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信仰

 唐突な紫苑の告白を受けて、それまで誠司に形ばかりの反論を差し込んでいた真白が口を噤む。抱き上げる腕の持ち主を見上げながら、寂しい、と繰り返すのがいやに網膜に焼きついた。

 

 兎が寂しいと死ぬというのは俗信だ。ストレスに弱い動物だったからまことしやかにそう言われるようになっただけで、科学的根拠は一切ない。ただ優秀な譬えだから、誰もがどこかで耳にして、創作に取り込んで、ますますそういうものなのだと認識されるようになっていった。その結果、「寂しいと兎は死ぬ」という物語が人々の間で定着したのだ。


 怪異やモノ、そして神は人の物語すら信仰として自らの内に取り込む。

 兎は大国主命(おおくにぬしのみこと)の恩義に報いるために、自らの意思で伝令の神となって八上姫(やがみひめ)との縁を取り持った。『古事記』に記され白兎神社に語り継がれるその話を知る者は、因幡の白兎の知名度と比べても然程いないだろう。

 

 しかし、最古の歴史書の名は誰もが学舎(まなびや)で記憶する。白兎神社へ参詣した者たちは、自然とその地にまつわる話に触れる。

 日の本に根付いた神話は兎に少なからず影響を及ぼしたはずだ。


 そしてそれは、紫苑の信仰――というとかなり語弊があるが――も同じだ。

 思えば、最初からずっと紫苑の目には、真白も紅葉も等身大の姿で映っているみたいだった。神でも怪異でもない、救うべき人として認め、接していた。

 その態度こそが真白を神の呪縛から解き放つきっかけになるとはとんだ皮肉だ。祀りあげた神に捧げるべき信仰の中身が「お前は神などではない」など、宗教や神という概念に対して真っ向から喧嘩を売るようなものだった。


「真白」


 天海御子の様子に注意を払いつつ、兎の名を呼ぶ。舌に馴染んだ音は、怒涛の事態に麻痺し出した常盤の内面を表したかのように不揃いで聞き苦しい。


 誠司の言に乗っかるのは(しゃく)だが、若葉や紫苑のためにもここは追撃するべきだ。

 そう判断して、常盤は真白と視線を合わせるために身を屈める。空気の流れを敏感に察した真白が常盤の方へ顔を向けた。

 

「真白。これに関しては誠司が正しい。君が紅葉の和御霊であったとしても、紫苑の先祖が君を探せと言い残していたとしても、祀ったのはあくまで彼の記憶にある紅葉だ。白兎ではない。その証拠に、()()()()()()()()()()()?」


 刹那、死に間が訪れた。戸惑う常盤を見て誠司が何か言いたげな顔をする。それは常盤を咎めているようであり、何かに焦っているようでもあり、それでいて()()()()()()()()()()()と諦めているようでもあった。


《………………そう、だったな》


 狼狽する心を強制的に押さえ付けたような低い声で真白が頷いた。そのまま気取られることを恐れるように真っ直ぐ紅葉へと視線を投げる。紅葉が(わら)った。


「さよならだ、俺」

《――ああ。さよなら、俺。蛇神様を、頼んだ》

「お前も裔を――それから若葉を頼む」


 かつてひとつだったひとり(紅葉)一匹(真白)が互いへ祈りを託す。姿形は違えども、そこだけは変わらなかった同じ色の瞳がぶつかった。

 

 先に視線を逸らしたのは真白だった。天海御子を見つめた彼は、茶番の効果を確かめようとしていた。

 彼女が紅葉と黄泉の国へのふたり旅を受け入れているかを見定めようとしていた。


「紅葉」


 果たして――彼女は、破顔していた。艶やかに、清らかに、狂気の醒めやらぬ顔で。それでいて誰よりも理性的な澄ました微笑みを浮かべていた。

 

「紅葉、主はほんにしようのないやつよ。然れど生きるに飽き、共に死ぬが主の愛と(さえず)るなら、妾はその願いを受け入れよう。決して主を孤独にはせぬ」

 

 居丈高に言い切った天海御子が紅葉に抱き着いた。もはや真白の存在は眼中にないのか、一瞥もくれず、自己完結した想いを胸に蕩けるような笑顔を見せている。その幸福そうな姿を認めて、真白の耳がしおしおと垂れた。逸らされた赤目に寂寥(せきりょう)が灯る。

 

 欠片のようなものとはいえ、真白も紅葉だ。天海御子と共に過ごした記憶がある。彼女に愛され、信仰を捧げた記憶が真白にもあるのだ。たとえそれが全き存在の頃のものであったとしても、大切な、何にも変え難い思い出なのは変わらない。


 胸が張り裂けそうな悲哀を覚えているであろう真白が紫苑の腕から抜け出さないのは、紅葉に彼を託されたからだ。

 紅葉は天海御子のために。

 真白は萩原紫苑のために。

 それぞれがそれぞれの幸せを願って、役割を分担したにすぎない。


 綺麗な幕引きだ。蛇に狙われた萌葱も、攫われた若葉と誠司も、悲願を抱えていた紫苑も、誰も傷つかない終わり方だ。

 

「天海御子」


 その清々しい幕引きに、常盤は待ったをかける。どうせこれが最後になるのならと言う気持ちが常盤の気を大きくさせた。

 呼ばれた天海御子が紅葉から体を離す。


「……………………なんじゃ」

「ひとつだけ教えてほしい。神隠しに遭ったのは、紅葉、紫苑の先祖、若葉、誠司だけなんだろう?それにしては村落の者たちは用心しすぎだ。あれほど神隠しを恐れる理由がわからない」


 神隠しに遭うのは男性だけなのか、と常盤が尋ねた際、紫苑ははっきり三名の存在だけを口にした。そしてそのうち最後の若葉が神隠しに遭ったことは、常盤たちだけが知る事実だ。

 つまり、村民が知る被害者はたった二名のはずだ。いくら信心深い者であってもその程度であれば不慮の遭難や失踪、或いは出奔と捉えるのが普通ではないだろうか。仮に神隠しだと恐れたとしても、無人の村と言うに相応しい様相となるほど家に篭り切りになるとは思えない。


「どうして彼らはあんなにも恐れていたんだ?」

 

 純粋な疑問に束の間天海御子はきょとんと目を丸くして、まじまじと常盤を見上げてきた。幼気(いたいけ)(なり)に良く似合うあどけない表情だ。だが、それも質問の意味を把握するなり綺麗に掻き消えて、後には強烈な怒りだけが残された。


不届者(ふとどきもの)が神隠しを隠れ(みの)狼藉(ろうぜき)を働きおったのじゃ」

「…………………………は?それ、って」

 

 予想の斜め上をいく返答に絶句する常盤の視界がぐにゃりと歪んだ。この地を創造した天海御子が終わりを承諾したことで、夢境の崩壊が始まったのだろう。空間が捻じ曲がり、景色が無残に引き裂かれてゆく。


 その中心地で、とっくの昔に力を枯渇(こかつ)させながら今日まで生き永らえてきた天海御子が紅葉を抱きしめながら冷笑した。

 

「ほんに、人の子は他責がうまい」

 

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