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俺らが一番恐れていること1


 鷲見の口から『人形ドール』という言葉が聞こえた途端、マネは呼吸を浅くしてできる限り自分の存在を薄くした。


 一方のディランは取り落としたペットボトルを拾いながら鷲見——というよりマネと——距離を取るように後退りした。


「ドール?お人形ですか?」


 ディランは窓際まで後退し、顔の横で大袈裟過ぎるくらいに手を大きく振っている。

 鷲見はディランの言動に意識が向いていて、背後の清掃員には全く気付いていない。


 今、マネが取るべき行動は二つのうちどちらかだ。

 鷲見を背後から襲いディランを逃すか、地上にいる哀に助けを求めるか——


 残念ながら小柄なマネは戦闘能力に欠けている。

 それにここは鷲見の会社内である。社長が大声を上げれば社員が必ず飛んでくるに違いない。

 だから仕方ない。マネは断腸の思いで決断する。


「佐々木君……それも偽名なのだろう。来い」


 鷲見が振り返る。

 その時にはマネの姿は消えていて、清掃道具の入ったカートだけが不自然に取り残されていた。


 鷲見は一瞬眉を顰めたが、清掃員の顔など一々覚えていないのだろう、ドールと関係ないと判断しディランだけを連れて休憩室を出た。

 

 マネはエレベーターに乗るなり十階のボタンを連打した。

 残念ながらディランがいる三十二階にはエレベーターを乗り継ぎしないと辿り着けない。

 マネは途中の階で止まらないことを祈りながら十階に降り、そこから地上階への直通エレベーターに乗り込んだ。そして地上についてエレベーターの箱から出るなり、目立たないように辺りを見渡す。


 周囲の様子を見ても、マネを尾けている様子はない。だがここは用心深く行きたかった。


 マネは正面口ではなく、反対側の地下鉄に繋がる通路へ向かった。そして曲がり角の隅で立ち止まり、清掃員の制服の上着を脱いで裏返しにする。

 ここは地上フロアで唯一の監視カメラの死角だった。人通りも多いから服装を変えて紛れられるのだ。

 そうしてマネはラフ着の会社員の装いになり、来た道を戻って正面口から外に出た。


 そして広場の片隅にあるキッチンカーへと向かったが——車内に哀の姿がない。

 キッチンカーの看板は出たままで、車内のカウンターテーブルには作りかけのドリンクが放置されている。用事があって離れている訳ではなさそうだ。


 まさか哀さんが仲間ということも見透かされて……?


「マネさんこっち!」


 背後から呼ばれて振り返ると、キッチンカーの裏に隠れる佳樹の姿があった。佳樹の手招きする方へ行き、隣にしゃがみ込む。


「哀がいねェってことはなんか起きてんだよね?マネさん知ってる?」


 そう聞く佳樹はスマホで通話しようとしている。ドールの誰かだろうか。


「はい。ディランさんが上で……」


 マネが見てきたことを話すと、佳樹は舌打ちをして頭を抱えた。


「やべェじゃん、何でバレたんだよ!」

「戻ってきたら哀さんもいないですし……」

「哀は多分、気付いてディランを助けに行ったんじゃねェかな。ディランと社長が話してたの、休憩室だろ?双眼鏡ならここから見えんの」


 ディランが大袈裟過ぎるほどに手を振っていたのを思い出す。あれがキッチンカーから見えた哀が、異常が起きたと思って駆けつけに行ったということか。


「ディランを救出するだけなら哀だけでも大丈夫なはず。俺らはここで待って、二人が戻ってきた時に直ぐに出れるように準備しようぜ……あ、琉愛聞こえる?」


 琉愛と電話が繋がり、マネは佳樹のスマホに耳を近づけた。


***


 琉愛はちょうど、叶楽の運転する車の助手席にいた。別仕事が終わり、ドールハウスに戻るところだった。


 佳樹から『ディランの潜入がバレた』と連絡が入り二人は息を呑んだ。


「それでディランは?!この時間ってことは普通に社内にいるんだよね?警察沙汰にはなってない?」


 琉愛が捲し立てる一方で叶楽は路肩に車を止める。


『今哀が助けに行ってるけど警察が来る気配はなさそう。まだ通報してねェのかな』

「でもさぁ?なんで社長がわざわざディランのとこ来たんだろうね?分かんないけど、普通そういうのって現場の偉めの人が呼び出すもんじゃないの?」

「確かに。急にトップが出てくるのは不自然かも。しかも社長一人だけだったんだよね?秘書とか連れてなかったわけ?」

『はい。いなかったですね……僕も今思ったんですが、鷲見社長はドールについて聞いてきたんです。身分詐称が見つかっただけにしては話が飛躍しているような……』

「ってことはこれ、ただの潜入がバレたって訳じゃない?」


 やめろよ縁起悪ィなァ!と電話口で怯える佳樹の声がした。

 琉愛も叶楽も同感だった。

 しかし気になった二人は手元でディラン達の仕事の詳細を調べる。叶楽は調べ物するときの癖でスマホで検索した内容をブツブツと唱え始めた。


「えぇと、鷲見源一郎、一九七五年生まれ。茨城県出身。志岐大学経済学部卒業。卒業後は複数回転職し、二〇一〇年に株式会社GTコミュニケーションズを設立し社長に就任。五年前には学生への奨学金を目的とした鷲見財団を設立、会長も務める。奨学金は主に鷲見の出身大学の学生が対象となっており……って」

「待って、志岐大学って」

「最近どこかで聞いた気が……」


 二人は同時に思い出し、事の重大さに狭い社内でのたうち回った。

 琉愛は頭を抱えて足をバタつかせ、叶楽は窓に拳を打ちつける。

 車内は軽い爆発が起きたかのように衝撃で揺れた。


『おォどした?!』

「あいつだよ!この前のさぁ、琉愛を誘拐した奴!」

「あいつの依頼のターゲット、志岐大学の理事長だったよね?!」


 電話先で佳樹とマネが息を呑むのが聞こえた気がした。


「わあもう!繋がりあるじゃん!なんで気付けなかったんだ!」

『でも、皆さんはあの依頼を断っています。なのに何で……』

「詳しい経緯は分かんないけどさぁ、あいつの標的が志岐大学の理事長で、鷲見はその大学の卒業生!しかも今でも財団で繋がってそう!そんであいつはドールに依頼を断られてて、鷲見はドールの事を何故か知ってるって、怪しすぎんだろぉ!」


 叶楽が叫んだ時、助手席の琉愛の窓がコンコンとノックされた。

 停車位置が悪かったのかと思った琉愛だったが、窓を開けようとして止めた。


 こちらを覗き込んでいるのは大学生くらいの青年。

 和やかな笑みを浮かべているが、何故かその笑顔を見て琉愛は背筋が寒くなった。


 叶楽、と琉愛は呟いた。


「ん?なに?場所移せって?」

「出して」

「へ?」


 ただの直感だ。

 でも嫌な予感がしてならなかった——「車!出せ!」



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