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道は四つ

 月明かりを取り込む窓もない廊下は、一寸先を見通すことすら至難に思われるほどの暗がりと痛いほどの静寂に覆われていた。


「萌葱。ライト」

「わかってる。ちょっと待ってくれ」


 振り返りもせず前を見据えたまま紫苑が灯りを要求する。二つ返事で応えた萌葱がポケットからスマートフォンを取り出すと、事前にインストールしていた懐中電灯アプリを立ち上げる。

 一条の光が廊下の先を照らし出した。ぼんやりとだが、奥に階段が浮かび上がる。扉の配置を見るに、館の構造は現実世界と変わらないらしい。

 

《本来ここは、眠る者しか招けない》


 一歩一歩神経を尖らせながら歩き出した常盤たちの緊張を和らげるように、真白が語り出した。


《この世ならざるモノを信ずる者や理解に努める者のみが足を踏み入れることを赦された夢境(むきょう)の地だ。傷を負えば痛み、(くじ)ければ食われる。心身の致命傷は避けてくれ》

「物騒だな。切符(きっぷ)を渡したのは君だろう」

《それが(すえ)の願いであり、裔の望みを断る対価だったからだ》

「……対価?」


 不穏な気配を漂わせる言葉に常盤は階段へ下ろしかけた足を止めた。常盤と並ぶように歩いていた萌葱も足を止めて紫苑の背中を見やる。

 彼は振り返らなかった。腕の中に抱えられているであろう真白も、紫苑の肩に乗っかって顔を見せるようなことはしなかった。


《そう。悲願が叶わなかった際の保険だ。お前の連れは贄候補が適応しきれなかった場合の保険として招かれたが、裔のそれは志願だった。……不可抗力でない者は、此方の物を食さずとも染まりやすい》


 酷薄とも言える冷淡さの中に痛みを潜ませながら真白が紡ぐ。

 断る対価と言ったからには紫苑の望みは潰えているように思えるのだが、口惜しそうな様子を(かんが)みるに完全に諦めさせることができていないのかもしれない。


《裔の手綱を握っておけ。それができなければ、お前たちは人殺しと変わらない》


 明け透けな助言がもたらす静かな衝撃が常盤の全身を貫いた。薄々そんな気はしていたが、こうして形にされると堪えてしまう。


 紫苑の悲願。それは萩原一族の罪を(あがな)い、先祖代々託された願いを成就(じょうじゅ)すること。即ち、紅葉が過ちを犯す前に兎――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 では、紫苑が掛けようとした保険とは何か。考えるまでもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それも紫苑が真白に見せた態度からして昨日や今日思いついたことではない。ずっと前から――恐らくは萌葱の前で絵画(かいが)を見つけたその日から、彼は決して自分を(さら)ってはくれないモノの元へ(おもむ)き、どのような形であれ共に過ごせる日を夢見てきたのだろう。

 有り体に言えば狂っている。正気を保ちながら、紫苑はこの世ならざるモノに魅入られている。

 

「愚かだとか言わないでよ。特にあなたは同じ穴の(むじな)なんだから」

 

 無理解を弾き出した常盤の思考を察したらしい紫苑が痛いところを突いてきた。常人には見えないモノを視る彼の目は、的確に常盤の弱点を見抜いている。

 常盤が忘却を恐れて兄を真似するように、紫苑は必要とあらば自らを生贄にすることも辞さないほど紅葉に入れ込んでいる。これはそれだけの話なのだ。

 

《……おかしいだろう。何故人であるお前が説得を諦める。そして贄候補の妹は何故黙りこくっている》


 唸るように文句を言う真白の言葉にそう言えばと視線を移した常盤ははっとする。萌葱はひどく傷ついた顔をしていた。


「……萌葱?」


 そうっと努めて優しく声をかける。萌葱が常盤を見上げる。その目が、唇が、震えている。

 

「あ、あたし、紫苑が残るつもりだなんて、そんなの知らなかったから。知ってたら、知って、たら……」


 どうすることもできない。前以て紫苑から若葉を救う手段を教えられていたとしても、豊穣祭を明日に控えた今、代替案を出すには残された時間が少なすぎる。苦肉の策だよとでも笑われてしまえば、況してや紫苑自身が望んでの選択であったときては、兄を想う萌葱は心からその選択を反対することはできない。

 

 本人もそれを理解しているのだろう。尻すぼみになった言葉尻は弱々しく、自嘲の響きを孕んでいた。

 萌葱には似合わない(かげ)りに、常盤は(ほぞ)を噛む。声をかけなければよかった。傷心に塩を塗るような対応ではなく、明るく話を変えてやればよかった。彼女にはいつだって向日葵(ひまわり)のように笑っていてほしいと思うのに、たったそれっぽっちのことが常盤にはひどく難しい。


《泣くな。揺らぐな。落涙(らくるい)や動揺は蛇神様の付け入る隙となる》

「で、でも……っ」

《それができなければ俺を信じろ。俺は裔を犠牲にするつもりで協力したわけではない。その逆だ。招かれた者たちと共に帰れるように手を貸している》


 小さく可愛らしい姿で力強く言い切った真白は真剣だった。具体的な方策は何も示されていないのに、無条件で信じていいのだと信じられる。

 小さな兎は、少なくともこの場にいる誰よりも落ち着いている。


「終わり方は、四つ」


 不意に紫苑が口を開いた。感情に富んだ声音ではなく、色褪せた感情を押し殺した声で言う。

 

「一つ。僕たちが全滅するバッドエンド」


 マルチエンディングの仔細を語るような端的さで紡がれたのは、バッドエンドの名に恥じない終わり方(エンディング)だ。

 全滅とは言っても、本当に死ぬとは限らない。怪異や高みの存在の気まぐれで生かされることは十分にあり得る。しかし、それは死なないと言うだけだ。命が潰えるわけではなくとも、常盤たちは夢境に囚われ、萌葱は蛇神の贄となり、誰一人として現実に還ることができない。

 それを、しあわせ、と呼ぶことはできない。

 誰の望みも果たされないという考え得る限り最悪のパターンを最初に提示されて常盤は顔をしかめた。

 

「二つ。贖罪(しょくざい)を望む僕が立候補して此処に残る、僕にとってのハッピーエンド」


 紫苑が優しい目をして真白を見つめる。幼少から抱えて生きてきたであろう覚悟は常盤の心にも重く響いた。受け取ってやるのが誠意だと、本人でなくともわかる。

 だが、紅葉がどうかは知らないが、その覚悟を真白は望んでいない。明言こそされていないものの、真白は紫苑が人として生きて大往生することを望んでいる節がある。

 

 素っ気ない物言いをしていても、真白は優しいから。

 

 かつて慈しんだ者の末裔(まつえい)日向(ひなた)で笑う姿が好きなのだと、言われずともわかってしまう。

 

「三つ。蛇神を(たお)し、紅葉に若葉たちを諦めさせて、真白ともども置き去りにして帰るメリーバッドエンド」


 それは真白が望む結末だ。彼岸のモノは彼岸に、此岸の者は此岸で生きていく。萌葱の安寧のために蛇神(姫様)にだけは消えてもらう必要があるが、それ以外は殆ど元通りの日常に帰るのだ。

 (ただ)し、この場合萩原一族の悲願は達成されない。常盤たちは協力させるだけさせて、助けてもらって、紫苑に兼ねてからの志を捨てさせる。


 真白本人が望む結末であったとしても、非日常に足を突っ込んでからずっとそばにいてくれた兎を置き去りにするという後味の悪さも相俟って、手放しで喜べる終わり方ではない。

 

「四つ。蛇神をどうにかした上で僕たち一族の悲願を果たし、真白(紅葉)と共に皆で帰るトゥルーエンド」


 最高に難易度の高そうな――けれど実質一択の未来に固唾を呑んでいた萌葱が紫苑の腕を引っ張った。予期していたのか、体勢を崩さずに振り返った紫苑が儚く笑った。


「……オススメは、二つ目だよ」

「いやだ!置いていかれるあたし達の気持ちも考えろ!絶対に、ぜっったいに許さないからな!」


 萌葱が叫ぶ。その気持ちは常盤にも痛いほど理解できた。

 ()()()()()()()()()()()()。いつまでも置いていった人を思って、美化して、その存在に囚われる。

 

 しかし、一方で最善手が二つ目であることもわかっていた。

 紫苑は此処に残ることを納得している。いいや、そんな生温い覚悟ではない。真白と共に在りたいというそれは、彼の嘘偽りのない本心だ。他者がその心をどうこう言うのは、傲慢に過ぎないのかもしれない。


《なれば主も残れば良かろう》


 ふっと背筋の粟立つ美声が全身を通り抜け、廊下に木霊した。一拍置いて萌葱が悲鳴をあげる。

 彼女の首元に、蛇がいた。白く滑らかな鱗が暗闇の中ぼんやりと浮かび上がっている。


《その身体、存分に使うてやるぞ》


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