視点の相違
誠司は芸術に明るい男ではない。彼にとって絵とは道楽であり、娯楽であり、所詮なくても生きていけるものだ。こよなく愛する者を否定することこそないが、だからと言って迎合することもない。他人は他人、自己は自己。その信念に基づいて、彼は生きている。
畢竟、誠司は己の価値観にそぐわない事柄を一般論で判断する。
共通認識として、部屋に絵を飾る習慣は珍しくも何ともない。飾る人は飾るし飾らない人は飾らない。故に、誠司にとってもその程度の代物のはずだ。だから、彼が絵画を鑑賞して笑うというそれ自体が常盤には不気味に感じられた。
それも、おかしい、とはどういうことなのか。
潤したばかりの喉が渇き出すのを感じながら、誠司の横まで近づいて問題の絵画を見てみる。
白い着物を着た人らしき何かが、仮面をつけた人に手を引かれている姿が描かれている。駆け抜けている場面を描こうとしたのかタッチは荒々しく、大まかな全体像を想像で補ってやっとそれらしき形が浮かび上がる有様だ。
手遊びで描いたに等しいその絵画が納められた立派な額縁の下には『逃避行』の三文字があった。どうやらそれがこの絵のタイトルらしい。
「どこが変わっているんだ?」
美術専攻ではない常盤の審美眼ではこの絵が上手いのか下手なのかもわからない。それでも誠司が言う意図的な要素は見つけられなかったし、変だと感じる箇所もない。そもそも誠司とて審美眼は常盤と大差がないはずだ。
常盤の当惑を読み取ったのか、誠司が意外そうに、それも大いに戸惑った顔になった。
「君、そんなに鈍かったか?」
「よし、喧嘩なら買ってやる」
つくづく常盤の神経を逆撫でする天才だとにこやかな宣言とともに常盤は腕を振りかぶった。その手を何なく躱した誠司が「背景」と絵を見やる。
「背景?」
つられて絵を見た常盤は、しかしだからどうしたと困惑する。
あんなに薄気味悪いぐらいの笑顔を浮かべていたのだ。絵の中のふたりが駆けている景色は木々が多いんだな、とかそんな感想を彼が欲しがるはずもない。
「この風景に見覚えがあるだろう」
常盤が色良い反応を返さなかったために焦ったくなったらしい。
すっぱり結論に入った誠司の思いもよらない言葉に常盤の思考が停止した。
「見覚え……?」
絵画の風景はひどく抽象的だ。場所を特定できるほど特徴的な事物はなく、走り抜けるモノたちと比べると極めて無個性だ。
故に、何処で、と思う。
少なくとも常盤の記憶にこのような風景はありふれている。一歩でも獣道へ入れば四方に広がるだろう緑は、それこそ紫苑の車で走り抜けた道のどこかにあっても不自然ではない。
しかし誠司にとっては違うらしい。彼は伝わらないことがもどかしいとばかりに挑発的な色を言の葉に忍ばせる。
「白鳥神社の参道だ」
「どこがだ。あれは急な階段だっただろう。これは平面に見えるぞ」
ふたつの等身は同程度。アングルは横向きで手前にも奥にも草木が描き込まれている。白鳥神社の参道を描くなら階段を正面ないしは斜めに捉えた構図になり、必然ふたつの等身にも差が出るはずだ。
「君はこの絵が最も伝えたかったのは何だと思う?」
誠司は譲らない。あくまで白鳥神社の参道だと決めつけて話を進めようとする。
その強引さを論破する言葉は山ほど思い浮かんだが、喧嘩をしたいわけでも時間を無駄に浪費したいわけでもない。
常盤は早々に折れることにして、絵画を今一度視界に入れた。
「そうだな……」
読解力や感受性の欠片もない返答が許されるのであれば、一番に伝えたかったものなど筆を執った本人にしかわからないというのが常盤の答えだ。
国語のテストがいい例だろう。教材を編纂し解説書を認めた者の憶測が介在した時点で元の作品は多少なりとも損なわれる。発信者の意図を正確無比に伝えられる手段はこの世にはなく、全ては受け手の解釈に委ねられているからだ。そも、世の中にあるコミュニケーションツールは人と繋がるための便利な道具にすぎず、使用者の意志を寸分の狂いなく表現できる万能性は有していない。
理屈で物事を捉える誠司らしからぬ問いをどう処理するか常盤は悩んだ。いっそ見たままの情報を列挙してもいいのではと嫌気がさした頃、誠司がすっと一点を指差した。
「草の切れ目に段差が描かれている」
「………………言われてみれば?」
段差と言われたらそれっぽく見えるものは確かにある。しかし、段差というには奥行きも何もないし緑に埋もれすぎである。
「こじつけじゃないか?」
素直な感想が転がり出た。わずかな時間、誠司が考え込む。だがそれは常盤の言に一理あると思ってのことではなく、如何に納得させるか思案しているだけだと経験上知っている。
「……自明の理を君に説明する日が来るとはな」
誠司が文句を言いつつ指を滑らせる。
「着物の方の顔を見ろ。白髪赤目だ」
「……………………は?」
今日一番の間抜けた声が出た。かお、と唇を動かすが音にならない。ざっと血の気の引く音がする。
白に赤なんて紫苑の言っていた兎の特徴と同じだなとか現実逃避をしたくともすることができない。指先から冷えていく感覚が、否応なく意識をこの場に繋ぎ止める。
絵画を見ている誠司は常盤の異変に気づかない。徐々に弧を描いた口元が、目が、悍ましいほどの歓喜と好奇心で満たされていく。
「人の白子病の殆どは赤目ではないが、零でもない。それを前提に考えるとこの絵の解像度は格段に高くなる。まず、絵の左下をよく見てみるといい。わかりにくいが、不必要な銅銭が故意に描かれている。このデザインは江戸時代の寛永通宝――それこそ白鳥神社が創建された頃のものだ。となると白子病である着物の人物に対する扱いは基本的に見世物だ。江戸時代前後の見世物研究や庶民の芸事などを研究した先人が記した資料に、多くの者が白子病を猩々として消費したと記録されている」
だが、と。誠司が一拍間をおいて笑みを深めた。
「この絵に描かれる白子病はその例に該当しない。この人物は生贄だ。供儀には神を鎮めるものと目的成就を願うものがある。これはそのどちらかをモチーフにしたものから逃げている最中だろうが、恐らく後者だ。贄を自然に食わせるという解釈もあるが、古来、人は災いを退けるために、慈雨を呼ぶために、そして豊穣を授かるために神に祈願して生贄を捧げた。思い出すといい。白鳥神社は豊穣祭を行う。供物と引き換えにだ。白鳥神社の歴史を調べずに断言することは避けたいが、紫苑は言っていただろう。神隠しにあっても僕たちには助けられない、と。つまり、物でなくとも神との取引は成立すると知っているんだ。元は人を生贄に捧げていたが時代が下るとともに人道的観点で不要物に変更されたと裏付けるには十分だ。他にも――」
「待て。待ってくれ誠司」
聞いてもいない講釈を長々と垂れ出した誠司は意気揚々としていたが、それどころではない常盤は死にそうな思いで遮った。
話が集約したのはわかった。確かにその観点で突き詰めていけば、絵画の場所は白鳥神社の参道だとも考えられる。だが、本当にそれどころではない。
声が震える。意識して話さなければ呂律が回らない。それでも、言わなければならない。
友達だったからこそ――今でもどうでもいい相手ではないからこそ、勘違いだ、気のせいだと流せない。
「誠司。お前は何を言ってるんだ?」
「…………?絵画に描き込まれた要素を総合して考えた時、この絵が指し示す内容は興味深いと、」
「違う!この着物の人物はのっぺらぼうだろう!?」
「……………………、は?」
狂気に近しい熱気が去って、双眸が理性を取り戻す。高揚感から解き放たれた顔が驚懼に染まった。
「僕の目には、着物は人らしき何かにしか見えていない」
仮面を被った人とは違い、着物のそれは何もつけてはいない。しかし、その貌には目も、鼻も、眉も、唇も、髪の毛一筋ですら描かれていない。ただつるりと白い面だけが描かれている。
常盤の指摘に誠司が動揺した様子で絵画から距離を取ろうとしたのか身動いだ。ざりっと嫌な音が鳴る。反射的に音の出所である誠司の足元を見下ろした常盤の口から細く鋭い音が漏れた。遅れて下を見た誠司が柳眉を逆立てる。
「草鞋の鼻緒に準えたか」
心から嫌そうに、悔しそうに呟く。その真意が常盤には理解できない。彼が近しい生き物だったのは決別の日以前の話で、今ではもう言葉を重ねるほどに虚しさを覚えるような遠い存在になってしまった。
端的な言葉では何も伝わらない。
だから、常盤には見たままの事象が全てだった。
誠司の履いていた靴下の上に、紐がある。材質は見たところ麻。そこそこ長さがあるのでこの部屋に入った時に引っ掛けたのでなければ廊下なりリビングダイニングルームなりで気づいたはずだ。そのため紐はこの部屋に入った時に靴下の上に乗った――若しくは引っ掛けたと考えるのが自然である。しかし、部屋は小綺麗で埃が積もったりはしていなかった。
ともかくも、あるはずのない麻紐が刃物で切られたかのように誠司の靴下の上で真っ二つになっている。綺麗な断面が、そう示している。
「若葉はこの館に曰くはないと言っていたが、信憑性に欠ける。憑物筋の線を追うのも手か」
誠司がぶつぶつと小さく口の中で呟いている。その音が遠い。逸る鼓動が掻き消そうとする。胸の内を滑り落ちた氷塊が常盤の焦燥感を煽った。