世界最後の日、僕は君と初めて会話した
先に言っておきます。
ごめんなさい。
巨大彗星の衝突。
それが地球という惑星の最後になるのだと、どこかの偉い人が言っていた。
地下シェルターなど意味がなく、宇宙に逃げ延びる技術もまだ未発達。
つまり人類は今日、滅亡するらしい。
その世界最後の日、僕は慣れ親しんだ高校に普通に通学していた。
「おはよう」
「おはよう」
後ろのドアから教室に入ると、いつもの声が返ってくる。
教室前方、廊下側の席に座っている女子、粕谷 沙耶。
眼鏡をかけていて大人しく、休み時間になるといつも本を読んでいる彼女は、今日もまた本から目を離さずに僕に背を向けたまま挨拶をしてくれた。
彼女の声が聞けたことを嬉しく思いながら、窓側最後列という誰もが羨む席でありながら、彼女から最も遠い悲しい席へと僕は向かった。
教室には僕と彼女の二人しかいない。
それはまだ朝早い時間だからという訳ではなく、巨大彗星の姿が目視できる様になり、誰もが世界の滅亡を理解したその日から続いている。
世界滅亡のせいでパニックに陥った人々が最後の日には日常を過ごすだなんて物語を読んだことがあるけれど、現実は何も変わらなかった。
この教室には僕と彼女の二人きり。
世界が終わると分かっていて彼女が毎日登校している理由は僕には分からない。
だって僕らは挨拶以外の会話をしたことがないから。
教室の端から端という近くて遠い距離は一向に縮まらず、お互いに本を読んだりスマホを弄ったりと好き勝手に自分の時間を過ごしている。
僕が登校している理由はとてもシンプルだ。
彼女に会いたいから。
好きな女の子に会いたいから。
ただそれだけのこと。
そして勇気が出ずに、ついに最後の日まで彼女に話しかけることすら出来ずにこうして今日もまた何もすることなく、彼女の方をチラチラ見ながら窓の外を眺めるフリをする。
「あっつい……」
思わず声が漏れてしまうが、どうやら彗星が近づいている影響で超高温になっているらしい。彗星が衝突する前に蒸し焼きにされてしまうのでは、なんて話をネットで見たことがあるが、案外本当にそうなるのかもしれない。
そんな死に方は嫌だな。
どうせなら一瞬で蒸発させてくれれば良いのに。
なんて、どうして僕はこの期に及んでまだチキンっぷりを発揮して、彼女のことを考えまいとしようとしているのだろう。
今日で最後なんだ。
ダメだったら明日頑張ろう、なんてことはもう通用しない。
もしかしたらもう一時間もしないうちに終わってしまうかもしれない。
失敗したって良いじゃないか。
最後の思い出が悲しいものだって良いじゃないか。
どうせ良いも悪いもすべて消え去ってしまうんだ。
だから今日こそは彼女に話しかけるんだ。
どうせ話しかけたって逃げられるだけだ。
見ていられるだけでも幸せだろう。
今のこの二人きりの空間だけで満足しようぜ。
これまで何度も唆されてしまった後ろ向きな思考にさよならし、僕はついに勇気を出して立ち上がった。
このまま教室を出てトイレに逃げ込んだ日もあったけれど、今日は絶対に立ち向かって見せる。
ゆっくりと彼女の席に向かって歩き出す。
心臓がドキドキしすぎて破裂しそうだ。
クラスの男子達は最後の日まで街で女の子達と遊んで過ごすだなんて言っていたけれど、どうしてそんなに簡単に女の子にアプローチ出来るのだろうか。
このままじゃ世界が滅びる前に、緊張で死んでしまいそうだよ。
汗でびっしょりの手のひらを無意識に制服にこすりつけ、はぁはぁと怪しい吐息を漏らしそうになるのを必死で抑え、まるで牛歩のようなスピードで、それでも僕は彼女の傍までたどり着いた。
「か、かか、粕谷、さん。お、お話、しませんか?」
ああ、ダメだ。
なんてみっともないのだろうか。
活舌が悪く、盛大にキョドっていて、誰がどう見ても不審者だ。
そうでなかったとしても、彼女のことが気になっていることがバレバレじゃないか。
逃げ出したい。
今すぐに世界が終わって欲しい。
目の前がふらつき、頭がくらくらし、どうにかなってしまいそうに思えた永遠とも感じた刹那、彼女が本から目を離してゆっくりと僕の方を向いた。
「やっと話しかけてくれたね」
その屈託のない笑顔に、僕は全く違った意味で鼓動が爆発しそうになってしまったのだった。
ーーーーーーーー
「そこ、座ったら?」
「う、うん」
彼女の許しが出たので、僕はガチガチに緊張しながら隣の席に座らせてもらった。
そんな僕の様子を彼女は楽しそうに見つめていたけれど、どうしてそんなに好待遇なのだろうか。てっきり気持ち悪いと拒絶されるのかと思ったのに。
彼女に見つめられるだけで僕は石になってしまいそうだけれど、不思議なもので勇気を出して成功すると、次の一歩を踏み出すハードルがとても低く感じた。つまりは僕の方から次の言葉を切り出すことが出来たんだ。
「何の本を、読んでるの?」
しかも先ほどまでとは打って変わって、ほぼ普段通りにスムーズに言葉を発することが出来た。上出来だ。
「あすきみ、って分かる?」
「う、うん。有名な恋愛小説だよね」
世界滅亡が発表される前に、ネットでとても話題になっていた作品で、確か映画化が決まっていたはず。正式名称は明日の……きみ……君……思い出せないや。
「でも天賀谷君が知りたいのは、コレじゃないよね?」
「え?」
このまま自然に世間話が出来ればと思っていたのに、ストップをかけられてしまった。どうやら話題選択に失敗したらしい。
話しかけることに成功したら本の話題で盛り上がろうと思ってシミュレーションを繰り返していたのに。この場合はどうしたら良いのだろうか。
予想外の展開に戸惑い、思わず口を閉じてしまいそうになったけれど、彼女はそれを許してはくれなかった。
「どうして天賀谷君は、登校しているの?」
「……」
君に会いに来たのさ。
なんて恥ずかしくて言える訳が無いだろう。
でもどうしてだろう。
彼女が僕を見つめる目は、からかっているようで、それでいてどこか真剣に思えて目を逸らせなかった。
ここで嘘をつくことは絶対にダメだと、直感が強く警鐘を鳴らしている。
本音を話すなんて恥ずかしい。
声をかけるだけで、ここまで時間をかけたのだ。
告白まがいのことなんて言える訳が無い。
でも、それでも、僕は。
彼女の視線に誘導されるかのように、自然と口をついてしまった。
「粕谷さんが、来ているから」
「!」
彼女の目が驚きで大きく見開いた。
僕自身の目も大きく見開いた。
だって僕がこんな大胆なことを言えるだなんて思わなかったんだもん。
「ぷっ、どうして天賀谷君も驚いているのよ」
「あ、いや、その、なんで言っちゃったんだろうって」
「あはは、なにそれ。変なの~」
粕谷さんは声をあげて笑っている。
良かった、ネガティブには受け取られていない様子だ。
それに笑顔の粕谷さんがやっぱり可愛くてドキドキする。
あれ、でもネガティブじゃないってことはもしかして……?
「そっかそっか、天賀谷君は私に会いに来てくれてたんだ~」
「うう……」
改めてそう言われると恥ずかしくて、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
これ以上、弄らないで欲しいと思う僕の願いとは裏腹に、彼女は僕を驚かせた。
「まぁ、知ってたけどね」
「え!」
知ってた!?
どうして!?
「そんなに驚かないでよ。だってこんな状況でここに来るだなんて、それ以外に考えられないでしょ」
「…………あ」
言われてみればそうだ。
誰もいない教室。
そこに毎日通う理由だなんて、余程の物好きか、現実逃避したいか、あるいは会いたい人がいるか、くらいしか理由は考えられない。
「それに天賀谷君って、私の方をチラチラ見てるし、何度も話しかけようとソワソワしてるし、分かりやすいよ?」
「ああああああああ!」
僕の行動や気持ちが全部バレていただなんて。
あまりにも恥ずかしくて思わず頭を抱えて叫んでしまった。
粕谷さん、絶対にやにやしながら僕のことを弄っているに違いない。
大人しい女の子だなと思っていたけれど、話をするとこういうタイプだったんだ。
でも好き。
弄ってもらえて、楽しそうに構ってもらえてとても嬉しい。
こんな世界だからかもしれない。
まともな精神の持ち主が激減し、こうして何気ない会話をする機会なんて超レアシーンだからかもしれない。
だから僕なんかが相手でもこうして楽しくしてくれているのかもしれない。
それでも良い。
やっぱり僕は粕谷さんが好きだ。
屈託のない笑顔がとても可愛い粕谷さんが大好きだ。
今をこんなに幸せに思えるだなんて、もっと早くに話しかければ良かったと心から後悔している。
「それで、天賀谷君はどうして私のことが気になってるのかな?」
「!」
「ほらほら、言っちゃいなって。どうせ誰も聞いてないんだからさ」
「一番聞かれたくない人が目の前にいるんですけど!?」
「おお、ナイスツッコミ。良い感じ良い感じ。その調子で言ってみよ~」
「えぇ……」
ああ、楽しい。
好きな人とこんな風に会話が出来る日が来るだなんて。
その心地よさが、きっと僕の口を滑らせてしまったのだろう。
「その、粕谷さんが本を読んでいる時、時々楽しそうにクスクス笑う時があって、それが可愛くて……」
それが、僕が粕谷さんのことを気になったきっかけだった。
まだ世界の滅亡を知らされる前のことだ。
喧騒に包まれた教室の中、静かに本を読んでいた粕谷さんを何気なしに見たら、とても良い笑顔で惹き込まれてしまったんだ。
恋に落ちる瞬間ってあのような感覚なんだなって今でも鮮明に思い出せる。
「…………」
あ、あれ。
さっきまで快活に僕をからかっていた粕谷さんが静かになっちゃったぞ。
もし怒らせたり気持ち悪いと思われたらどうしよう。
不安に襲われてしまった僕は、恐る恐る彼女の顔を確認する。
「…………」
「!」
そこには衝撃の光景があった。
彼女は顔を真っ赤にしてあたふたしていたのだった。
「か、かわいい……」
「ちょおっ!?」
思わず漏らしてしまった言葉に、彼女は奇妙な反応を返してきた。
少しポンコツっぽくてこれまた可愛い。
ダメだ、好きな人の反応だとなんでも可愛く見えてしまう。
「天賀谷君って、アレだねアレ!」
「あ、アレ?」
「そう、アレだよアレ! ああもう、こんなはずじゃ、ああああああああ!」
めちゃくちゃ悶えてる。
良く分からないけれど、照れているってことで良いんだよね。
それって好反応ってことで良いんだよね。
少なくとも悪印象は無さそうだから、ちょっと安心した。
相手が冷静さを失うと、こっちが冷静になるっていうのは本当のことだったんだ。
粕谷さんに攻められて動揺していた気持ちが少し落ち着いてきた。
すると僕の脳裏に一つの疑問が湧いて出た。
今は僕が攻めるターンだ。
調子に乗った僕はその疑問をさらっと表に出してしまった。
「じゃあ、粕谷さんはどうして今も毎日登校しているの?」
「今その質問する!?」
真っ粕谷さんに怒られちゃった。
確かに、僕が告白したに近い状況なのに変な話題転換だったかも。
でも今更元の話になんて戻す話術も無いし、戻ったら戻ったで恥ずかしいだけだし。
そう困惑していたら、彼女は律儀にも答えを教えてくれた。
「皆が好き勝手するのが嫌で意地で登校してたら、誰かさんが露骨に私に気がある風を装ってきて、来なくなるのも悪いかなって思っただけよ」
「あ……ご、ごめんなさい」
「べ、別に謝らなくて良いわよ。何だかんだで私も天賀谷君の反応を見て楽しんでたし、それに悪い気もしな…………っ!」
「そ、それって」
「…………」
「…………」
お願いだから真っ粕谷さんになって黙り込むの止めて!
僕もどうして良いか分からず、俯いちゃうから!
「…………」
「…………」
ドキドキが止まらない。
戸惑いで頭がグルグル回ってしまう。
視線をどこに向ければ良いのか分からない。
でも幸せだ。
楽しい。
ああ、こんな時間がいつまでも続けば良いのに。
そしてそれは粕谷さんも同じ気持ちだったらしい。
「遅いよ、ばか」
「……ごめん」
僕がもう少し早くに声をかけていれば、彼女と語らう日々をもっと堪能できたに違いない。
こんなにもギリギリまで日和ってしまったからこそ、僕らはこの気持ちを受け止める時間すら残されていない。
残り僅かな時間。
誰もいない教室で彼女と二人きり。
やるべきことは。
「もっと粕谷さんのことを教えてほしいな」
「え?」
「だって僕、本が好きってことくらいしか知らないし」
やっぱりこれ以外には考えられない。
彼女と何でもない日常を過ごす。
それこそが今の僕にとって最高の幸せなのだから。
「ええと、私とお話したいってこと?」
「うん」
「それだけ?」
「うん、そうだけど?」
「…………ふふ」
どうしてだろうか、粕谷さんがとても嬉しそうだ。
まだ頬は赤いけれど、僕をからかっていた時の雰囲気に戻っている。
さっきまでの雰囲気は甘酸っぱくて嫌いじゃないけれど、こっちの方が好きかな。
「じゃあ私にも天賀谷君のことを教えてよ」
「う、うん」
「天賀谷君は私と付き合ったらこの先何をしたい?」
「ええ、僕が先に聞いたのに」
「細かいことは気にしないの」
先手を取ったはずなのに、なぜか僕が答える流れになってしまった。
しかも付き合うこと前提の話とか、とても恥ずかしい。
でも答えよう。
未来の話は、とてもワクワクするもんね。
「まずはこうしてたくさんお話ししたいな」
「お話しに拘るね」
「だってさっきも言った通り、粕谷さんのことをまだ全然知らないから」
「それじゃあたくさんお話しして、その次は?」
「う~ん……定番だけどデートとか」
「いいねいいね。どこに行こうか?」
「やっぱり本屋かな」
「はは~ん、この雰囲気は、脳内でシミュレーション済みですかな?」
「うっ……」
そりゃあ粕谷さんとデートするならどうするか、だなんて何回も考えるに決まってるじゃないか。
でも彼女の嗜好を知らないから、本屋以外に何も思いつかなかったんだよね。
「シミュレーションでは本屋以外は何をするの?」
「……決まってない」
「そうなの? 映画館とかって言い出すかと思った」
「だって粕谷さんが何を好きなのか分からないのに、適当なとこに行けないよ」
「…………天賀谷君って案外」
「案外?」
「う、ううん、何でもない」
意味が分からないけれど、彼女の頬の赤みが少し増した気がする。
間違ってなかったってことなのかな?
「そ、それじゃあさ、もし私たちが付き合って仲良くなって高校卒業後も一緒に居たいってなったら、どうする?」
「どうするって言っても学力の差が」
「天賀谷君の理想の未来が知りたいな」
そうだった。
僕達はもう未来が無いと分かっていて、未来の話をしているんだ。
それなのに現実的な話をしすぎたってつまらないだろう。
無茶でも非現実的でも何でも良い。
今は楽しくてワクワクする理想の姿を語らわなきゃ。
「やっぱり一緒の大学に行きたいかな」
「うんうん」
「何度もデートしたり、一緒に講義を受けて一緒に課題を解いたり、大学生活を満喫したい」
「いいねいいね。サークルはどうする?」
「粕谷さんが入りたいならって感じかな。僕としては二人の時間が削られるのが……あ、束縛したい訳じゃないからね」
「あはは、分かってる分かってる。そのくらい独占欲があった方が女子は嬉しいんだよ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。知らんけど」
「あはは、何それ」
できれば同棲生活を、なんて思わなくもないけれど、まだ大学生だし少し早いよね。
「大学卒業して、就職して、生活が安定してきたらプロポーズして」
「振られる、と」
「え゛?」
「冗談冗談」
「も、もう、心臓に悪いよ」
本気で嫌な汗が出てきちゃったじゃないか。
「でもそっか。天賀谷君は堅実なタイプなんだね。学生結婚して早くからバラ色の毎日だーなんて思わないんだ」
「それはそれで楽しそうだけれど、やっぱり好きな人に苦労をさせたくないから安定は重要かな」
「…………やっぱり天賀谷君って案外」
「だから案外なんなのさ!」
「う~ん、なんでもな~い」
つまらない人間だなんて思われるかと少しだけ不安だったけれど、そんなことは無いようで少しだけほっとした。でも案外何なのかは教えて欲しい。
「子供は何人欲しい?」
「子供かぁ……ここは欲張って11人とか」
「うわぁ、サッカーできちゃうやつだ。毎年のように出産かぁ。頑張らないと」
「よろしくお願いします」
「任されました」
「あはは」
「あはは」
彼女とこんなにも和気藹々と話が出来るだなんて、昨日までの僕が聞いても信じないだろうな。
「でもどうしてそんなにたくさん子供が欲しいの?」
「沢山の子供や孫やひ孫に囲まれて穏やかに死ぬのって憧れない?」
「あ~なるほど。ちなみに、何歳まで生きたい?」
「103歳かな」
「妙に具体的。その理由は?」
「区切り良く100歳までは元気で生きて、でもその後すぐに死んじゃうと露骨な気がするからなんとなく三年は頑張りたいなって」
「あはは、何それ。でもなんだか分かる気がする」
そしてもちろん隣にはずっと彼女がいるんだ。
「最後の時には親戚中に囲まれて、粕谷さんと一緒にベッドで寝てるんだ」
「私も生きてるんだ」
「そして一緒に死ぬの」
「わぁお。なんて都合の良い展開」
「ベッドの中では手を繋いでいて」
「うわぁ、その歳でも仲良いんだね。こんな感じ?」
「え!?」
ちょっ、ちょちょっ、粕谷さんが手を握ってきた!
緊張でベッタベタだから触らないで!
「それでそれで、手を繋いでどうするの?」
「え、え?」
粕谷さん、手汗がどうして気にならないの。
うう、恥ずかしい。
「さ、最後に、お別れの挨拶を……」
「挨拶?」
「う、うん」
「どんな感じ?」
「え?」
「やってみてよ。ほら」
「うう……」
は、恥ずかしい。
でも、ここまで来てもう後には引けない。
というか、手を握られて逃がしてくれる気がしない。
「愛してるよ」
「私も愛してるわ」
速攻で返してきた!
僕が言おうとしてたことを予想してたのか。
こんな恥ずかしいことをどうして堂々と言えるのだろうか。
そう思って彼女の顔を改めて見つめると、彼女は穏やかな瞳でまっすぐ僕を見ていた。
「…………」
「…………」
手を握り合い、愛の言葉を伝えあい、無言で見つめ合う。
この雰囲気ってまさか。
「…………」
「…………」
そっと彼女が目を閉じた。
それが何を意味しているか、それが分からない程に僕は鈍感ではない。
誰も居ない静かな教室で、心臓が早鐘を打つ音だけが激しく聞こえてくる。
僕は小さく息を吐くと、意を決して……
「というのが、僕の将来の夢なんだ」
「ヘタレ」
「詰るの早すぎ!」
僕が何もしないことまで読まれていただなんて。
からかわれてただけなのか!
でも僕だって単にヘタレた訳じゃないんだよ。
世界滅亡という異常な空気に飲まれて、良い雰囲気になってしまったにすぎないんだ。彼女が僕のことをどう思っているのかが分からないのに、流されてこういうことをするのは、いくら最後とはいえ良くないと思ったんだ。
あれ、これってやっぱりヘタレなのかな?
「ふふ、でもありがとう」
「え?」
「天賀谷君で良かった。本当にありがとう」
「どういたしまして?」
彼女の決意を無駄にしてしまったにも関わらず、彼女は許してくれたどころかお礼を言ってくれた。
その真意を聞ける時間はきっともう残されていない。
何故ならば、先ほどから急激に気温が上昇してきているから。
ついにその時が来たんだ。
「ふふふ」
「あはは」
でもどうしてか僕らは笑っている。
幸せに満ちている。
世界最後の日、僕は君と初めて会話をした。
そして今日こそが、僕にとって人生で最高の一日だったと胸を張って言えるだろう。
ーーーーーーーー
「それじゃあ、世界を救ってくるね」
「え?」
彼女と共に終わる覚悟をしていたら、彼女が僕の手を放して立ち上がった。
そして開いた右手を天に突き上げ叫び出した。
「条件達成! チェンジ!ラブサヴァイヴァーフォーム!」
「うわ、まぶし」
彼女を中心にものすごい強烈な光が放たれ、目が眩んでしまいそうだ。
その光は十数秒程度続き、ようやく収まったと思ったら、そこには奇妙な衣装に包まれ、胸の前で両手ハートポーズをする粕谷さんの姿があった。
「愛する力が世界を救う、ピュアラブリー!」
「その恰好でピュアってのは無いと思うよ」
「いやああああああああ! なんでこんな格好なのおおおおおおおお!?」
彼女の格好は、フリルタップリの黄色いビキニの水着のような装いだった。
腰回りだけは極小のスカートを履いているけれど、その下の水着を隠す能力が全くなく飾り的なものなのだろう。むしろその見えてしまっている感が、可愛さに加えて卑猥な感じを醸し出してしまっている。
フリルの可愛らしさのおかげか、ビッチとまでは言わないけれど、ピュアっぽさはあまり感じられない露出過多の衣装だった。
って僕は何を冷静に分析してるんだ。
彼女が変身した!?
「ど、どうなってるの!?」
「み、見ないでぇ」
「自分でその格好になっておいて!?」
「だってこんな格好になるだなんて聞いてなかったんだもん!」
聞いてなかったってことは、彼女に何かを唆した人がいるってことなのだろうか。
こんなけしからん格好にするだなんてありがとう、ではなくてなんて酷いやつだ。
「とりあえずこれ」
「うう、ありがとう」
僕のワイシャツを貸してあげたらそれを着てくれたのだけれど、露出は減ったけれどそれはそれでけしからん見た目になってしまった。
彼女は気づいていない様子でほっとしているので言わないでおこう。
「それで、一体何がどうなってるの?」
今度こそ何が起きているか説明してもらえるのかな。
「それは……ってもう時間がない! 行かなきゃ!」
「行く?」
「うん。実は私、神様的な存在から世界を救うチャンスを与えられてたの。時間無いから移動しながらテレパシーで説明するね」
「テレパシー」
彼女はそう言うと、窓から飛び出し、上空へと飛び上がった。
飛べるんだ……
というか、神様的な存在って何よ。
『それでね』
「うお、こいつ脳内に!」
『そういうネタは良いから』
ネタじゃなくてガチ反応なのですが。
『話の続きだけど、その神様的存在っていうのが、地球の誰かに助かるための力を授けようと思って、偶然私が選ばれたの』
「マジですか」
『大マジらしいです。ほら、この力』
目の前で変身なんてされて、空を飛ばれたら、そりゃあ納得するしかないか。
でもそれならどうして今までその力で地球を救ってくれなかったのだろうか。
『神様的存在が何故か素直に力を渡してくれなくて、力の発動には条件達成が必要だったの』
「条件?」
『うん、私がピュアな恋愛をすること』
「は!?」
神様的存在さん、一体何を考えてるの!?
『ピュアな恋愛だなんて、何をすれば良いか分からなかったし、自分からアプローチするのも禁止だったしで焦った焦った。そんな時に天賀谷君の視線に気づいたの』
「ま、まさか」
『ありがとう。天賀谷君がヘタ……ピュアだったおかげで、条件達成できたよ』
「ヘタレで悪かったね!」
『むしろありがとう!』
くそう、僕はまんまと彼女たちに踊らされたって訳か。
『あ、勘違いしないで。私が天賀谷君のことを好ましく思っているのは本当だから!』
「そ、そう?」
『そうだよ。私が恋しなかったら条件達成にならなかったわけだし、天賀谷君のピュアさが世界を救ったんだよ』
「え、恋してる?」
『あ……』
「…………」
『…………』
今、真っ粕谷さんになってるんだろうな。
あの格好でか。
とても見たい。
『今、変なこと考えたでしょ』
「べ、別に?」
『天賀谷君ってピュアに見えて本当はヘタレなだけのむっつりだもんね』
「ち、ちち、違うし!」
『幻滅しないから大丈夫だよ』
「だから違うって!」
『本当に大丈夫だって。神様的存在からも、いいぞもっとやれ、って言われてるし』
「そいつ絶対邪神だろ!」
ピュアな恋愛をしたいヘタレ男子をからかいたいだけじゃねーか!
『まぁまぁ、怒らないの。さぁ~て、所定の位置についたからこれから彗星を消滅させるね』
「本当に出来るの?」
『多分ね』
まさかこんな超展開で世界が救われてしまうだなんて。
『これ消して帰ったらよろしくね』
「え?」
『子供11人作るんでしょ?』
「え!?」
『11人だと今から仕込まないと間に合わないから、残念だけれど安定堅実な人生は無理だね』
「え!?!?」
『世界を救ったヒーローだから、金銭面は安心して良いよ。ダメだったら神様的存在がなんとかしてくれるらしいし』
「え!?!?!?」
まってまって。
何がどうなってるの。
つまり僕はこれから粕谷さんと爛れた生活をしなければならないってこと?
「ぼ、僕は穏やかにゆっくりとしたペースで……」
『ダ~メ。神様的存在が、そういうヘタレ男子が性に堕ちる姿が最高なのじゃよ、って言ってるから』
「本当に邪神じゃないか!」
神様的存在を理由にして、本当は粕谷さん本人がそう思っている可能性も頭を過ったけれど、考えないことにした。
『さっきこの姿になった時、天賀谷君の視線が最高に嫌らしかったから、簡単に堕ちそうだよね』
「ちくしょおおおおおおおお!」
否定できない自分が情けない!
この日、世界は救われ、僕は新世界の扉を開くことになったのだった。
なんでやねん!
僕のピュアな恋路を返して!
変身後の姿を写真に撮って十年後に家族に見せてやる。
という言葉を入れようかどうか最後まで迷いました。
彗星で気温が云々は適当なので突っ込まないでね。




