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交錯する思惑

 あの後、姫様とやらが居そうな館に萌葱を残すのも不安に思った常盤は、彼女を連れて神社まで軽車を走らせていた。無論、常盤の車ではない。萌葱から鍵を借りて新橋兄妹が移動のために購入した車を運転している。


 自分が運転すると暫く譲らなかった萌葱だが、助手席に座った彼女の顔色はまだ悪かった。真っ青からは脱したものの血の気は戻っていない。そこに泣き腫らした目の痛々しさが加わって危うげな雰囲気を醸し出している。彼女の意思を尊重して運転を頼める状態ではなかった。


 とは言っても、一番解消したかったであろう常盤への懸念が約束という形で解消される未来が確約された今、心に幾分かの余裕が生まれたようで膝に乗せた真白を心のままに愛でている。誠司同様、萌葱に泣かれると弱い常盤は心の底から安堵した。


 とうに昇った陽が照らす緩やかな傾斜を車が走る。生い茂る緑は吹く風に(そよ)ぎ、行先を示すように斜面の先を開けさせる。爽やかな夏特有の高い青空を飛ぶ感覚に似た走り心地についアクセルを踏む足に力が入りそうになる。逸る心がその一因になっているのもあるが、自制するのがなかなかに難しく、結局ぐんと上がったスピードに助手席から小さな悲鳴が起きた。


「と、常盤さん!減速!減速!」

「ごめん!でも事故を起こすほど速度は出さない!」

「違う!真白が怖がってる!」


 そっちか、と思いながら素直に減速した常盤はちらりと横を覗った。もう大丈夫だぞと励ます萌葱の膝の上で、小さな生き物はぺしゃんと耳を伏せてふるふると震えていた。心なしか赤目がうるうると濡れている気がする。


「常盤さん」


 にっこりと萌葱が笑う。素晴らしい笑顔だが、残念ながら目が笑っていない。


「あたしも早く兄さんと誠司さんの件を解決したいけど、この速度は維持な」

「………………はい」


 ハンドルを握る手に汗が滲む。


 どれだけ焦っていようと法定速度は守らなければならない。自分のためにも、同乗者のためにも。わかりきったその教訓を改めて常盤は己の心に刻んだのだった。




 *

 



 軽車を走らせること数十分。同じような風景を何度も通り抜けた先で、車道の中央に佇む影を見つけた常盤は急ブレーキを踏んだ。後続車がいないため追突事故などの恐れはなかったが、傾斜の時とは比べ物にもならない衝撃に息が詰まる。運転していた常盤でそうなのだから助手席の萌葱たちは余計にダメージが大きく、ぐったりとしつつも力を失わない目で恨みがましく睨み上げてくる。


「いっておいで、真白。あたしが許す」

「いっ!?」


 ぼそりと低い声で呟いた彼女の膝の上から真白が跳ねた。意図を察して身を引こうとした常盤の腕にがぶりと歯が立てられる。甘噛みよりほんの少し強く、されど皮が破れる程度の絶妙な力加減だ。


 責めるには甘すぎる何とも言えない塩梅の噛みつき方に口の端を引き攣らせた常盤は真白の口元から腕を離そうとする。ずるずると付いてきた。ではこれでどうだと腕を持ち上げてみる。ぶらんとぶら下がった。


 間抜けな絵面に萌葱が吹き出す。


「あはは、もういいよ、真白。戻っておいで。それ以上は常盤さんが可哀想だ」

「そう思うなら初めからけしかけないでくれ……」

「無理。急ブレーキで死ぬ人だっているんだからな。内臓破裂とか骨の損傷とか、年齢なんて関係ないリスクは多いんだ。咄嗟(とっさ)に抱えたからいいけど、真白の骨はあたしたちより脆そうだし」

「……そもそも真白は普通の兎じゃないと思うんだが、ってそうじゃなくて」


 前、と前方を見るよう注意を促す。素直に視線をやった萌葱がぽかんと口を開けた。


「紫苑のじいちゃん」


 白鳥神社の階段の下。茫然(ぼうぜん)と立ち尽くす神主の姿があった。昨日(さくじつ)目にした掃除用具類などは持っていない。白衣と(はかま)を着込んでいるものの慌てて着用したのかあちこちに(しわ)が寄っている。魂が抜けた面持ちは地黒なのを考慮しても土気色(つちけいろ)を通り越していて、幽鬼(ゆうき)の如き有様だ。


「どうしたんだろう」


 祖父や兄が揉めているとは言え、親しい間柄の老人だ。常盤に真白を押し付けた萌葱が手早くシートベルトを外して外に飛び出していく。


「紫苑のじいちゃん!どうしたんだ!?」


 開けっぱなしのフロントドアから聞こえる呼びかけを半分聞きつつ、真白を肩に乗せた常盤も萌葱に続いて外に出た。


 じりじりとアスファルトを焼く夏日が肌を刺す。眩しさと熱気が堪えたのか真白がか弱く鳴いた。


 この時期この時間帯は日が照れば飼い犬や野良の(たぐい)を見かけなくなる。人ですら辟易(へきえき)する日射は二十度前後を快適と感じる動物――にカウントしてよいものかは審議するとして、真白にはつらいのだろう。

 しかし車に戻そうと持ち上げて座席に下ろした途端、腕の上を器用に登ってくる。


「お前なぁ」


 人の気遣いを無碍(むげ)に扱う真白を常盤は半眼で見つめた。


「暑いんだろう?無理しなくていいから、車の中で待っていても」


 いいんだ、と最後まで言う前に、萌葱の驚愕の声が大きく響き渡った。


「じいちゃん!?ちょ、とっ、常盤さん!こっちに来てくれ!」


 はっとして見た先で、神主が萌葱に向かって倒れていく姿がスローモーションのように映る。常盤は慌てて駆け寄ったが時既に遅く、老人とは言え成人男性の全体重を支えきれなかった萌葱が尻餅をついた。反射でついた手がアスファルトに焼かれる痛みに萌葱の顔が大きく歪む。


 急いで神主の左側に回った常盤は力を失ってだらりと下がった腕を自分の肩に回した。


「すまない、萌葱。右側を」

「うん」


 僅かな隙間から抜け出した萌葱が素早く右側に回って常盤と同じように神主の体を支えた。声を掛け合ってふたりで体を持ち上げる。身長差でずるずると足を引きずってしまうのはご愛嬌だ。


 四苦八苦しながら何とか階段下まで神主を引きずった常盤たちは大きく息を吐き出した。思わぬ重労働で萌葱の頬が血色よくなったのは僥倖(ぎょうこう)だが、じっとりと肌を伝う汗が不愉快だ。


「それで?神主はどうしてあんな所で立ち尽くして、何で倒れたんだ?」

「えっと、それなんだけどな」


 手でぱたぱたと扇ぎながら萌葱が眉尻を下げた。


「紫苑がご神体と家宝を持ち出していなくなっちゃったんだって」

「…………………………は?」


 ついでに車もない、と妙にテンポよく付け足す萌葱に常盤はぱかりと口を開いた。

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