十九
十一月上旬。なんの変哲も無い、平凡かつ平穏な平日のこと。
この日の放課後。僕は教室の鍵を返した後、下校せずに校内を歩いていた。
目的はひとつ。図書室である。
そもそも、読書家などと言うと傲慢だが、僕はそれなりに本を読む。活字慣れしていると言うのだろうか。読む本は時と場合で様々だが、気に入った物は何度も繰り返し読むようにしている。
同じ本を繰り返し読むのは、その都度新しい発見ができる気がするから。噛めば噛むほどと言うやつである。根本は、僕の理解力が低いだけなのだろうが。
そんなわけで、僕は図書室に向かっている。休み時間などに、読む本を借りるためだ。
図書室には受付以外に人はおらず、しんと静まり返っていた。こんな時期だから、受験勉強に勤しむ先輩方がいると思っていたので、いささか拍子抜けである。
受付にいるのは、二年生の先輩。彼女は昼休みと放課後、毎日のように図書室にいる。そしていつも何かしらのハードカバーを開いている。
扉を開けた後に気が付いたのか、先輩は僕の方を一瞥するが挨拶はしない。僕も何も言わずに本棚の方へと向かう。
さて何を読もうか。几帳面に並べられた本を物色しながら考える。せっかくなので、自費では買わないような物を読み、見聞を広げて見ようか。
普段、本屋に行っても決してみないような物を探す。社会心理学、人体のコレステロールについての教本。宗教大全や偉人の伝記。正直、どれもあまりピンと来ない。
暫く本棚を眺めながらウロウロして、結局、文庫本の小説を一冊手に取り、受付に向かった。
「お願いします。」
「承ります。」
先輩は淡々とバーコードを通し、本を渡してくる。
「ありがとうございます。」
そう礼を言い、図書室を後にする。
バーコードを通す前に、本のタイトルを確認していたので、知っている本だったのか。話し掛ければ何かしらの会話が発生していたのかも知れない。
しかし、わざわざ話し掛けたところで、どう関係性を築いたものか。今の友人関係に満足しているので、これ以上交友を広めるつもりもない。
下手に接しない方が、お互いに良い。
本を鞄にしまい、図書室を後にする。
「やぁ、お疲れ様。」
図書室の扉を閉めた僕の前に、親しい幼馴染がそう声を掛けてきた。
「どうしたの?図書室に用事でもあった?」
そう聞くと、京香は首を横に振る。
「別に何にも。ただ、樹の靴がまだあったからさ。また図書室かなって。」
「またって、そんなに頻繁に図書室に通ってないけど。」
「頻繁に通ってたじゃん。中学の頃はボクがお昼に誘わなかったら、ひとりで食べてさっさと図書室に行っちゃうんだから。」
「そうだったね。」
中学生だった僕は、友達が居ないわけでは無かったが、深く関われた人は京香を除いて一人もいなかった。
集団に属しながら、僕の心は孤独だった。そんな僕の心の拠り所だったのが読書だ。活字の列に目を通している間は、嫌なことも忘れることができた。
「本を読むのも良いけど、可愛い幼馴染を忘れないでよ。」
「可愛いって言うか、綺麗系だと思うけどね。」
僕たちは肩を並べて、校舎を後にした。
時刻は五時頃。もう少ししたら、暗くなってくる。
「樹さ、来週テスト範囲が出るけど大丈夫そう?」
「どうだろ。最近、真面目に授業を聞いていなかったからね。少しマズイかも。」
「また教えようか。いつも京が邪魔するから、今度は樹の家でさ。」
「毎度毎度、申し訳無いね。何かお礼をしたい話だけど。」
「良いの良いの。気にしないで。それとも、お礼にボクと手を繋いでくれるの?」
彼女はそう言い、僕の顔を覗き込んでくる。
「それは照れ臭いね。幼馴染ができる範疇のことなら、まぁやるよ。」
顔を逸らし、素っ気なく返す。耳が熱い。肌寒い北風も気にならなかった。
「幼馴染ができる範疇ってどこまでかなぁ。」
僕の気持ちなど知らない幼馴染は、空を見上げてそう呟く。
「樹はさ、ボクのお願いならどこまで聞ける?」
「不良グループに喧嘩を挑むくらい。」
「それってどのくらい?大体、樹喧嘩なんてからっきしじゃん。運動神経が抜群に良いわけでもないし。」
「そうだよ。僕は喧嘩なんてできないんだ。多分中学生にも勝てないと思う。」
「流石に弱過ぎないかな?」
「でも、そんな僕が強い相手に喧嘩を挑むくらいの覚悟ができる。京香がお願いするんならね。」
「ふうん。」
京香はふいっと顔を背ける。少しクサイことを言いすぎたかしら。
「つまり樹は、自分を犠牲にできるくらい、ボクのことが大事なんだ。」
「大事だね。凄い大事。」
「好きなんだ。」
「それは分からないね。色恋を経験したことが無いもん。」
「なんだ。つまんないの。」
京香はそう言って、足を速める。早歩きは駆け足になり、あっという間に僕のことを置いていってしまった。
追いかけようとした僕に、彼女が遠くから手を振る。
「じゃあ、また明日。」
その言葉を聞き、僕も手を振りかえした。
「また明日。」




