政治と金
つれづれなるままに、日くらしPCに向かひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。となんとなく
前回2024年の衆議院議員選挙では自民党が大敗北し、今は公明党を含めても過半数に達しない状況になっています。何でも政治と金の問題が原因だとか。政治資金の法律に則っていないらしいので、問題ではあるのでしょうけど、違反金額が数万円とか数十万円とか言われた時、本当にそれは大問題なのか?と疑問に思ってしまいます。アメリカの大統領選では数百億円の政治献金が行われ、それをもとに大統領選を戦っていくようですが、その規模を聞いた後に違反金額を聞くと、違反ではあるのだろうが、もっと議論すべき点があるのではと思ってしまいます。世界史の神野先生も言っています。汚職もせず有能な政治家が理想であるがそんな人はめったに存在しない。現実には汚職はするし無能な政治家がおおい。では、汚職はするが有能な政治家と汚職はしないが無能な政治家ではどちらがいいかというと有能な政治家がいいに決まっている、と。
そもそも、政治と金という言葉は今ではミスリードを引き起こすための言葉であるように思います。政治を他の言葉に置き換えて考えてみると、例えば経済と金と言われたら、それは経済は金を流通させるものだから不可欠なものでしょうと感じるでしょうし、教育と金、農業と金など軒並みそれは不可欠なものだと感じるのではないでしょうか。政治と金という言葉の由来は不明らしいですが、どうもその言葉ができたときはそれなりに政治家主体の汚職もあったようです。その言葉を字義通りとらえるなら、政治とは大衆や法人からお金を集め、それを日本国の発展のために使うものなので不可欠だ、というより切れない関係にあるものだというのが本来の意味だと思うのです。「汚職政治家と贈収賄の金」と言っておいてくれれば正確だったのでしょうけど、インパクトを与えるためそれを政治と金と縮めてしまうと、一部政治家に留まらず政治全てが悪であるかのようにラベル付けされてしまうのはやりすぎではないかと思うのです。
経済に関わる人で汚職に関わる人もいることでしょう。教育や農業に関わる人にも時々ニュースに名前が載る人もいるようです。が、だからと言って経済と金という言葉を悪い意味でラベル付けしないように汚職政治が悪いのであれば、それを正しく表現する言葉が必要だったのではと思います。そもそも、汚職の相手はほとんどの場合経済に従事する人なのでしょうから。
政治は国の将来を決定する一番大事な営為だと思います。それを政治が悪であるかのようなラベル付けで重要性がないかのように思われてしまうのは国の損失だと思います。最近ももりかけ問題を起こした政治家のように明らかにだめだろうと思われる行為を行った人もいましたが、おそらく大部分の政治家、公務員は(有能であるかどうかは別にして)真面目に働いているのでしょうから。
では、なぜ政治と金という言葉がこんなにも世間にはびこり、選挙のテーマとなる程に重視されるのか。私の考えでは一つには野党がポンコツすぎること、もう一つはマスコミが無能なことが原因です。マスコミについては機会があれば別に論じたいと思います。ここでは野党について私見を述べたいと思います。
野党の中にも有能な政治家はいるのでしょう。が、野党のあり方自体がポンコツすぎます。自民党の方針は北に向かうことだと自民党が主張した時、野党がそれはよくない、東に向かうべきだとか南西がよりよい方向だといえば、野党の主張はそうなのかとわかりやすく、北と東とどちらがよいか有権者にもわかりやすい比較になると思います。例えばアメリカ大統領選で、移民は受け入れるべきだという主張と移民は排斥するべきだという主張があったら、それぞれメリットデメリットがあるものの、現状を鑑みてどちらがいいか考えることができそうです。もっとも政治で決めることは多岐にわたるので、一方の政党の主張にすべて賛同できることはまれでしょうから、何が一番問題か考えて、どちらがよりよい(よりまし)かを判断して投票することになるのでしょうけれども。
ところが、現在の野党(少なくとも立憲民主党)は自民党が北と言ったときに、北北北東であるべきだと思っているか、どこに行くかは分からないが北は駄目だと思っているように思われます。そうすると与党との差別化が図れないので、自民党はひどい、政治と金の問題が蔓延っているとか、その政策は全く考えがないとか非難ばかりになってしまいます。今の野田代表の発言を聞いていると概ねそれしか言っていないのではないかなぁと感じられるのは私だけでしょうか。おそらく、多くの日本国民もそれは感じ取っていて、基本的に自民党しか政権を担うことができないが、あまりひどかったら時々自戒を促すために野党に投票しようかという程度の役目しか野党に期待していないのではと思っています。
自民党の方向性はなにかというと、基本的に高齢者が安心して暮らせる体制を整えることだと思っています。政治は色々決めなくてはならないことがありますが、全部を満足させることは無理なので、まず1つ核となるものを決め、それは極力満足させる、で他の事案は優先度を落とすというように進めていくのだと思います。高齢者が安心して暮らせる政策を行いますと言われたときに反対する人は少ないでしょうが、他の年代の人がどんなに不幸になろうとも高齢者が安心して暮らせる政策を行いますと言われたとき、どれだけの人が賛成するでしょうか。が、自民党はそういう政策を目指しているように見えますし、他の野党も多分そう見えます。前回の選挙では維新の会かどこかは若年層を充実するような政策をいっていたような気がしますが、残念ながら高齢者のほうが投票率が高く、高齢者優遇の政策を押し出している党が政権を握ることになっています。国立大学への支援は法人化という名目の元減らされ、教育水準、研究レベルは下がってしまいますが、それも高齢者に予算を回すためなのではなかったのかなぁと思います。
高齢者用の予算が増えているのは当たり前のことで、平均寿命65歳の時に20歳から60歳の人が支えることができる仕組み(つまり40年分の人間が5年分の人間を支える)が、平均寿命が80歳になっても(つまり40年分の人間が20年分の人間を支える)同じように機能するというのは誰が考えても無理な相談です。が、仕組みを抜本的に変えることなく延命しているのが現状の問題だと思っています。20~60歳の40年分の人が60~65歳の5年分の人を支えることができるなら、大体1/8の年の人々を支えることができる(1/8の年の人々しか支えることができない)と考えられそうです。それから計算すると定年は74歳位?今、年金は65歳位から支給されるようですが、それではまるで足らなくて、75歳位まで就労を続けてもらって、支給も75歳位からとすれば、機能できる仕組みができそうではあります。が、そんなことをいう政治家も政党も絶対現れない(そんな主張をしたら絶対選挙に落ちる)ので、そういう政策がとられることはないでしょう。とすると、他の方法で支出を減らすか(要するに支給金額を下げる)税収を増やす(国力を増やすか給料増を伴うインフレを目指すか増税をする)あたりが代替案として浮かびますが、どの方法をとるにしても強力な信念でその政策を進める政治家が現れない限り無理でしょう。石破首相は国防に注力したい首相に見えるので、その他の政策は期待が持てないと思います。経済を成長されるにはどうすればいいか教えてと言っていたくらいですし。一番に主張している項目が経済や財政健全化である政治家が首相になることがまずスタートでしょうけど、いなそうですね。一番の主張が自民党の腐敗であるような政党はもはや論外でしょう。
少子化対策も重要な課題だそうです。が、どの政策を見てもぱっとしない印象を受けます。そもそもなんで少子化になっているかというと、一番の要因は婚姻率の低下のようです。婚姻世帯の出生率は2弱と、十分ではないもののそれなりに高い値になっています。なので現在の出生率が1.2人と低い要因は、結婚していない人が多いことが主因に見えます。で、結婚しない大きな理由が経済的なことだと言われたら、対策は結婚できるような収入を得られるようにするなのでしょうが、どこをどう間違ったのか、高校無償化が政策として挙げられています。まあ、何もしないよりはなんとなく少子化のことも考えていそうだし、国民への受けも良さそうなので作ったのでしょう。が、断言します、高校無償化になったから結婚しよう!という人は一人もいません。それよりは、もっと直接的に夫婦(男女間の夫婦に限る)共に30歳以下の世帯には月10万円を支給する、妻が30歳以下で出産した場合は一子につき月2万円、第三子以降は月5万円を子供が15歳になるまで支給するとかにしたら、たぶん婚姻率も出生率も上がると思うんですが、どうでしょう。結婚や出産はそんな打算で決めるものではないという人がいるかもしれませんが、打算でもなんでもいいからまずは結婚・出産したくてもできないという人を支援することが優先だと思います。
大体、自民党がさんざん言っているように財源は一定なのだからどこかを増やせばどこかが減るのは自明で、そのデメリットがわかるようにすればもっと政治に関心をもってもらえるのではないのかなあと思っています。それをどの党もなんとなくいいことしか言わないのでどの党も差異が明確にできず、なんとなく政治から興味が失われているのではと思います。世の中いいことしか言わないのは政治家と詐欺師くらいなもので、いいことしか言わない政治家をなんとなく胡散臭いと思ってしまうのは仕方がないかもねと思ってしまうのです。多くの野党は言っています。無駄を減らして予算を賄うと。では何が無駄なのか、と問われたときそれにこれが無駄!と答えられる政党はなさそうな気がします。政権を取ったら考えるって順序が逆ですね。予算は全員知っているのだからここを減らしてこういう風に割り振ると言ってくれればもっと有権者も真剣に考えるのにと思います。以前民主党が「一番じゃなくちゃダメなんですか?」といいながら無駄を削るパフォーマンスをしていましたが、あれでいくら改善したんでしょうか。無駄はあるかもしれませんが多分そんなに多くはないんです。それよりは構造を変えないともうやっていけないんだと思います。
政治で決める項目は多岐にわたっているので、国民全員が満足する政策なんか存在するはずがないんです。それを万人受けするようにすべて曖昧にして政策として主張しているからどれもパッとしない印象になっているのだと思います。どれも重要だが我々はこれを最重要課題にすると明言して選挙に臨めばもう少し国民が政治に向き合うのではないかなぁと思うのですが。まもなく参議院議員選挙が始まります。