ころころサンドリヨン 8
階段を掛け上がった先は、左右に伸びる廊下でした。いくつかの扉が並んでいます。
王子は迷いませんでした。
継母や義姉たちと話している最中でも彼女の足音を訊き逃さず、扉が閉じるまでの時間も測っていました。顔を見合わせた数秒で、おおよその身長も解りました。
通路を左に折れると、一番奥の扉の前で立ち止まりました。
バタン。
扉に飛び込んで鍵を掛け、ミリアナは無駄に室内を見回しました。
「か、隠れなきゃ!」
ベッド、クローゼット、机、鏡台、キャビネット……ベランダから外に逃げ出す算段も考えましたが、挫いた足では下へ降りることも柵を乗り越えて隣の部屋に移ることもままなりません。
ミリアナの目に止まったのは、暖炉でした。暖炉は、入り口が内部より狭まっているので、入ってすぐ隅に張り付けば外からは見えなくなるはずです。時期外れとはいえ偶に焼き芋で使うことがあるので灰が少し溜まっていて服が汚れるでしょうが、背に腹は代えられません。
不法侵入? 詐欺? 貴族への不敬罪? どれもこれも家族に迷惑が掛かります。
ミリアナは暖炉に飛び込むと、壁に張り付きました。私は壁。暖炉の壁……仮面を被るのよミリアナ! ──女優が如く、ミリアナは自分に言い聞かせました。
どこに暖炉の壁役をする女優がいるのか、というツッコミはなしでお願いします。
コンコンコン。
間もなく、ノックが聞こえてきました。
息を止めると、ガチャガチャとドアノブを回す音がしました。鍵を掛けているので容易く入って来ることはできないでしょうが、鼓動が煩いくらい耳の奥で反響します。
耐えること数十秒。音は、突如止まりました。
諦めてくれたようです。まだ他の部屋を捜すでしょうが、ひとまず安心──。
ガンッ。
ノックにしては、大き過ぎる音でした。
ガン。ガン。
ミリアナは、そっと暖炉の中から覗くと、閉じていた扉が大きく揺れていました。えっ? 見間違いかと思いぱちぱちと瞬きをしました。すると。
ドオォォン!
扉が吹き飛ばされてしまいました。
悲鳴は、上げませんでした。いえ、上げられなかったと言う方が正解ですね。
全身がぴしりと硬直しました。指一本ぴくりとも動かせません。涙だけがはらはらと溢れました。
天国のお父様お母様──ミリアナは、そちらには行けないかもしれません。
扉がなくなった入り口から部屋へと入って来たのは、先ほど見た貴族の青年でした。あの美貌は間違いなく、先日の舞踏会で出逢った青年です。
どうしてここがバレたの? ミリアナは名前も名乗らず、姿形も違うのです。なのに。
『また』
と、告げたのです。
カタカタ震えながら、きつく瞼を閉じて祈ります。
どうか見付かりません……ガシッ。
目を開くと、暖炉の入り口を掴む手がありました。
「見つけた」
蒼い瞳とかち合って、ミリアナは目眩で膝から崩れ落ちそうです。踏ん張ろうとして、足首に痛みが走りました。すぐさま、力強い腕がミリアナを支えてくれました。
「大丈夫?」
青年は、ミリアナを暖炉から抱き抱えて出すと、ベッドに座らせてくれました。ミリアナの足許に跪いて、心配そうに見上げています。
あれ? ミリアナは、首を傾げました。
「あの……どうしてここに?」
罪人として捕らえに来たのではないの?
ミリアナは、盛大な勘違いをしているのではないかと思い始めます。
恐る恐る尋ねれば、彼は優しげに微笑みました。
あの時、舞踏会会場で初めて声を掛けてくれた時と同じ表情でした。
「これを君に──」
青年は、外套に隠れた腰裏の物入れから小さな靴を取り出しました。
ミリアナが落としてしまった、硝子の靴です。
渡された靴を、ミリアナは大切に抱き締めました。
「ありがとうございます! これは、友人が貸してくれた大事な物なんです」
ミリアナが靴を落としたことに気付いたのは、家に帰り着いて、魔法が解けた後でした。
──ごめんなさい! すぐに取りに戻るから!
顔色を変えて駆け出そうとしたミリアナを、魔女が止めます。
──大丈夫。靴はすぐに戻って来るわ。あの靴には大魔女の『特別』な魔法が掛かってるの。
泣きそうなミリアナの手に、小さな手が触れます。少しひんやりとしたその手に振り返ると、魔女は微笑んでくれたのでした。
そして、その言葉通り硝子の靴はミリアナの手に戻って来ました。
流石、大魔女の魔法! ──ミリアナは、感激していましたが、ふと、改めて思い出します。
「あ……の、なんで私のことが?」
「この硝子の靴が、僕を導いてくれんだ」
ただし、魔法ではなく──。
──魔法の靴?
それを突き止めたのは、城に仕える魔法使い達でした。
靴は、舞踏会で拾った時と違い、掌サイズ……小さな子供の履く靴ほどまで縮み、踵も低くなっていました。
──これほどの魔法を使えるのは、うちの国でもそういないらしい。
──他の手懸かりは、王都近隣の街に住んでて兄が王都在住。年の頃は、二十歳前後。
──あっ。二十一だって言ってた。
──はあっ?
魔法の靴と、あの夜ミリアナとの会話から得た情報を精査した結果、随分と候補を絞ることができたのです。しかし、一日ほどでやってのけたのは、それほどに城の諜報員らが優秀だったからでしょう。
王子の結婚相手になるかもしれないと、王妃の威圧……もとい、口添えが合ったのも多分に関係しているかもしれませんが。
「捜したよ。モンブランを取りに行ってる間に帰ってしまうなんて酷いなぁ」
青年は、ミリアナの両手を自分の掌で包み込み、瞳を覗き込んできます。あの日と同じように、蒼い瞳にミリアナの姿が映っています。
「ごめんなさい。その、あの……」
「あの時と今と、姿が変わってることが関係してるのかな?」
「こ、これには訳がっ! 決して、騙すつもりではなくて……」
ミリアナは、身体を搾すぼめて視線を逸らしてしまいました。
青年が、ミリアナを捕らえに来たわけではないとも思いますが、感謝も別れも告げずに帰って来てしまったのです。礼儀知らずに文句の一言くらい、あって当然です。
「本当にごめんなさい!」
ぎゅ。とミリアナは、両目を閉じました。
「……許さない。って言ったらどうする?」
青年の言葉に、びくりと跳ねるように身体が震えました。もしかしたら、ミリアナの想像以上に怒っているのかもしれないと考えて、涙が溢れそうになりました。
優しい青年の誠意を踏み躙ったのです。当然の結果かもしれません。ミリアナは、意を決して瞳を開くと、もう一度青年の瞳と相対しました。
「許してもらえるまで謝ります。私の出来得る限りで、償います」
ミリアナは、必死に涙を堪えます。
潤んだ視界の中で──青年は相変わらず微笑んでいました。
「冗談だよ。許すも許さないも、元々怒ってないよ」
「本当ですか?」
「……ちょっと、寂しかっただけだよ。名前も聞けなかったから。脅かしてごめんね」
青年の右手親指がミリアナの目許を拭うと、ミリアナは、ふるふると頭を振りました。
「じゃあ、おあいこってことで、名前教えてくれるかな?」
「……ミリアナ、です。先日はありがとうございました」
「ミリアナさん。か」
少しぎこちなかったのですが、青年に名を呼ばれてミリアナは笑顔を返しました。
まさか、あの夜の後悔と心残りを無くすことができるとは思わず、今はまだ実感が湧きません。青年の掌の温もりのように、じんわりと染みていきます。
頬だけは、少しだけ速く赤くなっている気がします。
こんなイケメンさんだもの、こんな間近で……。
「あっ」
ミリアナの声に、青年が少し首を傾けました。ミリアナは、肝心なことを危うく忘れるところでした。
「あの。貴方のお名前をお伺いしても良いですか?」
私ったら自分のことばっかり……と反省しつつ、ミリアナはドキドキしました。こんなふうに、舞踏会で出逢った男性に名前を尋ねる時が来るとは思ってもいなかったのです。ただの『礼儀』だと解っていても、勘違いしそうな位胸が高鳴ります。
「『僕』ですか」
にっこり。
深くなった笑顔に、ミリアナはなぜだか背筋にひんやりと寒気が走りました。
何をやらかしたのかは、見当も付きません。名前を聞かれたから答えて、聞き返した……。何も、おかしなところはないはずです。名前を尋ねたのが二回目なら、問題大ありですが……そう言えば、あの時青年は友人から『マルコ』と呼ばれていたことを思い出しました。
『マルコ』
その言葉に引っ掛かりを感じました。よく考えようとして、ミリアナは突如浮遊感に襲われました。
「ひゃあっ!」
青年の顔が、ミリアナの顔のすぐ傍にありました。
ミリアナは、青年によって抱き上げられていました。
「僕のことについては、道すがら話させてください」
「道すがら⁉ どこに……って言うか、降ろしてください!」
「足、挫いてるんでしょう」
「そうです! だから、大人しく休んでなさいって言われてて……」
「城の医者に診てもらいましょう。すぐに良くなります」
「お城! なんで⁉」
「それを含めて、お話させてください。ミリアナさん」
ミリアナは、気が付きました。青年の口調が敬語になっていることに。こう言ってなんですが、胡散臭さ大爆発です。
「落ち着きましょう。私は平民です。用も無いのにお城に行っても、入れてもらえません」
「大丈夫。僕を信じて」
「うわーっ! 信じちゃうとヤバくなりそうな気配しかしないのに信じちゃいそう! イケメン狡い!」
青年の腕の中で、バタバタとミリアナは暴れましたが、びくともしません。ミリアナを溶かしそうな笑顔で、見詰めてきます。
扉がなくなった部屋の出入り口を潜ったところで、青年の強行の記憶が蘇って戦いていると、甘い囁きがミリアナの耳を擽りました。
「ミリアナさんのためだけのモンブランを用意してるんです。食べてもらえませんか?」
ばたつかせていた手足を止めて、ミリアナは再び青年の顔を見上げました。
下がった目尻に、青年が少しだけ自信なさげに見えます。
「ミリアナさんに、食べてほしいんです。……駄目ですか?」
じーぃっと見詰めてくる瞳に、心の中でミリアナは逆らいます。
駄目よ! 絶対、大変なことになるから! とんでもない目に遭うから! 絶対駄目!
「……食べたいです」
しかし、ミリアナの口から溢れたのは真逆の返事でした。
青年の瞳に、ミリアナの心と胃袋に、逆らう術はありませんでした。
「ありがとう、ミリアナさん。一生、大事にします」
「──っ⁉ 一生って、何!」
そもそも、この国屈指の有能と謳われる第一王子を前に、逃げる術は無かったのかもしれません。
「愛してます」
王城までの道すがら、第一王子であることと愛の告白と求婚を受けて、ミリアナが目を回して意識を飛ばしてしまうのは──想定内でした。
― Happy End ―
これにて一本目・完。
次回からは別のストーリーをお届けします。