サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 8
「そんな無粋なことなど、あの素晴らしいひと時に聞けるものか!」
「無粋? 素晴らしい? それは殿下から見た話でしょう。大体にして見合い目的の夜会に無粋もなにも。そんな安っぽい三文小説のロマンスと悦楽に溺れ、王族としての責務を放棄された殿下には、夜会での行動のみならず、この『靴廻し』が自らの無能を更に触れまわる行為であると、未だにお気づきではない。と」
「な、なにを………」
あまりの言い方に、王子は絶句して顔を真っ青にして立ち尽くした。
「そうでしょう? 多額の金を掛けて開いた夜会では伴侶候補に名前も聞けず逃げられ、さらにまた金を注いでそんな無礼にも王族の前から遁走した女を探してまで妃にしようとしている。つまり貴族から市井の者たちに過去、現在、未来において、自身の尻拭いをさせている訳です」
あの奔放すぎた夜会を過去。
国民を巻き込んだ靴廻しを現在。
夜会を掻き回し、最後に逃げ出すような女を妃に据え仕えねばならぬ未来。
「すべては王子殿下と、お年を召してから得られた可愛い一粒種とは言え、何一つお諌めにならない国王ご夫妻の非ではないですか? この国の民たちの将来への不信、揺らぎ、そして不和は、小さな火種となり、大火となり国を焼き尽くし。その火の粉は、我が帝国にも多少降りかかるのですよ」
ハルトアイスは大袈裟なほど、畏まって腰を折り右手を胸に左手を腰に回し、長い足をクロスさせて優雅に王子に礼を取ると、嗤いながら彼を睨めつけた。
「そっ、それは……」
『反乱』
父王までもを否定するハルトアイスに言い返したくとも、王子は咄嗟に脳裏を掠めた言葉にカラカラと喉にひりつく痛みを感じドッと冷や汗をかく。
「この靴廻しで、貴族らは第一王位継承権を持つ殿下をどう評価されたでしょう? 夜会では恥をかかされた上、ダンスを同じ相手に続けて四回以上踊る無作法な娘を、お前の娘ではないかと言われ、さらにその女を妃に迎えた後は、娘らを従わせねばならない」
「…………!」
夜会のマナーでは、基本的に踊れるのは一度きり。二回続けて踊れるのは婚約者。配偶者であっても三回まで。四回以上は下品とされる。
貴族ならダンスを習う前から教え込まれる当たり前の基礎中の基礎と言えるマナー。
つまり、無知にも四回以上踊った彼女は、貴族階級の娘ではない。
名乗りもせず、身も明かさず。
殿下の客人らへの態度を窘めない時点で、もはやそれはまともな娘でではない。
気ままな愛妾を探しているのではないのだ。
将来、王の隣に立つ国母となる娘。
誇り高い貴族令嬢や夫人達は、より良い婚姻という女性としての『武器』を折られた上に、あの夜から自身らを踏みつけ続ける憎い娘を、近い未来、女主人として仰がねばならない。
上位であればあるほど、未来永劫、子々孫々まで彼らは王家より賜った屈辱を許さないだろう。
執念深くと云うなかれ。
特権を持つ代わりに、青い血の誇りと、付随する重き義務と責務を果たす海千山千、奸智術数の貴族社会。
美しくし淑やかな面とは裏腹に、酷く陰湿な社交を紙一重で情報を駆使し優雅に泳ぐ彼女ら貴族女性。
それを束ねるはずの未来の王妃候補は、初歩から無知を晒してそのすべてを敵に回したのだ。
自らが住む美しい宮廷の中を、歴代の王を護りながらも主として相応しいか常に睨みつける獅子や鷲、そして足元を這いずりまわる蛇達。
やっとその事実に思い至ったらしい。
しかし、ハルトアイスは手を緩めない。
「ならば、商人らは? 市井の娘らは?」
そんな敵だらけの娘を探すために、納めた国税を更に湯水のように使う王子は、搾取された彼らにどう映るのか。
いやそれよりも、しっかりあの夜会が開かれた意味と、自らの地位やお立場や行動を顧みて、身を律してさえいれば。
まさか、国中の娘に無理やり足を出させる暴挙に出られるとは。
「彼女らにも恋人や婚約者がいたはずです。中には私の恋人のように、靴の持ち主は自分ではないと訴えた者も多くいたでしょう。そんな年頃の乙女らに人前で恥知らずにも素足を出させるなど、無礼はどちらです。万一、そんな娘の足にコレが嵌ったら殿下は如何なされるおつもりでした? 浮気者と詰めますか? そして問答無用で貴族社会の冷たい針の筵に投げ出す気ですか?」
これほどに周りを巻き込み、騒ぎを大きくしたのならば、何らかの『結末』はどうあっても必要となる。
ジャリっと厚い軍靴の底でさらに欠片を憎々しく踏みにじる。
「周囲の顰蹙にも気が付かず、王子としての役目も果たさず、大金をかけた夜会で得体の知れぬ女に良いように踊らされ、しかもまんまと逃げられ、さらに血税を無駄遣いした上に他人の恋人に無体を強要する無能な次期国王」
ハルトアイスはさらに侮蔑を面に出してニィッと嗤う。
「諸外国にもこの短時間で立て続けに見せつけられた殿下の愚かな行動により、この国はもう終わりだとまで囁かれております」
「ぼ、僕は、いや、わたっ、私はそんな!」
「王子! しっかりなされてください!」
茫然自失になりよろけて尻もちをつく王子を、年嵩の家臣が支える。
「残念ながら、それが今の殿下の評価ですよ」
「そんな……」
王子はその時初めて、貴族や商人らの屋敷で、そして市井の人々の自分を見る侮蔑の視線に気がついたのだった。
「ところで王子殿下、靴廻しは私の恋人と……あと一軒で国中の娘たちは最後ですか?」
「あ、ああ、そうだ、市井の娘は、だから僕は、今日こそ……」
絶対零度でひたりと王子を見据えた男の唇から、眼差しと同じ温度の言葉が紡がれる。
「左様で、ああ、そうですか、そのようにお考えですか。失礼。殿下、私は今、心からこの国の王太子殿下を」
「軽蔑致しております」




