サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 番外編1前編
枯れ枝のような老人が刻まれた皺に苦渋の褪せを垂らし、暗い裏路地を息を切らせて転げるように走る。
ああ、こんなはずじゃなかった。
どこで私は間違った。
そうだ、王子だ、アイツが悪い、あの愚鈍めが──!
何度も何度もこう自問自答し、荒い息の中で自らの主に対し敬意もなく悪態を吐き捨てる。
適齢期になっても浮いた話一つない盆暗王子。
その世話役になり、身内に甘い王家にうまく取り入り良い具合にのし上がってきた。
人見知りで付き合いが苦手で、未だに女一人も褥にも呼べぬ王子。
それを広い心で「運命の相手」に出逢えばと、気に病まぬよう進言をした。
息子の不断の気質に苦言は吐くものの、一人息子を溺愛するあまり、王の器に欠けた王子を可愛さからその座に着かせ続ける国王夫妻。
ならば伴侶に有能な娘を探し出し、愛する王子を支えれば良いと提案した。
その暁には、次期王妃の後見となり有無を言わせぬ権力を持ち、その高みより野蛮な祖を持つ無知な上級階位に蔓延る奴らを見下ろすはずだった。
手に入れたのは、無知で市井の夢ばかり見る、自立心のない泥娘。
操りやすい夢喰い妃に、空虚の王子。
さらにはこの無能夫婦から産まれる次代らを操り、自分はこの国の筆頭宰相として、末永く傀儡の王と国を意のままに操る。
なにもかも上手くいっていた、今日まさに私の地位は盤石な物になるはずだった!
「計画は完璧だった! これは無能どもから国を救うための、そうだ、これは崇高な救国行為なのだ! なのにっ……何が悪かった⁉ 何故、小国の些事に帝国の師団長なんぞがしゃしゃり出てくる! くそっ、おかしいだろう! おかしいだろう! 馬鹿め! 馬鹿者め!」
ヒューッ、ヒューッと迫り上がる胃液が荒い息と共に痩せてしなびた乾物のような喉を焼く。
昼間も暗い裏路地の汚れた壁に手を付き、膝を砂利道に預けて、男は弱々しい息を吐いてはヒュウヒュウと苦しげに激しく咳き込んだ。
「忌々しい! あの女っ、わ、私は、私は生まればかりの盆暗な、王に生まれることの意味も責務も解さぬ王子の機嫌を取れば良いだけだと、っ、はぁっ、あの女! あの魔女は私にそう言ったではないか! 騙したな! だまっ、私を! この私を!」
ゼイゼイと息を切らせて悪態をつき、怒りのまま壁を殴りつける。
『世継ぎすら作る気配がないあの愚かで憐れなお人形を、アナタが助けてあげなさい』
有能な者そこ国政に相応しい。それこそが、ひいてはいずれ国の為になるのではなくて?
開国よりひ弱よと蔑ろにされ、今まで陽の目を見ずに燻ってきた貴方の血が、正しく国を救うのよ、ねぇ?
そんな魔女の、蠱惑的な言葉が頭に浮かぶ。
言葉の通り、魔女に準備されたおつむのぬるい娘は、夢を見ながら混沌を振り撒きに城にやってきた。
招待状を捨てられた灰かぶりを内密に招き入れ、上手く王子にあてがい……人知れず城からまんまと逃した後、怒れる貴族らの怨嗟を上手く隠した。
馬鹿で世間知らずの王子の慣れぬ熱に浮かされた耳に、蛇のように甘言のみを耳に注ぎ続けて。
勿体ぶって国中に王子を引き連れて廻り、一番最後に引き合わせれば、あの馬鹿はお膳立てされた寓話だとも気が付かず「運命」とやらに溺れるだろう。
それが私によって仕組まれた運命だとも気づかずに!
「私は、私は国の為にやったんだ! 全てはこの国の為だ! なのに、師団長? 筆頭魔道士補佐? 侯爵令嬢? おかしいだろう⁉ 何故、こうも帝国上層部から邪魔が入る! おかしいではないか! どこで、私はっ……!」
「強いて上げるのならば、我らが師団長の恋人殿に手を出したことですかね」
ギクリと跳ねたひ弱な肩を無視してジャリっと地面を踏みしめる音が響く。
帝国の騎士服を着た男が、いつの間にか気配なく老人に近づいていた。
ツンとした硬派そうなその男は、眉間のシワを揉みほぐす仕草をすると、はぁと疲れたようにため息を吐く。
そして顔を引つらせる老人に、幼子に言い聞かせるようさらに続ける。
「私の上司はライラさんに対してのみ、かなり、えぇ、かなり分かりやすい方でして。この五年、帝都でも指折りに多忙の身でありながら、自国から山越えしてまであの店にあれほど足繁く通いまくっておきながら常連客止まり! まっったくイジイジもだもだと、その健気な姿は屈強な精神力を持つ部下らを始め、周囲の涙と失笑を誘うほど……。あの恋愛下手で器用貧乏な上司がそりゃあ必死にアピールをなされておいででした。そんな恋愛鈍亀なハルトアイスさんがやっと、やっとなんですよ。貴方に我ら配下の苦労がわかりますか?」
帝国騎士は小さく息を吐くとそのまま続ける。
「鬼のハルトアイス、神狼騎士、戦場のバーサーカー、死の暴走ダウンバレーとまで呼ばれたあの方が、人目も憚らず羽を広げた極楽鳥の如くわっさわっさと、ただ一人に五年もの間、ひたすら求愛されておりました。『頭の良い』らしい貴方は、帝国貴族階級から市井にまで広まるこの話をご存知ありませんでしたか? 節穴目の教育係殿」
物騒な二つ名を持つ美貌の上司をサラッと鈍亀、発情鳥扱いした帝国の短髪の騎士レオノルド。
やれやれと彼はため息混じりに老人を見下ろす。




