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シンデレラ奇譚  作者: 多部 好香
サンドリヨンは向こう三軒のずっと先

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19/27

サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 9

 こちらは帝都城内にある、騎士団近衛部の詰所。

「ハルトアイス団長」

「レオノルドか」

 自身の補佐を勤めるレオノルドが、ノックの後に報告書を片手に執務室に入室してきた。

「こちらを」

 それに目を通すハルトアイスの視線がみるみる険しくなる。


 あの夜、キャシーの手引きがあるとはいえ、ライラと会えたことは幸甚の至であった。

 庭園から見上げた彼女は、花を纏った黄色い雛菊の妖精のように美しい姿で、楽しそうに笑っていた。

 キャシーを信用していない訳ではないが、壁一つ隔てた室内には、招待客の娘の親族や来賓の男どももいたはずだから。


 あの日、キャシーと入れ替わりテラスに滑り込んだ後、思いの丈をぶつけた至福の夜。

 そして、彼女と踊りながら優秀なハルトアイスの耳は、その場を譲った気の良い令嬢が気にしていたざわめきを。

 ダンスホールから漏れ聞こえる、多くの貴族らの不快を表す喧騒を拾ったのだ。


『まぁ、あの娘は誰?』

『王子様と踊るあの娘は誰?』

『我々の娘たちを差し置いて、王家は一体どういうつもりだ!』

『誰か、あの娘の素性を知るものはおらんのか?』

『さぁ? 我が家の縁者に、あのような娘はおりませんわ!』

『まぁ、子爵婦人。あたくしも、あのような娘は存じませんことよ』

『おい、誰か! 屋敷に伝令を飛ばせ! すぐに身元を調べろ!』

『ああ、侯爵夫人、お気を確かに! 誰か水を!』

 ひそひそ、ひそひそ。


 困惑と猜疑の中、曲は緩やかに終わりを迎えた。

 王子と娘は周りに気が付かないのか、はたまたお互いしか見えていないのか、一向にその手を離さない。

 演奏中からあちこちで聞こえるざわめきに戸惑う指揮者は、今度はシンと嫌な静寂に次の曲を躊躇う。

 しかし、いつまでも次のメロディーを奏でないわけにも行かない。

 演奏をする楽団員達も不安そうだ。


 それはそうだろう。

 この場にいる自分含め音楽家たちは皆、貴族にパトロンを持つ者ばかり。

 しかし、ワルツを待つ相手は王子殿下だ。

 板挟みの現実に目を背けると、彼は肩を落として指揮棒を振った。


『まぁ! まさか二曲目を? 酷いわ!』

『殿下はわたくしたちに恥をかかせる気ですの?』

『そうよ! 私達は招待されてここにおりますのよ!』

『王子は血縁であらせられる公爵令嬢様ですら、お手すら取られなかったのに』

『あの娘も何を考えていらっしゃるのかしら?』

『あんな娘、わたくしたちのお茶会にいたかしら? ねぇ誰かご存じ? ……でもあの所作、少なくとも貴族の娘ではございませんよね』

『本当に、はしたないったらないわ』

『こんな侮辱ってあるかしら』

『お母様、わたくし悲しゅうごさいます』

『ああ、淑女たる者、ここで泣いてはなりませんよ。大丈夫。母やお父様がおりますわ。ああ、なんてこと。王家の、この国の何たる仕打ちでしょう! 隣国のわたくしの生家にも知らせなくては』

『殿下の側近達は何をしておる!』

『長らく王家にお仕えした我が一族に対し、これが次期陛下のお答えか』

『伝令を! 此度は次期当主として夜会に参加したが……我が妹を何だと思っている! 母上がいたら卒倒するところだ。父上に、侯爵閣下に急ぎ知らせよ!』


 なるほど、これは確かに騒ぎになるはずだ。 


 ダンスパーティーは、男女の出会いの場ではある。

 しかし、そこには厳格なルールが存在する。


 先ずは、その場で一番高位のペアが踊り、決まった相手のいない男女は、一曲ずつパートナーを取り替えながら相手をする。 

 会場入場時に、本日の曲目と希望の相手を記載する場合もあるが、今宵は王子一人を対象にした見合いのパーティーだ。

 ならば、ホストたる王子は臣下に義務として最低限、招待客の高位貴族の令嬢らと踊り、その貴族としての体面を整えねばならない。


 ダンスはただ踊るだけではない。

 その手を取り合う間だけは、二人だけの時間。

 上位者からの声掛けがない限り、口を開くことすらできない貴族社会。

 しきたりを重んじる奥ゆかしい令嬢たちにとっては、ダンスは唯一壁なく異性に自己アピールができる特別な場なのだ。


 そして、最終的に王子が一番多く手を取った相手、二度続けて踊った相手こそが王子のパートナーとして周知される。


 息を合わせて踊り、少しでも語らって、そしてお眼鏡に叶わぬなら仕方がない。

 それなのに、王族の名で貴族を招待しておきながら、誰の手も取らず初見の女と二度踊るなど。


 市井や商人の娘らはまだ良い。

 不味いのは、青い血を誇りとする令嬢たち。


 今まさに会場内の令嬢らは、婚約者選定に選ばれた娘ではなく、王子から味見もされず捨てられた娘という不名誉な烙印を押されたのだ。 

 この後、新しい婚約者を探すにしてもこれは瑕疵となるだろう。

 ……次期国王たる『王太子殿下』からの仕打ちを、さて貴族たちはどう見るか。


 楽曲が四曲目を過ぎた頃、悲鳴はもはや怨嗟の呻きと、静かな侮蔑の視線に変わっていった。




「ガラスの靴は、まず貴族から確かめられたそうです」

「そうか。それはさぞ、反感を買ったことだろう」

「そのようです」

 当たり前だ。

 年頃の娘を持つ親ならば、いや、縦社会の厳しい貴族らは、今後の勢力分布が決まるあの夜会に必ず参加していたはずだ。

 なのに、よりにもよって令嬢たちに屈辱を与えた、夜会やダンスの作法一つ知らぬポッと出の女を探すために、憎らしい女の持ち物を携えて厚顔無恥にも王子は泥を塗った娘たちの屋敷にノコノコやってきたのだ。


「貴婦人への配慮は?」

「ありません」

 オートクチュールが当たり前。

 他人が履いた靴など、産まれた時より身につけたことなどない貴族に、得体の知れぬ他人の靴に足を入れろなど。

 いや、その前に問題は……。

「つまり、王子はあの夜、登城した貴族令嬢の顔や……いや、自身を将来支えるはずの同世代の貴族連中。その存在自体を認識していない、と」

「まさか! 小国とはいえ一国家の王子、ましてや王太子がそんな!」


 一般の娘と貴族の娘の違いがわからないなんてこと、普通はあり得ない。

 身のこなし、教養、その指先一つ取っても、政略結婚の駒になり得る貴族の娘は、謂わば生きた宝石なのだ。

「そうだ、王族なら、次代の国王陛下なら最低限、上位貴族との付き合いや自国の貴族名鑑くらいは知っていて当たり前。なのに」


 プライドを傷つけられた令嬢たちは、自分の物でないガラスの靴に足を入れる茶番にどのような気持ちで立ち会ったのか。

 そして、それを強要される我が子を見る当主やその婦人、兄弟や家令達は。

 しかも、あの娘が貴族階級の後ろ盾を持たぬ身だと言うことは、対面を汚された貴族の間で光の速さで秘密裏に調査され、既に裏も取れている。


 そのような娘の下に置かれた貴族たちは、ますます怒りを募らせたはずだ。

 次期王妃の、あの無礼な娘の後ろ盾になってやろうと言う貴族は、はてさて何人残ってるのか。



「次は商家や金持ちか」

 ペラりと報告書を捲る。

 貴族ほどの反感はないが、無駄を嫌う商人たちからもあまり良い反応はない。

 我が子が選ばれる可能性は低くとも、広いネットワークを持つ商人らも知らぬ、得体の知れぬ娘に美味い場所を持っていかれたのだから。


 しかも王子を独占した娘のせいで、お貴族様方のご機嫌はすごぶる悪い。

 盛り上がる商談も、話しかけやすい雰囲気も、商売の伝手や金や貴族へのコネに繋がる話も、不穏な雲行きではできやしない。

 金をかけて娘を着飾らせた割に旨味がなく、さらにはその後、商機と我が子を蔑ろにした王子の我儘に再び時間を割かれる。


「『児戯にも等しい』か」

 報告書に書かれた、どこかの商会主の内々の言葉。

 名は伏せられてはいるが、おそらくこれはあの夜、会場にいた上流階級の総意と見て良いだろう。

「ああ、そうだ。『児戯』だよ。まったくもって言い得て妙だ。この言葉はよくそれを表している」 


 皮肉げに口を歪めると、ハルトアイスはピッと紙を弾いた。

 何かがおかしい。

 貴族の顔と名前を認識できず、パーティーでも現在もタブーを侵し続ける王子殿下。

 豪華な装いの割に無知で無礼な正体不明の消えた令嬢。

 怒り狂う貴族たち。

 離れていく商家の人々。

 怯える市井の娘たち。


 残されたガラスの靴。


黄色い雛菊の花言葉「ありのままに」

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