1982年:地底都市への入り口は、エロ本自動販売機の裏。
2026年、エロへのアクセスは実に容易だ。
タッチ一つ、スワイプ一つ。
1982年、パソコンや携帯電話が普及する13年前、ビデオ普及まであと3年。
少年の僕がエロにアクセスするのは実に難儀だった。
そんな中、僕の妄想を膨らませたのがエロ本自動販売機。
昼日向は直視する事さえままならない。
人道通りの無くなったよる夜中、煌々と光るそれ。
囲いがしてあれば良い方で、剥き出しで設置されている事も少なくない。
暗闇に乗じて近づこうものなら、その絞り出された光に全身を隈なく照らされて
危険極まり無い。
これは夢と希望と憧れが詰まった鉄の箱、それにまつわる物語。
その日僕は、それからの誘惑が極限状態に達していた。
そして、思い余ってそれに昼間近づく事を決行した。周囲を警戒しつつ早足で
2度、3度往復を繰り返し、目ぼしいエロ本を脳裏に焼き付けた。
濡れた白いTシャツ、ノーブラでツンと上を向いた胸、乳首の部分が膨らんで
いて、物憂げな表情で僕を見ている。
値段は450円、消費税の無い時代ではあったけれど、お小遣いが月2,000円の
僕に取ってはかなりの額だ、でも気持ちは変わらず。
明日、夏休み初日に決行する事にした。
夏休み初日の部活動、炎天下での練習はやはり堪える。
僕が今夜決行する一大イベントの作用からなのか、部活動で一緒になる親友達が
少し子供に見えた。
昼間の練習でクタクタになったので夕飯後、布団でひと眠り。
夜の帳が訪れ家族が寝静まった深夜、細心の注意を払い家を抜け出した。
まず、ここで注意する事がある。
補導だ。
4組の大崎君は夏休みが始まる嬉しさで、浮かれ気分で夜中にほっつき歩いて
補導された。警察と父親の前で、わんわん大泣きしたそうだ。
言わせてもう、僕の様な大義名分が無いからだと。
湿気を帯びた生暖かい風がそよそよと吹いている。
周囲を警戒しつつそれに向かう。
幸いな事に、今のところ警察や補導員はいない様だ。
遠くで暴走族がバイクを噴かす音が聞こえる。
僕は、昼間確認しておいた定位置に腰を下ろし、身を潜めた。
暗がりの中、街灯の僅かな明かりを頼りに、手の中に収めたお金を確認する。
100円玉が4枚と10円玉が5枚。手にじっとりとかいた汗が金属の匂いを
漂よわせる。
ふと、脳裏をよぎる不安。今更だが50円玉が良かった・・・10円玉4枚分を
それに投入する時間が命取りにならなければ良いのだが。
静まり返った通りや家々、身を潜めた定位置から見るそれは、近い様で遠い。
少しの躊躇の後、よし! と意気込みそれに近づく。やばい! タイミング悪く
自転車がやって来た。酔っ払いだ。僕は慌てて引き返す。
再度定位置に戻り、次の機会を伺う。
すると、夏の湿った生暖かいそよ風に乗り、洗い立てのシャンプーと石鹸、僅か
にフレッシュな青葉の香りがブレンドされた、とてもいい匂いが漂った。
咄嗟に後ろを振り向く僕。その瞬間、僕の真横を通り過ぎるその人。
その人は、真っすぐそれに向かってい行った。
その人は、それが搾り出す光に、容赦なく照らされている。
細身で白い半袖のセーラー服で、胸の谷間が強調されている。袖から出ている腕は
白くしなやかで適度に鍛えられている。
くるぶしまである長いスカート。だけどヒップの位置は高く、下半身のスタイルの
良さと、しなやかさを想像させるに難くない。
闇夜の中、それから搾りだされた光が、生暖かいそよ風になびくその人の長い黒髪
を照らした。それが作り出す光と影のコントラストが艶めかしさを付与した。
・・・・・僕の鼓動は高鳴った。
その人は、それの何かを確認している。おもむろに左腕の時計に目をやり頷き、それの裏側に回り込んだ。そして、僕の視界から消えた。
僕は、暫く様子を見ていた。その人はそれっきり出てこなかった。
僕の興味はそれの中身から、それの裏に消えたその人に移っていた。
可笑しなもので、僕にとっての夢の箱が、ジュースの自動販売機と同列の格付けに
なり下がった。
もう辺りを警戒する事は無い。スタスタと近づき、それの裏をまじまじと見る。
2階建ての小さな花屋、それはL字型の外壁沿いにすっぽり収まっていて、裏に
回ると反対側へは抜け出せない。
人1人がやっと入れる隙間、外壁にひん曲がって取り付けられた防水コンセント
から電源を取っている。おかしなところは何も無い。
あの人は・・・清潔と色香を僕の脳裏にしっかり焼き付けて忽然と姿を消した。
翌日の部活動、僕には2人の親友がいる。かっちんと信ちゃん。同じ部活で日々
汗を流している。隠し事は無しだ。意気揚々と2にその人の事を話したら、すぐに
意気投合した。
そして、次の日から張り込みが始まった。夏の暑い盛り、1980年頃から販売が
始まったスポーツドリンクはポカリスエット派と、それより4年ほど前から販売が
開始されたゲータレード派に分かれていた。
僕はゲータレード派、2人はポカリスエット派だ。
プラスチックの長いボトルに、長い透明のチューブが付いている。
僕たちは1年生なので部活動には持ってい行けない。
持ってい行けば1年の癖に生意気だ、と言う具合になるからだ。
スポーツドリンクを飲みながらああでも無い、こうでも無い。楽しかったのは最初
の内で、3日経った頃には信ちゃんが脱落し、7日目にはかっちんが脱落した。
無理も無い。その人が実在し無ければ、僕の妄想に付き合ってくれた事になる。
季節は夏を過ぎ、秋になり、冬を迎え、そして春になっていた。その頃の僕は
半ばあきらめムードを漂わせていた。それの裏に回った様に見えたけどそもそも
それ自体が見間違えだった?
その人が再び姿を見せたのはそんな時期だった。
これを最後にしよう、そう思いながら僕は2週間振りに張り込んでいた。
張り込みを始めた矢先、その人は突然それの裏から出て来たのだ。
僕は目を疑った。
その人は、何の迷いや躊躇も無く、僕の方に向かって真っすぐ歩いて来たのだ。
そして、僕の前で立ち止まる。手には飴玉が1つ、それを僕に渡すとにっこり微笑
んで去って行った。
バレていた。だとすると、一体いつから?
僕は、恥ずかしさでいっぱいになった。でも何で飴玉をくれたのか? その飴玉を
よく見ると、透明なプラスチックの包み紙に、数字が書いてあった。
27。日にち? 時間?・・・27日の27時、僕はこの読み方に掛けた。
当日を迎えた。もう張り込む事はしない。堂々とそれの横に立った。
時刻は午前3:00、その人が姿を現した。僕が、その人を初めて見た時と同じ
服装。恥ずかしくて直視できない。僕はうつむいてしまった。
「君、あたしに興味あるの?」
低めで少し鼻に掛かった艶のある声。
「・・・うん」
頷くのが精いっぱいの僕。
「じゃー、一緒に来て」
僕とその人は、狭いそれの後ろにぎゅっと詰まりながら並んだ。
僕はその人の体温を感じながら、同時にその人のいい匂いに包まれた。
午前3:10、それの裏の四方に亀裂が走りカチャッ、と小さな音を立てた。
その人がそれを押す。キーッ、小さな音と共に扉が開いた。真っ暗な闇、下から
少し硫黄臭い僅かな風が吹き上がっている。
説明のつかない光景に、言葉を無くしている僕。
「地下都市への入り口なの・・・落ちない様に気を付けて。それから今日見た事は
2人だけの秘密だよ」
「あのっ・・また会えますか?」
その言葉を言うのが精いっぱいの僕だった。
「うん・・でも、どうかな?」
その人は、ニコリと優しく微笑み、暗闇の中に消えた。
気が付くとそれの裏側は、自動販売機然とした形に戻っていた。
あれから3か月が経ったある日の事、それを自動販売機業者がトラックに積み
む作業をしているのに遭遇した。慌てて駆け寄る僕。
理由を聞くと、少年がウロウロしているのが度々目撃されたので、撤去してほし
い旨、近隣から苦情が出たらしい。
僕の事を誰かが見ていたのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。
僕は、自動販売機業者がそれをトラックに積み込む作業を見ていた。
手際よくクレーンを操り、それにロープを掛ける。
そして積み込みが終わった。走り始めたトラックが僕の淡い恋心を乗せて静かに
走り去ってゆく。それが置いてあった場所にはそれの跡だけが残された。
あれから幾年月が流れた。僕は、妻も子供もいるいい歳のおやじになった。
そして偶然にも、数十年振りにその人を見かけた。
小柄だけど意思が強そうで利発そうな若者と、仲良く寄り添っている。
その人は、当時のままの姿・・・・・
その人は、不思議の国の住人・・・・・
2026年エロへのアクセスは、実に容易だ。
タッチ一つ、スワイプ一つ。
でも思う。心を動かす冒険譚はきっと始まらない。
おわり




