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積み重なる

 案内されるままリビングダイニングルームに通された常盤は備え付けのソファに腰を下ろしたところでようやく人心地ついた。萌葱から心配げに差し出された冷茶を受け取り、喉の奥に流し込む。

 からりと氷がグラスの中で鳴った。外にいた時は気にも留めていなかったが、ずいぶんと乾いていたらしい。冷たい液体が喉を通り臓腑を潤していく涼やかな快感に夢中で中身を飲み干してしまった。


 そうして一息つくと、クリアになった思考が玄関口からリビングに辿り着くまでの風景を呼び起こしてくる。


 語彙力のない感想になるが、館は外観からもわかった通りそれなりに広かった。

 扉の位置などから見るに、ごくごく一般的なペンションの造りで間違いなく、複雑な構造はしていない。もし仮に常盤が若葉たちからリフォームのデザインを任されたのであれば心置きなく遊ばせてもらうだろうが、それと同じくらい躊躇ちゅうちょもするだろう。堅実なデザインは万人受けするので、手を加えて独自性を出しすぎるのは良し悪しだ。


 とはいえ、造りは平凡でも内装を見ると印象は変わる可能性がある。今常盤たちがいるリビングダイニングルームはシンプルな作りだったが、アースカラーをベースに天然素材の家具がバランスよく配されていて洒落た空間になっている。目を楽しませる目的で置かれた観葉植物の緑がアクセントにもなっていて非常に美しい。家は家主のセンスが反映されやすいが、かなり洗練されたコーディネートだ。


 などと職業柄考え込んでいたら、エプロンを着けた若葉がキッチンから出てきた。


「そうそう、言い忘れてたんだけど、滞在中は二階の書斎と客室、祖父の部屋、それから一階リビング、キッチン、風呂場にお手洗い以外へは入らないでほしいんだ。それで不都合があるようなら、一階にある僕の部屋を訪ねてほしい。くれぐれも、勝手に他の部屋には入っちゃだめだよ」


 特に誠司、とジト目で若葉が釘を刺す。家主の言うことなので常盤としては遵守じゅんしゅする以外に選択肢はないが、禁じられれば入りたくなるのが人の性。ただでさえ封筒のメモを見てから嫌に積極的に情報を探っている誠司相手にそれは逆効果ではと常盤は事態の行く末を見守ろうとした。


 その耳に、萌葱がこそっと口を寄せる。


「実はさ、遺品整理があんまり終わっていなくて、お客さんを通せるような状況じゃないんだ。雑然としてて危ないから、あたしも兄さんから立ち入るなーって言われてる」


 内緒話の体を取りながら、その実誠司の耳にもしっかり届く声量で意図的に囁いた萌葱に若葉が額を押さえた。こけた頬に朱が散っている。過保護な面を暴露されて恥ずかしいのだろう。


 堪えきれずにくすくすと笑声しょうせいをたてた常盤を鋭く若葉が睨む。それが更に笑いを誘った。ついには心置きなく腹を抱えて爆笑し出した常盤にやらかしたことを悟った萌葱が身を竦ませた。


 若葉が深く息を吸い、浅く吐き出す。刹那、常盤の背をぞわりと戦慄せんりつが駆け抜けた。


「おバカ。あんまり笑うなら夕飯抜きにするよ」

「そ、それは勘弁してくれ」


 優しい人を怒らせると怖いように、激昂げっこうされるよりも冷めた怒りを向けられる方が恐ろしい。それも有言実行する相手であるなら尚更である。


 慌てて笑いを引っ込めた常盤はソファに座り直した。夕飯を振舞ってくれるのかとか減らず口はたたかない。エプロン姿で睨みを利かせる若葉に大人しく降参して、神妙な顔を作るのみだ。


 現金な常盤の開き直り方に誠司が呆れた視線を寄越した。釘を刺されたから大人しくしていただけの彼にそのような視線を向けられる謂れはなかったが、食ってかかったところで若葉の不興を買うだけである。


 常盤は深呼吸を繰り返した。苛立ちが最高潮に達しないように荒ぶる心を落ち着かせ、据えられたままの視線を黙殺する。


 沈黙が流れた。


「…………っ、そ、そうだ!ふたりを客室に案内するよ!」


 真っ先に漂う空気の重さに耐えられなくなった萌葱が両手を合わせて声を張り上げた。

 若葉が壁掛け時計に視線を向けて、キッチンを振り返る。


「そうだね。四人分揃えるまでは時間がかかるから……萌葱、頼んだよ」

「任せてくれ!」


 にこにこと破顔した萌葱が常盤の手を掴んで引っ張った。


「こっちだ!」

「えっ!?ちょ、まっ!?」


 楽しげにぱたぱたと足音を鳴らして駆け出す萌葱に引っ張られてソファから立ち上がった常盤は必死で足を動かした。


 萌葱と違って常盤は部屋割りを知らない。気を抜いたら最後、彼女が急停止などした時に足をもつれさせて転んでしまう。常盤ひとりが転倒するぶんには問題ないが、年下の友人の妹を巻き込むのはどうにも気が引けた。


 萌葱が子鹿のようなしなやかさで廊下を小走りで渡る。後ろからは誠司がゆっくりついてくる足音が聞こえる。そのふたつの足音に挟まれながら、常盤は左右に素早く視線を走らせた。


 きちんと視認することはできなかったが、一階の部屋はそれほど多くないらしい。物置らしきスペースと水回り、それから兄妹の部屋しかないのだろう。各所に素っ気なくかかったプレートで、だいたいどの扉がどのような部屋になっているのかわかるようにされている。


 階段は玄関を入ってすぐ右手にあった。こっちこっちと引かれるままに上りきった常盤は目を瞬く。


 右手に扉が五つ。左手にふたつ。うち四から五部屋が書斎、祖父の部屋、客室だとして、残る一部屋は何なのだろう。話に出ていない祖母の部屋だったりしたのだろうか。プレートがないぶん、想像するしかない。


 そう考えて、すぐに常盤はその考えを打ち消した。


 成り行きとはいえ、常盤たちは押しかけ同然でこの館まで来た。若葉たちは快くもてなそうとしてくれてはいるものの、本来ならお客さんと呼んでもらえるような立場ではない。ならば、身の程を弁えて下世話な憶測をしないのが礼儀というものではないだろうかと、常盤は考えた。


 プレートなしの部屋がいかに気になろうとも、其処が立ち入りを禁じられている部屋である以上は下手に興味を持ったり詮索しようとしたりするのは若葉たちに対して失礼だ。


「………………あれ?」


 ふっと、違和感に気づいて常盤は立ち止まった。繋いでいた手が解ける。


「常盤さん?」

「いや、何でも」


 目的の部屋と思われる扉の前で足を止めた萌葱の不思議そうな声に常盤は咄嗟とっさに首を振った。一階と違って冷房の行き届いていない廊下にいるというのに、気付かぬ間に鳥肌が立っている。


 じっと。後ろから観察するような視線を感じた。些細な変化すら見抜かれそうなそれが居心地悪くて無意味に咳払いをする。


 なぜ、と頭の中で声がした。


 若葉に説明された時は聞き流してしまったが、なぜ彼は祖父の部屋に入っていいと言ったのだろうかと、そんな気づかなくてもよかったことが引っかかった。


「常盤さんがそういうならいいんだけど……何かあったら言ってくれ。気になるから」


 右手側、奥からふたつ目のドアノブを回しながら萌葱が言った。


 彼女に続いて入った客室は、掃除が行き届いているのか小綺麗で埃っぽさはなかった。リビングダイニングルームとは違って家具や小物はモノトーンで統一されている。カーテンが引かれていない窓から差し込む綺麗な西日がいい感じに華を添えている。イメージとしては、ホテルの部屋に近い。鏡台を挟んで寝具がふたつ並べられているあたりが特にそうだ。そこから見て反対側の壁――足を向ける方には絵が飾られていた。


「こっちに来てくれ」


 入って左側の壁まで近づいた萌葱が常盤と誠司を招く。そこには扉があった。


「ここ。中央に扉があって、隣の客室と行き来ができるんだ。一応奥側の部屋に鍵がついててそっちから施錠できる形になってるから常盤さんがそっちを使ってくれ」

「……それはありがたいんだが、どうして僕が奥なんだ?」


 昔ならいざ知らず、四六時中誠司と顔を合わせるのはできるだけ遠慮したい。そのため萌葱の申し出は願ってもない助けだったが、部屋割りを指定されたのは謎すぎる。


 何か奥の部屋に特別なところでもあるのかと開けてみたが、絵画がない以外は殆ど今いる部屋と変わらない。


 どうして、と疑問がよぎるのも無理のない話だった。


 しかし萌葱は突っ込まれるほど意外な提案をしたつもりがなかったのか、説明する言葉を探しているようだった。


「うーんと、あたしが仲良しなのが常盤さんだから、かな。誠司さんも好きだけど、何かあった時により安全な方にいてほしいのが常盤さん。だから、絶対に常盤さんが奥。もちろん誠司さんが奥を希望するならそれでもいいんだけど」

「こだわりはない」

「うん。だからやっぱり常盤さんが奥だよ」


 だから、も。安全な方、も。

 意味深に選ばれた言葉ではないとわかっているのに、フラグにしか聞こえない。


「じゃあ、あたしは兄さんを手伝ってくるな。用意ができたら呼ぶから好きにしててくれ。あ、でも入っていい書庫とかには夜ご飯を食べてから連れてくから、部屋にはいてくれよな」

「あ、ああ」


 台風を思わせる切り替えの速さで言いたいことだけ言い残して飛び出ていく萌葱に常盤は頷くしかできない。


 後に残されたのは、奥の部屋に中途半端に足を踏み入れた状態で立ち尽くす常盤と飾られた絵画をしげしげと鑑賞している誠司だけである。


「常盤」


 その誠司が、絵を眺めたまま常盤を呼んだ。張り詰めた糸にも似た声音だ。


「この絵、おかしいと思わないか?」

「おかしい?」

「ああ。意図的だ」


 そう言って誠司が常盤に目を向けた。その顔を見て常盤は息を呑む。


 誠司は笑っていた。とても愉しげに、嬉しそうに、笑っていた。

 

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