二十九
終業式が終わって、何をするでもなく家に帰ってきた。時刻は正午を過ぎたくらい。夕暮れまでまだ時間がある。
僕はてきとうな昼食をとり、部屋でほうけていた。何かしよう、何かしなければと思うのだが、どうにもダルい。やらないよりはマシなので、ダラダラと課題に取り組もうとした時、スマホが震えた。
『この後予定ある?暇ならウチに来て課題しない?』
京香からのメッセージだった。彼女も予定がなくて、時間を持て余しているのかもしれない。
『せっかくだし、お邪魔させてもらうよ。』
そう返信し、課題をバッグに入れて家を出た。
京香の家に着くと、彼女は玄関の前で待っていた。
「また、待たせちゃったみたいだね。」
「全然、そろそろと思って家を出たばかりだから。」
彼女は笑顔を見せ、手招きする。
「さ、入って入って。今日は京もいないし、課題に集中できるよ。」
言われるまま、僕は彼女の家にお邪魔する。
部屋に招かれた僕は、彼女と向かい合うように座り、課題を始めた。
「どの教科を持ってきたの?」
「英語と物理。苦手だし、せっかくだから教えてもらおうと思ってね。」
「それじゃあ、ボクも一緒にやろうかな。」
テーブルで向かい合い、僕たちは課題を進める。英語も物理も、二十枚ほどの問題集で一学期の内容を網羅している。
「配られた時から覚悟してたけど、かなり面倒だね。」
「仕方ないよ。建前では、他教科と並行して毎日やる課題なんだから。」
「そう言えば、京香は昔から夏休みの課題はすぐに終わらせてたよね。」
「言われるほどじゃないよ。でも、毎年八月の前半には終わるようにしてたね。」
「充分じゃない?僕なんかいつも最終日まで残してたよ。」
「それで残りの課題をボクに見張られてやるんだよね。」
「その節は大変お世話になりました。」
「ま、苦にならないし、いいんだけどね。」
京香はそう言ってけらけらと笑う。
しばらく二人とも黙って課題に取り組む。英語の問題集は二時間ほどで片付いてしまった。
「ふぅ、思いの外早かったね。」
「そうだね。ボクも、こうも早く終わるとは思わなかったよ。それじゃ、次は物理だけど、一旦休憩しようか。」
「賛成。通してやったから少し疲れたよ。」
僕たちはペンを置き、大きく息を吐く。時刻は、午後三時を少し過ぎた頃。休憩するには丁度良いだろう。
「お茶淹れてくるけど、何か飲みたい物とかある?」
「何でも良いよ。」
「じゃあ、紅茶でも淹れてくるね。」
「ありがと。」
「いいよいいよ。」
京香は手をひらひらさせて、部屋を出ていく。僕は英語の問題集を片付けて、部屋を見渡す。
この間遊びに来た時はよく見ていなかったが、やはり女の子らしい部屋と言った感じだ。招かれた身だが、なんだか場違いな気がしてならない。
落ち着かずにいると、軽快に階段を登る足音が聞こえた。
「ただいまぁ。姉さんの漫画借りるよ。」
勢いよく扉を開けて、京くんが姿を見せた。
「姉さーんってあれ?樹さん来てたんだ。」
「京くん、おじゃ、ま……?」
僕は京くんの姿を見て、言葉を失った。僕も少し前まで通っていた中学校の制服。暗い色のブレザーに長いスカート。
彼の姿は、女子中学生そのものだった。男の子にしては長い髪だと思っていたのだが、今の格好だと、短く感じる。
「京くん、その服は……。」
「あっ……。」
彼も自分の格好を自覚したのか、顔がみるみるうちに赤くなり、勢いよく扉を閉めてしまった。
何か見てはいけないものを見てしまったようで、申し訳ない。どうしたものかと悩んでいると、京香が部屋に戻って来た。
「お待たせ。紅茶入れてきたから、一服しようか。」
紅茶は綺麗なティーカップに入れられ、半透明の輝きを帯びていた。
「いただきます。」
僕は紅茶をひと口飲み、肩の力を抜く。さっきまで居心地の悪さが嘘のようだ。
「樹さん、こんにちは。」
部屋の扉が開き、私服を着た京くんが入ってきた。少し態度がよそよそしい。
「京、帰ってきてたんだ。」
「あ、うん。」
彼は姉の言葉に空返事しつつ、僕の隣に腰を下ろす。そして耳元でひと言、
「さっきのは、見なかったことにして。」
そう囁いて、イタズラっぽく笑った。




