。いつまで経っても、弟子に慣れないよ」
「えっ……じ、じゃあ……な、成瀬さんの……ばか」
……悪口なのか?
おっと、危ない。無視無視。
「おぉ、言えたじゃん。えらいえらい」
「え、えへへ……」
宮城は褒められた子犬みたいに、ほわっと笑う。その笑い声が、わたしの心に染み込んで来る。
「宮城ちゃんは、可愛いね。ほんと、蟻さんみたいに、小さくて可愛い」
「え? 本当ですか!? 僕は蟻みたいに……」
「うん、ほんと。日和の次くらいには」
「あ?」
しまった。思わず反応してしまった。
けれど、これは仕方がない。わたしは、可愛いと言われるのが嫌いなんだから。
「アハハ! 引っ掛かった! 宮城ちゃん、日和には可愛いと言えば、こんな感じで反応するんだよ。可愛いと言われるのが嫌いだから」
「えっ……そ、そうなんですか……?」
宮城はわたしの顔を覗き込むようにして、おそるおそる目を丸くしている。
「……見ないで」
「ひゃっ、ご、ごめんなさい!」
宮城は慌てて視線をそらし、その動きがまた小動物みたいで、余計に腹立つ。
「ねぇ日和、なんでそんなに可愛いと言われることが嫌なの?」
「うるさい」
「昔からそうだよねぇ。褒められるとすぐ怒る」
「怒ってない」
「怒ってるよ。ほら、声が低い」
「……黙れ」
朔月はにやにや笑い、宮城はおろおろして、わたしだけが精神的に削られていく。
朔月は、わたしのことを一番理解している人間だ。だから、こうして、わたしが嫌がることも、的確についてくるのだ。
けれど、この時……警戒するべき人物は他にもいたんだ。
「で、でも……僕は……その……成瀬さん、可愛いと思います……」
「は?」
宮城は顔を真っ赤にしながらも、恐る恐るそのようなことを口にしてきた。
……
……
……
この場合、どうするのが正解なのだろうか。朔月の場合は、煽りの側面がかなり強いから、怒っていい……いや、むしろ怒るべきだ。でも、宮城の場合は、純粋な善意で言っただけであり、これに怒るのは少し違う気がする。
でも、わたしはそもそも、褒められるのが心の底から嫌いなんだ。だから、感謝は絶対にしたくない。
はぁ、仕方が無いか。
碌なことにならないって、分かっているんだけどね。
「宮城、今日の放課後。時間ある?」
「あり、ますけど……」
宮城は、さっきまで真っ赤だった顔のまま、ぽかんと口を開けて固まっている。
そりゃそうだ。わたしが自分から声をかけるなんて、滅多にない。
「よかった。その時間、わたしが貰うから」
「えっ」
宮城の目が、さらに丸くなる。驚きと、戸惑いと、ほんの少しの期待が混ざったような顔。
その反応が、胸の奥に妙なざわつきを残す。
「な、なにを……するんですか……?」
「……なんでもいいでしょ。その代わり、弟子にしてあげる」
「えっ」
宮城の目が、さらに大きく開いた。驚きと、喜びと、信じられないという戸惑いが全部混ざったような顔。
言ってしまった。もう、ここからは引き返せない。でも、それでいい。わたしは、確固たる意志を持って、この選択をしたんだ。後悔なんて、絶対にしない。
「でも、条件は守ってもらう」
「条件……?」
「第一に、敬語を使わないこと。これはさっきも言ったよね。第二に、わたしのことを師匠、および成瀬と言わないこと。日和にして、苗字で呼ばれるのは嫌いだから。第三に、わたしの邪魔をしないこと。これは当然、わたしはわたしの道を行く。誰にも邪魔されたくない。そして最後……第四に――」
息を吸う。言葉を選ぶ時間は、もうない。
「わたしの傀儡にならないこと。自分の意志を持って、前に進んで。わたしは人形なんて、絶対にいらないから」
そう言うと、宮城の目が潤い、でも何よりも明るい笑顔で、頷いた。
「うん!」
「じゃ、さっさと高校に行くよ」
「うん。ひ、日和……ちゃん」
「それでいい」
宮城は、名前を呼んだ瞬間、胸の前でぎゅっと拳を握りしめて、まるで何かを勝ち取ったみたいに小さく跳ねた。
その動きがまた小動物みたいで、わたしは思わず視線をそらす。
そして、それを見ていた朔月は――
「アハハ! あの時みたいに、面白いことが起きそうだ」
と、小さく呟いていた。
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