ころころサンドリヨン 7
ひんやりと白く細い掌が、ミリアナの額から離れていきます。
「まだ、ちょっと高いわね」
下の義姉の眉尻が下がりました。ミリアナは、布団を擦り上げて顔を半分隠します。ふっ、と義姉は微笑って、ミリアナの頭を宥めるように二度触れて立ち上がりました。
「今日も大人しく寝ててね」
「はぁい。ありがと」
「何かあったら呼んでね」
と残して、扉が静かに閉まりました。
しん……。
一人になって、布団の端に口を押し付けながらミリアナは呻きます。
きっと罰が当たったんだわ……思い返すのは、二日前のこと。秘密の舞踏会──。
あの日、城の大時計の鐘が鳴り響く中、ミリアナは泣きそうになりながら階段を降りていました。どう考えても、十二の鐘が終わる前に馬車まで辿り着くのは間に合いません。馬車は城内にはないのです。会場の階段前でミリアナを降ろして、馬車は直ぐに走り去ってしまったのです。魔女は、ミリアナが帰る頃迎えに来ると言っていたのですが、その時階段の先に見えたのは他の帰宅者の馬車でした。
継母に義姉に兄に頭を下げる姿が浮かびました。優しい家族なので、咎められたりはしません。内緒だったので、ただひたすら申し訳ないだけです。
ミリアナの足が止まり掛けた時です。甲高い馬の嘶きが響きました。顔を上げると、宙を滑る馬車がこちらへと向かって来ます。
──ゴーン。
馬車がミリアナの前に止まり、開かれた目の前の扉にミリアナが飛び込むのは、最後の鐘が鳴り終わる寸前でした。
こうしてミリアナは、秘密のまま帰って来ることはできたのですが、舞踏会会場で転んだ時に案の定足を挫いていて、熱を出してしまいました。他にも鼻の頭や膝を擦り傷が少々できていました。
家族には、家で転んだと誤魔化して……ただ今、後悔の真っ最中です。
それでも口を噤むのは、家族に心配を掛けたくなかったから。迷惑を掛けた魔女に、更なる迷惑を掛けたくなかったから。何より、城で出逢ったあの方々を秘密にしたかったからです。
特に上の義姉に知られれば、しばらく外出禁止でしょう。罰ではありません。過保護からです。
──捜してたらどうするのっ! ……とか言いそうよね。
「あーあ、モンブラン食べたかったなぁ……」
義姉が心配せずとも、もう、きっと逢うことはないでしょう。
だからこその、後悔と心残りです。
ミリアナは、布団の中でごろごろ転がりました。念願だったかもしれないモンブランは食べられないばかりか、熱が出ておかゆ三昧です。舞踏会で御馳走を食べ過ぎたのでダイエットにちょうど良いんだ、と自分を慰めるしかありません。
しくしくしく。無理でした。
ミリアナは、枕を涙で濡らします。
ふと、家の外から人の声が聞こえて来ます。布団から顔を出して側の窓を覗くと、馬車が見えました。
「お母様のお客かしら?」
チラリと見えたのは立派な馬車でした。滅多にないのですが、継母の仕事相手が急用で訪れることがあるのです。昨日──建国祭が終わった翌日からずっと、戻って来た継母が今も仕事に出掛けず自宅にいるためなのでしょう。ミリアナが訊ねると、そんな気分なだけよ。と返事があっただけでした。
継母も、二人の義姉に負けじと中々の心配性です。
「あーもー、ホント迷惑ばっかり……。こんなんだから、皆過保護なのよ。もっとしっかりしなきゃ……」
ごそごそ布団を被り直して、ミリアナは再び身悶えました。
だからこそ、気付けませんでした。
来訪者は、六頭立ての立派な馬車だったのです。
──この国で、六頭立ての馬車を使用することができるのは王家に連なる方々だけなのです。
うげ。
玄関を開けると、顔を突き合わせた半数のテンションが瞬く間に駄々下がりました。
「まさか、こんなところで御目に掛かるとは思いませんでしたわ──王子」
フェリシアは、瞳を二、三度瞬かせると愉しそうに紅い唇を弧にして、ドレスの裾を持ち上げました。無駄に整った顔立ちの来訪者は、頭を垂れる彼女とは逆に口許を歪め眉間に皺を刻みます。
そこに、アマンダの指が突き付けられました。
「なんでアンタがウチの家に!」
「姉さん。人を指すのは失礼よ」
「人でなしだから良いのよ!」
今にも噛み付かんばかりのアマンダこそ、獣じみて……いや、彼は口を噤みました。
「本当……僕も、貴女方にこんなところで出逢うとは思いもしませんでしたよ」
どおりで、挙動不審の末、職務放棄した訳か──第一王子マルコシアスは、ついて来なかった腹心に苦笑いです。
王子と継母、王子と長女の因縁は──取り敢えずまぁ、色々とあったということで……。
コホン、と一つ咳払いをして、王子は玄関先に出迎えてくれた彼女たちを見回しました。
一人、二人、三人……。
「こちらには、女性が四人いらっしゃるとお伺いしました。もう御一方は?」
「妹が……」
「アンタには、関係ないでしょ」
アマンダが、二人の壁になるように一歩前に出てマルコシアスを睨み付けます。
「関係あるかないかは会わせて頂いた後、こちらが判断します」
その視線を受け流して、マルコシアスは双眸を細めました。蒼い瞳が氷のように冷たい光を放ちます。アマンダは、少し肩を震わせましたが、退くつもりはありませんでした。更に、決意は強くなります。
こんな冷徹な男は、妹たちにとって『毒』にしかなりません。
ピン、と背筋を伸ばして、腰に手を当てました。
「ハァッ⁉ ウチの妹が、アンタみたいな男と関係ある訳ないじゃない! 帰ってちょうだい!」
「危害を加えに来た訳じゃないのよね。それなら、別に構わないわよ」
「お母様⁉」
そんなアマンダの気概を、継母が押さえ付けます。
アマンダは、驚き目を見開きました。ルナリアも義姉の袖を掴み、無言で首を横に振りました。
相手は王子です。残念ですが、拒否権はないのです。王子の物腰が丁寧なうちに、大人しく従った方が安全だと冷静に判断した結果でもあります。
「ご安心を。少々、確認させていただくだけですから」
王子は、強張る彼女たちに笑みを浮かべて見せました。
「妹に、髪の毛一本でも傷付けたりしたら、末代まで祟るわよ。勿論、アンタの腹心の分も」
「肝に銘じます」
他の二人が王子の要請に応じる姿勢に、アマンダも渋々と頷きました。
それでも、親の仇といわんばかりの眼差しの前に、王子は勝手に部下の分の子孫も担保にしてしまいました。
ここもハズレと早々に見切りを付け、投げ遣り気味になっていたせいでもありました。まさか因縁の相手の身内が、捜している女性だと思いたくなかったからかもしれません。
「妹を呼んで来ますので、応接室でお待ちいただけますか?」
「ええ、勿論。突然、押し掛けてしまい申し訳ありません」
「アポイントメントは大切ですわよ。王子」
「……貴女から、アポイントメントなんて言葉を聞くとは思いませんでした」
「ふふ。どうしてかしら?」
「お母様のアポイントメント事情は兎も角、さっさと用を済ませて帰ってくださるかしら。ルナリア、塩の用意しておいて」
「姉さん。お塩が勿体ないわ」
三人に案内をされながら、とっとと確認して次に……と予定を組んでいた王子の耳に、足音が入って来ました。上から降りてくるその音に視線をめぐらせると、階段の踊り場の二、三段上から、ひょっこりと顔だけ覗かせた女性と目が合いました。彼女が、この家の四人目の女性なのでしょう。たれ目で広いおでこが特徴的で、サイドの髪は寝癖なのでしょうか? 少しだけ跳ねていました。
始めて逢う顔は、二日前……の面影を残していました。
「こんにちは。また、お逢いしましたね」
王子の喜色満面の麗しの顔に、彼女の頬は朱が差したかと思えば、すぐに顔を青くして再び階段を駆け上がって行ってしまいました。
「ちょっと! どういうこと⁉」
妹の、ミリアナの反応に、アマンダが舌の根も乾かぬうちに……と王子に柳眉を吊り上げます。
「アンタ、ミリアナに何をしたの⁉」
「怒られるようなことはしてませんよ。舞踏会の際、少々お話をさせてもらっただけです」
「はっ?」
「ミリアナは、舞踏会に参加はしてませんよ」
「いえ、間違いなく彼女です」
「絶対に違うわ! あの子は、舞踏会の夜はこの家で留守番をしていたわ」
自信たっぷりの王子に、アマンダが両手を広げて行く手を遮ります。
緩やかな弧を描く口許とは裏腹に、王子から舌打ちが聞こえてきました。思わずルナリアが、空耳だとスルーしようとしたほどのプリンス・スマイルです。
「……王子。姉の言っていることは本当です。出発前のトラブルで、妹は家に残ったんです。私たちが帰って来た時も家におりましたわ」
馬車も馬も、ルナリアたちが王都に出向くのに使用した分しかこの家にはないのです。そもそも残っていたとしても、ミリアナ一人では乗ることは叶いません。
ルナリアがそのことを告げると、王子は不思議そうに首を傾けました。
「こちらには、魔女のお知り合いがいると伺いましたが?」
「確かにいるけど……魔女だからって何でもかんでもできる訳ないじゃない」
『魔法』というモノは希少です。それゆえ万能だと勘違いしている人が多くいます。『魔法』を使うにも条件があり、無尽蔵ではないのです。小さな火を起こすのも、コップ一杯の水を呼び出すのも大変な労力が必要なのです。
御伽話のような『魔法』が、無いとは言いません。ですが、希少な『魔法』の中でも更に希少なのです。
あの幼い魔女には悪いですが、アマンダはそんな希少な『魔法』使いだとは考えていませんでした。
「できるんじゃない。あの子なら」
継母の言葉を聞くまでは……です。
「あの娘は『力』有る魔女の家系の出だったはずよ」
「聞いてない!」
「でも! 新しいドレスを出して、こことお城を馬車もなしに往復なんてできるの?」
「さあ? 詳しくは知らないわ。ただ『魔法』を高めるための道具は、持っててもおかしくないんじゃない? ご先祖様には大魔女もいたみたいだし」
トンっ!
フェリシアの言葉に、王子が動きました。あまりの速さに、義姉たちが気付いた時には階段の踊り場で折り返し、二階へはあと数段です。
「ちょっ……⁉ 待ちなさい!」
慌ててアマンダが声を掛けた王子の背は、瞬く間に二階に消えて行きました。
すぐに二人の義姉が追いかけようとしましたが、継母が呼び止めます。
「なんでよ! 一体何のために来たのかは解らないけど、碌なことじゃないわよ!」
「王子様がわざわざ逢いに来たんだもの。これってやっぱり……『お迎えに参りました。マイスイート♪』ってヤツ?」
「ル~ナ~リ~ア~~っ⁉」
「ホント、変なのを引っ掻けちゃったわね。あの娘」
「お母様も何言ってんのよ! ミリアナの危機よ! 大危機よ!」
「あら。Happy Endじゃなくて?」
「何、馬鹿なこと言ってるの⁉ あの王子よ! あの『氷結』の王子よ! ──優秀有能な裏で、冷静冷徹冷血の温度氷点下な『氷結』って呼ばれてんのよ!」
「あらぁ、氷に閉ざされた王子の心を、ミリアナちゃんが溶かしたのね。素敵ねぇ」
「素敵♪ ……じゃない!」
「はいはいはい……っと」
キィーっ! と唸る叫ぶアマンダを、ルナリアが羽交い締めにしました。突然の妹の裏切りに、アマンダの顔が蒼褪めます。
「ルナリアっ! アンタ、ミリアナがどうなっても良いの⁉」
ルナリアが、ミリアナを本当の妹として可愛がっていたのは、同じ姉として誰よりも知っています。それなのに……信じられない気持ちで、アマンダは身体を捻り肩越しにルナリアに顔を向けます。
「姉さん落ち着いて。別に私は、王子にミリアナちゃんを生け贄として差し出した訳じゃないのよ?」
「あれは魔王よ! 悪魔よ! 死神よ!」
ルナリアは、至って冷静でした。裏切り者を見るかのようなアマンダに思わず苦笑してしまうくらいです。
「ミリアナちゃんね、最初に王子を見た時、嬉しそうな顔してたの。きっと、ミリアナちゃんも逢いたかったんじゃないかしら」
「逃げたじゃない」
逃げ出した──だから、アマンダは王子の前に立ち塞がったのです。それが全てではないのか……と、じっとルナリアを見詰め返しました。
「ミリアナのことだから、変な勘違いしてるんじゃないの?」
応えたのは、フェリシアでした。
何を? ──アマンダは今度、正面にたった継母を見据えます。
彼女は、肩を竦めました。
「さっきの王子の様子から名乗ってなかったみたいだから……詐欺師とか? それか、会場の料理を食べ尽くしちゃったとかで、食い逃げ?」
「私たちに内緒だったから、バレたら姉さんに怒られると思った……とか?」
「足も挫いてたわね」
…………。
有り得る──。ルナリアが腕を離すと、ガクッと項垂れてアマンダは膝を付きました。
アマンダには、更に信じられませんでした。
「あの王子に、ミリアナが……?」
「見てくれは良いから」
「ミリアナは、面食いじゃないわよ!」
「胃袋掴まれちゃった♪ とか?」
なくはない。三人は、否定する言葉は見付かりませんでした。
ルナリアがぽつりと言葉を溢しました。
「でもこれで、『見返せる』んじゃない?」
それは、ミリアナが知らないこと──。
「お母様。もしかして、これを狙ってたの?」
「何のことかしら?」
ミリアナは、人を疑っても最終的には信じることを選びます。だから、ドレスが汚された今回も怪我をした十年前も、不運だったと涙を飲みました。
──臍を噛んだのは、継母と義姉達です。
いつか『見返す』時を願いました。ミリアナが誰よりも幸せになることが、その時でした。
「あの子が立派な魔女だって知ってるなら、ドレスを綺麗にしてもらうだけで良かったじゃない」
アマンダは、立ち上がりスカートの裾を叩きました。そして一度深呼吸をしてから、フェリシアと向かい合いました。
「忘れてたのよ。今、思い出したの」
「アマンダ姉さんと一緒なら、ミリアナは王子と出逢えなかったわね」
「そうかも知れないわね。でも、どうでも良いじゃない? そんなこと」
フェリシアは、二人の娘に微笑み掛けます。
「ミリアナに『見返す』なんて似合わないわ。あの娘はただ、自分に素直にいただけ……そうでしょう?」
クスクスと、母は嬉しそうで愉しそうでした。真ん中の娘も釣られます。その中で、上の娘だけは仏頂面に戻りました。
「あの男と親戚付き合いしろっていうの⁉ 無理に決まってるでしょーがっ!」
再び暴れ出すアマンダを、今度はフェリシアが首根っこを掴みました。離せー! と振り回す腕を避けながら、ズルズルと引っ張って行きます。
「アマンダ」
「何よ!」
「もうちょっと『ツン』を控えないから、逃げられるのよ」
「余計なお世話よーっ!」
無事、応接室に二人が収容されたのを確認してから、扉を閉じようとしたルナリアが二階を見上げて呟きました。
「やっぱり、十分くらいしたら突入した方が良いわよね」
ひた。と睨み付ける其の眼差しは、アマンダに良く似ていました。
思わず、フェリシアが王子に同情した──かは、定かではありませんでした。