三十六
長期休暇明けの朝は、どうしてこうも憂鬱なのか。ベッドから起き上がり、スマホを見る。何度も日付を確認して、大きな溜息を吐く。
今日は九月一日。二学期の始まりの日だ。夏休みの終わりを自覚して、嫌になってくる。何かの間違いで八月三十一日を永遠に繰り返さないかと妄想したが、そんなフィクションが都合よく僕の前に現れるハズがない。
しばらく布団の中で都合の良い妄想に耽り、やがて諦めて支度を始めた。課題などは前もって鞄に入れていたし、前日の夜にも何度も確認していたので忘れ物などは心配ない。
時刻は六時五十分頃。憂鬱を抱えたまま、いつも通りに家を出る。行きたくないと思っていても、どうせ行かなければならないのだ。うじうじしている暇があるなら、家を出た方が良い。
この日は運動部の朝練もやっていないようで、不気味なほど静かな校舎に足を踏み入れる。
「あ、雨天くんおはよう。」
玄関で、七咲さんに声をかけられた。彼女は僕よりも数分早く来ていたようだ。
「七咲さん、少しぶりだね。」
「うん、少しぶり。ねぇねぇ聞いてよ。昨日ね、永江ちゃんと買い物に出かけたんだぁ。」
「うん。そう言ってたよね。」
「そこでねぇ、変な人に声をかけられたんだ。」
「変な人?」
「うん、変な人。なんでも預言者様が削ったパワーストーンがどうこうって、二人で慌てて逃げたんだけどね。」
「それは、逃げて正解だったね。」
古いような新しいような詐欺の手法だ。こういうことを思い付く人は、どんな思考をしているのか興味がある。機会があれば一度話してみたいが、ロクなことにならないのは目に見えている。
夏休み明けだからと言って特別な話題があるわけでもなく、ありきたりな話をしながら鍵を借り、教室を開ける。
静かな校舎、静かな教室。聞こえるのは、僕たちの話し声だけだ。
「そう言えば、七咲さん宿題ちゃんと持って来た?」
「持って来たに決まってるじゃん。これでも成績優秀な優等生なんだよ?雨天くんには、わたしがどう映ってるのさ。」
「なんと言うかな、ドジっ子?みたいな。」
「ドジっ子?そんな風に見てたのか。こいつめこいつめ。」
七咲さんは両手で手刀を振り上げ、僕の頭に振り下ろす。
「ちょっと七咲さん。ごめんって、僕が悪かったから。だからその手を止めて。」
「うるさいうるさい。わたしを怒らせたらどうなるか、思い知らせてやる。」
七咲さんはポカポカと何度も手刀を振り降ろす。別に痛くはないが、目の前が騒がしいことこの上ない。
僕たちが戯れ合っていると、教室の入り口から声が聞こえる。
「おはようって、お前たち何やってんだ?」
「あ、武石くんおはよう。今日は早いねぇ。」
「おう、おはよう。それで、お二人さん何やってんだ。」
「今はねぇ、失礼なこの男にわたしの怒りをぶつけてたところだよ。」
「なるほど。いいぞ、もっとやれ。」
こいつめ、後で覚えていろよ。
しばらくポカポカされた後、満足したのか七咲さんは手を止めた。
「今日はこの辺で許してやろう。」
「ハハー、ありがたき幸せ。」
「あの、みんな。おはよう。」
そんな茶番をしていると、永江さんが教室に入って来た。
「あ、永江さんおはよう。」
「永江ちゃんおはよっ。」
「おはよう、永江。」
「うん。おはよう。みんな。」
永江さんは僕たちに向かって改めて挨拶する。
「永江さん、昨日七咲さんと買い物に行ってたんでしょ?何か良い物はあった?」
「おいなんだそれ?俺は聞いてないぞ。」
「だって言ってないもん。昨日は女の子だけでのショッピングだったんだから。」
「それに、武石くん、課題、終わってなかった、から。」
「うぐぐ。」
「まぁまぁ、それで、何か買ったの?」
「ううん、結局、目を引く物は、なかった、かな。」
「靴とか帽子とかアクセサリーとか、色んなお店回ったんだけどねぇ。」
「そう言うのって、一期一会だもんな。今回は縁が無かったと思うしないよな。」
四人しかいないが、賑やかな教室。僕は、雑談している三人に、朝一で言い損ねていたことを言った。
「みんな、今学期もよろしくね。」




