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第一章 ■口からタイツを出す仕事

 ■ 口からタイツを出す仕事


「なんだって!? スマホ鳴らされて立ち止まったら姿を見られた!?」

「ま、待てって! そんな怒んじゃねぇって。小じわが増えるぜ?」

「余計なお世話だ。で、その後どうしたの?」

「どうしたもこうしたもねーよ。変なチビが人間らしからぬ根性見せやがってよ、俺の事を追いかけてきやがったんだ。あまりにも速ェもんだから、途中で駄菓子屋に突っ込んじまったぜ」

「この犬野郎! 学校の側で目立つことしてんじゃないよ!」

「大丈夫だって。犬がガシャポンに突撃するなんてこと、群馬茨城あたりじゃ日常茶飯事だ」

「あーあ……駄菓子屋って『ストレイドッグス』の婆ちゃんとこでしょ? 変な噂たったらどうすんのよ……」

「平気だって。一言も言葉は発してねーからよ」

「あんたは無警戒すぎるんだから……気をつけてよ」

「へっ、焦ったトコもなかなか可愛いモンだな」

「やめてよ。犬に発情されても困る」


 もう、何から何まで信じられなかった。

 言葉を操る秋田犬と仲良く話していたのは……

 将志の担任教師――つまり、結花先生だった。


(なんで結花先生が犬としゃべってんだッ……!?)


 あとちょっとで声を上げるところだった。

 将志は両手で口を塞ぎ、慌てて物陰に身を隠した。

 いったい、何が起こっているんだ?

「さあ、時間が無いわ。スマホは今夜あたしが返しに行くから、仕事にかかりましょ」

「そうこなくっちゃな」

「偉そうにすんなクソ犬。いいから早くタイツ出せ」

「そうキャッキャすんなって」

 カッカすんなの間違いでは? と突っ込みたがったが、とりあえず何か始まるようなので、将志はこのまま物陰から結花先生と犬のやりとりを傍観することにした

 にしても、結花先生の言う「仕事」と「タイツ」というのが気になる。これはアレだろうか。本来は副業は許されない公務員の結花先生が、周囲に内緒で怪しげな夜のバイトをしている現場を目撃してしまったのであろうか。

「いくぜ」

 そんなん言わなくても分かるよという合図の後、言葉を話す犬は、ぶるると体を震わせて、アオアオアオと地味な鳴き声を三度繰り返した。

 すると、三度目の「アオ」で口元から目映い光が放たれ、薄暗い裏路地を明るく照らし出した。

(な、何がどうなってんだ!?)

 将志は光に耐えきれず一瞬目をそらす。だが、犬の発した奇妙な光はすぐに治まり、代わりに細長い布のようなものが宙に浮いた状態で現れた。

 黒くて長い布……あれは、タイツ。

 ってバカか。なぜ犬が体を震わせてタイツを出さなきゃならん。

 もはや将志の頭の中は犬・タイツ・結花先生・犬・タイツ・バター・犬と、摩訶不思議なキーワードが巡り巡っている。

「誰もいないわね」

「ああ。俺のレーダーにも何の反応もねぇ。安心しな」

 おいおい。お前のレーダーとやらは半径五メートル程度しかないのか。事の一部始終を見ている将志に気づかない結花先生とアキタというらしい

「アキタ、発情すんなよ」

「人間のメスにゃ興味ねーよ」

「ならもうあたしの脱いだ靴下とかストッキングで遊ばないで」

「あ、アレは性欲とは関係ねぇっ! なんつーかその……犬の性ってやつだ」

「ケダモノ」

 するする……ぱさっ。

(なっ……!!)

 アキタの視線を手で払いのけながら、結花先生は将志の目の前でスカートを脱ぎ、すらりと伸びた長い脚を露わにした。

 これは思わぬ成功体験。あの結花先生が、全くの無警戒で下半身をさらけ出しているのだ。

 いや、パンツは穿いているけど、むしろ穿いていたほうが良いというほどの、かなり攻撃的なパンティだ。学校でチラ見した時は形状までは分からなかったが、今なら分かる。股のところでしっかりと食い込んだラインも、かなり狭いブイゾーンからは恥毛のひとつもはみ出ていないことも。

(ヤバ……立ってられないぞコレは……)

 違う所が立ってしまいそうだった。将志は前屈みになり、一瞬たりとも目を離せない衝撃の展開を最後まで見守るべく、懸命に戦った。己の欲望と、男としての本能と。

 結果として、木箱の陰にしゃがみ込む事になった。情けない。

「やん、引っかかった」

 タイツに片足を引っかけた結花先生が、てんてんてんとケンケンして将志のすぐ側まで迫ってくる。

「あいた」

 そして倒れ込む。暗がりの中、目の悪い結花先生は将志の存在になかなか気づかない。

 が、将志の眼前には、M字に開いた結花先生の下半身が広がっている。

 まずい。この近さは尋常じゃない。一歩も動けない状況の中、手を伸ばせばそこは秘密の花園という究極の誘惑に駆られる将志。先生の内股から、トイレの芳香剤と化粧水を混ぜたような、甘く切ない香りが漂ってくる。

「ったく、いつになったら立ったまま穿けるようになるんだよ、結花。お前は子供か」

「いてて、やっぱり、暗いとこで変身する時は最初からメガネ掛けてたほうがいいわね」

 アキタに煽られて、結花先生は胸ポケットからメガネを取り出した。そしてそのまま目元に運びながら、タイツを穿きつつゆっくりと立ち上がった。

 するとどうだろう。

「あ、あぁぁぁぁんッッ!!」

 結花先生がめっちゃエッチな声を出した。

 かと思うと、これまたさっきと同じような光が結花先生のつま先から腰までを包み、やがて全身を飲み込んだ。光に覆われた結花先生は身もだえをしながら甘い吐息を漏らし、数秒後には地面にへたり込んだ。

 これは……何だ?

「はぁ、しかし、どうして変身時の条件が性的快楽なのかしら」

「へへ、所詮お前も雌だってことだぜ」

「メス言うな。あたしはまだ処女だ」

 いろいろと聞きたいことはある。本当に、色々とある。

 だが、将志は立ち上がった結花先生の姿にしばし見とれていたのだろう。その数秒の間、一言も言葉を発することなく、『変身』した結花先生の頭からつま先を眺め回していたのだから。

 光に包まれた後、何のトリックも無いというのなら、結花先生は確かに、美しい『変身』を遂げていた。

 変身前は白いブラウスと紺色のタイトスカートを身につけていた結花先生だが、変身後は朱色の浴衣を身にまとい、普段は長い黒髪を美しい髪飾りでたくし上げ、その白くて細いうなじを露わにしていた。もちろん、黒いタイツは穿いている。首には白い毛皮が巻かれ、今にもこぼれ落ちそうな胸元を上手い具合に隠していた。タイツの先を目で追えば、つま先を守るのは赤いハイヒールだ。

 あの一瞬で、どうやって着替えた?

 そもそも、この朱色の浴衣と、白いモコモコした毛皮と、ハイヒール。これらはどこに隠してた?

 それに、髪型だってあんな一瞬でここまできれいにメイクアップできるわけがない。珠や鈴のついた簪に、色鮮やかな花がたくさんついた髪飾り。数人がかりで着付けをしなければ成しえない変身を遂げているのである。

「摩装戦士『ゆかタイツ』見参。だな」

「やめてよ。そのダジャレみたいな名前」

「いつ見ても綺麗だぜ。ゆかタイツ」

「なのになんで彼氏できないのかしら」

「性格が悪いからだろ」

「この野郎。サファリパークにおいてきてやる」

「あんな猫の巣窟、四時間で制圧してやるぜ」

 相変わらず、互いを罵り合う結花先生とアキタ。どちらかと言えばややアキタが優勢である。

「さ、仕事だ」

「うん。行こう」

 変身を終えた結花先生と、タイツを出し終えた犬アキタが横並びで踵を返す。

 と、冷静に言ってみるがこのままではマズい。

(このままではバレる!)

 だが将志にはどうすることもできない。カツカツと結花先生のハイヒールが遭遇のカウントダウンを刻む。

「……あれ?」

 ぴたり。木箱の裏で震える将志の前で結花先生の足が止まる。

 結花先生はこのまま将志の前を通って国道に出る気満々だし、この狭い路地では移動に使えるほどの障害物はない。

 将志は考えた。

 考えて考えて、ひとつの奇策を思いついた。

(もう自分から行くしかない!)

 死なばもろとも。なんとも低レベルな奇策である。

 将志は立ち上がり、思い切って結花先生の前に姿を見せた。

「あ、あれー……結花先生じゃないですか! きっ、奇遇ですねぇ……」

 こんなところで、至近距離で居合わせておいて何が「奇遇」なんだろうか。

「…………」

 結花先生は棒立ち。表情は硬直し、眉一つ動かさない。そして、一切の音を発しない。

「まさか結花先生にこんなところで会えるとはなぁあははは! いやいやいや、俺はただスマホ探しにきただけっすから。何も見てないし……あ、こんなところにいたんだこのワンちゃん。ガシャポンに突っ込んだ時は足の一本でも折ったんじゃないかと心配したんだよぉ。これまた偶然だなぁ……」

「わ……わふ……」

 あまりにもワザとらしい演技にアキタも困ってはいるが、アキタも将志の芝居にノってくれている。おそらく、この事態を招いたのは自分に責任があるからと分かっているからであろう。

「じゃ、俺はこれで。先生、明日はカステラ持ってきてくださいね。奏子先生がダダこねますから」

 しゅびっ。と手を挙げて、じゃあこれで。何も見てない、何も聞いてないと自分に言い聞かせ、将志はその場から立ち去ろうとしたのだが……

「ちょっと待て」

「ぐフッ!」

 むんず。将志の首根っこをつかんで、結花先生が将志を呼び止める。将志の呼吸が止まる。

 やはり、このまま何も見なかったことにする事は適わないようである。

「将志、どこから見てた?」

「えっと……そんなに大事なトコロは見てないかと……」

「いつからいた!?」

「ひっ! ……いやぁ、その犬が、『おう、待たせたな』って、この路地裏に入ったあたりから……カナ」

「……マジ?」

「ま、マジです。あの、追っかけてきたんで。スマホ」

「アキタがタイツ出すところも見た?」

「ええ、バッチリ」

「あたしが着替えるトコロ……変身シーンを見た?」

「いや……その……」

「ここ重要なのっ! 将志、見たの!? 見てないの!?」

 ガックンガックンと激しく将志の体を揺する結花先生。上手い具合に頸椎が上下に行ったり来たりしている。このままでは死んでしまう。というか口を割らせてくれ。何も言えない。

「ねえ将志! 教えてよッ!」

「すっ、すいません全部見ました結花先生のパンツを見たのは今朝ですが変身シーンも全部見ましたし先生がタイツを上手く穿けずに子供みたいに転ぶところまで何もかも!」

「そんな……」

 パッ。ゴッ! 急に手を放されたせいで将志は激しく壁に後頭部を打ち付けた。

「……終わったわ。あたしの人生」

 変身を見られることがそんなに恥ずかしい事なのだろうか。結花先生はたいそうショックを受けた様子で、まるでツーアウトから三人連続フォアボールを出し最後に満塁ホームランを打たれて一点差のサヨナラ負けを味わった悲劇の高校球児のようにがっくりと項垂れて両手を地面についている。な、なんかすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「結花、どうするよ?」

「どうするったって……あたしにはまだこの子の記憶を消すチカラなんて無いし」

「え?」

 ちょっと待った。さらりと恐ろしいことを言っているが、将志の記憶を消す? そりゃ、こっそり盗み見したのは悪いとは思うけれど、なにも記憶を消すことはないんじゃないか。仮に記憶を消すとして、いったいどのあたりの記憶から消されるというのだ。

 そんな将志の疑問に答えたのはアキタ。

「五年かな」

「イヤだよ! そんなに記憶の欠落したら、思春期まるごと記憶喪失じゃないか!」

「仕方ねーだろ。こうでもしなきゃ結花の精神的ダメージがデカすぎんだからよ」

「どちらかというとそっちの問題の方が何とかなるだろ!」

「まあそう吠えるな、人間」

「吠えてねーよ! 犬じゃねーんだから!」

「やめて二人とも。あたしの為に争わないで」

 結花先生がズレた眼鏡を直しながら言う。いや、あんたの為じゃなく完全に自分のために言ってるんだが。将志は自分がいかに危険な状況下にあるかを冷静に分析しつつ、かつこのハプニングが冗談や夢で済まされるものではないと悟った。

「アキタ……相手が年下でも、生徒でも、『変身パートナー』にできるかな?」

「うーん、お前が『契約』の時に一瞬でもこいつを男だと認識できれば可能だとは思うが、結花、お前、ガチでショタじゃないよな?」

「違うから訊いてんでしょこのエロ犬。しょうがない……」

 なにやら将志の知らないところで話が進んでいるようだが、少し話のテンポを落としてほしい。さりげなく聞き漏らすには重要すぎるキーワードが聞こえてきたのだが――

「将志、あたしと契約を結びなさい」

「だからちょっと待ってって! なんだよさっきから、『変身パートナー』って何だよ! 契約ってなんだよ! 先生のそのカッコはなんだよ!」

「なんだよばかりで男らしくないぞ将志!」

「教師が逆ギレすんな!」

「いいからあたしのモノになって!」

「うわ、なんで近づいてくんの? ちょっと、おい犬、お前なんとかしろ! 結花先生の目がイっちゃってるぞ」

「へへ、これからもっとイクことになるぜ結花は。性的な意味でな」

 いよいよカオスと化してきた裏路地の攻防。謎の変身シーンを目撃された結花先生は、「あたしのモノになれ」とハァハァ息を荒立てて将志に迫ってくるし、いつまでも将志のスマホを首からぶら下げているアキタは「くぅ、見てらんねーぜ」と恥じらいを込めた表情で目をそらすし、もう何がなんだか。

 だが、これだけは分かる。

 結花先生は、『契約』なるものを敢行する為に、将志が必要なのだ。

「先生、あの……つかぬ事を伺いますが……」

「なにかしら?」

「この状況と、とある方の証言を元に推察した上で言いますが……まさか、結花先生って『摩装戦士』なんですか? 最近話題の」

「……」

 結花先生は口をつぐんだ。

「うん。ぶっちゃけそう」

 しかし二秒で口を割った。

「将志も見たでしょう? アキタが、変身用のタイツを召喚するところを」

「ええ。色々と突っ込みたいところをかなりすっ飛ばしてくれましたが……はい。見ました」

「なら話は早いわ。あのね、将志も今朝言ってたでしょう? 摩装戦士っていると思いますか?って。うん……いる。ここに」

 もはや開き直る以外に道はないのだろう。結花先生はズビシと自分の胸に指をさし、「あたしは、摩装戦士『ゆかタイツ』。わっはっは」と恥も外聞もかなぐり捨ててかなりアホな決めポーズを取った。

「あのね将志、時間が無いから簡単に説明するわね。あたしたち摩装戦士っていうのは、こいつら『魔犬』にスカウトされた人間の事なの」

「魔犬って……」

「ま、俺みたいにクールでナイスガイな犬の事だぜ」

「ようは、喋る犬って事よ。アキタは日本語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、その他にも様々な言語をマスターしているの。英語以外は」

「照れるぜ」

「いや、英語は出来たほうがいいだろ」

 アキタはふしゅるると鼻を鳴らして変なくしゃみをした。照れているのだろうか。

「改めて自己紹介をさせてくれ。俺は結花専属の魔犬『トマホーク秋田』だ。アキタでもトマホークでも好きに呼んでくれ。少年」

「あ、ああ……俺は須賀将志。結花先生のクラスの生徒だ」

「須賀将志か。ギターでもやってんのか?」

「ああ、やってるけど……なんで?」

「名前がそんな感じだ。ま、これからよろしくな。将志。さっきは良いレースだった」

 だが、俺にはまだまだ追いつけないぜ。と言って、アキタは将志に握手を求めてきた。前足を上げてプルプルしているが、これをどう掴めば良いのだろうか。

 とりあえず、アキタの前足の下から手をさしのべた。そしたら『お手』になった。

「摩装戦士は、魔犬の用意したアイテムを装着することによって、特殊なチカラを使うことができる。将志が今朝見てたブログの『みこタン』も、本物の摩装戦士よ」

「えっ!? 『みこタン』に会ったことあるんですか?」

「ないわ。けど、見たことはある。向こうの魔犬が、アキタと犬猿の仲らしくて、よく話は聞くのよ。まあ、どっちも犬だけど」

「へっ、ジャベリン内藤の話はやめてくれ。俺のほうが優秀な魔犬だ」

 ジャベリン内藤っていうのか、その犬。まあ、実際の兵器としてのトマホークかジャベリンかで言ったらトマホークのほうが強そうだ。ジャベリンはヘリや戦車を破壊できる持ち運び可能な地対空ミサイルだが、トマホークは船を撃沈することも可能な戦闘機搭載のミサイルだから。

 んで、その摩装戦士が実在するのと、将志が記憶を消されなきゃいけないのと、結花先生が執拗に迫ってくる『契約』とやらがどんな関連性を持つのか。将志が知りたいのはそこだ。

「そう。ここからが重要」

 結花先生が口調を変えた。ちょっとまじめな話に移るらしい。摩装戦士について話すことが真面目かどうかは分かりかねるが。

「あたし達はね、変身後の姿を見られても何ら問題はないの。『はかまミコ』がメディアに顔を出しているように、その実態を知られることがなければ存在そのものにフィルターを掛ける必要はない」

「じゃあ、俺が先生の正体を誰にも言わなければ平気ってことじゃないですか。その、『契約』ですか? いちいち面倒な手続きを取らなくても、結花先生に害は無いですよね?」

「ええ、害は無いわ。今この姿だけを目撃されたのなら、ね」

「へ?」

 結花先生はまた一歩、将志に近づいた。この狭い路地裏だから、結花先生の胸はあと数センチで将志の胸に触れる。こうして接近すると、結花先生の身長は将志よりほんの少し高い事に気がつく。ちょっとショックだ。

「でも、摩装戦士はね、『摩装具を身につけて変身しているところ』を見られたら、元の姿に戻れなくなるの」

「ええっ!?」

 ということは、アキタがタイツを出してそれを装着して結花先生が変身したという一部始終を見ていた将志は……

「アウト。あたしはもう、元の姿には戻れない」

「いや、脱げばいいんじゃないですか? イヤらしい意味ではなく」

「脱げない。タイツも浴衣も、魔犬のチカラによって召喚されたものだから、脱げないように出来てるの」

「でェェェェ!? なんだよそのステータス! 無駄に徹底力がある!」

 結花先生の話を要約すると、

・摩装戦士は摩装具(結花先生で言うところのタイツ)を装着して戦う。

・装着すると変身する。

・でも、その瞬間を目撃されたらずっと摩装戦士のまま。

 確かに、三段目のオチはツラい。結花先生だって教師という仕事があるし、家族だっているだろう。浴衣にタイツ、ハイヒールに髪飾り。こんな教師がいたら面白いだろうと考えられるのは将志たち生徒だけで、常識的にこのカッコではまともな生活を送ることは不可能である。

 変身した姿は見られても平気なのに、変身するところは見られてはダメ。何ともリスクの偏った戦士だ。なんかアレだ。コスプレイヤーの鉄則みたいだ。

「でも先生、摩装戦士って、そこまでしてやる価値あるんですか?」

「あたしだってなりたくてなったんじゃないわよ」

「え……?」

「自分の意志とは関係なく、ある日突然なるのよ。こいつら『魔犬』がいる限りね」

 意外だった。結花先生ったら、外で派手な格好をしてるのに平然としてるもんだから、将志はてっきり好きで摩装戦士をやっているのかと思ったのだ。

「結花はな、俺がタイツを穿かせてやってから、三日経っても摩装戦士と魔犬の事を信じなかった。大人になると、簡単には常識を覆せねーんだな。人間ってのは、つくづく損をする生き物だぜ」

「じゃあ先生は、どうして摩装戦士になったんですか?」

「さっきも言ったでしょう。摩装戦士は、魔犬に適性を見抜かれた女が強制的になるの。あたしも詳しくは分からないんだけど、変身願望っていうの? そういうのが強い女は自然と魔犬を呼び寄せるんだって。変身願望なんて、日本人女性ならみんな持っているのにね」

 確かに、一理ある。人によって強さは異なるだろうけど、少なくとも現実に満足してこれ以上の幸せは無いって言っている人は滅多にいないだろう。とくに女性の場合、綺麗になりたいとか、痩せたいとか、男よりも理想への執着が強いから。

「去年の夏、確か花火大会の後飲んで、ベロンベロンに酔っぱらって徹マン(徹夜で麻雀)したの」

「教師なのにダメなことしてるなぁ」

「将志、プライベートに教師も何も関係ないわよ。法に触れなければね。あたしだって奏子だって、元は将志と同じ学舎でバカやってたレジェンドの問題児だもの」

「へえ……」

 貴重な話だった。昔はどうだったか知らないが、このご時世、特に都心部では教師と生徒の距離が遠く、事務的な関係にあるのが実情だ。私立の中でも校風の緩いレジェンド学園でさえ、教師と生徒が仲良く休み時間に、なんて光景はあまり多く見られない。音楽科の奏子先生と、普通科の結花先生。この二人が生徒から人気なのは、単に美人というだけでなく、一人の人間として心から付き合いやすいからなのだろう。

 奏子先生もそうだけど、結花先生は時々『檜野結花』として接してくれるから、本心というものが伝わってくるのだ。

「雀荘(麻雀を打つお店)を出るとね、ゴミ捨て場に妙にデカい柴犬がいたのよ。あたしはその日、給料前で二万以上負けてて、こう……絡みたくなったわけよ。目の前の頑丈そうな犬に」

「つまり、それがアキタとの出会いですね」

「へっ、そんな事もあったなぁ……あの時の結花は可愛かった。酒くせぇ女が近づいて来たかと思ったら、いきなり前足を掴んでジャイアントスイングしてくるんだからな。ま、俺は華麗に着地して結花の話を聞いてやったが」

「嘘つけこの。あんたモノ凄い勢いでチャリ置き場に突っ込んだじゃないの。立ち上がってこなかったから焦って駆けつけたんじゃん」

 さっきの逃走中に『ストレイドッグス』のガシャポンに特攻したアキタの姿が目に浮かぶ。確かに、結花先生が故意にチャリ置き場に投げつけたのなら、動物虐待だ。『教師が犬をジャイアントスイングして自転車置き場に投擲』なんて記事、一瞬笑ってしまうが書かれた側は笑えない。

「ま、摩装戦士や邪装戦士について、今の時点での最大の謎といったら、こいつら『魔犬』と『邪猫』の存在かしらね。摩装戦士を生み出す元凶は、どうやって生まれるのか謎に包まれたままなのだから」

「じゃひょう?」

 次から次へと出てくる専門用語。漫画やアニメが好きな将志でも、そろそろ理解に難しくなってくる。

「摩装戦士の戦う相手が『邪装戦士』ってのは都市伝説でも有名な話でしょ? ようは、摩装戦士のオトコ版よ。喋る猫に魅入られた男性が邪装戦士となり、町ゆく少女を可愛くメイキャップするという意味不明な使命を課せられる。世間じゃ変態集団って言われてるけど、一番かわいそうなヤツらなのよ。ま、実際ヘンな邪装戦士もいるんだけどね」

「なるほど……つまり、みこタンぶろぐに書いてあるのは全て真実であるということですね」

「そういうこと。将志、あたしが摩装戦士だって、絶対に言うなよ? 奏子だって知らないんだからね」

「言いませんよ。俺だけの秘密ってのも悪かない」

「へっ、将志よ。お前さん今からただの秘密じゃ済まされない関係になるんだぜ」

「え?」

 いちいち芝居がかった犬だ。アキタは頑張って頑張って背伸びをして、将志の太ももに「なぁ相棒?」と肉球を当てた。

「さ、結花。ちゃっちゃと済ませろ」

「そうね。あらかた説明したし、思いのほか将志に順応性があって助かったわ」

「え? え? 済ませるって何を?」

「話をそらして誤魔化せたと思わないでよ? 『契約』よ『契約』。将志、あんたは今からあたしの変身パートナーになるの」

「だからその変身パートナーって何ですか」

「あたしが変身する時に、アキタの代わりにタイツを召喚する能力を持つ人の事よ。あんたはあたしと契約を結び、今後どんな状況においても、あたしが変身する時には側にいなくてはならない。あたしの変身シーンを見たからには、責任取ってもらうわよ」

「えええっっ!? そんなの、プライバシーの侵害だ!」

「大丈夫よ。少なくとも学校ではいつも一緒じゃないの。それに、日常が優先されるから授業中に仕事なんてことないわ。安心して」

 つまり、結花先生が摩装戦士になる時にはさっきのアキタみたいに魔法のタイツを召喚するってことだ。

 そんなの、全然安心できないって。いやそれ以前に、能力的に無理だろう。将志は普通の高校生。ギターが弾けることと美人ピアニストの姉がいる以外は、何の取り柄もない男子だ。

「平気。これから将志は普通じゃなくなる」

「色々なイミでな。くくく……」

「アキタ、あんたって犬のくせに本当にエロいほうに頭が働くわね」

 不気味な表情でほくそ笑むアキタをハイヒールで突き、結花先生は再び将志に向き直る。

 がっちりと将志の両肩に手を当てて、大きく深呼吸。

 そして――

「いくわよ、将志」

「えっ……んむぅッ!?」

 結花先生は将志にキスをした。

「結花、そんなんじゃダメだ! もっと攻めろ!」

 セコンドのアキタが結花先生を煽る。将志は何の抵抗もできず、ただ結花先生の柔らかい唇の感触を確かめるだけ。

 そして、数秒の後、結花先生のキスは終わった。

「どうして光らないの? やっぱり教師と生徒じゃダメなのかしら?」

「違うぞ結花。お前が将志を『生徒』として見てるからダメなんだ。まあ法的にってイミで言えば教師と生徒って時点でダメだがな。将志をオトコとして認識しなきゃダメだ」

「それは、あたしが感じてないってこと?」

「そういうことだ。もっと激しくいけ!」

「恥ずかしいなぁ……どれ将志、もっかい」

 そして、将志が何も口出しできないまま2ラウンド目のキスがスタートした。

(お、俺のファーストキスが……)

 二回目のキスは激しかった。

 結花先生は将志の背中に手を回し、力一杯に将志の体を抱き寄せた。伸びた爪が背中に引っかかってくすぐったい。

「結花、もうなりふり構うな! 処女だろうと関係ねぇ! メス全開でいけ!」

「ぷはっ、ちょっとアキタ! あんたは黙っててよ! 気分がノらない!」

「わ、悪ィ……」

 三度目。もう将志の股間に関わる問題だ。

(うわっ……)

 ぬるるるるるっ!!

 将志の口の中に唇ではない湿った何かが侵入してきた。

 舌である。

「んっ……ふゥッ!?」

 ここで、将志の中の平静と常識の間の何かが、プチンと音を立ててキレた。

(もう……かまうもんかっ!)

 男となった将志は結花先生を抱き返し、反撃に出た。もうどうなってもいい。結花先生の髪をくしゃくしゃにして、首をなぞって指を下に滑らせていく。

「んっ……んぁっ……」

 結花先生の声が、口ではなく喉の奥で鳴った。  

 生まれて初めて、女の人の声を体の振動を通して聞いた。

「おおっ! 結花、いいぞ結花! ガンガンいけ! イけ!」

 ここで、将志の体に異変が起きた。体の奥底から熱いものがこみ上げ、下半身のみならず上半身、頭のてっぺんまで、ふわふわとした感覚にとらわれた。

 それだけじゃない。これは……光。

 アキタがタイツを召喚した時のような、目映い光が将志の体を包んだのだ。

「結花、もういいぞ離れろ」

「プはっ! ……どう!? これでどうだこんちくしょーッ! あたしの初めて返せ!」

 涙目の結花先生がハァハァと熱い吐息を漏らしながら、えらい内股で身もだえしている。

 が、将志の体は未だ輝いたまま。

「将志、頑張れ! 気合いでその光を体の外に!」

「そ、外に?」

「そうよ! 何かこう……出す感じで!」

「出すって……なんか違うもん出たらどうすんだ……」

「そん時はそん時よ。出ちゃってもいいから! お願い早く出して! その光が消えないうちに!」

「こ……こなくそォォォォッッ!」

 将志は、快楽の光の中、すべてを解き放った。

「将志! 口だ! 股間じゃねぇぞ! 俺がやったみたいに、口から出すんだ!」

 アキタの言う通り、将志はわき上がる何かをこう……口から出そうとした。

 コァァ……という音と共に、何かが将志の口から顔をのぞかせた。

 あと一押し。将志は半分出かけたそれに何とかして命を与えてやりたいという気持ちに駆られながら、結花先生との愛の結晶を生み出した。これが母性というやつだろうか。

「で、出たぁぁっっ!」

 将志の体を包んでいた光が徐々に収まっていく。

 そして――

「これは……なんて上質なタイツだ!」

 将志はタイツの召喚に成功した。神々しく輝いた将志の(口から出た)タイツは、結花先生の両手にぱさりと落ちた。

「やったな結花、将志。契約成立だ。今からお前達は、摩装戦士とその契約パートナーだ。まったく、俺よりも強ぇタイツを生みやがって。とんだ高校生だよ。お前」

「そ、そりゃどーも……」

 息を荒立てて、ハァハァと肩を上下させる将志。と、結花先生。

 数秒の間なにも考えられなかったが、呼吸が整っていくと共に回復していく思考力。将志の脳裏に、ついさっきまでの体験がよみがえる。

 結花先生の唇と、舌と、髪と、首筋と。

 それから、押し当てられた胸の先端。

「ゆ、結花先生……その……」

 将志は、目の前で浴衣の襟を掴んで呆然としている結花先生を見やる。

 目には、うっすらと涙が滲んでいた。

「将志……」

 今度は結花先生が将志の名を呼ぶ。

「は……はい……」

 一歩、また一歩。結花先生は将志の元に歩み寄る。まさか、この流れでまた抱きしめてくれるのだろうか。若干の期待を胸に抱きながら、将志は元気になった股間に平和と平穏のなんたるかを教えた。結花先生の愛撫は、将志には刺激が強すぎた。

 結花先生は立ち止まり、

「バカぁぁぁぁッッッ!!」

 ハイヒールの踵で将志の股間を思い切り踏んづけた。

「ぎゃぁぁぁッッッッッ!? 俺の! 俺の股間にハイなヒールがツイストサーブを奏でているぅっッッ!!」

 将志の淡い期待は結花先生のハイヒール攻撃であっさりと打ち砕かれた。「バカ」というとてもシンプルな言葉の中に、先生の照れと恥じらいと後悔の念が集約されていて、とても可愛い。なんて思った一秒後には致死レベルの衝撃。

 摩装戦士の能力は摩装具の影響を激しく受けるらしく、タイツによって強化された結花先生の脚力は将志の悲鳴を遙かに凌駕する。

「やりすぎよ! 誰がやり返していいって言ったのよ!? 誰が胸触っていいって言ったのよッ!?」

「だって、先生がぬるぬるしたキスしてくるから……なんか燃え上がっちゃって……」

「あんた初めてじゃないでしょ!? 最近の高校生は早熟すぎんのよ!」

「いやいやいや! 教師が何言ってんだ! 俺はまだ童貞だって! そういう先生こそ……」

「あたしだって初めてよ! いや、キスは初めてじゃないけれど……ってバカ!」

「いてて! でも、キスすんならもっと自然なキスすれば良かったじゃないですか」

「しょうがないじゃないッ……あたしが性的に興奮しなきゃ契約は成立しないんだから」

 なんだよそれ。摩装戦士のどうでも良い制約に呆れてものも言えない将志は、口をあんぐりと開けて、結花先生の足下でお座りをしているアキタに「まあ、本当だ」と言われるまで二の句が継げなかった。

「でも、それなら結果オーライじゃないですか。これで『契約』が成立しなかったら先生は一生元に戻れないってことですよね?」

「う……」

 正論である。もしもあのとき将志がびっくりして先生を突き放したり、中途半端にキスを終わらせていたら、結花先生との『契約』は成立しなかった。つまり、結花先生の一大決心は全てが無駄に終わるところだったのだ。

「結花。将志の言う通りだ。ああしなきゃ、お前は気持ち良くならなかった」

「余計なこと言うなバカ犬っ!」

「いてッ、おいやめろ……やめろってハハハ、お前はいつも照れるとこうだなハハハハぐッハァっ!?」

 結花先生は顔を真っ赤に染めて、アキタに怒りと理性と恥辱が入り乱れた矛先を向けた。将志の目を直視できないのか、らしくもなく背中を向けて、「と、とにかく、将志はあたしのパートナーだからね」と、なんとも女の子らしい口調で言った。

「そうだ将志、さっそくだけど、これ。あげるから肌身離さず持ってて」

「?」

 ひとしきりアキタを蹴り終えたあと、乱れた髪を整えた結花先生は、浴衣の、胸のあたりからスマホを取りだして将志に手渡した。薄型でも、普通のスマホよりも表面積が大きい、カードサイズより一回り大きい長方形のスマホだ。

「バンドが付いてるでしょう? それ、腕に付けるの。付けてるだけなら他の先生には注意されないと思うけど、時計とは逆に、手首の内側に付けておくと無難ね」

「おお、なんか格好いいぞ」

 バンドを巻き付け、将志は左手の手首に得体の知れないモバイル機器を装着した。

「これは、摩装戦士が持つスマホ。あたしもアキタに貰ったから詳しくは知らないけれど、この街にはどこかに『摩装具』を作る職人がいるらしいの。その人が、この辺の摩装戦士の道具は全部作っているんだって。まあ、お金かかるけどね」

「へえ、なんか、いよいよ本格的って感じだな」

「他人に見せちゃダメよ? それさえ持っていれば、あたしと将志、二人の位置をお互いに把握し合える。他にも、邪装戦士の居場所をサーチする能力や、嘘発見器機能、三分クッキングのレシピや通信対戦ゲーム機能まで付いている優れものよ」

「アニメ専用チャンネルも見られるぜ!」

「将志、あんた麻雀打てる?」

「打てるけど……」

「よし。これだから東京の子供は好き」

 どうでもいい機能がたくさん付いたスマホ――

「通称『魔電』だぜ? 将志」

 ――魔電。

「明日から、これに呼び出しがあったら即任務だからね」

「でも先生、呼び出されたとして、俺はいったい何をすれば」

「大丈夫。テキトーに何か決めポーズとって、テキトーに何か叫べばさっきみたいに口からタイツ出てくる」

「イヤだよそんな曖昧で気持ち悪い能力!」

「仕方ないじゃない。あ、あたしが近くにいないと出せないから、変な商売しようとしても無駄よ。売ったり、穿かせたり、穿いたり」

「しねーって」

 将志はもう一度、今この路地裏で起こった出来事を振り返る。

 校門から突然走り出した犬は、言葉を話す魔犬だった。それは、『はかまミコ』のような摩装戦士の相棒で、口からヘンなものを出す。

 そして、この犬アキタの相棒である摩装戦士は、結花先生。着替えを見てしまい、将志は結花先生の変身パートナーに。

 そして、口からタイツが出せるようになった。

 ……アホみたいな展開だ。だが、これが紛れもない事実であるということは、将志の記憶と体感から、否めない。結花先生も三日は理解できなかったというこの摩装戦士という謎の存在は、確かにここレジェンド町に実在するのだ。

 奏子先生も知らない、結花先生の秘密。

 摩装戦士ゆかタイツ。赤い浴衣に白のファー。ちょっとオシャレな髪飾りに、普段は外している赤縁メガネ。

 そして将志ブランドの黒タイツ。 

 将志しか見たことのない、檜野結花のもう一つの顔だ。

「あれ……?」

 どこからか予備の『魔電』を取り出した結花先生は、液晶画面、タッチパネルにもなっている部分をじぃっと睨めて、間の抜けた声を上げた。

「ねえアキタ……さっき出てた邪装戦士の反応、もう二つとも消えてる」

「なんだと? ろくに活動しねぇで出没する奴らでもないだろうに。隣町にでも逃げたか?」

「ううん。渋谷区、新宿区の広範囲レーダー速報にもあがってない。これは……『討伐処理』があったわね」

 どうやら、結花先生とアキタが追おうとしていた邪装戦士が、魔電のサーチシステムから消えたらしい。まあ将志にしてみれば、摩装戦士の変身パートナーなるよく分からない仕事を押しつけられた初日からいきなり邪装戦士とご対面、なんて厄介な事にならずに済んだので、胸を撫で下ろせるというところだが。

「先生、討伐処理って?」

「摩装戦士が、邪装戦士を完全に討ち破って相手の変身願望をへし折ることよ。もしそうなったら、その邪装戦士は怪しい変装はできなくなるし、邪猫とも意思疎通ができなくなる。これは、あたしたち摩装戦士にも共通するの」

「へえ、じゃあ他の誰かが再起不能なまでに打ち負かしたってわけか。良かったじゃん」

「そう……なのよね」

 将志が言うと、どういうわけか結花先生は目を伏せた。

「先生?」

「いや……あのね将志。討伐処理っていうのは、確かに邪装戦士を討ち滅ぼす事で、それは摩装戦士の使命であることに変わりないんだけど」

「うん……?」

 またその話かよ。とアキタが呆れて鼻を鳴らす。

「一度討伐処理をされた邪装戦士・摩装戦士は、『討伐』という完全な敗北をすると、元の人間に戻ってから心の闇が晴れないのよ」

「心の闇……変身願望ってやつですか?」

「そう、心の闇。あたしたち摩装戦士の場合は単なる変身願望程度のもの。でも、男性――邪装戦士は少し違う。あたし達よりも深い意味のある、トラウマめいたものが多いの。そんな、ちょっぴり心の弱い男性が邪猫に魅入られて、本当の自分に満足するか、新たな希望を見つけて心の闇を晴らすまで、邪装戦士として活動する。だから、ね……教師としては、出来れば討伐よりも、自分の力で自然に心の問題を解決してほしいと思って」

「なるほど……」

 それはつまり、邪装戦士や摩装戦士(男と女の違いだ)というのは、普通の人よりも心に何らかのわだかまりがあって、それをなくす為に邪猫や魔犬に導かれそれぞれの仕事をする。

 いや仕事よりも、自分ではない何かになって、もうひとつの顔と世界を持つことが肝心なのだろうか。

 それについて、結花先生よりも魔犬や邪猫に詳しい、魔犬のアキタが教えてくれた。

「邪装戦士と摩装戦士が元の人間に戻る為のヒントは、魔犬や邪猫でも知らない。全ては己の心にあり、それときちんと向き合うことで変身願望は晴れるんだ。だから俺も、結花がどうすれば自分の殻を破れるのか、心にあるモヤを晴らせるのは分からねぇ。結花がいつまでも『なんとなく』で日常を生きていたら、こいつは一生ゆかタイツのままなんだ」

 そうか。だから結花先生は、邪装戦士が討伐によって元の人間に、強制的に戻ったことに複雑な気持ちになってるんだ。

 この時だけは決してアキタを茶化さない。そんな真剣な眼差しの結花先生を見て、将志はますます結花先生を好きになった。

「結花先生」

「んん?」

「また明日から、頑張りましょう」

 将志が結花先生に手をさしのべる。

 結花先生は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、しばらくのあいだ将志の差し出した手を取れずにいた。

 だが、魔犬・トマホーク秋田と目を合わせ、そしてにっこりと笑った結花先生は。

「ええ、巻き込んで申し訳ないけれど……よろしくね、将志」

 始まったばかりの高校生活に加えてさらなる世界を知ってしまった一人の少年、須賀将志の右手を、がっちりと強く握りしめた。

「帰ろう。あたしの車で送るわよ。めちゃ速いから覚悟しなさい」

「よっしゃ、首都高攻めようぜ!」

 イカした車に乗せてもらえるとテンションを上げた将志であったが、ここで重要なことを思い出した。

「……ダメだ。俺、弥刀にチャリ借りたまんまなんだ」

 そう。一度アキタに逃げられた将志は、途中で弥刀に『ぴんくブースト号』を借りて追走したのだ。明日になっては弥刀が通学に困るだろうし、何よりこんな国道側に放置しておいたら撤去される事はもちろん、ヘンに悪戯でもされたら取り返しの付かないこになるので(あと改造車だし)、きちんと今日中に返しておかないといけない。

「そういうことなら仕方ないわね。でも、弥刀ともう仲良くなってくれたのね」

「まあ、たまたまなんだけどさ……あ」

「ん?」

 アキタの「アオワンアオン」という呪文でゆかタイツから元の姿に戻った結花先生は、眼鏡を外し、そっとポケットに仕舞った。  

 路地を抜けると、いつもと変わらない日常が広がっている。国道を走る車。定時で上がった新入社員の帰宅風景。歩道橋を先導して渡る小学校の先生。

 そして、隣にいるのは担任の結花先生。

 ただいつもと違うのは、結花先生と将志の距離がグっと近くなったということ。

 あ、それから言葉を話す謎の犬も。

 オレンジ色の夕日の中で、将志は結花先生の、ずいぶんと女の子らしい目を見て言う。

「先生さ、俺を副委員長にしたのって、弥刀と仲良くできそうだからなの?」

「さあ? それはどうかしら」

 将志の問いに、先生は瞳を閉じて知らんぷりを決めた。

「未だ誰とも口をきいてないのは、あのコだけ。きっかけがあれば話すのかなぁって、そのくらいにしか思ってないわよ」

 結花先生はごまかしたけど、このときの結花先生の顔を見て将志は確信した。

 この人は、困っている人を見過ごせず、放っておけない本物の優しい人なのだ。と。

「ま、弥刀が将志をオトコとして意識してるってのに気づいたのは、今日が初めてだけどさ」

 いたずらっぽく笑う結花先生と、珍しく静かに後をついてくるアキタ。

 自然にこぼれる笑みと共に、将志の新たな生活が始まった。


 結花先生の手は、奏子先生や将志の手と同じピアニストの手だった。

 でも、結花先生の手が一番、あたたかい。

 さしのべた手を握り返された時、将志はそう思ったのだった。

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