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謎解きならず

「何か心当たりは」


 すっかり平素の状態を取り戻した誠司が冷静に言う。


 常盤は何から話すべきか迷った。過去自分が体験した出来事か、絵画の着物の人物の色と類似する兎の特徴か、館の前で聞いた歌声か、探さないでと言った声か、それとも祖父の部屋に立ち入っていいと言われたことへの違和か。


「何で僕じゃなくて、誠司なんだ」


 結局出たのは、そのどれでもなく、それどころか全く関係のない罪悪感混じりの不満だった。


 常盤は神を、幽霊を、超常現象を信じている。面白おかしく消費コンテンツとして巫山戯(ふざけ)る者には同調しかねるが、それ自体の研究をしたいとそういう者の巣窟(そうくつ)であるオカルトサークルに所属してしまった程度には幻想でないと見做している。


 今回封筒を受け取ってから館に至るまでに起きた現象に人智を超えた何かが絡んでいて、その被害が今後待ち受けていると言われたならその言葉を鵜呑みにできるほどにだ。


 誓って常盤は信心深い者ではない。宗教に傾倒し、布教する情熱など端から持ち合わせてはいない。純粋に迷信や俗信を世迷言(よまいごと)と思っていないだけだ。


 しかし、その考えの前提全てに()()()()()()()()()()()、とつく。


 単独行動をした際、不都合が生じたとしてもその被害をこうむるのは必然的に自分自身になるため自己責任だと割り切ることができる。しかし複数行動ともなれば、責任の所在は己のままに被害が他者に及ぶ可能性が(こう)ずることになる。


 実際、今がそうだ。誠司は常盤には見えないものを視た。麻紐の意図も正確に解した上で、不快を示した。彼の身に喜ばしくないことが起きているのは明らかだ。


 勝手に訪問して来た分際(ぶんざい)で常盤を急き立て、どさくさに紛れる形で同行した誠司の自業自得だと割り切れるほど、常盤は非情でもなければ成熟もしていない。顔見知りや一度(えにし)を繋いだ相手が災厄に見舞われるぐらいなら、我が身に降りかかる方が耐えられる。生命の危機に見舞われても許容できる。


 だが現実に、今し方説明のできない現象に遭ったのは誠司だった。


 いつもそうだ。後悔先に立たずと知りながら、常盤の人生は誰かの犠牲の上で成り立とうとする。


「単純だ。呼ばれたのが君だったからだ」

「答えになってない」


 激情で声が掠れた。怒りで視界が赤く染まる。

 錯覚に(くら)む視界の中で、誠司が麻紐を拾い、結び目を作るのが見えた。


 魂結(たまむす)びだ。肉体と魂を繋ぎ止めるための掛け言葉を用いたおまじないを当たり前に行い、それを厚かましくも常盤の手に握らせてくる。


 誠司は残るもう一本も同様に玉結びを作ってから今度は自らのズボンのポケットにしまった。それからようやく口を開いた。


「物事の起点を忘れるな。宛名がなかったとはいえ、封筒が届いたのは君のアトリエだ。経緯はどうあれ君が助けを求められて此処に来た。誰かに何かを救う役割を託されたんだ。俺は偶発的な同行者にすぎない。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()とみていい」

「――――――」


 致命傷だった。誠司の紡いだ言葉の意味を噛み砕きたくないと脳が拒絶する。理解したが最後、艱難辛苦(かんなんしんく)に陥り夜も眠れなくなると心が悲鳴をあげる。


 呼吸が浅くなった。息苦しい。吸い込む酸素と吐き出す二酸化炭素のバランスが狂い、拮抗きっこうしては負に傾いていた好悪の感情が逆転すべきだと常盤を(いさ)める。


 くだらない見栄も、古びた約束も、後生大事に抱える未練も捨てて、目の前にいる後輩を選ぶべきだと常識を説く。


 だが、その道を常盤は選べなかった。選んでしまえば彼の主張を認めることになる。ふたりが決定的に仲違いをするに至った――常盤の逆鱗に触れたあの自己本位な主張こそが正しかったと甘んじて受け入れることになる。


 それだけは、どうしたとてできなかった。


「じゃあ君が奥の部屋を使え。紫苑の口ぶりだと外出を控えたら大丈夫そうだったが、神隠しが室内で起きないとも限らない。鍵の有無がどこまで通じるかは不明だが、僕よりも君の方が危ないならそれが最善だろう」

「いや、意味がない。萌葱でなく若葉が何らかの影響を受けている時点で策を弄しても無意味だ」

「やってみなければわからないだろ!?」

「――常盤。君のそれはわからないふりか?それとも本当にわかっていないのか?」


 冷静に確認する誠司に常盤は攻撃の矛先を見失った。感情的になる常盤と違い、彼は理性的な態度で柔らかに言う。


「君のその悪癖の所以(ゆえん)を尋ねも咎めもしないが、見失うぐらいならやめるべきだ」


 その気遣いにも満たない指摘が、ひどく耳に痛かった。誠司が何ら含みのない言葉を口にするほど、現状維持に固執こしつして牙を剥く常盤が一人相撲をしているみたいで居た堪れない。


「………………兎」


 手の中で存在を主張する麻紐を握りしめながら、常盤は話を逸らした。確認に明確な答えを提示するには心のいっとう柔らかな部分をメスで切り開かなければならないが、誠司の主張を認められない常盤には無理な相談だ。


「紫苑も言っていたが、君には思い当たる節があるのか」


 あからさまな話題の転換だったが、もとより返事は期待していなかったらしい。容易くつられてくれた誠司に常盤は胸を撫で下ろしつつ頷いた。


「その紫苑が去り際に教えてくれたんだ。白くて赤い目をした寂しがりの兎が過ちを犯す前に、友達にならないといけないって」

「なるほど。君はこの絵画に描かれた着物の人物が兎ではないかと考えたのか。安直だが悪くない」

「僕には人よりも妖怪の(たぐい)に見えてるけどな」


 目を凝らそうと顔のパーツがない面に凹凸(おうとつ)は表れない。


「でも、妖怪だとしてものっぺらぼうじゃない」

「あれは再度の怪だからな」


 のっぺらぼうは人を驚かす話には事欠かないものの、襲ったり喰らったりという例は稀で基本的に無害な妖怪として知られている。真っ二つに切られた麻紐の攻撃性とは結びつかない。


「紫苑の――白鳥神社側の本命が兎だとして、過ちは何なんだ?そもそも友達になったからといってその過ちは回避できるものなのか?」

「さあな。何れにせよ、書斎と祖父が使っていたという部屋を調べたら何かしらわかるはずだ」

「どうして」

調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろう。そうでなければ書斎はともかく、故人の部屋への入室許可などおりない。自分の部屋には用事があればと付け加えていたぐらいだからな」

「あ」


 そう言われたらそうだった。祖父の部屋への入室が許されたことばかり引っかかっていたが、若葉と萌葱の部屋に入っていいとは一言も言われていない。


 用事があれば僕の部屋に、と若葉は言ってくれたが、遊びに来ていいなどとは言わなかった。


「でも誠司の言っていることが正しいとしたら、若葉はその何かしらを知っていながら何も言わずに僕たちの滞在を許可したことになる。そんな遠回しな手段をとるのは彼らしくない」

「相談して与太話と片付けられるのを嫌ったとしたら?」

「僕は君とは違う」


 冷たい声が出た。触発されたように空気が凍りつく。言い過ぎだと理性は叫んだが、同列に扱われたくないと感情が手綱を振り切って言うことを聞いてくれない。


 誠司が目を細めた。常盤の手に握られた麻紐が風も吹いていないのに微かに揺れる。


「俺も笑い飛ばしはしない」

「信じたりもしないだろう」

「ああ。だからある意味で君の見解は間違っていない。正しくもないだけで」


 ともかく、と。誠司が言った。


「兎の正体、白鳥神社側の思惑、豊穣祭と神隠し、この館の全貌、新橋兄妹の現状、それから――彼を助けて欲しいと書いた人物の正体を精査する必要がある。それも三日後までに、だ」

「それがリミットか」

「ああ。豊穣祭がその日だろう」


 一瞬、探さないで、と告げた声について誠司に相談するべきか常盤は考えた。あの声が誰であったにせよ、若葉の声に応えるタイミングで発された以上、無視していいとは思えなかったからだ。


 だが、常盤が何か言う前にノックの音が響いた。夕飯の準備ができたぞと、扉越しに萌葱のくぐもった声がする。


「まずは若葉たちに絵を描いた人物について尋ねよう。それがわかれば、少しは見えてくるものもあるはずだ」


 さっと身を翻した誠司が横を通り過ぎざまに囁いた。

 気の重い夕食の時間が始まろうとしていた。

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