ふぐりと共に生きる者
軍営の夜は、静かであった。
遠くに響く夜警の声、焚火のかすかな爆ぜる音。
そして、その静寂を突如として切り裂いたのは──
「いいかげんにしろおおおおおおお!!!」
怒声であった。
医務室に、怒り狂うニニアンの姿があった。
その前には、またしても治療を受ける羽目になった哀れな男、イワーヌシュカ。
そして、床の上では、猫がふぐりを堂々と掲げながら伸びをしていた。
ニニアンは深いため息をついた。
「……お前、もう自分が何をしでかしているのかわかっているのか?」
イワーヌシュカは震えながら頷く。
「いや、本当に違うんだ、ドクター……。もう二度と、絶対に猫を部屋に入れまいと誓ったんだ。誓ったんだが……」
「……だが?」
「ふぐりがあまりにも尊くて……」
沈黙。
ニニアンは、こめかみを押さえながら呟く。
「……私は貴様のその愚行を何度許せばいいのだ?」
「許してくれとは言ってない!」
「許すかどうかの話をしてるんじゃない! なぜ噛まれる! どうして学習しない!」
「それが……気がついたら、猫が俺の顔の上に乗っていて……その、ふぐりを……」
「もういい!!!!」
ニニアンは立ち上がり、鋭い眼差しでイワーヌシュカを見下ろした。
「これは……呪いだな」
「……え?」
「お前は、何者かに『ふぐりの審判』を受けているのかもしれない」
「そ、そんなバカな……!」
「バカなことばかり繰り返しておいて、今さらバカなと言うな!」
ニニアンは険しい顔で腕を組んだ。
「何者かが、お前に試練を与えているのかもしれない。愛の神の使いである猫に、こうも執拗に狙われるとは……ただの偶然とは思えん」
「……俺はどうすればいい……?」
「この呪いを解くには、神の導きを仰ぐしかあるまい」
「神の導き……?」
ニニアンは厳かに頷いた。
「ローシュランドに『ふぐりの巫女』と呼ばれる者がいる。彼女は愛の神の神託を受ける存在だ。お前のこの呪われた運命が、彼女によって解明されるかもしれない」
「……ふぐりの巫女……!」
イワーヌシュカは震えた。
もしかしたら、この果てなきふぐり地獄から解放されるかもしれない……!
「行くよ、ドクター!」
「……は?」
「俺、ふぐりの巫女に会いに行く! この呪いを解くために!」
「……いや、今お前の意志の強さを問うているわけではなく、私は単に医学的見解を述べたにすぎないのだが」
「決めた! 俺、旅に出る!」
「ちょ、待てイワーヌシュカ、話を──」
「ありがとう、ドクター! お前がいなかったら、俺はきっとふぐりの沼から抜け出せなかった!」
「待て、違う、今の話はそういうことでは──」
イワーヌシュカは勢いよく医務室を飛び出した。
──こうして、猫とふぐりに翻弄された哀れな兵士の物語は、ローシュランドの「ふぐりの巫女」へと続くこととなる。




