信頼(表)
「宮城、嫌じゃなかった?」
「う、うん。朔月さんのお母さんは優しかったし……オセロも楽しかったから」
「そっか、それならよかった」
わたしは、宮城と二人で夕暮れの道を歩いていた。
この時間は、人通りが少なく、道にいるのはわたしと宮城だけ。空はゆっくりと夜に向かって沈んでいき、街灯がぽつぽつと灯り始めている。
その光が、宮城の横顔を淡く照らしていた。
「……」
わたしたちの間には、沈黙がずっと座っている。
正直、何を話したらいいのか分からない。気まずいわけじゃないけれど、話題を探すほどの余裕もない。
(……まあ、無理に話す必要もないか)
そう思って前を向いた瞬間、宮城が小さく息を吸う気配がした。
「あ、あの……日和ちゃん」
「なに?」
「あ、え……」
わたしの声を聞いて、宮城が少しだけ目を逸らした。もしかしたら、わたしの言葉が鋭かったのかもしれない。もし、そう思われているのなら、反省しないと。
でも、今のはどのように返すのが正解だったのだろうか。今まで、朔月との言い合いくらいしか経験していなかったせいで、敬語を使わないと喧嘩腰になってしまう。……本当に、どうしよう。
「ごめん、ちょっときつかったかも」
「う、ううん。大丈夫、気にしないで」
わたしが謝ると、宮城はすぐに首を振って否定してくれた。でも、怯えさせたのは事実だ。
でも、怯えさせたのは事実だ。その証拠に、宮城の歩幅はさっきよりさらに小さくなっていて、わたしの後ろをついてくる足音も、どこか頼りなかった。
(だから、人と関わりたくないんだよ)
人と関わりたくない理由は数多く存在するが、相手に気を使わなければならないということは、その理由の一つでもある。
一応、社会に出る時に備えて、敬語を使えば必要最低限の会話が出来るようにしているのだが、このような敬語を使えないプライベートな話となると、一向に出来る気がしない。
「それで、何を話したかったの?」
「あっ、それは……朝比奈さんの家族と、どんな関係なのかなって」
「そっか。会ってもらっただけで、詳しい説明はしてなかったよね」
そう言えば、宮城にちゃんと話したことはなかった。
朔月の家に連れて行ったのも勢いだったし、わたしたちの関係を説明したことは無い。確かに、これは責任を果たしてないな。
「朔月の家族は、第二の家族って感じなんだ。わたしの両親は共働きで、両方とも家に帰ってこないことなんてざらにあるか、その時に何度もお世話になった。一緒に過ごした時間なんて、もしかしたら美咲さん達の方が長いんじゃないかな」
「えっ、そこまで……」
「まぁ、出会ったのは小学四年生の時だから、実際には実の両親の方が長い思うけど」
それでも、小学四年生より後のことだけを考えたら、美咲さんたちと過ごした時間の方が、きっと長い。
数えきれないほど晩御飯を一緒に食べて、数えきれないほどお風呂に入らせてもらって、何ならお泊まりした日を全部足すと、一か月なんて軽く超えているはずだ。
もちろん、実の両親にも、ちゃんと愛されているとは思っている。
放任主義というか、仕事が忙しいというか……あの二人なりの距離感で、わたしを大事にしてくれているのは分かっている。
でも――
わたしの生活の隙間を埋めてくれたのは、いつだって美咲さんたちだった。
寂しいとか、心細いとか、そんな言葉を使うのも嫌だけど、あの家に行けば誰かがいて、温かいご飯があって、当たり前みたいに迎えてくれた。
「ま、そんな感じだよ」
「そうなんだ……。あれ……それだとしたら、朝比奈さんとは、幼馴染と言う関係だけじゃなくて、姉妹みたいな感じなの?」
「姉妹……確かにそうかも。……まぁ。姉妹と言っても、心の底から気が合わないし、アイツの方が誕生日が早いってことが気に食わないけど」
「ははは……」
案外、良いことを言う。その視点は、今までになかった。
わたしにも、朔月にも兄弟がいないから、本当の兄弟ってものを知らないけど、たぶんその関係がしっくりくるのだと思う。
でも……
「うん、やっぱり……あんな姉はこっちから願い下げ。この関係は腐れ縁で、姉妹みたいなものじゃないよ」
「え、でも……」
「だいたい、いつも朔月はわたしに迷惑をかけてばかりで、わたしのことを少しも尊重してくれないんだ。わたしが本を読んでいる時すらも、毎回のように邪魔してくるし、一緒に寝ている時ですら、寝相が悪すぎて、わたしの睡眠を妨害してくるんだ。朔月のいいところなんて、どこにもない」
愚痴があり得ないほど出てくる。でも、この愚痴で全部と言うわけじゃない。こんなのはまだ氷山一角で、ため込んでいるモノはまだまだ残っている。だから、朔月の悪口なんていくらでも出てくる。言おうと思えば、三日は余裕で潰せる自信がある。
これほどの思いを抱えているんだから、わたしたちが姉妹のような素晴らしい関係であるはずがない。良くも悪くも腐れ縁、それ以上の関係だと言うのは、絶対にありえない。
「仲、いいんだね」
「はぁ?」
「あぅ……ご、ごめん。でも、僕にはそこまで心を許せる人はいないから」
宮城は慌てて手を振りながら、視線を落とした。その仕草はいつものように弱々しくて、でも、言葉だけは妙にまっすぐだった。
心を許せる……確かに、その言葉は正しい。癪だけど、わたしの一番の理解者は朔月だし、朔月の一番の理解者はわたしなんだ。それについては、断言できる。もし、私の方が朔月を理解していると言える人物がいるのなら、目の前に出てきてほしい。トラウマを植え付けてあげるから。
「僕は……少しおかしくて、みんなに否定されてばかりだったんだ」
宮城は、ぽつりと自分のことを話し始めた。その声は弱々しいのに、どこか覚悟を決めたような響きがあった。
「悪いことを言うけど、その風景はイメージしやすいよ」
「だよね。両親からも、よく心配されてる」
宮城が、苦笑しながら、足元のアスファルトを見つめた。
その表情は、いつもの怯えた顔とは少し違っていて、諦めと、慣れと、ほんの少しの寂しさが混ざっていた。
「幼いころから、植物と昆虫に接する方が好きで、クラスメイトたちから馬鹿にされてた。気持ち悪いとか変とか……そういうの、ずっと言われてて。それが嫌で、さらに植物と昆虫にのめり込んでいって、しまいには誰とも関わることが無くなってた」
宮城は、言葉を選ぶようにゆっくりと話した。夕暮れの光が弱くなっていくのと同じ速度で、宮城の声も静かに沈んでいく。
「このままじゃ駄目だってことは分かってたし、何よりも寂しかった。だから、中学生になった時、植物と昆虫から離れたんだ」
「宮城が?」
「……うん。あれだけ好きだったのにね」
それは、かなり意外なことだった。昨日、宮城が昆虫について語っていた時は、目を輝かせて、息を弾ませて、まるで世界で一番好きなものを見つけた子どもみたいだったのに。
「そうしたら、少しは話せる人が出来たんだよ。……でも、そんなのは幸せじゃなかった。好きって気持ちは捨てられなくて、毎日がただ空虚になっただけ。……だから、僕はまた、植物と昆虫を取って、人と関わることを捨てたんだ」
「そうなんだ……。でも、宮城は……」
「うん。人と関わることを捨てたとは言っても、周りから変な目で見られるのは苦しくて、耐えれなくて……でも、そんな時に、日和ちゃんを見つけたんだ。日和ちゃんは、他人の目を気にせず、自分の世界だけで完結していて、そんな生き方をしてみたいと思ったんだ」
「そっか」
弟子になりたい理由は聞いていたけど、その原点となる過去は知らなかった。今までは、宮城の過去に興味は無く、弟子にしたという責任を果たすために動いていた。けど、これからは……
(そんな考えが、普通なんだろうね。羨ましいよ)
わたしは良い人ではない。どちらかと言うと、人でなしの方がより近い。
だから、宮城の過去を聞いても、親身になろうとは思えなかった。酷いことだとはわかっている、冷たいってことはわかっている。でも、それがわたしの本質だから、仕方が無いんだ。
「えっと、ここが僕の家……」
宮城が立ち止まり、控えめに指さした。
小さな門灯がぽつりと灯っていて、家の輪郭だけが夜に浮かんでいる。
「なら、ここまででいい?」
「うん」
そもそも、わたしが宮城と歩いていたのは、宮城を家まで送るためだ。だから、もう一緒に話す必要は無いし、ここで区切りをつけるのが普通だ。
「……今日は、その……ありがとう」
「それは、こっちのセリフだよ。じゃあ、また明日」
その言葉を最後に、別れようとした。
足を半歩だけ前に出した、その瞬間――
「宮城」
気づけば、わたしは宮城の名前を呼んでいた。
「どうしたの? 日和ちゃん」
宮城が振り返る。街灯の光が、彼の瞳に小さく反射して揺れた。
(……なんで呼んだんだろう)
自分でも理由がわからなかった。呼ぶ必要なんてどこにもなかったし、言いたいことがあったわけでもない。
ただ、気が向いただけ――そう言ってしまえば簡単だけど、それだけでいいのかどうか、自分でも判断がつかなかった。
(まぁ、いいか。せっかく気が向いたんだし、責任もあるんだから、言ってもいいよね)
「宮城は、自分を貫きたいんでしょ」
「う、うん」
「わたしは、宮城のことを認めているから」
すべての人間に好かれるなんて、絶対に不可能なことだ。特に、わたしや宮城のような人間にとっては尚更。
だから、全員に好かれる必要はない。誰か一人でも、自分を理解してくれる人に出会えたら、きっとそれだけで自分を保つことが出来ると思う。
これは、あくまでわたしの考えだから、宮城にも当てはまると断言できないけど……でも、もし宮城が誰かに理解されたいと願っているのなら――その誰かの一人くらいには、わたしがなってもいい。
わたしらしくない発言だってことは分かっているけれど、言うべきことだと思ったから言っただけだ。そのくらいの優しさは、わたしにも、あるんだから。
「日和ちゃん……」
「ま、わたしだけじゃなくて、朔月も認めてると思うよ。だって、家に案内するくらいだし」
そう言うと、宮城は目に涙のような物を浮かべ、瞬きを何度か繰り返した。
泣くつもりなんてなかったはずなのに、こらえきれない感情が込み上げてきた――そんな顔だった。
「……うん。ありがとう、日和ちゃん」
声は震えていたけれど、必死に抑え込んでいるのが分かった。わたしはその様子に少しだけ気まずくなって、視線をそらす。
別に、感謝されるようなことはしていない。ただ、思っていることを言っただけだ・
「じゃあ、本当に……また明日」
「うん。また明日」
そうして、わたしは宮城から背を向けて、わたしの家に向かって歩き出した。
居心地が悪い。感謝の感情を向けられるぐらいなら、わたしは悪感情を向けられたい。だって、その方が、無視しやすい感情なのだから。




