表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/58

やさしかったから

 そう長い時間離れていたわけでもないのにひどく懐かしく思える声に、常盤は背筋を震わせた。無事だったことへの安堵か、神隠しに遭いながら憔悴(しょうすい)した様子のない図太さへの呆れか、はたまた彼が白蛇へかけた言葉に対する(おそ)れか。

 それとも、その全てか。

 

 ひとまず不遜(ふそん)な声掛けに怒っていやしないかと眼前の白蛇の表情を(うかが)った常盤は目を瞬かせた。

 

 白蛇の表情は凪いでいた。それどころかどこか茫然とした顔をしている。

 そう思った瞬間、白蛇はみるみる体積を減らしていったかと思うとその輪郭すらも解けさせて、幼い女の子の姿へと転変する。(うつ)くしい、と称するに値する見目だ。(つや)やかな白い髪と爬虫類(はちゅうるい)特有の瞳孔(どうこう)を持った赤目はぞっとするほど美しく、異様に長い手足と華奢(きゃしゃ)肢体(したい)が特徴的だ。


 その姿の向こう側に、ほんの少し疲れた様子の誠司と初めて見る白子病(アルビノ)の少年の姿があった。若葉の姿はどこにもない。そもそも、この夢境(むきょう)において若葉は実体を持っているのだろうかと、今更な疑問が常盤の頭を(よぎ)った。

 

 紅葉、と。紫苑が掠れた声で呟いた。ふらふらと常盤の横に並んで、焦がれるようにその姿をじっと見つめている。呼ばれた少年――紅葉は紫苑に視線をくれた後、物言いたげに真白を見下ろした。元は同一存在であるひとりと一匹の間には何か通じるものがあるらしく、仄かな笑みが彼の唇を(いろど)る。

 

「星の子。紅葉の客人よ。其方(そち)随伴(ずいはん)を申し出るかえ?」


 その様子を見ていた白蛇――天海御子(あめうみのみこ)が尊大な態度で誠司を見やった。幼い容姿を際立たせる覇気には一抹の怒りもない。

 どうやら彼岸(ひがん)のモノであれ此岸(しがん)の者であれ、同行してくれるなら特に(こだわ)りはないようだ。


 とはいえ、助けにきたはずの人物を連れて行かれては困ってしまう。そもそも誠司が共に死のうと申し出るような殊勝さを持ち合わせているとは思えない。

 いったいどういうつもりかと不安を胸に見守る常盤の前で、誠司が口を開いた。

 

「違います。供は俺です」


 それを制するように、紅葉が一歩前に出た。途端(とたん)(まなじり)を吊り上げる天海御子を柔らかな眼差しで見つめて、ゆるゆると首を振る。


「賭けをしたんです、蛇神様。貴女がかつてあの子――(くろがね)に賭けを持ちかけたように、俺もこの地へ招いた余所者と賭けをしました。()()()()という言葉を正しき形で示せたなら、ひとつだけ、何でも望みを叶えてやる、と」

「……なんと愚かな」


 天海御子が唸る。ぐしゃりと髪を握りつぶして、無理矢理感情を押し殺したような無機質な声で「愚かな」と今一度罵倒(ばとう)する。


何故(なにゆえ)死を所望(しょもう)する。何故、妾と生きたいと望んでくれなんだ」

「……生きたいとも、思っていました」


 紅葉が天海御子とそっくりな目を細めて儚く笑う。


「貴女や若葉と生きたい。夢境の外へ行きたい。かつてあの子と過ごした日へ往きたい。……全てを終わりにして、逝きたい」


 常盤たちを助けてくれる真白を和御霊(にぎみたま)とするなら、誠司や若葉を神隠しした紅葉は荒御霊(あらみたま)だ。そして荒御霊とは、神の荒ぶる側面だ。霊力の穏和な働きを指す和御霊と対を成して勇猛さを指し示すそれは、時に神の怒りや祟りそのものを指す。

 

 祀りあげられ、真白を欠き、(くま)なき月でなくなったその精神は安定とは程遠い。常にゆらゆらと感情のままに天秤を揺らしている。

 

 紅葉が誠司にどのような条件下で出題し、回答されたのかはわからない。ただ、どの()()()()もその時々の彼の本心で、だからきっとどう答えても正解だったのだろう。

 解答者の当てはめる漢字次第で、迎える結末が変わる可能性があったというだけで。


「彼は俺が貴女と心中(しんじゅう)することを望みました。殺したいくらい嫌いな奴の望みを叶えるのは憤懣(ふんまん)やるかたありませんが、しかし、それがきっと一番正しい道なのです」


 不気味なぐらい穏やかな調子で紅葉が言う。慈愛に満ちた赤は澄んでいた。

 

 殺したいとまで言わしめた張本人を常盤は無言で見つめる。頭のてっぺんからつま先まで傷ひとつなさそうだが、この可愛くない後輩は何をしでかしてくれたのだろうか。

 心当たりを吐けと睨めば、(はす)に構えられた。この男、まさかとは思うが命の危機にあってもなおこの態度を貫いたのだろうか。いっそ天晴れとも言える不遜(ふそん)の振る舞いを運悪く見てしまったのか、常盤の影に隠れながら萌葱が「誠司さん……」と半笑いで天を仰いだ。


 紅葉が息を吐き出す。己を鼓舞(こぶ)するように胸元に手を置いてから、その手を凍りつく天海御子に差し出した。


「だから、逝きましょう。俺と、貴女と。ふたりで手を取り合って、奈落の底へ堕ちましょう」

「嫌じゃ、嫌じゃ!主となら妾は死にとうない!吾子(あこ)(かいな)に抱いて、それで……!」

「蛇神様。俺も、貴女も、永く生きすぎたんです。元々神ではないからこそ、矜持(きょうじ)を守るためにも人を害してはいけない。貴女が俺を此処へ連れてきてくれた時、最初に告げた言葉です。覚えていますか?」

「………………それ、は」

「貴女はご自分で敷かれた道理を違えました。降り積もった寂しさのせいだと知っています。俺が鉄に心を許しすぎたせいだとわかっています。貴女の所有物(生贄)でありながら、俺はあの時、(くろがね)の話に、生きる時代に興味を持ち過ぎてしまった。全部俺のせいだ。それでも俺は、俺は貴女が貴女でなくなっていくのが、一番つらかった……!」


 不意に、泣くように、吐き出すように、紅葉が声を荒げる。絶叫に近い音で、思いの丈を叩きつける。


「だから、もう終わりにしましょう…?招かれざる者の言葉に心動かされたのでしょう?――俺がいます。貴女と同じく人を害した、貴女だけの生贄がいます。簒奪者(さんだつしゃ)を赦せとは言いません。裏切り者に応えろと強要(きょうよう)することはできません。それでも、それでも、貴女は優しい神だったから!だから!」


 また、わらってほしいだけなんです。


 かそけき願いが、夢境に溶ける。

 感情に突き動かされて飛躍(ひやく)した訴えは支離滅裂(しりめつれつ)と言ってよかった。それほどまでに無様で、みっともなくて、優しいからどうしたと怒鳴り返されても仕方のないものだった。今でも笑っていると言われたら反論のしようもなかっただろう。

 それでも、天海御子に響くものはあったらしい。


「其方はずるい……!」

 

 彼女の涙腺が決壊した。ほろほろと瞼の淵から雫が落ちる。

 真白が床を蹴った。短い距離を詰めて、崩れ落ちた天海御子の肩まで器用に駆け上がっていく。両手で顔を覆って肩を震わせる彼女の頬に、必死で擦り寄っている。


 抱きしめるように。愛するように。

 ……自分(真白)も同じ気持ちだと、伝えるように。


 常盤は、ただ呆然と紅葉たちを見据えた。彼らの会話を咀嚼(そしゃく)して、飲み込んで、動揺を隠せなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 泣き笑いが脳裏に閃く。止めないでと願った声が心を荒れさせる。忘れてほしくないと(こいねが)()の人を、常盤は生涯忘れることはない。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 だから、共に堕ちるそのために、同じ罪を犯した紅葉の気持ちが痛いほど理解できてしまう。代償を支払う(同じ罪を背負う)日を待ち侘びている常盤には、その言葉は響きすぎる。

 

「嘘だ」


 羨望すら抱える常盤の横で、紫苑の口から譫語(うわごと)が漏れる。はっとしたように口元を手で覆っているが、一度放たれた言葉は取り消せない。

 

 誠司の冷ややかな視線が紫苑に飛んだ。やや逸れているのは、ぼんやりとしか見えない視界で声の出所を捉えようとしているからだろう。

 

 眼鏡を手渡すべきだろうかと常盤は無意識に(ふところ)を探った。だが、持ってきた覚えのない物があるはずもなく、常盤は湧き上がる羞恥心(しゅうちしん)によって赤面するのを回避するべく素知らぬ顔でそっと手をポケットから出した。


「嘘だ。嘘でしょ、紅葉。真白」


 紫苑が一歩二歩と足を踏み出す。

 悲願を抱えた彼の心が奏でる盛大な悲鳴に真白が(おもて)をあげた。惑うようにゆらゆらと赤が揺れる。

 紅葉が冷たく笑った。


 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ