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新橋家と萩原家

 萩原(かつ)。今年喜寿(きじゅ)を迎えた白鳥神社の現神主は、新橋兄妹の祖父(げん)と幼馴染みであり、学友であり、腐れ縁であったそうだ。青春時代はともに学園のマドンナに恋をして、競争するように告白し、見事ふたり仲良く振られてしまい、暫くやさぐれたこともあったという。


 そのような気の置けない仲であったふたりだが、玄の葬式以前から十年ほど交友が絶えていたそうだ。理由は不明。紫苑は知っている様子だったそうだが若葉たちがどれほど尋ねても決して口を割らなかったらしい。これに関しては生前の祖父――玄も同じだったらしく、それならばと頑固な老人を兄妹は放っておくことにした。


 そう言った昔話を聞きながら、常盤と誠司は風呂上がりの萌葱に館を案内してもらっていた。


「あの絵はさ、お祖父様が若い頃に紫苑のじいちゃんから貰ったんだ。いっとう素晴らしいあの部屋に飾ってくれ、それが無理なら館を譲ってくれって」

「当時から言われていたのか?」

「うん。だから兄さん、お葬式でそれを言われて大激怒したんだ。友情がなくなって十数年とはいえ、血も涙も常識も欠けているあなたにだけは天地がひっくり返ったって譲るもんかって」

「怒らすと怖いからなぁ」


 在りし日に見た若葉の激昂する姿を思い出して、常盤は遠い目をした。あれは怖かった。若葉の背後に般若はんにゃが見えた。頭には角の幻覚が見えたし、吐き出される言葉の痛みに心臓が縮こまった。


 今となっては怒らせた誠司の頭をむりやり下げさせて関係のない常盤と萌葱まで平身低頭したこともいい思い出であるが、当時は下手なホラー作品より恐ろしいと震え上がったものだ。


「うん。だけどあの日の兄さんはいつも以上に怖かった。誠司さんでも尻尾を巻いて逃げたんじゃないかな」

「それほど彼を怒らせたとはもはや稀有けうな才能だ。誇らせた方が後腐れがない」

「そんなことない!謝ってくれた方が兄さんは鎮火するから!……いまだに兄さん、紫苑のじいちゃんのこと許してないんだ。紫苑まで兎とか言い出したし」


 一階の案内も終わり、二階に上がってすぐ左側にある扉の前に立った萌葱が常盤を見上げた。


「紫苑はさ、あたしたちが引っ越してくるまではここに来た時だけ会える特別な友達だったんだ。その頃は兄さんとも今みたいじゃなくて、普通に仲良く遊んでて、そう、妹でも手いっぱいなのにってよく兄さんを困らせてた」


 萌葱がドアノブに手をかけて扉を開く。紙の匂いがぶわりと押し寄せた。書斎だ。開け放された先に、天井へ届くほど背の高い本棚の群れがそびえている。部屋の最奥の壁際から人一人が通れるぐらいの間隔を空けてその群れは続いているようで、空間の殆どを占拠してしまっていた。そしてそれだけの棚に、本が隙間なく並べられている。


 圧巻の光景に常盤は思わず一歩足を踏み入れた。見渡した部屋の片隅に一か所だけ、本を読むスペースとして小さな机と椅子が置かれている。


 書斎というより書庫という方が相応しい空間に誠司が感心の吐息を漏らした。


「理想的な環境だ。素晴らしい」

「誠司さんは本の虫だもんなぁ。常盤さんは?」

「僕は別に」

「そっか。ジャンルにかなり偏りはあるけど種類だけは豊富だから、読みたい本があったら好きなだけ読んでくれ。あ、でも持ち出しはダメだからな!お祖父様がそう決めてたんだ」

「今でも守ってるのか。偉いな」

「兄さんがそうしろって言うから」


 褒められ慣れていない様子で萌葱がはにかんだ。まろやかな頬がとき色に色づく。


「と、とにかく次!お祖父様の部屋!」


 叫ぶようにそう言った萌葱の手が前方にいた誠司の腕を掴んで力強く引っ張る。惚れ惚れと書斎の本を見ていた誠司が不意打ちにたたらを踏んだ。その一瞬の隙を逃さず常盤はドアノブに手を伸ばすと勢いよく扉を閉める。思いの外騒々しい音が鳴り響いた。


「常盤」

 誠司が自らの腕を掴む萌葱の手を下ろさせながら眉を寄せた。引っ張られた瞬間微かに見せた後ろ髪を引かれる色は消え失せているものの、当然ながら機嫌はよろしくなさそうである。あからさまに態度にこそ出していなかったが、気に入らないと全身で主張していた。


 駄々を捏ねる子どもに似た様相に常盤が応えるよりも早く、誠司が口を開いた。


「乱暴に扱うな。埃が舞う」


 至極最もな指摘だった。

 ドアノブを握りしめた状態で、常盤はひとまず蝶番が壊れていないかさっと視線を滑らせる。存外丈夫に作られているらしく、アンティークめいた色合いの金具部分が鈍く煌めいた。


「えっと、掃除はしっかりしてるからそう気にしないでもいいんだけど」

「そういう問題ではない」

「そういう問題だ。あたしがいいって言ってるんだから。誠司さんは融通が利かなさすぎるよ」

「君は常盤に甘すぎる。憧憬の有無で贔屓するのは褒められた行いではない」

「うっ」

「それでもこの館の最高権力者が君ならば従おう。しかし違うのであれば、俺は俺の信念に従い反論をさせてもらう」

「ううううう……!」


 じわりと萌葱の瞳が濡れる。

 舌戦に負けた彼女の涙の気配に誠司が怯んだ。彼女が若葉の元に逃げ込む未来が見えたのだろう。常盤は突如降って湧いたこの厄介ごとに誠司がどう対処するのだろうかと、助け舟を出すのはやめて静観することにした。


 一連の流れだけを鑑みると誠司に分があるが、萌葱が泣いたが最後、若葉は萌葱の味方をする。泣かせずとも場を収められただろうと信用から敵に回り、徹底抗戦の構えを取る。謝罪の言葉が聞けるまで館から放り出すことも検討するだろう。前者はまだしも書斎に興味を惹かれ祖父の日記という餌をぶら下げられている今の誠司には拷問に等しい制裁だ。


「紫苑の話を続けろ」


 ぶっきらぼうに誠司が言った。あまりに下手な話の逸らし方だったが、彼らしいと言えば彼らしいぞんざいさである。


 両目を擦った萌葱が二回深呼吸をした。目の端は濡れ、瞳は水面のようである。


「紫苑は友達なんだ。昔も今もそれは変わらない。神社よりも安全だからって、紫苑のじいちゃんに連れられて館にきて、よく隠れん坊をしたんだ。すごく楽しかった。あたしが若葉の妹になったばかりの時から、ずっと、ずっと変わらない。変わらなかったのに、お祖父様たちが喧嘩して、亡くなって、館を譲れとか言い出して、紫苑も兎でもいいなんて言うからおかしくなった。三人でいられなくなった」


 ああでも、と。誠司の要望に応じていた萌葱が震える声で言う。


「昔からここに来た時は、隠れん坊をしながらいつも何か探してた。一回さ、鬼のくせにあたしたちを探しもしていなかったから、どうしたんだ、って訊いたら何でもないって言われたことがあったんだけど、絶対何でもない顔じゃなかった」

「それを見たのは何処だ」

「何処……?」


 誠司がすかさず質問を挟んだ。萌葱が考え込む。小さな頭を必死で働かせるいじらしさは小動物のようで庇護欲を煽られた。

 見守る常盤たちを前に回顧に没頭していた萌葱が「あ」と声をあげる。


「何で忘れてたんだろ。あのときの紫苑は、絵を見てたんだ」


 絵。タイムリーな単語に常盤の心臓が強く脈打つ。

 誠司がさり気なく口元を手で覆い隠した。


 笑っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 今日はよく表情の変わる日だと常盤が軽口を紡げないほどに、それは意味ありげな笑みだった。


「客室のあの絵。あれを見て、見つけたって。うろ覚えだけど、たぶんそう言ってて、あたしたちを見つけてないのに?って思ったんだ」

「他には?」

「他?他は何も」


 重ねられた問いかけに萌葱は首を振る。

 書斎の隣の部屋まで歩を進め、気を取り直すように笑った。


「ここがお祖父様の部屋。入ってもいいけど明日にしてくれ。書斎もだ。特に誠司さん。兄さんがいつまで経っても風呂に入れない」

「入浴後はダメなのか」

「ダメ。時間を忘れて没頭するだろ?客人が寝ていない家で眠れるほど神経は図太くないんだ」


 納得できるようなできないような微妙な線の言い分に誠司が口を噤んだ。観察するように萌葱を見つめる彼に(なら)って常盤も彼女をとっくりと眺める。


 萌葱に変わったところは見られない。浮かぶ表情も、仕草も、声色も、癖も、()()()()()()()()()()()()()()だ。若葉のように頼み事があるとも思えない。


「わかった。君の言う通りにしよう」


 やがて、誠司が了承の意を示した。萌葱の笑みが華やぐ。

 嬉しそうに見えるその笑みが、なぜだか常盤の胸をざわつかせた。

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