1、奴隷少年は買われる
僕は、夢を見る。
毎日毎日、誰かに名前を呼ばれる夢。誰が呼んでるのかもわからないし、正直男女も曖昧だ。たぶん男だとは思う。無視すれば良いのに声を聞くと起きなきゃと毎回考えさせられる。だって、あまりにも、悲痛で切羽詰まった声なのだ。どうしても僕には無視できない声だった。声はいつも僕の名前を呼ぶ。それは分かるのに、夢の中の僕の名前は今の名前と違った音を持つ。今の名前と似てもいない名前なのに、僕は呼ばれる単語を自分の『名前』として認識している。
(……なんて、言ってるんだろうか。)
深く考えようとしたところで、冷たい金属音でこの夢はいつも覚める。金属が床に当たった音だろうか。嫌に寒気がする音で、夢から覚めた僕はいつも冷や汗をかいていた。寝台から身体を起こして、じんわりと額に滲んでいる汗を袖で拭う。そして、頬に触れてからようやく気が付いたのだ。
(……また、泣いてる。)
意味も分からずに流す涙を、いつもどうしたら良いのかわからないでいる。夢を見ていたことの恐怖なのか、はたまた声の主を想った涙なのか、僕には知るよしもない。だけど、これだけは分かる。僕は、あの声が大好きだった。それこそ、『あの子』のためなら身体を張っても惜しくないほど大好きで、誰よりも深く愛していた。
「…会いたい、な、」
僕の言葉が音になって、叶わない願望だと突きつけられる。僕の生活も運命も、全部、僕に決める決定権なんてないのだから。ジャラッと音を立てながら、足首に繋がっている鎖を見つめて思わず眉を潜めてしまった。この足枷を次に外して貰えるのは一体いつだろうか。この間は逃げ出すと酷い目に遭ったから、もう間違えないようにしないと。生きる意味も、死ぬ目的も、見いだせない僕は本当にどうしようもない。足音が聞こえてくる。もうじき怒声が響くであろうと予想して息を吐き出す。そういうときは感情を遠くに置いてきてしまった方が良い。痛みも、苦しみも、全部感じていたらしんどくなってしまうから。
「おいっ!いつまで寝てるつもりだ!早く起きろ!」
寝台の上に座っていたのを見ていないのかと突っ込みたい気持ちを抑えながら立ち上がる。バチンと意味もなくぶたれて、檻の鉄格子まで引き寄せられると男は媚びへつらった声でコイツですと誰かに述べた。あぁ、僕はまた売られるのか。顔をあげるように首輪を引っ張られ、見上げると随分と驚いた表情の女性が僕を見ていた。見覚えはない。でも、何処か懐かしい香りがする。以前嗅いだことがあっただろうか。それも、思い出せない。
「うちの商品の中では特に珍しい目をしてるんです。ここに来る前に事故で片目を潰し隻眼ですが、良い色でしょう?」
「――…………えぇ。……本当に、良い趣味ね。」
「恐縮です。躾は十分出来てますが、如何しますか?」
「いいわ。言い値で買ってあげる。返品しないから多少色がついても文句は言わないわよ。」
「ほぉ?太っ腹ですねぇ。んじゃぁお言葉に甘えて……、」
お金の話をし始めた二人を遠巻きで見ながら、ここから出られることに少しばかりの期待を持ってしまう。持っていたところで使い潰されて戻されるのが落ちだと言うのに。最初こそ物珍しい色を見込まれて僕を買うものの、使えないなら意味がないと送り返される。隻眼になってからは特にそうだ。うまく視界が纏まらないから僕は仕事でもミスばっかしてる。彼女も同じに違いない。恐らく、期待するだけ無駄だ。かしゃんと音を立てながら足枷が外れると、彼女は綺麗な服を床につけることも厭わずに膝をついて僕の前に屈む。呆然としながら見た彼女の瞳は、泣き出してしまいそうに僕の視界に映った。
「…今、この瞬間から、貴方は私のものになりました。同行していただけますか?」
「…はい。ご主人様。」
今回はどれくらい持つだろうか。そう考えながら手を引かれるまま立ち上がって、彼女に着いていく。久し振りに足枷を外されたせいで身体がうまくバランスがとれない僕を支えるように、彼女の手が僕の肩に置かれる。今までのご主人様はそんな風にしてくれたことはなかった。真意が分からなくて、少し怖い。ちらっとご主人様を見上げると、彼女は心配そうにしながらも優しく微笑んだ。その笑顔に、少し既視感を感じている。でもこんなに綺麗な人を見かけたら忘れるはずがない。久し振りに忙しない心臓に奇妙さを感じながらも、温かい彼女の手に甘えて店の外まで出ると何とも立派な馬車が待たされていた。こんな綺麗な馬車を用意できるなんて、さぞ高貴な方に違いない。バサッと布が捲れる音と一緒に、僕の肩にフワッと温かい風がかかる。先ほどまでご主人様が羽織っていたローブが僕の肩に掛けられているらしい。
「身体が随分と冷たいですわ。それだけでは足りませんでしょうが、中にはブランケットもあるので屋敷まではそれで暖をとってください。」
「………………い、いけま、せん……、…ぼ、僕が、使ったら、汚れ、ます…。」
「問題ありません。汚れを気にするよりも、貴方の方が優先ですもの。さぁ、馬車に乗って。」
終始優しい手に導かれながら彼女の誘いのまま座席に座る。ご主人様の言うことをきかないと何されるのか分かったものじゃない。最初は優しくても少しづつ変わっていくご主人様だっているのだ。僕なんかに無条件に優しくしてくれるわけがないのは分かってる。彼女は横たえた僕にブランケットを優しく掛けると、奴隷商人に用があるから休んでてほしいと笑って馬車をおりていった。やっぱり、何処かで見たことがある気がする。でも、あんなに綺麗な人は僕の記憶の中にいない。考えすぎて混乱してきた。奴隷商人に用事があると言っていたけれど、僕は行かなくて良いのかと考えていると、ゴンッと馬車が揺れるほどの衝撃が来て身構える。今のはなんだろうか。心臓が早くなっていくのを感じて目の前が真っ赤に染まっていく。先程降りていったご主人様の安否を考えると更に震えが襲ってきた。行かなきゃと本能が告げる。
――――『あの子』は、『僕』が守らないといけない。
馬車を降りるために扉に手を掛けると、僕が開けるよりも早く扉が開いた。え、と声をあげたときには遅く、ご主人様の身体にぶつかりそうになっていたのを素早く抱き止められた。なんて素早いと驚く僕に、頭上から優しいけれど驚いた声でどうしたのかと問いかけられた。
「休んでてと言ったのに、何処に行くつもりでしたの?」
「……っお、おっきな、音が、したから……、……ご主人様が、心配で……、…け、怪我とか、してませんか……?」
「――――、……えぇ、してませんよ。優しいのですね。ありがとうございます。」
頭を優しくて暖かい掌が撫でていく。彼女の言葉に安堵して、良かったと述べてから、自分の思考回路に違和感を感じる。どうして僕は会って間もない彼女のために出ていこうとしたのだろう。今までのご主人様を相手にこんな感情を抱いたことなんてない。むしろ、放置しておけば自由になれる絶好の機会だったはずなのに。
「さぁ、話も終わりましたので屋敷に向かいましょうか。あ、ローブはしっかり着ていてください。風邪を引いてしまいます。」
「は、はい…、……あの、ご主人様…、……僕は、奴隷なので、敬語は…。」
「私は私がしたいようにしているだけですわ。貴方に敬語なのも同じことです。」
『――俺は俺のしたいことをしてるだけですよ、師匠。』
「…、……?」
ご主人様の言葉に聞き覚えを感じながらも、深く考える前に寒さでくしゃみがでてしまう。それに慌てたご主人様が僕を馬車に優しく押し戻して座席に座らせると、御者の人に屋敷にまっすぐ向かうよう伝達していた。ブランケットを拾って再度僕の膝に掛けた彼女は、まるで労るように僕にまだ寒いかと尋ねてくる。寒くないと答えてもご主人様は眉尻を下げて心配そうな表情を浮かべていた。本当に寒くない。あの牢に比べれば断然今の方が温かいし、座席もふわふわで痛くないのだ。どんな顔をしているべきなのか分からなくて困っているとゆっくりと馬車が動き始める。揺れに負けて身体が倒れた僕を受け止めたご主人様はより一層心配そうにしていた。
(……不思議な人だ。)
奴隷にたいして敬語を使って、寒くないかと気遣って、倒れそうになると受け止めてくれる。そんな人なんて今までいなかったから、どんな反応をすべきなのか分からない。だけど彼女に触れられることに嫌悪感はない。それどころか、心地よささえ覚えつつあるのだから尚更不思議だ。じっと彼女を見上げてみる。ご主人様は表情を変えることなく心配そうに僕を見ていた。僕の隻眼を厭う人はたくさんいるのに。
「……ご主人様は、」
「?はい。」
「……僕が、気持ち悪く、ないのですか?」
前髪と眼帯で隠しているとはいえ、僕の右側の目玉は何も入っていない。視界に映すと随分と気味が悪いことだろう。別にどう思われても構わない。本当のことだし、僕だって自分が気味悪い。片眼とはいえ、僕の瞳の色は珍しいらしい。鏡がない場所で育ってきたから僕がどんな見目なのかは分からない。最後にご主人様に買われてからどれ程経ったかも覚えてない。覚えられるような余裕もなかった。
「……貴方をお金で買っている以上あまり説得力はありませんでしょうが、気持ち悪いとは全く思っていませんよ。」
「………………、……どうして?」
「どうしてと言われても…。……私が、貴方を気持ち悪く思えるわけがないですもの。」
言われてもよく分からなくて首をかしげると、彼女は困ったように微笑んで今は分からなくて良いと付け足した。聞きたいことはたくさんあるけれど、あまりにも彼女が寂しそうに笑うから、これ以上はいけないと思ってしまった。やっぱり、おかしい。どうして僕は彼女にそんな表情をさせたくないのだろうか。




