俺らが一番恐れていること4
カツン、と小石が転がる音がトンネルにこだました。続いて遠くから複数人の足音も。
「まだ来てんな……あっち行こうぜ」
佳樹を先頭にマネと曽良は足音を立てないように忍足で進む。
今から十五分ほど前、マネと佳樹は鉄道作業員用の扉から地下に潜った曽良と合流した。
佳樹は曽良が言った「下に行く」の意味に気付き、地下鉄の駅構内から地下の通路へと進んだのだ。
遠くで電車の走る音が響いてきた。マネはその音に便乗して、近くにあった扉に手をかけた。
流石に鍵が掛かっている――が。
「ここ、開けられますよ」
鍵穴を指で触りながら、マネは二人に告げた。
マネは清掃員の名札の安全ピンを取り外し、一八〇度開いてその穴に針先を通した。曽良と佳樹が見守る中カチャカチャと動かし、電車の音が再び遠くなった頃、マネは立ち上がって扉を開けた。
「すっげ~!」
「まじかよ。マネさん何者?」
「まあ……スパイ映画の見過ぎってやつですかね」
二人は顔を見合わせ、マネが扉を押さえ二人を先に通す。
中からは電車の通過音とはまた違った轟音が響いてきた。脇にあるタンクには『高温注意』や『ガス注意』と言ったテープが貼られている。防音らしき扉の横には、点検表と称したファイルがぶら下がっている。背表紙には『あさやホテル』の文字。
「ここなんだ?」
「ホテルのボイラー室みたいですね……」
「おォ、ちょうどいいじゃん。上いってホテルの客に紛れようぜ」
佳樹がそう言って、奥の方を指差した。パイプ缶の隙間から螺旋階段が見える。
二階分ほどの高さにもう一つ扉があり非常口のマークが付いていた。
所狭しと張り巡らされているパイプやタンクの隙間を掻い潜っていき、階段に辿り着く。
マネが一段目に足をかけた時、曽良が何気なく後ろを振り向いて小さく叫んだ。
「ヤバいよ!あいつら来てる!」
見ると、三人が来た扉を同じように突破したのか、五人の男がぞろぞろと入ってきていた。その内の一人と目が合い、指をさされる――「早く!上、上!」
後ろの佳樹と曽良に尻を叩かれるようにしてマネは階段を駆け上る。
踊り場で下を見ると、蜘蛛のように狭い空間を駆ける男たちの中に、こちらを向いて拳銃を構える男が一人いた。
「撃つな!タンクに当たる!」
別の男が叫び、男は構えを解いて走り出す。
「何なんだよ!殺す気満々じゃん!」
佳樹が素なのかわざとなのかヒステリックな声で叫んだ。
「マジで!ヤバい連中だよ!」
「只者じゃないことは、確かですね……」
息を切らしながらマネは非常口に辿り着く。縋り付くようにドアノブをひねるが、当然のように鍵がかかっていた。しかも先ほどの扉と違い、ピッキング対策された鍵穴である。
何かないかと辺りを見渡すと、扉の横、配電盤の下に錠前のついた四角のケースが壁に備え付けられている。
軽く叩いて中の音を聞くと、チャラチャラと複数の金属が擦れる音がした――キーケースに違いない。
「うわてか、もう下まで来てんじゃねェか!ゴキブリ並みの速さだな!」
「ゴキって!……あひゃひゃ!」
「お前よくこの状況で笑えんな?!」
錠前はナンバー式だ。数字は三桁。耳に寄せ数字を回す音を聞こうとするが、騒音が大きくて聞こえない。
「マネさんいけそう?」
曽良の問いかけに首を振ると、佳樹と曽良は目配せをした。
「マネさん、俺ら足止めすっから」
「その間に鍵開けてね!」
そういって二人は階段を駆け下りていく。
カンカンという甲高い足音と複数人が取っ組み合う音、佳樹と曽良の「うらァっ!」「しゃあ!」という雄叫びが聞こえてきた。
マネは錠前に耳を当て、目を閉じて集中する。
「開きまし――」
「危ない!」
錠前を外して中から鍵を掴み取って振り返った瞬間、踊り場でこちらに向かって銃を構える男と、その男に飛び掛かる曽良が見えた。
上段から飛びついた曽良は、男の腕にしがみつくが振り払われる。
勢いが殺しきれず、曽良の背中が手すりを超える――
「曽良ァ!!」
佳樹の悲鳴が騒音を切り裂く。
しかし返答はなく、タンクに何かがぶつかる鈍い音が届いた。
「おい……曽良」
途端に佳樹が力をなくし、スローモーションのように曽良が消えた踊り場に手を伸ばす。
曽良を振り払った男が今度は佳樹に銃を向けるが、別人のように虚ろな佳樹にはそれが見えていないようだった。
「佳樹さん!前!」
振り絞って叫ぶが、放心状態に見える佳樹には届かない。
覚束ない足取りで踊り場まで昇ろうとするが躓いて倒れ込む。
その上に二人の男が覆い被さり、佳樹を下へ引き摺り下ろしていく。
佳樹は曽良の方へ手を伸ばしたまま、綿の詰まっていない人形のようにされるがままである。
「待っ……!」
マネが駆け寄ろうとするも、足元を威嚇射撃され身動きが取れない。
――どうしたらいい?
右手には鍵。後ろには出口。
しかし目下には今にも命を奪われそうな佳樹と、既に奪われた曽良。
こんな時に限って、頭に響くのはドールハウスに溢れていた笑い声だ。とりわけ、笑い上戸の佳樹の声と、曽良の剽軽な笑い声が聞こえてくる。
同時に、体の中から得体の知れない感情が湧き出てきた。感情というよりも衝動に近い「それ」の正体がマネには分からない。
「……わあああああ!」
衝動に任せて腹の底から声を出す。そこから先の数時間、マネの記憶は途絶えた。




