浅はかな王女の末路
「鈍いわね、ファビアン・アルバラ公爵令息。あなたとの婚約を破棄すると言ったのよ」
吐き捨てるように、カタリナ王女は言った。
王国の第一王女殿下は、僕の数年来の婚約相手。
その彼女の部屋で、突然の婚約破棄宣言。
(僕の余命を知った?)
……そんな様子はない。
僕が不治の病にかかったことは、ごく一部の身内しか知らない。まだ外部の誰にも伝えてない。
だとしたら、婚約破棄の理由は。
(今度の恋人を、いたく気に入ったみたいだな)
カタリナ王女の隣に侍る青年は、男爵家の末子。名は確か、マルケス・メンヒバル。
無駄に華やかな顔を品なく歪めて、勝ち誇ったような笑みを向けてきた。
なるほど?
(カタリナ王女は、相手の内面は問わないからな)
王女にとって、見目の良い男性はアクセサリーのようなものだ。
僕がいようがお構いなく、これまでも様々な男を近づけては、"飽きたら捨てる"という行為を繰り返してきた。いずれの時も婚約だけは維持されていたが、今回こそは違ったようだ。
王女が単純なのか、マルケスが遣り手なのか。
「私は"真実の愛"を知ったの」と、陶酔したように王女が語っている。
どちらにせよ、近々こちらから婚約を辞退するつもりだった。
病魔に侵された僕の命は、長くない。
王の大切な長女を預かることが不可能になったと、理由を添えて謝罪する予定だったが。
(カタリナ王女からの要求として、王家有責の流れで通そう)
さすがの僕も、一方的な婚約破棄に愉快な気はしない。
彼女の性格上、いつかはこんなこともあるかと想定していたものの、方法がおざなり過ぎる。
王女は父王から厳重注意されるだろうが。
(どうせ娘可愛さに、王家側から内々で円満解消の取引を持ち掛けてくるはずだ)
彼女はたぶん、この破棄が公爵家の顔を潰すものであり、本来なら取り返しのつかない騒ぎとなることに気づいてない。
公の場なら、こうはいかなかった。
カタリナ王女にもそのくらいの分別はあった、と判断したいところだが、偶然だろう。
顔を合わせたついでに宣言した。
そんな空気感だったから。
(つまり僕をとことん軽く見ているということだけど)
縁が切れるなら、ありがたい。僕も王女にはウンザリしていた。
「王女殿下からの婚約破棄、承りました。父アルバラ公爵への報告せねばなりません。本日はこれで、御前を失礼させていただきます」
一礼を後に、カタリナ王女の私室から退室する。
お茶のワゴンを押して来た侍女が、僕の早い退席に驚いたようだが、そういうことはまあ、あるものだ。
振り返らずに、王宮からはさっさと辞した。
◇
結局、僕の人生は何だったんだろう。
早いうちから結婚相手を決められて、物心ついてからは、奔放な王女の尻ぬぐいに従事して過ごした気がする。
帰宅後、王女に対し烈火の如く怒り狂う父・アルバラ公爵を抑えるのに、かなりの労力を呈した。
王家へ抗議を入れて"婚約復帰"になると面倒だし、どうせ向こうから話を大きくしないよう打診してくるから、公爵家に有利な条件を目一杯引き出してやろうと提案して、父を止めた。
「お前はそれでいいのか?」と、父と兄に何度も確認されたけども。
僕とカタリナ王女の間に、愛はなかった。
そして僕の時間は有限だ。
蒸し返して貴重な時間を割きたくないと、父にも主張した。
どうせ何を言ってもカタリナ王女は聞きはしない。これまで何度も、いろんな気持ちを伝えようとしてきたけれど、効果があったためしがない。
身分も年齢も、彼女が上。
それが、悪いほうにばかり作用していた。
王女にとっての僕は、体の良い召使い。
──どれが良いかしら。とりあえず、全部ちょうだい。支払いですって? 婚約者のあなたが贈ってよ。そのくらいの甲斐性はみせなさい。私の予算は制限されているのよ。
──使い過ぎたわけじゃないわ、元々が少ないの!! えっ、平民の一生分以上を月に浪費? なぜそこで平民の話が出るわけ? あんな者たちを比較に出さないで。王族たるもの、このくらい当然の支出よ!
──ちょっとファビアン。どうして止めるの?! この侍女が私に似合わない色を勧めたのよ? おかげで恥をかいたから罰を与えてるのに、口出ししないで!!
──侍女の代わりに、あなたが私のドレスを見立てたい? いいわ。私を着飾らせる栄誉を与えてあげる。
僕が選んだカタリナ王女の装いは、社交界で評判を呼んだ。
卓越して洗練されたセンス。
王女は気を良くし、気づけば僕は、彼女の衣装係のようなことをさせられていた。
お財布は、こちら持ち。
小遣いだけでは足りなくて、副業を請け負っては実家に迷惑をかけないよう動いてきたが。
(そうか。もう王女に振り回されなく済むのか)
解放的で、清々しい思いが胸を駆け抜ける。
(どうせなら、もっと早く自由が欲しかったけど、残り少ない命は自分のために使おう)
そう思いながら足を運んだ街で、僕は運命の出会いをした。
リブレ伯爵家のひとり娘、アルドンサ・リブレ。
今年社交界デビューした、十六歳のご令嬢。
初めて言葉を交わしたのは、建国記念の式典。転びかけた彼女を支えたら、いたく感謝された。
アルドンサ嬢はなぜかいつも、とても大きな丸眼鏡をつけている。
顔の半分を占める眼鏡と前髪で隠れて気づきにくいけど、間近で見るとその目鼻立ちは形よく整い、眼鏡奥の瞳は星のように煌めいて、すごく美人だ。
引っ詰めた時代遅れの髪型に、暗色のドレスを選んでなければ、その美しさはもっと人の知るところだろうに、敢えてのチョイスには何か意味があるのだろうか。
常々そう思っていた彼女を偶然、劇場前で見かけ、しかも呼吸に喘ぐほど青ざめた様子に、不躾を承知で声をかけた。
「大変……! 大変なんです、ファビアン様!! 助けてください!! 劇場で何かが起こり、大勢の方が亡くなるかも知れません!!」
アルドンサ嬢が言うには、彼女には生まれた時から特殊な力があり、"人の死期がみえる"という。
そして今、目の前の劇場に入っていく人たちに、揃って"死相"が見えていると。
その未来に彼女は震え、涙ながらに訴えてきた。
「このまま何もしなければ、皆が死んでしまう!!」
荒唐無稽な妄想だと、一蹴してしまいそうな話。
けれど、そうさせない真剣さが、彼女にはあった。
それにこの劇場、この演目には、以前から懸念事項があった。
舞台に所狭しと照明を並べており、もしその灯火が倒れでもしたら、途端に火災につながるような……。
はたしてアルドンサ嬢と向かった劇場では火災が発生したが、火災より先に、劇場支配人に話せていたのが大きかった。
大混乱となることなく、速やかな誘導と迅速な鎮火で火事は消し止められ、難を逃れた人々を見て、ほっと息をついた途端。
あってはならない、どす黒い感情が胸底から突き上げた。
──僕だってまだ死にたくない。なのに彼らは助かって、僕は近々命を失うなんて不公平じゃないか──
醜く、理不尽な嫉妬。
そんな自分を軽蔑し、己を罵っていた時、傍らのアルドンサ嬢が目に入った。
見知らぬ大勢のために、顔や服を煤だらけにして懸命に行動をした、二歳下の女の子。
小さな体で勇敢に声を張り上げていた少女は、嬉しそうに目を細めていた。
ひとつひとつの命を、とても愛しむように。
(まるで天使だな)
もし命の終焉に、こんな目で見守ってもらえたら、きっと価値ある人生だったと思えるだろう──。
「彼らの笑顔を守れたのは、アルドンサ嬢のご活躍のおかげです」
そんな言葉が、自然と口をつく。
けれど当のアルドンサ嬢は僕の言葉にふり返ると、その瞳に切ない色を浮かべた。
(そうか。彼女には"みえる"と言っていたっけ)
人の死期が。
なら僕に待つ未来もみえているんだろう。
そして、悲しんでくれている。
気づいた時には、僕の気持ちは解けていた。
「……死ぬ前に人の役に立てて良かった。死期が見えるアルドンサ嬢にはお気づきかもしれませんが、僕の命は幾許も残っていないのです」
屋敷の外では誰にも話していなかった病の話が、ポロリとこぼれ出る。
アルドンサ嬢は目を見開き、驚きの表情で、僕の次の言葉を待つようにじっと見てきた。
(……これも縁か)
話してしまった以上、「じゃあそれで」と終わらせるわけにもいかないだろう。
何より僕は。
ずっと誰かに、心のうちを聞いてもらいたかった。
家族や使用人たちの前では強がっていたけれど、本当は圧し潰されそうなくらい、毎日毎分が怖かった。
彼女は僕の言葉を一言一句を聞き逃すまいと、全身で話を聞いてくれていた。
重い話を聞かせてしまっている申し訳なさを感じながらも、カタリナ王女との婚約が終了していることも含め、ありのままを言葉にしていく。
彼女は衝撃を受けたようだった。
「そんな……!」
「ああ、うん、それは良いのです。元々が政略結婚。僕とカタリナ王女の性格も合ってませんでしたし、僕もこんなことになったので」
「良くありません……っ」
アルドンサ嬢が声を絞り出す。
(どうしてきみがそんなに泣きそうになんだ)
俯いて悔しがってくれているようだ。僕のために。
(情の深い娘なんだろう……。可愛いなぁ……)
いつか僕がこの世から消えても、今日のことを欠片くらいは覚えていてくれるだろうか。
アルドンサ嬢が、ぽそりと呟いた。
"私に、ファビアン様のお命を助けることが出来たら良いのに"。
そう聞こえた気がした後、急に。彼女は虚空を見つめるように固まってしまった。
「アルドンサ嬢?」
(どうしたんだ、一体)
慌てて呼びかけるものの、反応がない。
どうしよう、大きなショックを受けさせてしまった?
彼女にとっては、所詮他人の話なのに??
何度も名前を呼んで反応を待っていると。
突然、目に光が戻った彼女が、はじけるように言った。
「あの、私! いろんな病気に効くお薬を知っているんです! ぜひお試しいただけませんか?!」
◇
その後は、僕にとって奇跡の時間が続いた。
アルドンサ嬢はこまめに薬を作って、届けてくれる。
薬を妄信するわけではないけれど、どうせ失うものもない。
優しい心遣いとアルドンサ嬢に会えることが嬉しくて、僕は彼女を受け入れた。
そのうちに、見違えるように体が軽くなってきた。
始めは訝しんでいた屋敷の人間たちも、次第にアルドンサ嬢に親しみ、二週間後の往診では主治医を驚かせることになった。
病状が快方に向かっている、と。
アルドンサ嬢の薬は、劇的に僕を癒していった。
彼女へのお礼には全然足りないが、日々の感謝の一環として、僕はよく彼女を誘うようになっていた。
美味しいお菓子のお店に、評判の料理店。買い物に観劇に絵画鑑賞、そして女の子の好きそうなお店巡りに、花咲く庭園……。
どんな場所でも目を輝かせて喜んでくれるアルドンサ嬢に、僕のほうが嬉しくなってくる。
"次はどこに行こうか"と計画を練るだけで、勝手に頬が緩んでいる自分に驚いた。
これまで感じたことのない充実感。
唐突に理解した。
(僕はアルドンサ嬢のことが好きだ)
ひとりの女性として。
(もうひとつ、医者に治せない病にかかってしまったな)
苦笑が漏れた。
アルドンサ嬢は眼鏡を外すことが多くなっていたが、外出時にはやっぱり丸眼鏡と古風ドレスで身を固めている。
いわく、眼鏡を外したら知人に気づいて貰えなかったらしい。
(それは、そうだろうな……)
眼鏡のあるなしで、ここまで印象が変わる女性も珍しいと思うくらい、オンオフの差が激しい。
僕はすでにどちらのアルドンサ嬢も可愛く見えるようになっていたから、彼女の自由意思に任せていたけれど、知れば知るほど、その魅力を存分に引き出してみたい欲求にかられるようになっていた。
他の男に見せるのは癪だし不安だけど、アルドンサ嬢が今風に着飾れば、きっと咲き誇る花以上に可憐に違いない。
(いつか僕がドレスを贈る権利を得たなら、プレゼントしたいブランドは山ほどあるな)
病を患ううちは、無責任なことは出来ないから自重している。けれど、未来を恐れず将来を夢想することが出来るようになったのは、すべてアルドンサ嬢のおかげだ。
楽しい日常の中、煩わされることもあった。
カタリナ王女だ。
アルドンサ嬢の訪れをウキウキと待つ僕の様子を伺いながら、ある日、控えめに使用人が伝えてきた。
「"なぜ定例の衣装選びに来なかったのか"と、カタリナ王女殿下から抗議の使者が参っております」
「? 定例の?」
「毎月、婚約者との逢瀬として設けられている時間でございます」
(何の話だ?)
「それなら行くはずない。むしろ行けば場違いだ。僕はもう、王女殿下の婚約者じゃない」
僕とカタリナ王女の婚約がなくなったことは、公式に発表されていた。
破棄ではなく、解消という表向きだが、口さがない貴族たちが憶測で様々な噂を広めていて、原因は王女の浮気だと、概ね的を射ている。
僕の返事に、使用人はなおも言いにくそうに口ごもった。
「まだ何かあるのか?」
「ドレス代の請求書も、支払いがたまっているらしく……」
「それもおかしな話だろう。婚約相手でもない女性のドレス代を支払ったりしたら、互いに不名誉な噂しか流れない。そうお断りしておいてくれ」
いささか憤慨しながら、僕は言った。
カタリナ王女は一体どういう心づもりなんだろうか。
僕たちの関係は終わっている。
ドレスが欲しいなら、マルケスとか言う新しい恋人にねだって欲しい。
男爵家の彼は、奢るより奢られるほうが得意そうだったが。
(自分から婚約を破棄しておいて、まさか今まで通りに僕を使えるとは思ってないだろうな?)
カタリナ王女なら、あり得る。
長年僕を下僕のように使ってきて、そういうものだと思い込んでいそうだ。
だが婚約が消えた今、無条件に応じる義務はない。
僕とカタリナ王女はそれぞれ、公爵家次男、第一王女という立場の違う他人だ。
(何を考えているんだ)
おそらく何も考えてない。それが正解だろう。
ため息が出た。
◇
僕の体調が上向いてくると、父の表情が柔らかくなってきた。
口には出さなかったが、父も父なりに張りつめていたのだろう。母の他界後、僕と兄を育ててくれた父だ。内心気を揉んでくれていたに違いない。
(王家との縁組も、元は"次男の僕にも安定した生活を"と思ってのことだったらしいし。相手がどんな性格に育つかまでは、予測出来ないものな)
"病は去った"と診断を得た後、父と僕はリブレ家に赴き、リブレ伯爵とアルドンサ嬢に深い感謝を伝え、今後、アルバラ公爵家からの助力を惜しまない約束をした。
帰りの馬車の中で、父に尋ねられた。
「リブレ伯爵家は"特殊な家柄"だが、お前に合うかもしれん。お前とアルドンサ嬢の気持ちはどうなんだ?」
「!!」
それはつまり、そういう意味で。
僕の返事次第で、父はリブレ家に話を申し込んでくれると言った。
僕はアルドンサ嬢が好きだけど、彼女の気持ちはまだ確認していない。
現在、交際相手や婚約者はいないと言っていた。
これまでの付き合いから、アルドンサ嬢も僕に好意を抱いてくれていると感じてる。
おそらく、期待していい。だけど誰のためにも懸命になれる子だから、若干不安も残る。
彼女の気持ちは、僕にあるんだろうか。
(まいったな……。これは勇気を出して告白するしか)
父が動いてしまうと、公爵家からの縁談を、伯爵家が断るには難しい。
アルドンサ嬢に無理を強いたくないなら、先に自分で行動しなければ。
行動するのは構わない。
問題なのは。
断られても、諦められる気がしないことだ。
どんな場所で、どんな言葉で、この想いを伝えたら最良の結果を得ることが出来るだろう。
そんなことを考えつつ、アルドンサ嬢への贈り物を探しに有名宝飾店を訪れ、予想外の相手と遭遇してしまった。
「まあ、ファビアン。こんなところで会うなんて」
顔を見るなり、呼び捨ててくる。
(ちっ)
カタリナ王女だ。伴うのは、お決まりの男爵令息マルケス。
来店したばかりなのか、王女が個室に案内されてないとはタイミングが悪かった。
「珍しいですね。いつもは店の人間を城に呼び寄せるのに」
たくさんの新作を揃えさせ、業者を呼ぶのが王女のスタイルだ。自ら店舗に足を運ぶなど、滅多にない。
何気なく尋ねただけなのに、王女は苛立つように顔を顰めた。
「生意気な商人が多いせいで、頭が痛いわ。わたくしが使用したアクセサリは話題を呼ぶから、真似する貴族たちで店の売り上げも上がるというのに、"献上は出来ない"と言うの」
(ああ。支払いが滞って、城に来てもらえなくなったのか)
押しかけて宝飾品を巻き上げるつもりなら、"揺すり"や"集り"と変わりない行為なのだが。
カタリナ王女のファッションは、以前ほど話題にのぼらなくなっている。
僕が彼女のコーディネートから離れて以来、精彩を欠くという声も聞く。
(個室には入れてもらえないということか)
素知らぬ顔をして、店員に見たい指輪の希望を伝える。
アルドンサ嬢に似合う、可憐で上品な指輪を探すためだ。
店員が数点ほど並べた指輪に、何を勘違いしたのかカタリナ王女が口をはさむ。
「ファビアン。わたくし、そんな指輪は好みではなくてよ」
「王女殿下のお好みは関係ありません。これは私が大切な相手に贈るため見繕っているものです」
言うと、驚いたような顔をされた。
(どんな思考回路をしているんだ)
もう縁のない王女の指輪を、僕が買うと思ったのか。
その通りだったらしい。
王女は目に見えて不機嫌になった。
「私にフラれて自棄になるのはわかるけれど、品位というものは大切にしないと。あなた最近、"芋娘"を連れ歩いてるって話じゃない」
「──芋娘、とは誰のことでしょう?」
万が一にもアルドンサ嬢のことを指しているなら、王女といえど容赦しない。
彼女は王女とは比べ物にならない程、すべてにおいて優れている。
僕の空気に何かを感じたのか、王女は「ふん!」と鼻を鳴らしただけで、言及せずに話を変えた。
「あと、わたくしからの誘いを断り続けるなんて。いつまで拗ねているの?」
「は?」
王女の言葉を思わず聞き返すと、ねったりと耳打ちされた。
「マルケスにその座を奪われても仕方なかったでしょう? だってお前は、"婚前だから"とわたくしとの夜に応じなかったのだから」
(! こんな場所で何を! それに破棄の理由が、それか?!)
「以前のように、わたくしに仕させてあげるから、明日にでも王宮に顔を出しなさい。近々、隣国の王太子夫妻が来訪するの」
あまりの馬鹿々々しさに、王女に対する評価が過去最低を記録した。一切の感情が声から消える。
「──国王陛下の即位記念式典ですか」
「そうよ。あそこの王太子妃は気に入らないわ。身の程知らずにもこのわたくしに、衣装比べを仕掛けてくるもの」
「つまりそのくだらない衣装比べを僕に手伝えと言うことですか? 御免蒙ります。僕は今、十分に満ちたりていますので、不快な出仕はお断りします」
「なっ……!」
カッと王女の顔に血が上る。
僕が直接断るなど、カタリナ王女の想像になかったようだ。
年上の婚約者だったからこれまでは顔を立てていたが、不必要に使役される理由も、見下される謂れもない。
(とても買い物どころではないな。こんな環境で、アルドンサ嬢への大切な贈り物は選べない)
店員に断りを入れて、店を出ようとした背中に、王女からのヒステリックな声が飛んだ。
「お待ちなさい、ファビアン! わたくしの召致に応じなさい。これは王女としての命令よ!!」
目だけで振り返り、王女に返した。
「お忘れですか? 王女殿下。王家と公爵家との間で取り交わされた約束を。"王女の権限で、元婚約者を呼び出すことは出来ない"と、契約書に盛り込まれています」
カタリナ王女が特権を振りかざし、無理難題を押し付けてこないとも限らないため、婚約解消時の示談に盛り込んで貰った項目。
結果、彼女は僕に対して様々な権力行使を封じられている。
「ファビアン!!」
王女の金切り声は店内だけでなく、店外にまでけたたましく響き渡った。
品位を大切にしろという言葉は、自分にこそ使うべきだろう。
◇
(気に入ってもらえるだろうか)
何度も入念にチェックした身だしなみに、腕からはみ出る花束。ポケットには指輪。
これから挑むデートに、僕はいつになく緊張している。
アルドンサ嬢との待ち合わせ。
アルドンサ嬢の孤児院慰問のあとに合流し、今日は半日、彼女に時間を貰っている。
(今日こそ決める。きちんと気持ちを伝えて、婚約を申し込む)
アルドンサ嬢の訪れる孤児院が、通りから少し外れた小さな教会に併設されているため、人少なめの道は、ひとり待つ寂しさを余計に助長してくる気がする。
(今度一緒に、教会に寄付に来てもいいな)
今回なぜそうしなかったのか。
ギリギリまでデート・コースの選定に迷いまくっていたからとは言えない。
(おかしい。いつもはもっと卒なく行動出来てたはずなのに)
アルドンサ嬢のことになるとつい、ああでもない、こうでもないと元来のこだわる性格が出てきてしまい、即断即決が遠のく始末。
(僕はわりと優柔不断だったのだな)
知らなかった自分の一面を、感慨深く分析していた時だった。
「きゃああああああ!」
悲鳴が、耳に届いた。
「!!」
(この声、まさかアルドンサ嬢?)
慌てて声のほうに駆けつけ、追われているアルドンサ嬢を目にして、僕の体は考える前に動いていた。
狭い小路、どこから湧き出たのか人相の悪い男が、今にもアルドンサ嬢を捕まえようと手を伸ばす。
お団子に結い上げた髪が功を奏し、後ろ髪を捕らわれることなく身を伏せたアルドンサ嬢の横を、嵐よりも凶悪な花束が走った──時には僕は、暴漢を石壁に叩きつけていた。
これでも僕は、しっかりと騎士科も履修している。
アルドンサ嬢が駆け寄って来た。
「ファビアン様!」
「アルドンサ嬢、ご無事ですか?」
「カリナが! 私の乳母が私を逃がすために、向こうに残っているのです!」
アルドンサ嬢の教育を一任され、衣装全般も担当しているカリナ殿は、時代遅れなフープスカートを愛用している、堅苦しい空気感満載の乳母だ。
アルドンサ嬢以上にギチギチに髪を結い、地味色な衣に身を包み、その厳格な表情は人を近づけないオーラを全方位に放っているが。
主人思いで忠義に篤い女性だと、何度か会ってその為人を知っている。
その乳母が、アルドンサ嬢を逃がすため大勢の暴漢に囲まれているという。
「すぐに助けに行きましょう」
「こ、こちらです」
アルドンサ嬢の示す道に走った僕は。
僕とアルドンサ嬢は。
後に"一生忘れられない"と語る光景を、目撃した。
宙を舞う、黒きクラゲ。
例えるなら、そうとでも表現するのかもしれない。
乳母のカリナ殿はフープスカートを広げ跳び、触手、もとい鞭を唸らせて、群がる男たちと戦闘中だった。
鞭はスカートの下に仕込まれていたのだろうか。
クリノリンに添わせれば、無理なく持ち歩ける……かも知れない。
的確に投げられる針が、敵の手にある武器を落とさせている。
結い上げられた髪から無限に出てくる針がわからない。
(助太刀は不要だな)
カリナ殿の身ごなしは圧倒的で、瞬く間に男たちが倒れていく。
「アルドンサ嬢……。カリナ殿は何歳でしたっけ」
女性の年齢を尋ねてはならないという禁忌を失念して、僕は呆然と口を開いた。
「ああ見えて、若いんです。まだ三十の後半で……」
「なるほど。随分と鍛えている動きですね……」
「ですね……」
アルドンサ嬢も乳母の立ち回りを見たのは初めてだったのか、あんぐりと口を開けて立ちすくんでいる。
僕たちが見守る中、あっさりと勝敗はついた。
「警備隊を呼んで、捕らえて貰いましょう。片付いたようですし?」
「え、ええ。……カリナ、すごい……」
◇
事後処理は、途中から"特殊な機関"の管轄となった。
一般には知られていない国防機関・リブレ伯爵家に委ねられたのだ。
リブレ家は、国のため暗躍する影の組織という性格を持っていた。
ゆえに伯爵家に属する人間は戦闘能力に秀で、乳母カリナ殿は中でも群を抜く実力者らしい。
アルドンサ嬢が生まれた時に盛大な"子守り役争奪戦"が繰り広げられたことは、リブレ家の歴史の中では有名な話であったらしいが……。アルドンサ嬢には伏せられていた。
それどころか彼女は、実家の裏の顔さえ教えられていなかった。
僕もこうして伯爵の書斎の仕掛けで秘密の通路を発見しなければ……、知らないままにいたかもしれない。
「これまで書斎に迎えた人間は大勢いたが、燭台の仕掛けを初見で見破ったのはファビアン殿が初めてだ」
妙に嬉しそうに、リブレ伯爵は笑って言った。
アルドンサ嬢との結婚の! 許可を得に来ただけだったのに!!
(父上が言っていた、リブレ家が"特殊な家柄"というのはこういう意味だったのか……)
随所に仕込まれた暗器、各所に秘された仕掛け。
好きかもしれない。発見するのも考案するのも。
あの後、ゴロツキたちは警備隊に引き渡したが巡り巡って、というより"リブレ家"が警備隊から案件を掻っ攫ったらしい。
そんなことを知る由もなく、僕はあの後アルドンサ嬢に、後日デートを仕切り直そうと申し込んだ。
しかし彼女は騒ぎで散った大きな花束をいたく気にして、済し崩しに、僕がプロポーズするつもりだったことがバレてしまった。
なんてことだ。まったく決まらない。
さらに衝撃の告白を聞いた。
「私にはもう、人の"死期"がみえないのです。だからもしファビアン様の身にも何かあったらと思うと、お会いするまで気が気ではなく……」
彼女は劇場で多くの人の死を救った後、能力を失ったと語った。
確かに騒ぎの後、アルドンサ嬢は虚空を見つめて様子が変だったから、もしかしたらあの時に何かあったのかもしれない。
「元々が自然の摂理に反する力でしたから、手放せて良かったのです」
そう微笑んだ彼女だが、"持っていた力を失くし、不安を感じたのは自分でも意外でした"とも言った。
丸眼鏡をつけていた意味は、家族や家人に対し、"眼鏡があれば死期はみえない"という設定にしていたからだと言う。
"人ならざる力を、気味悪がられるのが怖かった"と呟くアルドンサ嬢に思わず、「そんなことはない! どんなきみでも、いつもとても魅力的だ!」と叫んでしまい……。
思い募った愛を、告げてしまった。
全然の予定外だ。
だがそこまで言ったら勢いだ。
用意していた指輪を受け取ってもらうべく、僕は膝をついて永遠を誓った。
感激して涙ぐみつつ頷いてくれたアルドンサ嬢に女神を幻視し、その後はとんとん拍子に話が進んで、リブレ伯爵家への婿入りが決まった。
アルドンサ嬢を襲ったゴロツキたちは、王女の新しい婚約者マルケス・メンヒバル男爵令息に雇われていた。
僕とカタリナ王女との会話からアルドンサ嬢に興味を抱き、また王女への点数稼ぎとしてアルドンサ嬢の拉致を画策したマルケスは、リブレ伯爵家の怒りを買うことになった。
男爵家を勘当こそされなかったものの、秘密裏に。
二度と女性を愛せない身体にされたと聞く。ごく一部の者しか知らない、極秘事項。
彼が実家から勘当されなかったのには、理由がある。
マルケスの筋から、カタリナ王女の別の企てが判明したからだ。
記念式典に来訪する隣国の王太子、王太子妃夫妻。
その王太子妃を狙って、カタリナ王女が人を雇い、滞在中の妃を襲わせる計画を立てていたのである。
未然に防げたものの、この行為は明確な国家反逆罪。
本来なら投獄され厳罰に処されるべき罪だが、王女を罰するためには、彼女の陰謀を公表しなければならない。
けれどせっかく内密に阻止した話を、隣国に知られるわけにはいかない。
知られた時点で、国際問題だからだ。
多額の謝罪金が発生し、各国に対しての信頼と王家の名誉を失う。
かくしてカタリナ王女は、"王女"としての呼称だけを残し、王族としての全ての権利と権力を取り上げることで決着となった。
そしてカタリナ王女とマルケスを娶せ、辺境の領地に閉じ込めることが決定。
そのために、マルケスの身分を貴族として保つ必要があったのである。
身分違いの大恋愛をした王女が、駆け落ち同然に愛する男と結ばれる。
王女としての務めを果たせなくなった責任を取り、辺境にこもって、王族の権利を放棄する美談である。
もちろん離婚は許されない。
その夫が妻を抱けないという話は、それぞれの見栄から漏れることはないだろう。
カタリナ王女に至っては、いずれ身元の知れぬ子を孕む可能性があるが、子どもに血筋と所領が保証されることはない。
国王の許可があればふたりは王都に滞在出来るが、おそらく今後、社交界に顔を出せる機会はないだろう。
今回のことで、さすがに国王は愛娘を見限ったようだ。
躍起になって王太子妃に勝とうとした王女が、これまでの衣装は僕に任せ、予算を超えた支払いさえも僕に押し付けていたことを知り、激怒した。
「身勝手な婚約破棄だけでなく、ここまで恥知らずな娘だったとは」と国王から直々に謝罪があり、補填していた衣装代は返済された。
また僕とリブレ伯爵家との縁組を喜び、結婚式にかかる一切を任せて欲しいと言われ。
結果、歴史ある大聖堂で、数か月後に挙式の運びとなった。
ところでマルケスがゴロツキ達に「丸眼鏡のブサイク娘を捕まえろ」と指示したことは許しがたく。
僕は世間に、アルドンサ嬢に対しての認識を改めさせたいと決意した。
磨けばどこまでも光るアルドンサ嬢に、いかんなく手と口を出させてもらい、自分たちが馬鹿にしていた令嬢がどれほどの美女か知らしめてやる、と気合を入れて……。
"国一番の美女"と評されるようになったアルドンサ嬢に近づく虫の駆除に、リブレ家の面々が一層張り切るようになったことはまた、別の話なのだった。
◆ ◆ ◆
「一体全体、どういうことなの?! わたくしは第一王女なのよ。なのに、この扱いは何?」
すべて順風満帆に進んでいた人生。華々しい喝采、様々な栄誉。
わたくしが歩けばすべての人間が頭を垂れ、視線を流すだけで見目好い貴公子たちが先を争いダンスを申し込んで来る。
唯一不満なのは、婚約者である公爵家のファビアンが、年下のクセにやたら小うるさいこと。
やれ予算を使い過ぎるな、侍女や侍従に無理を言うな。
(わたくしにはそれが許されているのに、ファビアンは何を気にしているのかしら)
とはいえ身分は弁えているらしく従順ではあるし、家柄はもちろん顔もスタイルも良い。
アクセサリーのひとつだと思えば、多少の堅さは目を瞑れないこともない。
そう、思っていた。
けれど男爵家のマルケスに出会い、その考えは変わった。
(彼こそわたくしが求めていた相手だわ!)
求めればすぐ応じてくれる気働き。
女主人を常に褒めたたえることを忘れず、容姿はといえば天界の神の如く美麗を極めている。
繊細な金髪に、秀麗な白い顔。長いまつげが、海色の瞳に濃い深みを落として、最高!
多少身分が低いけど、一応は貴族。
わたくしが父王にねだれば、きっと好きに引き上げて貰うことが出来る。
それにわたくしが飼ってあげるのも一興。
夜は満足させてくれて、"結婚前にあなたに手を出すことは出来ない"と頑なだったファビアンとは大違い。
わたくしを尊重したいからとか言っていたけど、それならわたくしの希望を聞いてくれるべきでしょうに。
「マルケスが良いわ」
思い切りが良いのが、わたくしの魅力のひとつ。
ファビアンに婚約破棄を言い渡し、新しい婚約者にマルケスを望んだ。
未来は薔薇色に開けているはずだった。
なのに。
どうして今までのように買い物が出来ないの?
ドレス代のツケをファビアンに回せば、「もう婚約者ではないから」と突き返される。
わたくしの下僕のくせに、何を言っているのかしら。
かと言って、貧乏貴族のマルケスに支払い能力はない。彼は愛玩用だし。
(ファビアンったら、わたくしが婚約を破棄したから、拗ねているのね)
別に侍ることを禁じたわけではないのに。
(難しい年頃だこと)
家来として許しがたい行為だけど、長年に免じて許してやるわ。
呆れたけれど、わたくしは寛大だから。
そのうちに、なぜか周りの態度が変わってきた。
茶会に出ても夜会に出ても。以前のようにわたくしを褒める声が減っている?
(ドレスや宝石にかける金額が減ったせいだわ)
ファビアンの我儘のシワ寄せがわたくしに来ているなんて、どこまで迷惑なのかしら。
しかもチラと見かけたファビアンは、丸眼鏡のダサい娘を連れ歩いていた。
自棄になるにもほどがあるでしょう。高位貴族としての品格は守らないと。
そんなある日、宝飾店で久々にファビアンと再会した。
わたくしを横目に、いくつもの指輪を並べている。これでご機嫌を取ろうというの?
でも豪華さが足りないわ。久しく離れている間に、わたくしの好みを忘れたのかしら。
そっとアドバイスをしたら、違う相手に贈るのだと言う。
なぁに、それ! 話にならない。
甘い顔をしていたから、つけあがっているのね。
王女として命じたら、訳が分からないことを言って後ろも見ずに去って行ったわ。
帰りの馬車でファビアンの文句を言っていると、マルケスが賛同しながら素敵な提案をしてきたの。
わたくしは、その提案をぜひ実行するようマルケスに言ったわ。
だってファビアンの丸眼鏡を苛めて、隣国の王太子妃にも泡を吹かせることが出来る素晴らしい作戦だったもの。
そうしたら。マルケスは捕まり、ボロボロになって返された。
白皙の貴公子といった面影はどこへやら。顔がおかしく歪んでいるの。おまけに夜の従事が出来なくなったって、どういうこと?
そんなマルケスとの結婚なんて、お断りよ!!
わたくしは大声で泣き喚いて父王に訴えたけれど、聞き入れて貰えなかった。
そして今、粗末な馬車に乗せられ、マルケスとふたり、辺境の田舎へと送られている。
王都には父王の許しがない限り戻れないと宣言された。
どうして? わたくしが何をしたの?
わたくしは第一王女なの。皆に敬われ、大切にされるべき存在なのに!!
父王やファビアンはいつ、わたくしを迎えに来てくれるの?
婚約破棄なんて、ほんのシャレじゃない。よくあるファッションじゃない。
どうしてこんなことになったのかしら。
わたくしには約束された、未来があったはずなのに──。
お読みいただき有難うございました。
おまけ部分が"あらすじ"該当部分というフリースタイルです。すみませんっっ。
番外編のつもりで気軽に書き始めたら、なぜかこんなことに。
本編はもうひとつの短編『ブサイク令嬢は、眼鏡を外せば国一番の美女でして。~相手の寿命がみえちゃう令嬢が、想い人の命を救って幸せになる話。』https://ncode.syosetu.com/n1018ij/となっております。
作中、アルドンサが虚空を見つめた時に何があったのか、詳しくはそちらの短編にて。
恒例のラフ絵は、また時間のあります時にー。とりあえず、クラゲの写真を貼っておきます(笑)←なんでやねん。
(おまけ)
実は私の中ではカタリナもマルケスもそれなりに救済されてたり…(;´∀`)
ある意味、王都が合わなかった人たち。カタリナ王女はゴージャスな飼い猫のような思考回路だなぁと思います(汗) 雨が降ったら、「日向ぼっこしたいから何とかしなさいよ」と飼い主に言っちゃうようなニャンコ・タイプ。人間で王女でなければ周りが困らせられることはなかったのですが…。
そんな話をしていたら黒星★チーコ様(ID:2196021)からFAいただきました。王女にゃんこです。すました表情でオシャレしててハイセンス!
2023.08.23.追記
カタリナ王女のその後あります→
『「わたくしは身勝手な第一王女なの」〜ざまぁ後王女の見た景色〜』
https://ncode.syosetu.com/n6111ij/
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よろしくお願いします(∩´∀`*)∩ (お返事遅れていますが、ご感想いつも感謝しながら拝読しています! 有難うございます!!)
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2023.12.16.さらさらしるな様(@unlcky_Lady611)からAIイラストを使用して制作くださった表紙を賜りました♪ 主要キャラ勢ぞろい!