二
九月の初め。放課後、僕はいつものように教室の施錠をしていた。二学期になったからと言って、やっていた事をやらなくなったり、新しい事を始めたりなんて事はない。
何も変わらない、平穏かつ平凡な高校生活である。
「あ、樹。今から帰り?」
鍵を返して職員室を出ると、幼馴染と鉢合わせた。
「そうだよ。京香は職員室に用事かな。」
「用事ってほどでもないかな。ボクは教室の鍵をね、返しに来たんだ。きみを見習ってね。」
京香はそう言って、右手に持っていた鍵を見せてくる。
「そうなんだ。京香さえ良ければさ、一緒に帰らない。」
「もちろんだよ。ボクの方から言おうと思ってたんだ。」
僕の提案に、彼女はニコリと笑う。笑顔が眩しい。
京香はそそくさと鍵を返して、職員室を出てきた。
「お待たせ。待ったかな?」
「僕も今来たところ。」
「だろうね。さっき出てきたばかりだもん。」
茶番のようなやり取りをしつつ、職員室を後にした。
時刻は午後四時四十五分。グラウンドや体育館からは運動部の声が響いている。校舎を出た僕たちは、特に言葉を交わさず肩を並べて帰路に着く。
「ところでさぁ。」
帰り道の途中、京香が口を開く。
「何かな?」
「今日の昼休みにね、樹を見かけたんだよ。」
「あら、声をかけてくれれば良かったのに。」
僕の言葉に、京香少しだけ押し黙った様子。
「声なんて、かけれるわけないじゃん。」
「え?」
「だってさ……。」
夏の風が僕たちの間を駆け抜ける。大きく深呼吸をして、彼女は口を開いた。
「ボクが出て行ったら誰が樹の一番か、分からせちゃうじゃないか。」
「友情に一番も二番もないでしょ。」
僕の言葉も聞かず、彼女は話し続ける。
「いやね、流石にボクも大人気ないと思ったんだ。だから、遠巻きに見ているだけに留めてたんだよ。正妻の余裕ってやつさ。」
「いつの間に幼馴染から妻になったんだよ。」
恋人の過程を一気に飛ばされて結婚しまった。せめて二人での時間をもう少し楽しみたい。
「二人で一戸建てに住みたいねぇ。どっちかの実家でも良いかもしれないけど。」
「そっちの家だと京くんが居そうだね。」
「確かに、それじゃあ一戸建てか樹の実家だね。料理は交代制で、掃除と洗濯はできれば一緒にしたいな。」
「まず僕たち結婚しないからね。」
「えっ?」
僕の言葉に、京香は目を見開く。予想外だと言いたげな表情だ。未来のことなど分かりっこない。
「大きくなったらボクと結婚するって言ってたのに?」
「言ってたのかな?」
小学生の頃に言っていたのだろうか、記憶にないのだが、軽率な男だ。
「ボクのお嫁さんになるって言ってくたのに?」
「それは言ってないよね。」
明らかな捏造だ。前にも言ったが、どちらかと言えば京香がお嫁さんだろう。
幼馴染が幻覚を見ている疑いが出てきた頃、京香は急に話を変える。
「そう言えば今日、先生に呼び出されたんだ。」
「さっきまでの話は無かったことに。」
「なりません。」
「そうですか。それで、先生に呼ばれるって何かやらかしたのかな?」
「何もやってないよ。いや、何もやってなかったから呼び出されたわけなんだけど。」
「どう言うことかね?」
「部活動対抗リレーに出ろってさ。」
「あぁ、そのことか。でも、京香って中学校でも帰宅部だったよね。」
僕の記憶が正しければ、彼女は部活をしていなかったハズだ。そのくせ、やたら体育の授業で活躍していた印象だ。
「たぶん、一学期の体育測定の結果を見たんじゃないかな。」
「全てを理解したよ。」
京香は体育測定で、運動部顔負けの結果を出したらしい。
「運動部には四あげてボクには三のくせに、ほんとに都合良いよね。」
「体育の成績なんてそんなものでしょ。」
体育の成績は中学生の頃から、そういう節があった。運動部でも、レギュラーメンバーは授業を真面目に受けることなく五を付けられていた。そういうものだろう。
「それで、リレー出るの?」
「断るよ。なんか嫌な感じだもん。まぁ、樹が出るんなら考えるけどね。」
「僕の体育の成績だと、リレーに出る確率は万に一つも無いから断っていいよ。」
「そう、なら良いや。」
話していると、いつのまにか京香の家の前に着いた。
「上がってく?なんならご飯食べていく?」
「いや、せっかくだけど遠慮しておく。明日も学校だし、休みの日にゆっくりお邪魔させてもらうよ。」
「そう、残念。母さんも樹が来るの楽しみにしてるのに。」
「おばさんには、よろしく言っておいてよ。それじゃあまた明日、学校で会えたら。」
「また明日。」
京香に手を振り、ひとり帰路に着く。すっかり日が傾いて、景色が赤い。
ふと見た先に、赤蜻蛉。もうすぐ秋だと実感しつつ、夕陽を背に歩き始めた。




