ころころサンドリヨン 5
「ん~! どれも美味しそ~う!」
さして広くないテーブルにところ狭しと料理の数々が並べられるのを、ミリアナは頬を朱に染めて見つめます。右には厚切りのステーキ。左には新鮮な活け作り。奥にはフカヒレスープ。エトセトラエトセトラ。キラキラと瞳を輝かせて、感嘆の声を上げました。
「ホントに食べて良いんですか!」
「勿論。好きなだけ、どうぞ」
マルコシアスの言葉に、ミリアナはパンと手を合わせました。いただきます! の挨拶が弾みます。
「ホント、美味しそうに食べるねぇ……」
「まあ、こんだけニコニコ食ってりゃあ食べさせたくなんのも分かっけど……本当に、コイツのこと知らねぇみたいだな」
ギルバートとキースは、少し離れてミリアナを眺めていました。パクパクひょいひょいと食べるミリアナの隣では、王子がミリアナを微笑ましく見つめながら料理を摘まんでいます。そんな二人を眺めるギルバートとキースも、同じく箸が進みます。
彼等は、舞踏会会場からほど近い個室で御馳走を囲んでいました。
始めは会場で料理をつまんでいたのですが、突き刺さる視線と燃え上がる嫉妬の炎に、ミリアナが耐えきれず逃げ出そうとしたのをマルコシアスが捕獲して、こちらへと避難してきたのです。
「オメーのこと、知らねぇ女もいるもんだな」
「国の顔は王だからな。当然、王子は裏方に回るものだろう」
「貴族の子女達から広まって、マルコのことは一般市民にも噂になってるほどだけど、マルコの写真嫌いで新聞には一切載らないからなぁ……」
ボソボソと顔を付き合わせる悪友達に、王子はミリアナに気を配りつつも席を外れ二人を見下ろしに来ました。凍える刃のごとき眼差しは、文句を一切赦しません。
「別に悪いとは言ってねぇだろ」
「あの子の、外見や身分を気にしないところが気に入ったんだろ。昔も今も」
けれど、付き合いの長い友人には大した効き目はないようで、僅かに肩を竦めるばかりでした。
「彼女が、十年前に逢った娘かどうかは確信はないよ。似てはいるけどね」
王子は、二人の側の椅子に腰を下ろすと、近くにあったグラスを手にしました。グラスに入ったシャンパンの泡が、次々と弾けています。
「……どちらでも構わないんだ。そもそも前も今回も、嬉しそうに食べてるのが見ていて楽しかったから、声を掛けただけだ」
「つまり、大食いの女がタイプだと」
「だから……そう言うんじゃないと、何度言えば分かるんだ。見ていて純粋に可愛いな、ほっこりするなと言ってるんだ」
「ああっ! ゆるいキャラ的な感覚──」
ゴッ!
「っテメ! なんでいきなり殴られなきゃなんねーんだ!」
「女性に対してゆるめキャラとは何だ! ゆるめキャラとは! 妙齢の女性は、そういうのが地味に傷付くんだぞ!」
「マルコ。キースは、女子を褒めるのが苦手なんだよ。態とじゃないんだ」
「──っ! そうか、だからフラれたんだったな……」
「だ~か~ら~~っ! フラれてねーって言ってんだろ!」
キースは、冷えたビールを一気に飲み干して、ジョッキをテーブルに乱雑に置きます。その音にミリアナが顔を上げると、マルコシアスと視線がバチリと合いました。マルコシアスはにこやかに手を振ります。
「どうしたんですか?」
「大したことじゃないよ。邪魔しちゃったかな?」
「いいえ、全然! 楽しそうだなぁって。皆さん、ご友人になられて長いんですか?」
ミリアナは、ナプキンで口許を拭うと、マルコシアスの隣へと席を移りました。トストスと移動する様に、ゆるいキャラと呟いたキースの脛を王子が蹴飛ばしたのは、ミリアナには秘密です。
「まあ、長いと言えば長いかな」
「……っ。ただの腐れ縁なだけだ」
──テメー覚えてやがれ!
キースは、一睨みして王子から顔を背けます。眉間の皺を少し深くすると、薄い唇が歪みました。
「俺とは十二、三年、お前ら二人は……二十年位か?」
「いや、もうちょい」
ミリアナは、彼等の水面下の遣り取りに気付かず、素直に彼等の友情歴に目を丸くしました。
「わぁ、幼馴染みなんですね」
とミリアナが瞳を輝かせるも、三人とも答えは先程と変わりません。
腐れ縁。
「楽なんだよ。気負う必要がないからね」
ギルバートは身体を傾けると、マルコシアスの向こうからミリアナに微笑み掛けました。釣られて思わずミリアナも笑顔になります。それに、マルコシアスは口許をへの字に結んだものの、ふと何かに気付きそうになって、シャンパンを一気に呷りました。
「君には、幼馴染みはいないのかい?」
グラスを空にして、少しばかり誤魔化すようにマルコシアスがミリアナへと問い掛けます。
「いることはいるんですけど……私、外に働きに出てないので、友達と会う機会があんまりないんです。王都に近いから、街を出て行く子も多いですし……」
「君は、家事を担当してるんだ」
「はい。料理は……あんまりさせてもらえないんですけど……」
「摘まみ食いするからか?」
特に気にすることもなくミリアナが答えていると、ミリアナから一番離れていたキースが、にんまりと笑いました。
ミリアナは頬を紅くして、視線を逸らします。無言は、何よりも雄弁でした。
マルコシアスがそれに反応して睨み付ければ、今度はギルバートが笑います。
「どっちにしろ、随分気に入ってるな」
マルコシアスにしか聞こえない囁きでした。勘が良すぎて、親友ですが偶に吹っ飛ばしたくなるのは──きっとバレているでしょう。
「あー。そう言えば、どうしてここの舞踏会に参加したの?」
照れてしまった妙齢の女性と臍を曲げてしまった親友のために、ギルバートは再び話題を変えます。悪友はさらに言いたそうでしたが、こちらは無視です。
「え?」
「だってさっき、王都近くの街って言ってたろう」
ギルバートの言葉に、マルコシアスとキースはうっかりしていたことに気付きました。
国外からの来賓を除き、王都に住む国民が王都の舞踏会。王都以外に住む国民は王都以外の三ヶ所で催される舞踏会に出るのが基本。どの国民も参加できるのは、一回限りです。
「不法侵入?」
「オイ」
「ち、違います!」
ミリアナは、キースに胡乱な視線を向けられて、顔を真っ青にして何度も頭を振りました。マルコシアスの柳眉が逆立ちます。
「違うんです! これには訳があって……その、あの、えーと……っ!」
「落ち着いて。大丈夫だから。仮に君が不法侵入だった場合、悪いのは警備担当のキースだから」
「そーだなー。警備がこの子を見過ごしたってことだもんな。うん、大丈夫。君はちゃんと無罪放免だから」
王子の親指が、不吉なジェスチャーをするのを、王子の親友は二度頷きました。キースの頬が、ピクピクと引き攣ります。
「あーそうですね。それはすみませんでした。お嬢さん。今後の参考に、どうやって城に潜り込んだか教えて頂けませんでしょうか?」
「いえ……ちゃんと、入口からです。私、兄が王都に住んでるんです。母たちも王都で仕事があったりするので、それで……」
三人の貴族達に翻弄されつつも、ミリアナは身の潔白を証明します。
ただ、姿形がいつもと違うので、詳しく調べられればアウトになってしまうかもしれません。変装しているようなものなのですから。
「身内が王都にいる場合は、OKだったな」
マルコシアスの言葉に、ミリアナは胸を撫で下ろしました。マルコシアス自身とキースも、こっそり……だったりします。
ギルバートも同じく一息吐いて、あ、っと思い立ちます。
「……前回も、王都の舞踏会に参加だったの?」
「前回……ですか?」
不意な問いに、ミリアナの円らな瞳が瞬きました。
「おい、ギル! 余計なことを──」
「良いだろ。このくらい」
「良いだろ。ヘタレが」
「フラレ野郎は黙ってろ!」
「んだと……っ!」
「はいはい、どうどう」
「「誰が馬だ!」」
ギルバートは、友人二人の手綱を引くと、ミリアナのすぐ隣に立ちました。優しい眼差しで見下ろして来るギルバートに、答えるミリアナは少しだけ眉間の皺を寄せました。
「王都だったと思います?」
「なんで疑問系?」
「前回の舞踏会の後、ちょっと怪我で入院して……記憶があやふやなんです」
「入院⁉」
マルコシアスも立ち上がりました。
二人の男性に囲まれて、ミリアナは身を縮ませました。
「何があったの?」
「別に、大した怪我じゃあないです」
「「何が、あったの?」」
イケメンが二人、笑顔で圧を掛けてきます。
キースは、相変わらず少し離れたところでぼんやりと眺めていました。
マルコの奴は兎も角、ギルバートはどういうスタンスだ? 既に、マルコを押し付ける気満々か?
「あの……その……か、階段で足を滑らせて落ちちゃったんです。それで、ちょっと足の骨にひびが入って熱が出ちゃって……」
ミリアナは、少女の頃の情けないやら恥ずかしいやらの思い出を、初対面の男性……しかも、イケメン相手に語るのは、想像以上の羞恥だと知りました。堪らず、真っ赤に顔を染めて俯きます。
その時、結果的にダイエットが成功したことは、絶対にお口にチャックです。
「舞踏会の時に、食べた料理の一部は覚えてるんですけど……後は、あんまり」
「そうだったんだ。大変だったね。傷痕は、残ってない?」
「は、はい。大丈夫です」
「良かった。傷痕は、やっぱり無い方が良いからね」
マルコシアスの大きな手が、ミリアナの頭をぽんぽんと撫でます。
兄や亡くなった父とはまた違う温もりでした。慣れない感触に、ミリアナの顔は茹で蛸も敵わないほどの茹で上がりです。
「今夜は、いっぱい食べてね。他にも欲しい物があったら、なんでも言って?」
マルコシアスは、俯くミリアナに気分を良くして頭を撫で続けます。
もふもふとは違う撫で心地──とはいえうら若き乙女に「愛犬と甲乙付けがたい」とは、さすがに口が裂けても言えません。けれど、柔らかな髪の毛の隙間から覗く真っ赤な耳は、愛犬にはない可愛いらしさでした。
「あの……デザートが……」
ミリアナは、後頭部にマルコシアスの掌の感触と視線を浴びながら、躊躇いがちにお願いしました。
ここの個室には、メインを中心とした料理しか並んでいませんでした。ここへ来る直前にミリアナがいたテーブルにはデザートを置いていなかったので、つい抜けてしまったのでしょう。
「すぐ持ってくるよ。何かリクエストはあるかい?」
「甘いものは、何でも大好きです!」
見るからに。まるで、パタパタと尻尾を振ってるいるかのようなミリアナに、男三人はほっこりとします。ミリアナのように気を抜ける女性とは、日頃顔を突き合わせることがないので中々希少なのです。
「じゃあ、ちょっと頼んでくるよ」
「あっ」
気を利かせてくれたギルバートを、ミリアナが呼び止めます。
「あの、もしあったらで良いんですけど……モンブランもお願いしても良いですか?」
初めてメニューを指定したミリアナに、彼らは好物なのかと問い掛けました。
「特に好きってわけではないんですけど……昔食べた、とっても美味しいモンブランを捜してるんです。多分、この舞踏会のじゃないかなって……」
「モンブランなんて、どこも同じじゃねーのかよ?」
「いえいえ、あれは世界一のモンブランでした」
「うち……城のパティシエは確かに腕は良いけど──あ、待てよ。今と十年前のパティシエは同じか?」
「お芋を使ったモンブランだったんですけど……」
「──芋」
「モンブランって、栗のケーキじゃなかったけ?」
正確には、とある山の形を模していて細長いクリームが螺旋状にあしらわれ、雪に見立てた粉砂糖が掛けられたケーキです。モンブランとは、『白い山』を意味しているだけなので『栗』でなくとも構いません。
「私が食べさせて貰ったのは、お芋の……さつまいものモンブランでした。間違いなです!」
この十年、砂糖はまだまだ高級品なうえぽっちゃりに厳しい義姉の眼もあるので日替わり週替わりとはいきませんが、それでも秋にモンブランを食べ歩くべくせっせとお小遣いを貯めては国中……ではないけれど、住まいのある街、近隣の街、王都──ミリアナは、少なからず様々なモンブランを探しては食べてきました。
残念ながら、御所望のモンブランには未だ廻り逢えていません。
「ここになかったら、お手上げです」
カタン。
項垂れるミリアナの隣で、マルコシアスが座り直していた椅子を引いて再び立ち上がりました。
「栗じゃなくて、『さつまいも』のモンブランなんだね」
頷くミリアナに、マルコシアスの視線が泳ぎました。
あーと少し唸って頭を掻くと、ミリアナの手を掬って跪きました。
「持ってくるよ」
そう一言告げて、下からミリアナの双眸を覗き込んできました。
ミリアナの心臓が、バクバクと大きく鳴り始めます。触れた手も汗ばんできそうです。
今更ですが、この金髪蒼眼の男性はミリアナの心臓に悪影響を与えるばかりでした。容姿端麗……というだけでなく、その声が仕草が眼差しが、ミリアナを追い詰めていくのです。逢ったばかりの時と比べると、症状が悪化しています。
ミリアナにとって、初めての異変です。
「すぐに戻ってくるね」
そして、知り合ったばかりの男性の手が離れていくのを、名残惜しいと思ったのも初めてでした。
「どー思うよ?」
王子の友人たちは、音を立てて閉まるドアを寂しげに見つめるミリアナに背を向けて、顔を突き合わせます。
「このまま行けば、マルコの面倒を見る手間が減る!」
「やっぱり、押し付ける気満々だな。お前ら本当に親友か?」
「親友だからこそ! 可愛い娘に任せたいんだよ。いつまでも、俺が面倒見るわけにはいかないだろ?」
ミリアナの反応、王子の行動……脈は充分です。
あとは、余計なお節介をせずに、当人同士の成り行きを見守っていく方が良いでしょう。王子が──マルコシアスが戻って来れば、静かに退室しようと決めました。
二人は、ミリアナの両隣の椅子に座り直して、ギルバートがノンアルコールカクテルをミリアナに薦めます。鮮やかなグラデーションに、瞳が輝きます。
「アルコールが大丈夫なら、普通のカクテルも用意するよ?」
「未成年だから、アウトだろ」
「これでも成人です! 二十一です!」
ミリアナのカミングアウトに、キースは思わず目を見開き、ギルバートは胸を撫で下ろしました。
「ロリは回避だな」
「いや……ロリっちゃロリにならねぇ?」
「ロリって何ですか! ロリって!」
ノンアルコールカクテルをくーっと、一気に飲み干して、ミリアナは唇を尖らせました。
「んじゃあ、アルコール頼むか?」
ニヤニヤとキースは笑って、こちらはビールを飲み干しています。ミリアナは、首を横に振りました。
「世界一のモンブランが待ってますから」
「世界一って……やっぱちっと言い過ぎじゃねーか?」
アイツの料理は確かに旨いが……とは、口の中に消しました。これ以上の余計な知識は、ネタバレした際、この純朴な娘に更なるパニックを与える光景がありありと浮かぶのです。
「この娘が世界一って言ってるんだ、世界一で良いじゃないか」
ギルバートもその未来を想像しつつも、親友の料理の腕が褒め称えられるのは鼻が高いのです。自然と笑みが溢れます。
「そうです! 世界一のモンブランに出逢ったばかりに、他所のモンブランが食べられなくて、焼き芋ばっかり食べてるんですよ!」
「なんで焼き芋だよ?」
「焼き芋が、一番味が似てるからだろう」
「その通りです! さつまいもの自然な甘さが、あのモンブランに一番近いんです」
「なら、芋で良いだろう。芋、食っとけ」
「味はそれで良いとしても、お芋のままでは食感が違うんです」
「モンブランのクリームは、けっこう手間暇かかるんだよ」
ミリアナとギルバートは、世界一の『モンブラン』を褒めちぎり互いに頷き合いました。一人取り残された男は、ぼんやりと眺めます。
ミリアナは、ぽよんと張った紅い頬を両手で包みました。夢にまで見た懐かしの味と、遂にご対面──のはずでした。
ジリリリリリリリっ!
けたたましいベルが、突然鳴り響きます。
──ミリアナの腕のブレスレットからです。
『お城の十二時の鐘が鳴り終わるまでに、馬車に乗って──』
魔女の言葉が、ミリアナの脳裏に甦りました。