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運命を告げる手紙

 かたん、と。鬱屈うっくつしたもやを抱える常盤を嘲笑うように、軽やかな音が鳴った。何かが投函とうかんされた音に、一瞬空気が凍り付く。


 構造上、常盤のアトリエは外からの音を拾い難い。ささやかすぎる音を聴き逃すことだってある。だが、こうも静かな空間で投函された音だけが響くことはまずなかった。必ず排気音がして、人の駆ける音がして、それからポストに物の落ちる音がする。


 まず、嫌がらせの線を疑った。誰かが忍び足でやってきて、悪意に塗れた手紙を入れていったのではないかという恐れが込み上げてきた。万人に好かれると夢を見ているわけではないが、嫌われたいわけでもない。誰かから向けられる否定は柔い心を容易く切り裂いてしまう。


 目を見開いて動けなくなった常盤を一瞥した誠司が立ち上がった。大股で玄関口に近寄り、投函されたものを取り出す。怪訝そうに眉が顰められた。さっと手に取ったそれを裏返し、更に訝しげな顔になる。不穏な気配を察知した常盤の顔も、自然と強張った。


「……何か、変わったことがあったのか」

「いや」


 短い否定。理知的な榛の中に一筋の赤を差し込ませて、警告するような瞳が常盤を射抜く。


「君宛かもわからない」

「は?」


 何を言っているのか。詳細を問う前に、誠司が手に取ったものを差し出してくる。受け取るために席を立った常盤は、恐る恐る近づいてそれを手にした。


 どこにでも売っていそうな、ありふれた白い封筒だった。表にも裏にも何も書かれていない。厚さもそれほどなく、試しに電灯に透かして見れば二枚ほど紙が入っているのがわかる程度に薄かった。


「普通の手紙じゃないか」


 宛先がないなどの多少不審な点はあるが、あからさまに警戒を滲ませるほどのものには思えない。


 深い安堵に包まれて、常盤は笑った。そのまま呆れた調子で軽口を叩けば、誠司がわかりやすくはっきりと顔をしかめた。淡白な表情を揺るがすことの少ない彼がこうも露骨に不快感を表すのは珍しい。最後に見たのはいったいいつだったか。


 色濃い不快に非難の色さえ見いだして常盤は怯んだ。反抗心は首をもたげなかった。今回は誠司が正しいと直観が告げていた。


「そうか。君の常識では宛名のない手紙は普通なのか」


 間髪入れず皮肉が飛ぶ。いや、皮肉ですらなかったかもしれない。彼は心の底から感心した様子で常盤の無警戒さを揶揄やゆしただけだ。それに神経が逆撫でられたと感じるのは、ひとえに常盤が未熟だからに過ぎない。


 噛みつきそうになる口を常盤は必死で引き結んで、手紙の封を切った。不揃いな切り口の隙間から、二つ折りにされた紙が一枚、それから小さなメモ用紙のようなものが一枚、それぞれ存在を主張する。


 常盤はどちらから見ようかと束の間逡巡した。二つ折りにされた手紙が本題には思えなかったからである。ちらりと見えたその内側に書かれる線や文字の多さから、何となくだが地図のような気がしたのだ。


「どうした」


 迷いを見透かしたように誠司が口を開く。得体の知れない封筒の中身にそれなりに興味があるようで、中身を見せろと言外にせっつく様子は珍しかった。


「どうもしないよ」


 腹を括って、ひとまずメモ用紙を取り出した。軽い音を立てて出てきたその紙は殆どが余白で、ただ中央に大きな字で『かれを、たすけて』と書かれている。


「………………これは、うん」


 震えを隠せていない、赤い筆跡。簡単な漢字すら使われずに書かれた、謎だらけのSOS。

 読んだところで疑問符しかもたらさないそれに常盤は何とも言い難い気持ちに襲われて口を噤んだ。何故自分の元に救援要請が届いたのか心当たりがないだけに、いっそう不気味である。


 戸惑いを隠せず黙りこくる常盤の手から誠司がメモ用紙を抜き取った。表面に触れて、字を撫でて、幾ばくか考え込んで、微かに笑う。


「なるほど」


 何がなるほどなのかと突っ込みそうになった常盤は、しかし彼の笑みに既視感を覚えて目を瞬かせた。


 そう言えば、サークルで肩を並べて友達なんて関係を構築していた頃、彼はたびたびこのような顔をした。新しい発見に目を輝かせる学者のように、自身の知識だけでは瞬時に太刀打ちできない難題を見つけては殊更嬉しそうな顔をした。


 頭のいい男の、趣味の悪い遊びである。


「何かわかったのか?」

「いや何も?」


 飄々と真偽のわからない戯言を吐いて誠司が常盤の手から封筒を奪った。あっ、と声をあげる間もなく、二つ折りにされた紙が取り出され、手早く広げられる。


 予想通り、それは地図だった。とある地域の山間部を中心に描かれているようで、思ったほど情報量は多くない。


「此処か」


 すっと長い指が一点を指す。山の頂上付近に赤いペンで丸がつけられていた。


「…………何処だ、これ」

「さあ。行ったことはないが、行くべきだろう」

「正気か?宛先も何もない手紙だぞ」

「普通の手紙と君は言ったろう。それに」


 さっさと紙とメモ用紙を封筒にしまった誠司が常盤の胸にそれを押し付ける。反射で受け取った常盤は、続く言葉につい舌打ちをした。


「助けて、の言葉を君が無視できるとは思えない」

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