三十三
始めは長く感じた夏休みも、いよいよ後半に差し掛かった八月二十日。この日、僕の家の近所で小規模な縁日がある。僕は京香に誘われて、彼女と待ち合わせていた。
時刻は午後五時。僕は京香の家の前に来ていた。もうそろそろ、彼女が出てくることだろう。
「ごめんね。待たせちゃったかな?」
京香の服装は普段着のまま。密かに浴衣を着てくるかもと期待していたので、いささか拍子抜けだ。いや、僕も普段着のままなので、人のことは言えないか。
「いや、時間通りだよ。」
「なら良いや。それじゃあ、行こっか。」
「そうだね。ところで、京くんは?」
昼過ぎに『縁日に行こう』との誘いがあり、了承したわけだが。伝えられたのは集合時間と集合場所のみで、何人で行くのかなどは伝えられていなかった。なので、京くんも当然来るものだと思っていた。
「京はね、縁日には行くんだけど、友達と行くんだって。」
「そうなんだ。それなら良かった。」
小さい頃は同級生からイジメられていた彼も、一緒に遊びに行く友達ができたのかと、知り合いながら嬉しく思った。
二人肩を並べて歩いていると、京香が突拍子もなく話し始めた。
「京はさ、小学生の頃『学校に行きたくない』って毎日のように泣いてたんだ。」
「うん。知ってる。」
姉に似て顔立ちが整っていた彼は、周囲から好奇の目を向けられていた。男の子からは特に、「男女」なんて呼ばれて揶揄われていたのを覚えている。
「だからね、揶揄ったりせずに一緒に遊んでくれる樹に、すごく懐いたんだよ。樹も小学生の頃はさ、ボクより京と遊ぶ方が楽しかったみたいだし。」
「それはぁ、ほらアレだよ。僕も幼かったからさ、女の子と遊ぶことに気恥ずかしさがあったんだ。でも、京くんを口実にして京香と遊びたかったこともあったんだよ。」
僕が慌てて弁明する様子を見て、彼女はクスリと笑う。
「ふふ、別に怒ってないよ。話を戻すけど、京はきみに感謝してるんだ。当然、ボクもね。」
僕たちの間に沈黙が通りぬけた。何を話したものかと話題を探して、ふと小さい頃に疑問に思ったことを聞いてみる。
「京香ってさ、どうして自分のことボクって呼んでるの?」
「なんでって、なんでだろうね。ずっとそう言ってたから、もう馴染んじゃった。」
「そうか。そうだね。」
初めて会った時、彼女は自分のことを「あたし」と言っていたと記憶しているが、いつから「ボク」と言い始めたのかは憶えていない。
「あとはねぇ、ボクって呼んでいたら少し変わった女の子になるじゃん。」
「まぁ、珍しくはあるよね。」
「だから、変な男が寄ってこないっていう意図もあるのかも。知り合って何ヶ月かで告白なんて、時期尚早だと思わない?思うよね。」
「そうだね。互いのことを、ある程度深いところまで知り合ってから、恋をするべきだと思う。」
「分かってるね。小学校からの幼馴染は何人かいるけど、なんだかんだ一番気が合うのは樹だよ。」
「それは僕も同じだね。京香が一番、気兼ねなく話せる。」
そこまで話して、気恥ずかしくなった。
彼女が僕に感じているのは友情であり、下心など言語道断。決して勘違いしてはいけないのだと、自分に言い聞かせる。
再び話すことが無くなってしまい、沈黙する。話題を探していると、京香の方から口を開いた。
「あ、もうひとつ理由があったよ。ボクがボクって呼んでる理由。」
京香は思い出したように、人差し指を立てる。
「男避けだけじゃなかったんだ。」
「それは半分後付け。中学生になってから、男の子に呼び出されることも多くなったからね。」
「じゃあその一人称の理由は?」
「それはねぇ、お揃いだからだよ。」
京香はそう言って、僕を指差す。
「樹と呼び方がお揃いだから。ボクはボクなんだよ。」
彼女は言い終わると、一歩前に踏み出す。そして僕の方に振り返って、
「さ、早く行こうよ。」
彼女の頬が赤く染まっているように見えるのは、傾いた太陽のせいだろうか。




