解けない
「新入生代表、朝比奈朔月です。今日、こうして入学式に立っていることが、まだ少し信じられません――」
あの馬鹿が、壇上でみんなに向けて新入生代表の挨拶をしている。今の朔月は、朔月にしては珍しく真面目で真剣な表情をしていて、そのせいで、周りの人たちが、「あの人カッコよくない?」とか、「一年生代表ってあの子なの? すご……」とか言っている。
けれど、それは朔月の本性を知らないからだ。知ってしまえば、そんなことを言うことが出来なくなってしまうだろう。
……いや、違うか。朔月の本性がバレたとしても、あの顔と雰囲気で、まだ人を魅了してしまうのか。ほんと、見た目がいいから、許されているだけなんだよ、アイツは。
入学式が進んでいく。
校長の話、来賓の挨拶、在校生代表の言葉――どれも淡々と流れていくのに、わたしの意識はずっと壇上の朔月に引っ張られたままだった。
(ほんと、見た目がいいから許されてるだけなんだよ、アイツは)
そう思っているのに、胸の奥がざわつく。
朔月の本性を知っているわたしだけが、このギャップに振り回されている気がして、なんだか悔しい。
(しかも、それなのに、なんでわたしを巻き込むんだろうか。わたしじゃなくてもいいのに)
そう思った瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
わたしじゃなくてもいい――そう言い切れるはずなのに、言い切れない自分がいる。
「……はぁ、別のクラスになれば、こんな風に悩まなくていいんだ」
小さく零した溜息は、ざわめく会場にあっさりと飲まれていく。入学式が終わるのを待ちながら、わたしは膝の上で手を組んだ。前を向いているふりをしながら、頭の中では同じ言葉がぐるぐると回っている。
離れたいのに、離れたくない。巻き込まれたくないのに、巻き込まれたい。
そんな矛盾を抱えたまま、わたしは静かに入学式が終わるのを待っていた。
「おつかれ、朔月」
入学式が終わると、わたしは真っ先に朔月に声をかけた。もちろん、わたしは朔月のことが嫌いだし、関わらなくていいなら関わりたくない。むしろ、関われば関わるほど面倒事に巻き込まれるのは、長年の経験で証明済みだ。
――だけど。
壇上で、みんなの前で話したのは事実だ。
あれだけ多くの人の視線を浴びながら、堂々と立っていたのも事実だ。頑張った人には、それ相応の言葉くらいはかけてやるべきだと、わたしは思ってしまう。
「ハハッ、ボクの演説を聞いて惚れ直したかい?」
「元々、惚れてない」
うん、いつも通りで大丈夫そうだ。それに、何かをやらかさないかなと心配だったけど、さすがの朔月も自重していたらしい。
中学の時の朔月だったら、きっととんでもないことをやらかしてたんだろうけど、高校になって、やっと落ち着きというものを手に入れたようだ。これなら、きっとわたしは平穏に暮らせる。
「そう言えばさ、こんなのを拾ったんだよね」
「なに、どうしたの?」
すると、朔月が急に変なことを言いだした。その手には、折りたたまれた小さな紙がにぎられており、何かとっても嫌な予感がした。
「それ、なに……?」
恐る恐る尋ねると、朔月は表情を変えずに答えてくれた。
「校長のスピーチのカンペ。校長のポケットの中に落ちてたから拾ったんだよね」
「それ、盗んだんじゃ……」
「そうともいう」
そうともいうって……コイツ、校長のカンペを盗んでいたの? 確かに、校長が何故かおろおろしていたし、話はとっても短かったけど、そんな理由だったなんて。
というか、いつ盗んだの? 朔月は、一度も校長と話していないはずなのに。
「いつ、いったいどこで?」
「壇上ですれ違った時に拾ったんだよね。どんな話なのかなと思ったんだけど、すっごく普通でつまらない。はぁ、校長ぐらいのカンペなら、もっと面白いと思ったのに」
朔月は落ち込んでいる。
どうやら、そのカンペの内容が予想通りなもので、心底つまらないと言いたいらしい。今するべきことは、もっと別のことなのに。
「朔月、人のモノを盗むのは悪いことだと理解しているよね?」
「当然じゃないか。人のモノを盗む、それは泥棒がすることだよ」
「……それが分かっているのに、なんでそんなことをしたの?」
「日和はわかってないなぁ。これは、校長のポケットから拾ったんだよ。盗んでなんかない」
朔月は、悪びれている様子がまったくない。そもそも自分が責められる理由など、これっぽっちも存在しないと思っているらしい。
その行動で、迷惑をかけられている周りのことも、少しは考えてほしい。
「馬鹿なの!? そんな言い訳で、許されると思ってるわけ?」
「うん、そうだけど」
「そうだけどって、アンタね……」
「それに、つまらないと思わない?」
朔月は、拾ったカンペをひょいと指先で弾き、次の瞬間には遠くへ放り投げていた。
まるでゴミでも捨てるみたいに軽い動作で。
「校長は、きっと来年も、再来年も同じようなことを言うんだよ。それって、本当につまらない。たまには、刺激を与えてあげないと」
見るものすべてを魅了するような顔で、心底楽しそうに言った。その無邪気さが、逆に腹立つ。
朔月はいつもこうだ。刺激だの自由だのと口にして、周りを自分のペースに巻き込み、振り回し続ける。自分の行動が誰かに迷惑をかけているなんて、考えたことすらない。悪意がないぶん、余計にタチが悪い。
しかも、面がいい。そのせいで、多少のことなら笑って許されてしまう。朔月の両親も、朔月のことを溺愛しており、怒るところなんて見たことが無い。
だから、その性分が改善されることなど一度も無く、どんなに注意しても、治る気がしない。
しかも、最も意味が分からないのは、朔月は甘やかしてくる人たちよりも、注意をするわたしの方を気に入っているのだ。本当に、意味が分からない。
「あっそ。なら、わたしに迷惑をかけないようにして」
「無理だよ。だって、ボクは日和のことを気に入っているんだから、何があっても離れることは無いよ」
「うるさい」
そうして、わたしは朔月に背を向けて、自分のクラスの方に歩き始めた。もう、コイツと関わるだけ無駄だ。わたしの望む平穏を得るためには、コイツと関わってはいけない。
でも、それはわたしだけの意志。どれだけ拒絶しても、朔月は引いてくれない。
「ごめんごめん、謝るよ。だって、日和のことは好きだからね」
「はいはい、そうですか。勝手にすれば」
何度も聞いた言葉を受け流すと、朔月は早歩きでわたしの傍までやって来て、わたしを追い越し、前を塞いでくる。本当に、鬱陶しい。
「邪魔なんだけど」
「せっかくの可愛い顔なんだから、眉を顰めないでよ。怒ってる顔も可愛いけど、笑ってる顔の方がもっと好きだよ」
「……はいはい、結構です。そこ退いて」
「照れてる?」
「照れてない!」
朔月は、無駄に顔が良いんだ。そんな相手に、可愛いと褒められてしまったら、照れるのも仕方がないことだろう。
でも、それはそれ、これはこれ。わたしはわたしの平穏を手に入れるために、コイツから離れないと。
「はぁ、仕方がないなぁ。これからは、他人の物を拾わないと約束するよ」
「その表現がムカつくけど、本当のことなの?」
「もちろん、幼馴染の顔に免じて、誓ってあげるよ」
凄く上から目線だったけれど、そこまで言ってくれるのなら、許してあげてもいい。
わたしに迷惑をかける点を除けば、わたしは朔月のことをそこまで嫌っていないのだから。
「はぁ、いいよ。誓ったのならね」
「よし、それじゃあ、どのクラスなのか確認しに行こうか。あ、これは貰っておくよ」
そうして、朔月はクラスを確認しに向かった。
けれど、その手の中には、いつの間にかわたしの家の鍵が握られており、今この瞬間に盗まれたことは確実だった。
「えっ、誓いは?」
「これは(勝手に)貰ったんだよ! 拾っても、盗んでもない!」
「あの……ばかやろう」
朔月はクラス表の方へ歩き出しながら、指先でわたしの家の鍵をくるくる回していた。
完全に盗っているはずなのに、本人はまるで悪びれていない。
「そんな言い訳で……」
「返してほしければ、早くこっちに来なよ!」
「ちっ、あの馬鹿……。さっさと返せ!」
そうして、わたしは走って朔月のことを追いかける。それを見て、朔月はまた楽しそうに笑う。
「ほら、来てくれた」
「鍵が大事だからでしょ!!」
「うん。でも、日和が来てくれたのは事実だよね?」
「うるさい! 返せってば!」
朔月は鍵を背中に隠し、さらに一歩後ずさる。
「捕まえられたら返すよ!」
「待ちなさいってば!」
わたしは息を切らしながら、朔月を追いかける。
朔月は笑いながら、わざとわたしの手が届きそうで届かない距離を保つ。
「日和、がんばれー!」
「うるさい!! 止まれ!!」
校舎の廊下に、わたしの叫び声と朔月の笑い声が響く。
――こうして、わたしの平穏な高校生活は、初日から遠のいていくのだった。




